無料ブログはココログ

« 上野修「スピノザの世界 神あるいは自然」(6) | トップページ | あるIR担当者の雑感(64)~アナリスト・レポートを書いてもらえる幸せ »

2012年5月24日 (木)

上野修「スピノザの世界 神あるいは自然」(7)

無限知性の全体は真なる観念の連鎖でできているが、局所を取って「身体の観念」だけで見ると、そこで情報不足や情報切れが生じている。我々の位置にいる神の思考は、前提が欠落して残った結論だけを見ている。これはカモの中にどうやってローカルな主観性が出て来るかの説明になっている。このような状態でどうやって客観的な認識を持てるのか、スピノザは次のように説明している。主観性は局所性ゆえの情報不足や情報切れに由来する。そこで、局所性の影響を受けない何かを考えればよいことになる。例えば物質空間の一部を占めているとか、何らかの運動状態にあるとかいった、すべての事物に共通な特性があるとする。共通なのだから、それを抜きにしては神はいかなる事物の観念も生み出さないし、したがってまたいかなる身体変状の観念も結論しない。無限知性のすべての観念は、いわばこうした共通なものの単一色を帯びて生成しているだろう。ならば人間精神も、この単一色の知覚なしには何も知覚できないはずである。それゆえ、「すべての事物に共通であり、そして等しく部分の中にもあるものは、十全にしか考えられることはできない(定理38)」

「この帰結として、すべての人間に共通のいくつかの観念あるいは概念が存することになる。なぜなら、すべての物体はいくつかの点において一致し、そしてこれらの点は、すべての人から十全にあるいは明晰判明に知覚されねばならぬからである。」

我々の身体と、日頃それを刺戟するのを常とする特定の物体との共通なものも、やはり十全に知覚されるとスピノザは言う。身体変状の観念を分析してそういう共通点を含んでいるところだけを取り出すと、そこだけは単独の身体の観念で十分に結論される・。いいでいう共通な所には情報不足や情報切れがない。つまり、つまり身体Aの観念=精神になっている神の思考は単独で共通なところを十全に理解できるようになっている。

例えば、このように考えることができる。器用ツウなものが何もないなら、刺激したりされたりすることもあり得ない。刺激しされるということはある種の共同作業と見ることができる。我々は椅子に座る。椅子は我々を座らせる。座るという我々の身体変状は座らせることのできる椅子の本性なしには理解することはできない。我々の身体と椅子は「座り」とでも言うべき中間相を共通なものとして共有している。我々はどんな形のどんな材質のものなら座れるか、椅子の方でも、どんな身体なら座らせるに耐えられるかを知っている。我々は、日々、多くの事物とそういう特定の共通なものを共有していて、色々なことができるようになっている。このような事物たちと共有する数々の局面で、我々は日々接する事物を理解する。事物の特性は抽象的なイメージではない。身体と何かを共有する限りで、リアルなものだ。このように自明で安定した構造が知覚されなければ、実験も観察もあったものではないだろう。我々の客観的な認識のベースにはそのような自明な「共通のもの」がある。

このように、我々は日常の経験の中にいても、客観的で一般的な概念を持つことができる。スピノザはそれを「共通概念」と呼んで、主観的な認識モードから区別する。我々の思考は、このモードに関する限り、真理空間に直に触れている。真からは真しか出てこないから、我々は共通概念をベースに「理性」を発展させることができる。すべての事物の観念には、共通の原因たる「神あるいは自然」の認識が基礎定数のように含まれている。

人間は実体ではない。もし実体でないのなら何ものかの様態であると言い切らねばならない。スピノザはその線で行き着くところまで行った。我々は未だに、人間には知性や意志、感覚といったメンタルな能力が備わって思考しているのだと言っているわけだが、スピノザにとって、そんな独立した能力は存在しない。無限知性の中で身体の観念になっている神の思考がその局所で知覚を生じていて、それに十全なものであれば非十全なものもあるというだけである。だから、我々の持つ明晰判明な観念が真である保証を、デカルトのようにその観念の外に求める必要はない。そして、これが『知性改善論』の求めていた説明であった。この世界に真理があるとすれば、世界はこうなっていなければならない。

« 上野修「スピノザの世界 神あるいは自然」(6) | トップページ | あるIR担当者の雑感(64)~アナリスト・レポートを書いてもらえる幸せ »

スピノザ関係」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 上野修「スピノザの世界 神あるいは自然」(7):

« 上野修「スピノザの世界 神あるいは自然」(6) | トップページ | あるIR担当者の雑感(64)~アナリスト・レポートを書いてもらえる幸せ »