湯之上隆「イノベーションのジレンマ 日本の『半導体』敗戦」(1)
第1章 過剰技術、過剰品質
一般的に「なぜ、日本の半導体産業は凋落したのか?」と聞かれると、多くの人はコスト競争力、さらに経営の問題を大きな原因として指摘する。そして、日本の技術力に対して、諸外国に比べて負けていないと考えている。つまり、競争力低下の問題は経営、戦略、コスト競争力にあり、技術力には全く問題がないという。また、業界関係者は韓国、台湾等の台頭を、装置メーカーの成長により、DRAMは装置を買えば誰でも作れる状況になり、これを韓国はうまく利用し売れ筋の装置を揃えることに成功した。台湾のファンドリーメーカーは、デバイスの開発費がいらず、他社に先駆けて先端の装置を揃える必要がないため、製造コストを低く抑えることができた。
筆者は、このような見解は技術力とコスト競争力は別物であるという定説が前提にあるという。そして、この定説は誤りであると主張する。
半導体に関する技術には3つの階層がある。①要素技術、②インテグレーション技術、③生産技術、である。
この3段階の技術に関して日本の現状を見てみると、日本半導体産業の要素技術力及びその開発力は高い。また、高品質な半導体ズバイスを作るためのインテグレーション技術力及び生産技術力も高い。しかし、要素技術は過剰な技術力であり、高いインテグレーション技術力と生産技術力によって作られる半導体デバイスは過剰性能、過剰品質となっている。一方、コストの点から言えば、要素技術、インテグレーション技術、及び生産技術のすべてに大きな問題がある。装置は特注し、スループットが悪いため製造装置台数は多い。その上マスク枚数及び工程数が多く、アジア諸国ほど、歩留まりが徹底されていない。このような分析から、技術力を測るためには、2つの評価軸が必要で、1つの軸は、高性能・高品質な半導体デバイス生産するための技術力であり、もう1つの軸は低コストで半導体デバイスを生産する技術力である。この軸で見てみると、日本の問題点は、高性能・高品質な半導体デバイスを作る技術力には優れているが、安く作るための技術力が劣っている。ハッキリ言えば、過剰技術で過剰性能・過剰品質の半導体デバイスを製造している。その結果、製造コストが高騰する。
第2章 イノベーションのジレンマ
1980年代、日本の半導体は世界を制した。それは大型コンピュータ用DRAMで、コンピュータメーカーから25年保証の高品質の要求に応えるものを日本企業が作ってしまった。その結果、DRAMのシェアで米国を抜き去った。これを可能にしたのは、極限性能を追求する微細加工技術と、高品質を追求するインテグレーション技術及び生産技術であったと言える。微細加工技術においては、日本は、多数の革新滝技術を開発した。ステッパやスキャナ等のリソグラフィ技術や、リアクティブ・イオン・エッチングと呼ばれるドライエッチング技術等である。日本半導体メーカーの技術者たちは、常にこれらの装置の極限性能を引き出そうとした。その性能に満足できなくなると、自ら装置を開発した。つぎにインテグレーションの際には工程フローに多くの工夫を盛り込んだ。その結果マスク枚数や工程数は増大していった。これは、高品質DRAMの工程フローを構築するためには必要不可欠だった。量産工場においては極限性能を追求した装置を使い、高性能・高品質を実現するための工夫を盛り込んだ工程フローに従って、高品質なDRAMの大量生産を目指した。このようにして、25年保証の高品質DRAMの量産にいったん成功すると、それが量産工場の基準となった。高品質DRAMを生産することが当たり前になり、さらに、より高性能、高品質を目指すことになった。その結果、日本の半導体メーカーの技術者が要素技術の極限性能を追求し、高品質DRAMの生産を目指す技術文化は、ごく常識的なにこととして定着していった。現在の過剰技術と過剰品質の半導体デバイスを生産する病気の根源は、25年前に胚胎する。
1990年代になると、大型コンピュータに代わって、PCの出荷額が急速に増加した。この動きに合わせてDRAMについても韓国がシェアを伸ばし、日本を追い抜いた。このキャッチアップは次のように説明できる。コンピュータ市場の物品構成の変化はDRAM需要の変化を引き起こし、韓国はPC用のDRAMを大量生産することで日本を逆転した。この時、PC用のDRAMに要求されたのは低コストと数量であった。これに基づき韓国は安価なDRAMを大量生産した。
これに対して、日本は過去の成功体験によって窮地に追い込まれることになる。1990年代以降、高い要素技術力も、高品質DRAMを生産する技術も、需要の大半を占めるPC用DRAMの競争力とはなり得ないからだ。むしろ低コストが重要なPC用DRAMにとってはマイナスの作用を及ぼす。つまり、1990年以降の日本の半導体メーカーの技術は的外れを続けている。第2に、コスト競争力は規模の経済とそれを実現するための投資に起因するものと考えられている。しかし、半導体生産に関する技術もコストに大きく影響している。どのような技術を選択したかによってコストはおのずと決まってしまうからである。コスト低減を目指した技術を日本メーカーは低級な技術と見なした。
1980年代、大型コンピュータ用の高品質DRAMを生産することにより、世界を制し、その際に、極限技術および高品質を追求する技術文化が日本半導体メーカーに形成された。ところが1990年代に入って、PC用のDRAMを低コストで生産することが重要となった時、日本は相変わらず高品質DRAMを生産し続けてしまった。それは、日本半導体メーカーにとって、あくまで、主要顧客は大型コンピュータ・メーカだったからである。したがって大型コンピュータ用に製造した25年保証の高品質DRAMを、PC用にも転売した。そのDRAMは、PC用に対して、明らかに過剰品質であった。その結果PC用に低コストDRAMを大量生産した韓国ビジネスに抜かれ、競争力を喪失し、撤退を余儀なくされることになった。
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