無料ブログはココログ

« 清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(5) | トップページ | 清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(7) »

2012年6月13日 (水)

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(6)

Ⅲ閉ざされた円環

1.リーンスブルフ時代

1660年、スピノザはリーンスブルクという村に移る。そこでの生活は、新しい友人たちに囲まれ孤独の影のない生活、具体的な密接な人間的結びつきに満たされた生活であったと言える。また、カセアリウスという年若い大学生と共同生活を行った。しかし、それはスピノザにとって徐々に負担として感じられていくようになる。それは、自分と自分以外の存在とが浸透し合うことの限界が自覚されたためであり、その自覚というのは、実生活における何らかの躓きによって生じたというよりは、1662年゜の前半に起こった自身の仕事の上でのある出来事を契機と考えられる。そして、1663年、スピノザはデン・ハーグ郊外のフォールプルグに移る。

2.1663年以降

彼の生活は全体として次第に他の人々との接触を少なくし、独り閉じ籠もる方向に向かっていったらしい。といっても人間嫌いになったというわけではなく、スピノザ自身の問題として、人間が相互に何らかの意味で異質であり、浸透しあう可能性に限度がある以上、他人に全面的に屈服するとか、他人の中に完全に吸収されてしまうという危険も本来あり得ぬわけで、とすれば人間は、自分を確実に保ちながら生きる以外に道はなく、しかしまた、自分を確実に保ち得ればこそ逆に、その自分を超える他人を、自分とは異質の存在として、恐怖の対象としてではなく、そのまま認めることが出来も人間は互いに真の優しさを以って接し合えるということなのであろう。

リーンスブルクを去った後でスピノザが選んだ「孤独」というのが、結局、他者と浸透し合う可能性の限界を自覚した彼が、だからこそ逆に、自分とは異質の他者に対して拒否的でない態度を取り得るよう自己を強化確立し、「精神の逞しさ」を獲得していく上でどうしても必要な生活形態だった。他人との浸透を求める『短論文』の延長だったリーンスブルクの生活を捨て、自ら選んだ孤独の中で『エチカ』は完成されたといえる。

3.第一種認識

『エチカ』において人間の認識に三つの種類を区別している。その第一のものは、内容的には『短論文』の場合に似て、感覚的知覚、伝聞、想起、不完全な帰納等を含む感性的な認識で、「臆見」「表象」の二通りの名が与えられている。

『エチカ』においてスピノザは、第一種認識の問題にかなり神経を使い、その由来や現象を詳しく辿って行くのであるが、それにも関わらず、身体的な変化を基礎とするこの認識は、結局のところ、やはり高くは評価されず、誤謬の第一の原因として退けられている。みーこのような完成的認識に対する低い評価という点では『短論文』とは異ならないけれど、大きな変化を認めることが出来る。『エチカ』では『短論文』におけるように冒頭からこの種の認識を排除するのではなく、その由来や構造を丹念に検討し説明する態度を取っている。このことは、『エチカ』のスピノザが、総じて認識というものを、『短論文』に置けるように人間の幸不幸と直接に結びつくものとしては考えず、従って、感性的な認識につても、それを性急に退ける必要はなく、認識としての由来を辿り、構造や現象を云々する余裕を得たことを物語っている。さらにまた、この種の認識に対してスピノザが低い評価を下す際の理由にも変化が認められる。『エチカ』において感性的な認識が退けられるのは、『短論文』の場合と異なり、身体的な変化に従って認識する限り、人間の精神は「外的に決定される」からに他ならず、表象のレベルに留まる人間精神が意識するものは、常に自分の身体の変化であり、そうした身体的な変化というのは、外的世界の秩序に従って引き起こされたものに過ぎないからである。外的存在の動きは人間の精神にとってはなお一層異質であり、そのような自己の本性とは異質の、従って理解を超えるアモルフな外的存在の断片との偶然的接触゜の中で生じる感性的な認識は、精神がその十全的な原因となって形成した認識ではなく、精神内部の他の認識との連関乃至脈絡を欠き、世親の用いる道具としては不十分なのである。

« 清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(5) | トップページ | 清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(7) »

スピノザ関係」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(6):

« 清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(5) | トップページ | 清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(7) »