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2012年4月 6日 (金)

一ノ瀬正樹「確率と曖昧性の哲学」(14)

23.道具主義と確率解釈

そうなると、生命科学の現場での実践あるいは便宜と言う側面ではどうあれ、原理的には自然選択と遺伝的浮動とは区別できず、連続していると、つまりはビーティの連続説を受け入れるべきだと結論付けるべきなのだろうか。そうなった場合、生命現象はひとしなみに偶然的であって、いかなる意味でも決定性はあり得ない、ということになる。そこで、直ちに決定論は斥けられると結論付けるのは拙速である。例えば、ローゼンバーグの展開した「道具主義」の立場では、生命現象の根源的な偶然性と、その決定性を両立させようとする。それによれば、進化理論がとりわけ遺伝的浮動に即して導入する確率あるいは確率的概念は「認識的」であって、進化の理論に関わるにすぎず、進化の過程には関わらない。進化的な現象それ自体は、量子論的な非決定性をミクロに包含するにしても、結局は決定論的であって、進化理論は我々の認知的な限界を反映しているところの便利な道具に過ぎない。

ここでいう認識的な確率とは、「信念の度合い」として捉えられる主観的確率のことに他ならない。一般にそれはブランダンのいう客観的確率と峻別される確率概念である。ここで筆者は、主観的確率は結局は主体の物理的状態や行動志向性として現われる「傾向性」としての確率として、客観的解釈は頻度が帰属される有機体や集団の物理的な「傾向性」として捉えられる。このような「傾向性」として捉えることによって確率についての実証的な検証がしやすくなると言う。このような筆者の観点からすれば、すべての確率についての解釈を「傾向性」として一括して押さえ直すことができる。

24.偶然性の深遠

以上のように生命現象に対する決定論を徹底的に斥けたとしても、ごく素朴に考えて、生命現象の中には完全に偶然的だとは言い難い事例が存在する。そこで、筆者は究極的として二つの論点を提示する。

ひとつは、適応度、自然選択、遺伝的浮動といった進化理論の基本概念を適用するときの測定単位に関わる論点である。そもそも、自然選択等の変化を考える時、進化理論では一般的に「世代」を測定単位と捉えて、ある世代から次の世代に至るときの子孫数とか繁殖成功率、遺伝子型や対立遺伝子の頻度などを進化の測度としていく。しかし、一つの世代交代でもって進化を語るというのは抽象化であると考えられる。しかし、ずっと先の世代も射程に入れるならば、原理的に不確実性は増大する。同じように、遺伝子型や対立鋳て戦士の頻度を測り集計する場合、大抵は空間的な意味での区画に区切って調査する。こうした調査の仕方には「シンプソンのパラドックス」が生じる可能性が常に存在する。

実は、「シンプソンのパラドックス」は進化理論を展開する時の基礎的な統計全体に及ぶ。それだけでなく、経験的な次元で何らかの統計的手法をとらなければならない知識のすべてに発生可能性があり、我々の認識全体に不安定性と不確実性を、そして根源的な偶然性を、つねに原理的にもたらしているのである。

25.進化の帰結としての確率

もう一つの論点は、自己言及性に深く関わる。進化理論の応用分野として「進化心理学」がうまれ、人間の心理メカニズムを進化理論によって説明するというもので、ある心理メカニズムを持つ個体がそれを持たない個体よりも生存・繁殖に有利ならば自然選択され、人間全体にそうしたメカニズムが広がっていくだろうという考え方を基本とする。

このような進化心理学的アプローチを採り入れた時、進化理論あるいは自然選択理論にとって由々しき「自己言及」が発生する。例えば、人は獲物を捕獲する時の方法等も我々の言う確率や条件つき確率の概念について何らかの理解を持っており、こうした理解を持つことは生存や繁殖成功といった適応度に深く関わっていた。そうなると、進化理論の基本情報として利用される確率は、それ自体で進化の産物や自然選択の結果であると捉える道筋に交わる。確率は進化の産物であるが、進化は確率によって理解されるというある種の「自己言及」が生じている、と考えられる。

このように自己言及性が発生しているとするならば、進化理論が描こうとしている自然選択のシナリオには根本的な次元で不確実性が入り込んでくる。本来的に偶然性が染みわたっている。その限り、自然選択と遺伝的浮動とを明かに区切ることはできない。換言するならば、自然選択という現象を何らかの仕方で決定論的に語ろうとすることは、決定論それ自体が狂言であるということを別にしても、一種の欺瞞なのである。

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