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2012年6月23日 (土)

あるIR担当者の雑感(70)~アナリスト・レポートを書いてもらうために(4)~原理に戻って考えてみる

前回の投稿について、大半の人は理解できないのではないか、と指摘を受けました。慥かに分かりにくいし、読みにくい文章です。書いた本人が言うのだから、間違いありません。しかし、それよりも実務者は前回の投稿のようなことは考えていないのではないか、だから投稿を読んでも、そもそも分かるという回路を欠いているという指摘がありました。

IRという業務自体は、それほど歴史のあるものではないものです。当初、IRをやらなければならない、ということになって先進的な企業がまず手探りで始めた。その時に担当者は、そもそもIRって何だ、というところから仕事を始めて行ったはずです。その中で、目の前のことをひとつひとつ検証しながら、ノウハウを蓄積して行ったものと思います。最近では少なくなりましたが、未だに中小企業では、何でこんなことをやらなければならないのか、という質問を受けることがあります。先進的な大企業では、最早、そういうことはなくなったと思いますが。だから、IRとは何かとか、何のためにやるのかとか、これをやることで何のメリットがあるのか、というようなことは理論武装せざるを得ない状況が続いているといえます。問題は、それがルーチン化しているということなのでしょうか。これらのことが、考えるべきことなのに、いつの間にか暗記項目のようになっている。

それと同じように、IRの各個別の業務がルーチン化して、この行為の意味とか目的が後景に退いて、そのことを行うこと自体が目的になってしまっている。自分のことは棚上げした無責任な一般論かもしれません。

ただ、私の場合は、以前にも「IRのニッチ戦略」などということを高らかに放言したように、他の会社と同じことをしていたら、誰も振り向いてくれない。だから、違ったことをやろう、と考えているわけです。その時に、他の会社がやらないというだけで、単に突飛なことをやっても失笑を買うだけです。だから、原理的な所に還って、何のために、何をするのかを考えで、そのレベルで他社のやっていない、こういうやり方もあるのでは、と考えているわけです。その時に、前回の投稿のテーマである、アナリストが会社を分るとはどういうことなのか、というのが切実なものとして、現にあるのです。だから、例えば説明会資料の数字のフォントの種類や大きさのポイント数といった些末なことも、すべて何故そうしているか、その意味と目的は全て説明できるつもりです。アナリストに、ここの数字だけは見逃してほしくないとか、です。多分、どこの会社のIR担当者も大なり小なり、同じようなものではないかと思っていました。

例えば、今回の説明会では中期経営計画として3ヵ年の計画の説明をしました。私の勤め先のような中小企業の場合、こういう計画というのは社内の各員が目標を達成させるためにドラフト等が作成されるものになっています。だから、それをアナリストにそのまま見せても、なかなか理解できないと思います。だいたい社内でずっと長く仕事をして気心が通じている中で、これまでの経緯や各人の特徴や志向など互いに知り尽くしたうえで、3年後にはここまで行こうというような計画は、それほど細かなことを多く語る必要はないのです。しかし、会社の外部のアナリストはそうはいかない。社内の人間に比べて圧倒的に情報量が足りない。とくに定性的情報と言われるものがないため、そもそもなぜ中期的な経営計画がこの会社にとって必要なのか、ということから説明して行かなくてはならない。となると、アナリストに十分な説明ができるようにするためには、経営計画をはじめから創ると同じような作業をすることになります。その結果出来上がったものは、もともとの計画と体裁上は別物のようになってしまう。これは仕方のないことなのです。例えば、社内の計画では重点事業をやる、と一言で済むことが、アナリストに対しては、既存の事業はどうするのか、ウェイトのかけ方をどの程度にするのか、重点事業にリスクが表面化した時には他の事業でどうカバーするのかといった社内では説明する必要のないことを、説明して行かなければなりません。しかし、あまり細かく説明すると、今度は何をやりたいのかという焦点がボケてくる。そこで、この時に、アナリストはどのように会社を理解しようとするのか、ということを考えると、そこでの情報のウェイトの置き方の大きな参考となるのです。そして、この作業を社内で経営者の確認を取りながら進めていると、経営者も暗黙で考えていたことが文章とか図とか数値などで顕在化してくると、あらためて計画の個々の部分の意味を再認識するという副産物があったりするのです。甚だしい場合には計画、部分的再検討になることもあります。

そのため、前回の投稿したことは、いつもというわけではありませんが、節目では、その都度考えざるを得ない、それを通過しないと仕事が進まないものであるのです。

だから、決算説明会の説明資料などは、ルーチン化ということはあり得ないことなのです。なぜなら、アナリストが会社を分るということは会社への切り口を見つけることだと前回書きましたが、そういうものは固定的なものではなくて流動的なものなのです。だって、人間のものの見方というのは、時につれて変わるのですから。ということになれば、同じことを同じパターンで繰り返すということは、ありえない。そんなことをしていたら、取り残されてしまうのです。

また、蛇足かもしれませんが、おそらくアナリストにとって、この会社は全部わかった、この会社はこの程度だ、というような見切ってしまったら、その会社に対する興味は急速に薄れて行くのではないかと思います。ある程度分っていて未だ知れない部分があるからこそ、そこを知ろうと興味を持ってくれるのではないかと思います。そのためにも、実際に説明会資料においても、ささやかではあっても毎回ちょっとしたサプライズが欲しいと思って作っています。だから、私の勤め先の説明会資料は毎回必ず、どこかしら前回と違うところがあります。

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