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2012年6月28日 (木)

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(15)

7.方法のスケッチ

方法についてスピノザが説くところを、その比喩的な表現に従い、筋を追って行くと次のようになる。丁度、人間が、複雑な道具を使って難しい仕事を遂行する以前にも「本有の道具」を有しているように、複雑な知的活動が始まる以前にも、人間の精神のうちには「生得の力」が具わっている。人間の精神は、この「生得の力」に頼って「知的道具」を作り、それを用いて次第に新しい道具、新しい力を増して行き、遂に「叡知の極点」に到達するというのである。スピノザの言う「知的道具」とは、具体的には「真の観念」を意味するから、それゆえ、方法は差し当たり「何らかの与えられた真の観念の指令に従って」新しい観念を獲得していくという方向を取ることになる。けれども、こういう進み方が、認識のための「最初の道」と名付けられることからも判るように、方法は、決してこれに尽きるものではない。

このように、『知性改善論』の説く方法は、究極的には最高完全な存在の観念、すなわち神の観念を起点として、そこから他のすべての観念を展開していくものでなければならないのであるが、しかし、神の観念というのは、必ずしも現に「与えられ」ているわけではない。「与えられた」神の観念は、「何らかの与えられた」観念、つまり「与えられた」個物の観念ではない。

どのような含みにおいてではあれ、神の観念が未だ「与えられた」ものになってはいないという点に関しては、『知性改善論』のスピノザはかなり明確な意識を持っていた。『知性改善論』のスピノザが提示する方法の全体は、神の観念が「与えられた」ものであることを要請として含むのであって、この要請との関連において立てられたのが、「与えられた」個物の観念から出発する「最初の道」だったのである。

この時期のスピノザが自分の仕事と関係して考えていた、およそ二通り、二段構えの計画具体的姿は、先ず第一に、真の哲学は、神の観念乃至定義から出発して、そこから他の諸存在の観念乃至定義を統一的に導くものでなければならないということ。何故なら、『知性改善論』の各処から窺われるように、この時期のスピノザにとって、哲学とは、観念による「自然の再現」゛あり、自然全体が神という一つの源から派生したものである以上、哲学の仕事も「全自然の根源と源泉を再現する観念から他のすべての観念を導く」ことでなければならないからである。それゆえ、神の観念が言葉を介して表出され、人間の精神がその「指令に従う」ならば、他の諸観念、諸定義はすべて、自然が派生したのと同じ順序、同じ秩序で派生してくるはずである。しかし、その場合、何よりも大切なことは、諸観念の派生の源となる神の観念が十分に明瞭なもの、万人にとって「理解可能なもの」、万人が納得して共有できるものであることで、もし、この条件が満たされなければ、神の観念から生ずる諸観念の連鎖の全体、つまり哲学の全体もまた、万人にとって「理解可能」なもの、共有可能なものとはならなであろう。哲学という知的なレヴェルにおいて他の人々と浸透し合うというこの時期のスピノザの希望も、決して実現されはしないであろう。

そこで第二に、哲学を真に確実なものにするために、哲学の開始に先立って予め、異論の余地のない神の観念を確保しておかなくてはならないことになる。けれども、神の観念は未だ「与えられた」ものではなく、これと一足飛びに一挙に出会うことは何と言っても困難が大きすぎるので、逆に先ず、もっと身近な個物の観念乃至定義から出発して、「叡知の極点」としての神の観念に向かう予備的な手続きが必要になってくる。身近な個物の観念乃至定義ということになれば、議論の余地は少なく、自明性の程度は高く、「与えられた」ものである可能性も大であろうから、そうした個物の系列を遡行し、個物の観念に具わる自明性を拡大延長していけば、やがて、神の観念に基づく予備的作業は任務を全うし、その時にこそ、本来的な意味での第一の仕事、すなわち、神の観念を起点とする哲学が、十分な根拠を以って始まり得るであろう…。『知性改善論』の範囲内では、専ら第二の仕事の方を片付けてしまうことを考えていた。

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