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2012年6月12日 (火)

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(5)

7.認識は純粋の受動である

『短論文』の中でスピノザは、認識というのは、人間を主体として成り立つものではなく、いかなる対象をいかに認識するかは、人間自身の能力や努力に懸っているのではない。それは、人間の働きを必要としない出来事なのである。いや、抑々、認識が成立したりしなかったりすること自体、人間の能力や努力を超えた事柄なのである。すなわち、「対象を我々にちかくさせるのは対象自身」であり、認識は、対象自身が知性に直接顕現することによって生じる」からである。認識は、対象の方で進んで身を現わしてくれる限りにおいてのみ生じ、対象の「顕現」がなければ、人間はいかなる認識も持つことは出来ないだろう。それゆえ、『短論文』における人間精神とは、外なる存在一般に向かって素直に開かれた円環の様なものであり、認識というのは、外的存在の側からこの円環の中に流れ込んで来るものなのである。そして、外的存在から送り込まれて来るものをひたすら待ち、それを受け入れるという正に受動の状態で世界に接することによってのみ、人間の弱い小さい貧しい自己は、何ものかと結合し、その結合の中で或る安らぎが得られることになる。

これに比べて、他の哲学者、例えばベーコン等の場合、外界から提供される雑多なものをそのまま対象として相手にするのではなく、人間精神の積極的な働きによって然るべく加工された限りでの外的事物のみが、知性の対象としての資格を得るのであって、受動的に待っている精神に外から流し込まれ、賦与されただけのものは、何処までも生の素材の域を出るものではなく、したがって、認識及び考察の対象ではあり得ないのである。

このように、『短論文』のスピノザにおける、認識の成立という問題を巡る人間精神と外的事物との関係は、同時代の哲学者たちのそれとは随分隔たりの大きなものであると言わなければならない。『短論文』の認識は、人間自身の主体的な働きをまたずに、むしろ、そうした働きが停止されている限りにおいて成立するのであるが、しかし、欠けているのは、認識という場面での人間の働きのみではない。対象の顕現によって生じた認識が愛や合一に転化するのも、人間の力を超え、人間の知的操作の介入する余地のない出来事なのである。外から流れ込む認識をただ受け入れるように、愛についても、人間は、自分の意志や努力とは無関係に生じたものを享受するだけである。そして、更にまた、人間には「依存しない」こうした認識、こうした愛とともに生ずる合一がもたらす幸福の程度も対象の側に備わる完全性の大小によって決まることになる。合一によって得られる幸福の大小は、人間か払った努力の結果、努力の仕方で決まるのではなく、開かれた円環の中に流れ込んできたものが偉大であるか否かによって決まる。それゆえ、仮にその幸福が極めて大であっても、人間は自分の努力を誇ることは出来ず、しかし、その代わりに当の幸福が著しく慎ましいものであっても、人間は自らを責める必要もないであろう。そして、このように認識の成立についても、愛の発生についても、合一の結果得られた幸福の程度についても、すべて、自分ではなく相手の方に主導権を委ね、自分は専らそれに従い、それを受容する側に回ろうとするこの対照依存的な態度は、『短論文』に固有のものであり、この著作の各処に見られた合一を目指すあの性急さがそこから派生する。

8.合一とコムニカチオ

合一とは、自分以外の存在と一つの全体として融け合うことであった。一つの全体として融け合う以上、そこにおいては、最早、自他の区別の意識はなく、かつて他者であったものは、自己の延長となり、欲求するものと欲求されるものとは、二つの歯車のように噛み合い、配慮や計算のために立ち止まることなく行為しても、齟齬は生じないであろう。それは、原始的な有機体と環境との関係に似た浸透の関係であり、意識という亀裂の入らぬ、全存在的波長を共有して成り立つコムニカチオである。合一は、コムニカチオは、人間にとって、考え得る限りもっとも幸せな状態であり、最大の到達目標であり、同時に、一切の人間的活動の価値を測る基準となっている。合一という言葉自体は、後のスピノザの著作手背は全く姿を消してしまうのであるが、そうした点を考え合わせてみると、『短論文』時代のスピノザを彩り、うごかしていたものは、正にこのコムニカチオの要求があったと言わなければならない。

しかし、コムニカチオがいかに強く求められていたとしても、『短論文』のスピノザにとって、それは自分で意図し、自分の働きで作り上げたものであってはならなかったはずである。彼が欲したのは、自らの選択や決定に基づき、自分が主力となって築いた浸透関係ではなかったはずである。そのように自ら選び、作り出したコムニカチオということになると、自分自身が、その成立根拠として、その結果、その持続の責任を引き受けねばならず、そうなれば、当然、コムニカチオの全面的な享受は妨げられるからであ。スピノザの求めるコムニカチオというのが、当のコムニカチオの全体を言わば一つの他者のように眺めなければならない。『私』という一点の醒めた意識の存在を、汚点として排除するものであったことを示している。強引に一方的にコムニカチオの中に拉し去られることが、彼にとっては、自分の選択や決定、評価といった動きを停止して、盲目の無邪気な安らぎの中に浸ることのできる証であったし、同時にそれが、自己の内部の崩壊に起因するコムニカチオそのものの死を避ける最上の道と思われたのであろう。

『短論文』が書かれたのは、1658年つまり1656年の破門からあまり遠くない時期であった。当時のスピノザにとって、コムニカチオを失うこと、すなわち、何ものかとの浸透という楽園を追われた破門者となること、決して彼の望むところではなく、早急に脱出すべき不幸な状態であった。スピノザは『短論文』の中で、人間というのを、何かに身を託し、何ものかによって包み込まれぬ限り、自己保存のための身を処していくことも不可能な、弱く貧しく無力な存在として描き出したが、そうした叙述もまた、生活の全域にわたってア・プリオリにあたえられていたコムニカチオを奪われたスピノザの、素手で裸で独り立つ、頼りなく不安な気分を伝えるものである。一方、もっと安定した無相手との、より豊かなコムニカチオを得ることを夢見たとしても、それは不思議ではなかった。『短論文』のスピノザは、事物を感じ享受する知性が、すべてのものに向かって開かれていると説きながらも、安定を欠き、流動変化するという存在と合一した人間の悲惨を強調し、神との合一を理想として掲げ続ける。

1656年の破門はスピノザにとって、大きな事件、望ましからざるノヴェルティであった。何ものかと合一しなくては生きられない人間の弱さと悲しさ、移ろいやすい存在との合一の空しさと恐ろしさ、そして不変不動の神的実在との早急な結合という目標は、一つのコムニカチオの喪失が彼に与えた打撃の大きさと、かつてのコムニカチオの相手の可変性に対する恨みの深さを示すものである。けれども、この破門がノヴェルティとして受け止められ、検討の対象となったとしても、差し当たりそれは、彼が以前から有していた信念の体系、知的枠組みそのものを変えるには至らなかったのである。確かに、スピノザが、コムニカチオを失うことの恐ろしさを知り、可変的な存在とのコムニカチオの空しさを感じ取り、新たなコムニカチオの相手を最終的には神と定め直したことは、ある意味で一つの変化と呼び得るであろうが、しかし、それは決して彼の信念の基本的枠組みの変化ではなかったのである。すなわち、それは、あるコムニカチオから別のコムニカチオへの移行、あるいは、コムニカチオという項の内容の入れ換えの様なものであり、コムニカチオをよいもの、人間にとって抑々可能な事態と看做す信念の枠組みは、何の変化も蒙ることなく保存されていた。つまり、破門は、相手の移ろい易さのゆえに生じたひとつの不運として、アベンディクスの地位しか与えられず、従ってまた、コムニカチオという項の内容の簡単な入れ換えで十分足りたのであった。つまり、それは未だ、スピノザの中で、「経験」とはなっていなかったのである。

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