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2012年6月15日 (金)

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(8)

7.「直観的」ということ─続き

『エチカ』及び『神学・政治論』の時期のスピノザは、『短論文』に於けるのとは異なって、神をそれ自体で直接に認識する可能性を信じる立場は捨てているのであるが、しかし、神が個物と隔絶したものとは知られ得ないということは、神の認識が個物の認識を前提として、そこから導き出されるのを意味するのではない。

スピノザは認識の基礎をなすものの把握がいかに行われるかについて、『デカルトの哲学原理』の中で述べている。まず第一に、観念の展開の基礎をなす神の認識が、個物の認識を前提として成立することは不条理であること。第二に、神の認識は、「個物の認識とともに」あるいは「個物を認識しつつ」成立すること。それゆえ、第三に、神の認識というのは、分節的な前提─帰結の関係を含まぬ認識でなければならないということ。すなわち、権利の問題としてあくまで直観でなければならず、それも一切の分節を含まぬ単一の直観でなければならない。『神学・政治論』では、個物の確実な認識が、神の認識の成立を俟って初めて可能になるということ、神の認識が成立する以前に行われる個物の把握は、了解のレベルに留まるものであり、神の認識を帰結する前提となり得ぬことを意味し、それゆえ、神の認識というのが直観によってのみ成立することを間接的ではあるが、しかし明瞭に語っている。そして、『エチカ』における第三種認識が「直観知」と名付けられたのは、正にこのような全認識の第一の基礎として神の認識の成立という問題と関連してのことであろうし、神を認識し、それとの関連のうちで個物を捉え直すという困難な、しかし重要な、かつ卑しからざる使命を担うものであるがゆえに、これに対して以降認識の地位が与えられたのである。

けれども『エチカ』の最高認識の重要な機能が、『短論文』の場合と同じように直観であり、神の認識という使命を担うものであるとしても、人間精神が自らに固有な秩序と力とに依拠して形成する知的認識に価値を見出すこの時代のスピノザの世界の基調に変更がもたらされたわけではない。『エチカ』における認識の捉え方というのは、かつての『短論文』におけるそれとは大きく隔たりのあるものとなっている。『短論文』のスピノザにとっては、認識とは一般に人間精神の作用の所産ではなく、顕現する事物によって向こう側から注ぎ込まれるもの、人間精神に即して言えば「或る純粋の受動」であった。けれども、『エチカ』の場合、少なくともスピノザが価値を認めるタイプの認識は第二部に登場する「精神の能動」という言葉で表現されるようなものでなければならないのである。認識の場面において人間の精神に課せられるのは、最早、顕現して来る事物を受容するために外に向かって開かれていることではない。そのように受け身である限りの精神は、精神自身の内的な秩序とは異質の、それゆえ自らにとってアモルファスな外的存在の断片と偶然的に接触するだけであり、不十分な混乱した観念しか得ることは出来ないだろう。何故ならば、外的存在の側の都合によって人間精神の中に送り込まれてくる観念は、人間精神自身の内的必然性とは無縁な異物のようなものであり、精神による十分な掌握、自由な操作を超えているからである。人間精神にとって真に有効で確実な観念、道具として意のままに使いこなせる観念というのは、したがって、人間精神が「形成する」ものでなければならない。人間精神がもっぱら自己自身の内的な秩序に依拠し、自らが十全的な原因となって作り出したもの、つまり、能動的に作用する限りの人間精神を作者とするものでなければならないのである。

スピノザは、また、観念の真偽の決定から、「観念とその対象との一致」という要素を「除外する」という意図を明らかにし、かの念というのが、外的事物の投影ではないこと、その真偽の決定は、外的事物との一致不一致によってではなく、明証性の意識の有無によって為されるべきことを、更に繰り返し強調するが、こうしたことはいずれも、『エチカ』における認識というのが、外的事物との関係を断ち、内に向かって閉ざされた人間精神が行う自律的な作用となり、従って、かつての『短論文』の認識を覆っていた、合一すなわちコムニカチオの中に拉し去られて安らぎを得る願いの翳が、最早、見出し難いことを示すものである。

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