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2012年5月 9日 (水)

英国ヴィクトリア朝絵画の巨匠~ジョン・エヴァレット・ミレー展 (1)

このところ美術展の感想を載せていますが、ついでに以前のものを、溯って載せようと思います。

Millaisposta 2008年9月10日 BUNKAMURA ザ・ミュージアム

久しぶりに美術展に行った。当日の午後に、丸の内の三菱UFJ信託銀行の株券電子化説明会を受ける。午後4時に終わったので、迷った末、会社に帰らず、東京駅から山手線で渋谷に行く。駅前交差点の人混みでは、違和感ありあり。

夕方にさしかかった時間であったものの、美術館には、若い女性が多かった。ビジネス・スーツの中年男性は浮きまくっていた。印象派やルネサンスのような若い女性に受けるものなのか?世紀末のラファエル前派なんかはマニアックで暗めの世界というのは古いのか?

さて、その印象はというと。誠実、うまい、優等生、そんな言葉が出てくる。それが、ミレーの作品には出来不出来のムラが少なく、平均的な水準が高いが、突出したものがない、という性格を反映していると思う。19世紀大英帝国のブルジョワの枠、それがぎりぎりの境界に迫ったところまで行ったとしても…。受け取る側では、それが長所となるのだろうけれど。

例えば、ポスターにある有名な「オフィーリア」を見てほしい。ハムレットに裏切られたと誤解し、川の流れに身を投げて溺死した光景。美しい少女が未だ生きているかのように見えながら、目に光はなく、虚ろな表情になっている。力のない手には流れてきた花が絡まっている。周りには、可憐な花が咲き、まるで何かを象徴しているかのよう。画面からは、川のせせらぎか遥かに鳥の囀りが聞こえてきそうな静かさ、それは誰の目にも留まらないようなひっそりした寂しさがあらわれている。描写はリアルで、モデルがそこにいるようだ。イコノロジーでいう象徴的な小物がちりばめられている(具体的に何がどうかは判らない。不勉強のため。)。背景は細部に至るまで写実的で丁寧に描かれている。

実物は、以前に東京都美術館のテイトギャラリー展で見ていたので二回目だったが、そのときの記憶ではもっと小さいものだった。それは、全体の印象が譬えていえば箱庭のよう、スケールを感じなかったから。前にも言ったけれど、枠を跳び出すような突出したところがない。こじんまりしている。

試に、この絵を普通の家のリビングの壁に飾ったらどうだろうか。とくに絵が好きだとか、ラファエル前派のファンというのではなくて、単にリビングを飾りたいというというような、ごく普通の家で、とくに違和感なく、綺麗な絵としてリビングを引き立てるのではないだろうか。これが溺死した少女の死体を描いたものだとは、良く見なければがつかない。それが、ミレーという画家の特徴であり、魅力ではないかと思う。

ミレーが活躍したころのイギリスは、太陽の沈まないといわれた大英帝国の最盛期で、俗にビクトリア期と言われる。この繁栄を支えたのはブルジョワジーの産業資本家で、それ以前のジェントリーといわれる貴族階級にとって代わっていった。それによって、画家の生計の道も変化して行ったと思われる。つまり、画家への主な発注者であった貴族が衰弱していくのに代わって、顧客として重きを置くようになってきたのが、そのブルジョワジーと言える。どちらかという、豪放で自らの力を周囲に誇示することが必要だった貴族階級は、身だしなみや住まいなどのような自分とその周囲を飾り立てなければならず、豪華で派手なことが求められた。画家もそのために動員されたと言える。だから、19世紀までの時点で絵画のヒエラルキーとして歴史画がもっともランクが高いとされたのは、そのようなニーズによるものだったと思う。貴族の豪華な邸宅や城の大きな壁を飾るために、その貴族の事績を美化した大作の絵で飾る、というのが歴史画だから。例えば、ダヴィッドの『ナポレオンの戴冠』のような豪華な絵を描くことで、画家は大きな収入を得ていた。

Millaistaikan このような貴族に対して、ブルジョワジーは資本家が主な人々といえる。資本家は経済的な利潤をあげてのし上がってきたということから、貴族にはないコスト計算が主要な関心事となってくる。あるいは、貴族のような権力の誇示の必要がない。そして、ブルジョワジーの倫理のベースにはプロテスタンティズムの質実で倹約を尊ぶ精神が流れていたため、豪華な邸宅を構え、壁面を大作の絵で飾るという発想はなかったといえる。彼らは、商売上の必要からロンドンのような狭い都会に住み、貴族の館に比べれば狭いアパートに居を構えた。ただし、新興階級としての文化的な劣等感を貴族に対して持っていたことなどもあり、貴族階級の装飾であった絵画や音楽などを芸術として自分たちなりに消化していった。それに応じて、画家の新たな顧客として貴族に取って代わるようになったと思われる。いわゆる小市民とよばれる彼らの日常生活を彩るような、こじんまりした小品のような作品にニーズが移ったのではないかと思う。それと、ミレーもたくさん描いているが、肖像画を描くことが、画家の大きな収入の道だったのではないかと思う。

また、もう一つ、画家にとって大きな転機となったのは、写真の発明だったと思う。後に、写真が普及し、ピンナップというような日常生活の一場面を簡単に写真で残すことができたり、肖像写真が肖像画に代わるものとして現われると、画家のテリトリーを侵食されるわけで、画家は生き残るために、写真ではできない絵画独自のものを追求することで写真に対して差別化を図ならなくてはならなくなる。その点で、人為的な幻想世界をつくるのは写真にはできないことだった。その意味で、ミレーのやっていたことは、当時の時代のニーズを的確に捉えたものだったと言える。

これは、展覧会カタログなどには書かれていないことで、画家の内発的な動機とか、芸術的な影響関係のようなことには触れられている。私には、画家は霞を食べて生きていたわけではなく、絵を描くことで生活の糧を稼いでいたわけで、絵画には商品としての側面があったわけで、そういう面で絵画を見てしまう。つまり、この作品を金を出して買いたいと思うかという視点で。そういう点で、ミレーという画家は、とてもバランスのとれた実績を残した画家だったと思う。ただし、後世から見れば、だからこその物足りなさのようなものも感じる。

それらは、具体的な作品を見ることで考えていきたいと思う。

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