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2012年4月 3日 (火)

ジャンソン・ポロック展(5)~後期・晩期 苦悩の中で

Pollocknumber81951 ボーリングを全面に展開したオールオーバーの作品を、ずっと作り続けるわけにはいかず、方向性を転換し、新たな方向を模索中に亡くなったため、途中で断絶してしまった、という軌跡を追っています。

展覧会の、この時期の展示タイトルが「苦悩の中で」だったり、パンフなどでは、彼の死を志半ばでの悲劇的な死というような書き方をしていますが。作品を見ている限りでは、そういったものが反映しているようには思えません。ここで、書いているようにポロックという画家は“何を描く”というよりは“いかに描く”という性格の画家だと思っているので、個人的な事情を描くとか、作品に境遇が反映しているとは感じられないのです。むしろ、技法というような表層のこのように表わされているというレベルで勝負しているという画家ではないかと思っています。

Pollocknumber71952 そういう視点で、作品の表層を見ていくと、ポロックの作品というのは年を追うにつれて、要素を削ぎ落としてソリッドになっていったという流れがあると思います。展覧会での説明では、抽象から具象に戻ったということが説明されていました。それよりも、私には、色彩という要素を切り落としていった軌跡して見えるのです。そして、もともと黒の使い方でセンスを感じさせていたポロックが黒と地の白という二色だけを使って、これまで一貫してポロックの作品の中に大きく占めていた構成という要素の集中した作品を産み出して行ったと考えられないでしょうか。その過程で、以前のポロックの作品にはなかった余白という空虚が新たに現われた。それが、私には、ポロックの新たな展開に見えました。そして、表層の見えだけで比べれば、日本の前衛書道のようにも見えてくるのでした。多分、具象に戻ったというコメントが出てくるのは、筆を使って描いているように見えるからではないでしょうか。筆で描いたものが何物かを描いているように見える。それで、具象に戻る、と。しかし、この場合、単に絵の具を画面に乗せるということだけで、ポーリングで流すことと、筆でキャンパスに絵の具を着けるのとの間で、とくに差がないように思います。ポロックにとっては、ポーリングでは出せない線のかすれや筆先の線を出したいから筆を使ったのではないかと思えるのです。それにより、絵の具による線にうねりの様なものが現れ、よりダイナミックな躍動感のようなものが生まれています。そのような線と対比するような余白があるので、画面の各処にアクセントの強弱が生じ、オールオーバーの作品では生かせなかった、ポロックの構成のセンスが再び感じられるものとなっているように思えます。その反面、画面を埋め尽くすような迫力は感じられないため、見る人によっては一種の衰えというのか、後退しているような感想を抱かれる可能性も考えられます。私には、この時期の作品は要素を整理して画面上でメリハリをつけた結果というように見えます。整理するためには、考えなければならず、即興的に(と言っても、考えていないわけにはいかない)一気に仕上げるオールオーバーなポーリングとは違って、作るのに時間がかかれば、自然と作品数も減ってくるものです。

最後に、ポロックの回顧展ということで、この展覧会が一つのストーリーのもとで構成され、展示されたものですが、ポロックに対する見方は、これだけなのか、疑問に思うところがあります。それは、今回、抽象表現主義の他の作家たちとの関係が全く触れられていませんでした。数年前に、近代美術館で抽象表現主義の展覧会があった時に、ロスコやデ・クーニングの作品と並べて展示されていたポロックの作品と、今回の展示とでは印象が大分違っていたので、驚きました。その時のポロックの作品からは静謐さのようなものを感じて、その作品の前で、ぼーっとしていつまでも佇んでいたいと思わせるようなところがありましたが、今回はそういう感じは抱けませんでした。

どちらかというと、表層レベルで楽しむというもので、感情移入とか共感するというような作品ではなくて、画面上の線や形を楽しむという作品として見ていました。だから、もっと画面に即して、画面の黄色い線について具体的に記述するというようなのが、ポロックの作品に対する正しい喋り方であるように思います。

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