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2012年4月12日 (木)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(20)

17.存在論的な矛盾

「真理値グラット」とは「真でも偽でもある」という事態を認めるということであり、それはすなわち矛盾を認めるということだ。この矛盾に関して二つの方向から重大な疑問が生じる。第一に、「真理値グラット」の例は、単に異なる観点や時点捉えた時に、相反する真理値をもつということであって、それはまるで、いま空腹でありかつ30分後に空腹でない、ということを矛盾だと言い立てているようなものだというものだ。この問題は矛盾とは何かということ関わるものだ。従来、矛盾は構文論的に「一つの文とその否定との連言」としてあるいは意味論的に「真であり同時に偽である」として理解されてきた。さらに一つの状態が両立不可能な性質を持つことという存在論的な矛盾もあるが、そうした状態が世界に存立している実在的事実ならば、ここでの矛盾した性質は文字通りには両立不能のはずがない。真に両立不能ならば、事実として存立しているはずがないからである。よって、存在論的矛盾とは、ある種の衝突や対立であると考えられる。こうした意味での矛盾が、曖昧な対象について「真理値グラット」の考え方を導入した時に発生している矛盾と捉えられる。同じことは、言語的な「ソライティーズ」にも当てはまる。

このような仕方で矛盾を意義付けたとしても、それを言語表現として扱うときに字雄大な第二の疑問が出てくる。いったん「p&~q」という恒偽式を前提として認めると、それを前件にした条件文もすべて真なるものとなり、よって前件肯定式により、いかなる命題も真なるものとして正当に帰結されてしまうことになるからである。

これに対しては、言語的なあるいは意味論的な曖昧性、そしてそこから発生する「ソライティーズ・パラドックス」を、判断主体の傾向性と捉え返して、その確率を問題にして矛盾の実在を許容することにより、存在論的な曖昧性と連続させること、それが「確率評価論」の道筋であった。そして、こうした「真理値グラット」に訴える道筋が、反対方向であるエバンズの議論から顕わとなった存在論的な曖昧性の問題からも導かれてきたのであった。

ここまでの議論では、矛盾が実在するという論点が、言語的であれ、存在論的であれ、曖昧性という問題の核心をなしていることになる。

18.確率と自由度

筆者の考えのラフなスケッチとしては、曖昧な対象をめぐって生じる「多数問題」やエバンズの議論などのパズルは、そして実は言語的な「ソライティーズ・パラドックス」についても、それを推論したり判断したりする主体のあり方としての「傾向性」というポパー的確率の問題として捉え返すことができ、そうした確率概念の導入こそが「真理値グラッド」の立場に整合するのであり、そのように捉えることによって曖昧な道徳的概念を用いた判断や推論などに「程度」が導入されて新しい眺望が開けるだろう。

確率とは、判断内容について肯定と否定の両方が現に実際に発生しているという状態、即ちある種の実在的矛盾を許容する文法なのであり、そういう意味で「真理値ギャップ」とではなく、「真理値グラット」と整合的なのである。また、排中律に対する態度を考えてみると、確率概念そしてぃつばん的な「真理値グラット」の立場に関してはそれは恒真と認められるが、「真理値ギャップ」つまり多値論理的な立場ではそうは認められない。その点でも、確率の文法は「真理値ギャップ」ではなく、「真理値グラット」に整合するのである。しかも、単に「真理値グラット」と整合的というだけでなく、程度も考慮でき、よりきめの細かい分析のツールとなりうる。

以上のような着想に従うと、「自由」というメタフィジックスの核心的主題への適用である。「自由」概念の中心的な意義は、自発性の自由であれ、拘束からの自由であれ、「他のものに強制や束縛をされていない状態」ということだと思われる。しかし、これは曖昧な状態である。よって、ある人が自由な状態にあるかどうかは、そうであるともないとも確定できない事例を許す。このひとの自由な状態についての問いを、これについて判断する人のあり方、すなわち「自由な状態にある」という主張に対して肯定する人の「傾向性」へと集約させる。この「傾向性」は確率であり、その意味で「真理値グラット」に対応しながら、度合いを有する。このアイディアに従うと、ある人の自由という状態には度合いがあることになる。即ち、自由度である。自由度というのは、日常的には何の違和感もない概念だが、哲学の自由論ではなかなか主題化がされにくかった。こうした「自由の程度説」と呼ぶべき考え方、それがここでは明確なトピックとなって姿を現してくる。

章題の「曖昧性は矛盾を導くか」に対しては、こう答えられる。曖昧性はたしかに矛盾を導く、しかしその矛盾は確率の文法によって対処可能なリアルに発生している因果的効力を有する矛盾である、と。言語的な曖昧性から発した議論は、「ソライティーズ・パラドックス」、そして存在論的な曖昧性へと論が展開し、エバンズり議論の検討を経由して、「真理値グラット」の考え方へと収斂し、それを具現化する傾向性としての確率概念の適用を示唆するに至り、しかもその応用例として「自由」及び「自由度」の問題を射程に収めることにひとまず辿り着いた。

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