あるIR担当者の雑感(69)~アナリスト・レポートを書いてもらうために(3)~会社が分かるとは、どういうこと?
性懲りもなく、また続けてしまいました。一つのことを書くと、泥縄式に何か出て来るようです。
さて、推測ですが、おそらく、アナリストが今までレポートを書いていなかった会社のレポートを書くためには、その会社に対して投資の魅力があると判断できたことが直接の原因として考えられるのではないか、と思います。
そして、アナリストがそのような判断をするためには、その会社はこういう会社であるであると、そのアナリストが会社のことを分っていることが必要条件として考えられます。中には、恋愛で言う出会いがしらの一目惚れのようなケースもあるかもしれませんが、これは投資対象としての魅力を云々するので、「一目会ったその日から…」ということはあり得ないと思います。実際のところ、分っていなければ、それを他人に紹介するためのレポートなど書くことができないわけです。そこで、会社のことを分ってもらうということが必要であることがハッキリしました。
もっとも、このようなことはIRの入門書などにも書かれていることで、私などが敢えてここに書くほどのことでもありません。そこで、この会社のことが分かるということについて考えてみたいと思います。なんか哲学的みたいな感じですね…。
そこで、このことについて結論から先に言うと、このことは徹頭徹尾アナリストの主体的行為だということです。少し難しそうな言葉で言ってみました。哲学的…みたいですから。どういうことかというと、会社のことを分るのはアナリスト各人である、というのは当然でしょう。さらに、そのアナリストが会社のことが分かったのだ、という評価をするのは、そのアナリスト自身なのです。間違っても、当のその会社ではありません。会社のことを分っているか否かの検定試験などないわけですから。ということは、会社のことを分ってもらおうと会社が努力することと、アナリストが会社を分るということは、原則的に関係がないということです。もっと突っ込むと、会社が分かってもらおうと努力することは、アナリストが会社を分ることについての必要条件ではあるけれど、十分条件ではないということです。だから、アナリストによって会社が分かったという内容も違うし、分かり方も違います。
会社を分るというのが、アナリストの主体的行為であるということは、会社を分るということの客観的な基準などないということなのです。その理由を考えてみましょう。それは、アナリストが会社を分るというのは、どういう時に言われるのか、つまり、分かるとはどういうことか具体的内容を考えてみます。会社についての情報は膨大なものがあります。それをすべて手中に収めるというのは不可能です。もしそれができたとしても、それが分かったということになるわけではありません。議論を最初のところに戻しますが、会社のことを分っているから、投資の魅力を判断できるのであり、レポートで説明できるのです。だから、限定して言えば、分かるということは、会社のことをレポートで説明できる、あるいは魅力があるかないかを判断できるということです。なんか逆立ちの議論をしているように見えますが。レポートというのは紙面が限定されています、そこでは会社の紹介だけでなく評価を加え、その理由も説明しなければなりません。だから会社を紹介するというのは、ほとんど一言かそれに近い簡潔な言葉で、この会社はこういう会社です、と説明しレポートを読む人に分ってもらう必要があります。そして、投資としての魅力を判断するというのは、こういう会社だからこういう点を見るというところで判断に持っていくのではないか、思います。そういうことを見て行くと、これらのことができるためには、その会社を見るための切り口とか視点ということになると思います。つまり、私ならこの会社をこのように見るということです。つまり、会社が分かるということは、このような視点を自分なりに持てたときに言えるのではないか、と思います。だからこそ、各アナリストにとって徹頭徹尾主体的な行為なのです。これは会社の売上高という情報を得たから分かったというわけではなく、アナリスト自身が会社の切り口に気づくという形に近いのではないかと思います。だからこそ、会社がアナリストに分ってもらおうといくら努力して情報を提供しても、気づくのはアナリスト自身の問題です。だから、関係がないと身も蓋もないことを言わざるを得ないのです。
会社は努力しても無駄なのかということになると思います。それは否定できません。しかし、アナリストが気づきやすくするということは出来ると思います。とくに、気づくということは、その人の主観も多分に混じるものであると思います。例えば、気づく前提には興味を持つということがあると思います。あるいは好感を持った会社に対しては積極的に気付く努力をしてくれるでしょう。会社の努力というのは、このような点に対して行われるのではないか。だから、分かってもらいたいアナリストに対して会社がどのような努力をするのかということは各々に異なってくるはずです。
例えば、いくら気づくというものだと言っても、アナリストは職業として継続的に、反復して、こういうことを日常的に行っているわけですから、ある程度気づくというのをパターン化、ルーチン化していると思います。アナリストそれぞれに気づくため揃えるべき材料リストの様なものを持っていると考えられます。アナリストによって、そのリストはまちまちかもしれませんが、会社からそのリストにある情報を積極的に提供することは出来るので、それが会社ができる努力ではないかと思います。そのためには、情報を出すことが必要ですが、同時にアナリストがどういう情報を求めているかを的確に掴むことも大切になります。
今回は、分かったような、分かんないような議論になってしまいました。
最後に、念のために申し上げておくと、ここでの議論は唯一絶対的な正解などではないということです。アナリストの方から見当違いも甚だしいと言われる可能性は大きいと思います。また、そうではないと、別の考えでいる会社のあると思います。大事なのは、一度そういうことを考えて、いま自分の行っているIR活動をロジカルに位置付けてみることではないかと思います。IR支援会社がよく宣伝文句でうたっている、マーケティング手法を取り入れた戦略的なIR、というのは、こういうものではないかと思います。(以前、売り込みに来たIR支援会社の営業マンに、このような議論をしてみたら二度と連絡がありませんでした)
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