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2012年6月10日 (日)

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(4)

5.認識の直接性ということ

『短論文』における知性の特徴は、まず、それが直接的な認識であり、直観であるという点に求められる。すなわち、この種の認識は、何か他の認識を媒介とすることなく、対象そのものに直接向かい、対象が現実に何であるかを一挙に見てとる認識、剰余の価値に満ちた認識である。従って、神は、あらゆる事物の存在及び認識の第一原因であるという理由からも、また、隠されたものではなく、現実に現実世界として発現しているという理由からも、直接的なこの種の認識によってのみ知られることになる。スピノザの『短論文』の知性は、直観と等置されることを特色としている。スピノザにとって、対象が神であろうと、個物であろうと、あるいは学問上の事柄であろうと、それらの各々と直接向かい合う直観というのが、最上の最良の認識であると言える。スピノザがこのように直観に固執するのは、推論を介して間接的に知られたものが一般に、人間の現実に生活にとって貧弱な力しか持たぬのに対して、リアルに存在する事物の直接的具体的な認識は、剰余の価値に満ち、人間と世界とをつなぎ合わせる力を持つということが生じている。これに対して、理性の様な確信をもって予想されたものでも、予想はどこまでも予想であり、間接的な掌握であって、それは、現にその人間を満たすもの、世界におけるその人間の位置と役割を定めるものではないのである。そこには近世哲学的な態度、総じて対象というものを操作可能な状態で確保し、対象に対する理性の自律と支配を確立しようとする態度は見出すことは出来ない。

このように、対象の完結した把握という時代全体の鉾の高い目標を振り切ってまでもスピノザが、現実的なもの、具体的なものに固執したことの背後には、恐らく、自他ともに全く確実と考えていた「シナゴーグの将来」という予想が、結局、予想のレヴェルに留まるものであり、現実の人間関係の中で呆気なく崩れ、失われてしまった事情が隠れているのであろう。そして、いずれにしても直接性というものに対するスピノザの執着は、コムニカチオの外へ独り放逐されていたこの時期のスピノザが、新たに何ものかと結びつき、それによって世界と自分との関係を作り直さなければならなかった必要、彼自身の切実な必要を暗示していると思う。

直接的なもの、そして直観への執着というのは、『短論文』に見られる独特の性急さともみなせる。人間を幸福に導く使命が知性に課せられたとき、この認識が推論という屈折した操作を含まぬ純粋な直観そのものとして、一挙に対象を把握する認識として規定されたことは、幸福という目的に向かって、一直線に進んで行こうとする傾向の延長であったと考えることが出来る。一挙に何かを知り、合一に達するということはね一遍に、一足飛びに、一瞬にして幸福の中に身を置くことである。スピノザが切に求めていたのは、正に、一挙に幸福のうちに埋没するということに他ならなかったのであって、神が現実に発現しているものとして、人間が直ぐにでも触れることのできる存在として強調されたのも、また、知性が、手間のかかる推論を一切含まぬ直観そのものとして規定されたのも、ともに、最終的な目的に向かってひたすら道を急ごうとする一種の焦りの延長であったと思われる。

6.認識、愛、合一

『短論文』においは愛と合一という二つの要素は、区別し難く重なり合ったものとて語られている。例えばデカルトの考える「結合」が、一体であるかのように看做すこと、その同意や想像を指し、人間精神内部の出来事という枠をはみ出すものではないのに対して、『短論文』のスピノザが合一という状態の原型あるいはモデルと考えていたものは、人間における精神と身体の結合であった。人間の「第一の誕生」と名付けられるこの心身の結合は、決して想像上のものではなく、確かなリアルな一体化である。スピノザはさらに、神との合一は人間にとって「第二の誕生」であり、「再生」であって、合一により神の完全性、永遠性に与った精神は不滅性を獲得すると語っているが、こうしたことは正に、ここでの合一や愛というのが、精神内部の或る変化、例えば一体感といった類の心境乃至境地のレヴェルに留まるものではなく、精神と精神以外のものとの確かな融合として捉えられていたことを示している。『短論文』の愛は、人間の心身の係合をモデルとする合一との区別が判然としないものである。『短論文』において、スピノザが知性に対して愛や合一と謂わば地続きの性格を与えたという事実は、彼が或る一つの目的に向かって道を急いでいたことと結びつけて考えられる。言い換えると、愛、合一と浸透し合った知性のこの特殊な性格のうちにも、分類された三種の認識の間を走り抜けたあの性急さ、最高認識から推論的な要素を排除し、一挙に対象と接触することを求めたあの同じ傾向の続きを見出すことが出来る。

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