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2012年7月

2012年7月31日 (火)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(9)

第3章 スピノザとネーデルランドにおけるシヴィック・ヒューマニズム

スピノザ思想の現代的意味が問われ、またその核心をなすものとして彼の政治論の意義が新たに問われつつある現在、ひとつのキー・ポイントとして注目されるのは、スピノザにおける「大衆」の概念である。この問題を考える際の重要な前提として忘れてはならないことは、すでにスピノザの民主政論が登場する以前に、ネーデルランドにおいては共和主義的な人民主権論者が、「人民」の主権や徳に関して様々な議論を展開していた点である。

第1節 ネーデルランド共和政における伝統的人民とスピノザの大衆

1.独立戦争におけるモナルコマキと抵抗権論

ネーデルランド独立戦争は、直接的にはスペイン王フェリペ2世の強硬なカトリック政策と独裁的な中央集権体制への対抗するもので、その根拠として中世以来の慣習法や各州議会と君主との間の統治契約だった。しかし、これはあくまでも中世の身分を前提に君主を牽制する限定的なもので、独立戦争に勝利した後には、イギリスに典型的に見られるような近代的な議会へと転換される必要があった。

しかし都市の参事会、州議会、連邦議会すべてが各々テリトリーで統一的な主権をもたず、各会議は貴族団やギルドなどの諸団体の集積に留まり、各種特権団体の利害調整を行っていた。これには様々に歴史的評価は分かれているが、イギリスやフランスを典型例として概念化された近代史の概念が当てはまらないのは確かである。

こうした状況の中で、17世紀になると二大勢力による権力闘争が先鋭化していた。

2.政治的イデオローグとしてのアルトゥジウスとグロティウス

17世紀前半のオランダの政治思想史におけるオラニエ派のイデオローグの代表はアルトゥジウスであ、都市貴族派のイデオローグの代表がグロティウスである。

3.アルトゥジウスとグロティウスにおける人民主権と混合政体論

オラニエ派か都市貴族派かを問わず、当時のネーデルランドの政治思想においては、伝統的な人民の法に基づく立憲主義的王政が暴政を防ぐ最善の政体であるとの見解が一般に共有されていた。この傾向はアルトゥジウスやグロティウスにも共通している。彼らはともに、議会を人民の権利を擁護する砦として、議会と王との協力によって人民の死主権を立憲的に統治・運用していこうとする国家構想を持っていた。

例えば、アルトゥジウスによれば、人民の主権とは各人が自らの便益のために相互の労働と財の交換を目的として、契約に基づいて設立され、生活共同体であると定義される。生活共同体とは、家族─身分別各種職業団体─連邦議会というように、自然的及び社会的団体の階層的秩序として構成される。そして、アルトゥジウスによれば、人民主権のこのような構成が前提とされている以上、行政権をだれが握るか、つまり最高統治の形態が王政であるか、貴族政であるか、共和政であるかは、現実の場合に適合的にかつ最善の仕方で決められるべきことであって、主権の所在とは本質的に別の問題である。

これに対してグロティウスは、国家の最高主権を有する「人民」とは、権利を共有し、またその共通の利害のために結合した自由人の完全な結合と規定している。つまり、アルトゥジウスのように個人と国家の間に中間諸団体を介在させることなく、国家を諸個人の相互的な権利と義務関係からなる一元的な社会関係とみなしている。しかし、主権の権能を複雑に分類し、支配者と人民の間に結ばれる「統治機構に関する約束」の内容をいく通りにも区分けし、それに応じて契約の主体である「人民ないし少数者の集団」の権限をそれぞれに明らかにしようとする。このようにグロティウスのいう人民の主権も、各種議会の「多数派」と王との契約にもとづく共同運営に求められた点で、主権を団体的に構成するアルトゥジウスの主権論と共通の地盤を持っていた。

両思想家は、ネーデルランド共和国という特殊な状況の中で、王政を貴族政的ないしは民主的要素とどのように連結させて混合政体を案出するかという課題を考えたのであり、2人がそれぞれの会派のイデオローグとして利用されえたのは、こうした共通の理論的地盤の存在によるものである。

4.スピノザのみた共和主義的貴族政の限界

こうした当時のネーデルランドの人民主権論に対して、スピノザの提示する大衆は、王政においても貴族政においても議会から排除された位置にあり、議会に否定的な役割を果たすことが明確にされている。スピノザによれば、統治権は大衆の力=自然権の合成によって規定されているにも拘らず、例えば貴族政においては、大衆は統治機構の運営に直接携わることができず、議会の「審議からも表決からも除外され」ているから、「暗黙のうちに」統治者を「恐れ」させることによってしか、みずからの政治的力と要求を示すことができない。スピノザのいう貴族とは封建貴族ではなく、一定の基準によって「大衆の中から選ばれた少数の人々」であるから、貴族政とは代議制に極めて近い形態である。そこで、何らかの形で下層の人々が議会政治に関われるように、民主政と言えるものになるように改革案を詳細に論じている。

しかし、ここで問題にすべき点は、スピノザが、貴族政においてこのような民主的機構改革がいくら進んだとしても、そして「ある国家の大衆全体が貴族の数に入れられたとしても…それはやはり貴族国家にすぎない」と明言していることだ。これによって明確になるのは、スピノザの言う大衆とは、たんに多数の人々や下層の人々を意味するのではなく、伝統的なネーデルランドの法と特権を享受する主体としての「人民」などとは全く異なる意味づけを持った政治的概念である。

2012年7月30日 (月)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(8)

第3節 大衆はいかに力を合成するか

1.異質者の連結

このようなルソーの一般意志に対して、スピノザ政治論における「ひとつの神」には啓蒙主義的視点はない。「ひとつの精神」とはあくまでも個人の私的欲望を基礎として成立するものであり、必ずしも「理性」ではない。歴史上存在した国家は、理性という一致点によって形成された場合よりも、「安全を図るために必要不可欠な事柄」で一致し、「同じ生活様式」を持ち、「共同の欲望」や「共同の恐怖」などの同一感情を共感し合うことによって生じた場合が圧倒的に多い。そして最高権力の成立さえ確保されているのならば、人々の間で、利害認識や感情に様々な差があってもかまわないし、すべての人々が常に真に理性的な判断を下す必要もない、スピノザは、自然権に関して「賢者か愚か者か」というように区別は全く存在しないことを強調した。これは、理性的公共的判断を成し得るか否かにかかわらず、すべての個々人が政治的は共同体に参画し得る、ないしは参画すべきであるという意味ではなく、歴史上いついかなる状況に在ろうとも、大衆はつねに何らかの形で権力形成システムに参画してきたのであり、それが自然権=自然法則であった。スピノザのイメージする国家とは、個々人が自己利益に基づく活動を行うことによって、たえず自己と他者との欲望や感情の一致点が力動的運動として現出する場であり、そうした場がいくつも複合的に組み合わされと全体としてはあたかも一つの精神であるかのように機能する統一体である。個々人の欲望の多様性は普遍的に公的領域の下に一括されるものではなく、その多様性、異質性は絶えず編成され続けるひとつのシステムをなし、そのシステムそのものが大衆という言葉で置き換えられている。

こうした相互に結果とも原因ともなっている諸様態の連関性を貫く必然的法則、つまり自然法則たる自然法は、もちろん社会契約説によっては解明されえない。社会契約説が、各人の自然権の終結によって最高権力を成立させ、その正当性のもとに政治機構の構成や法秩序を導き出すという論理によって、アンチノミーに陥った。その意味で社会契約説は、スピノザ哲学にとって理性的認識とは言い難い。しかし社会契約説を最もラディカルな必然性のもとにルソー的なレベルまで追い詰めたスピノザは、後にルソーが明言することになるアンチノミーを明確に意識していた。だからといって、スピノザは社会契約説を廃棄していないし、大衆の力という概念をスピノザによる概念とも言えない。ホッブスからスピノザそしてルソーにいたる時代においては、社会契約説が大衆の力の結集や権力形成システムにおいてきわめて現実的で強力な表象として機能していたことは確かである。むしろスピノザにとって重要なことは、大衆が織りなす数々の表象の連結秩序の一種として社会契約論を示すとともに、大衆による力=権力の集積の動向と社会契約論という表象が交錯する現場の秩序構成がどのような規則性によって統御されているかを分析することであり、身体的力の連結としての権力と観念的連結としての表象相互の同形成、補完性、連動性を論証して行くことにあった。

2.近代国民国家の以前か以上か

スピノザが生きた時代のヨーロッパは正に近代の黎明期にあたり、民族を基盤とする近代国民国家が生成しつつあった。イギリスやフランスでは、ブルジョワ市民層が形成され私的利益の追求者として市民階級を形成する力を蓄え、同質性を共有する党派を結成して政治闘争に参画し、選挙や議会を通して多数派を形成して行政府の交代を図る、という議会制民主主義を形成する過程とは相即的に進んだ。

ルソーは、そうしたブルジョワにすぎない「市民」を告発し、イギリス型の議会制民主主義を鋭く批判した。ルソーによる同質性の要請は、平等の問題への深いコミットメントの結果提示された論点であり、彼は、近代民主革命と産業革命に伴って浮上する貧困と階級対立の問題をいち早く自らの政治論の中心課題に据え、真の民主政は習慣、才能、格律、財産の平等な人々によって構成されると規定した。ルソーが、約束という権利を事実としての力から厳密に区別したのは、圧倒的多数の人々は腐敗した少数者が形成する全体意志としての既成権力下で経済的不平等と圧政に虐げられているという事実と、その大多数者である人民の一般意志による「社会契約」こそが人間の自由と平等を実現する正当な権利を持つという権利とを、激しく対立させて意識していたからだった。

これに対してオランダがきわめて特異な状況にあった。イギリスやフランスを典型として形作られる「近代」や「国民国家」や「資本主義」といった概念にあてはまらない。そこには、スピノザの様な政治論が成立する余地もあった。スピノザにとって国家とは、ブルジョア的な市民としての公的領域から分離され一般化された人々の私的利益の調整機関であるような市民社会成熟期の近代国民国家ではなく、逆に市民社会の人間関係そのものを包摂してしまうようなキウィタスの延長上にイメージされる国家であり、近代国家形成期に現われた数少ないひとつの典型である。国家と市民社会はまた分離しておらず、人間が私的経済活動の圏と公的政治活動の圏とに二分され、その分裂・矛盾が社会的規模でも個人的内的葛藤としても固定されるという特殊的近代的意味での公私の分裂の形跡は、スピノザの政治論には見られない。スピノザによれば、国家は私的な領域から分離された公共的でナショナルな領域に成立するものではなく、様々な位相や領域で繰り広げられる大衆の自己保存力に基づく活動が織り成す力の諸関係である。このように大衆とは、民族的・階層的・思想的相違は勿論のこと、あらゆる意味で異質である人々の集合体を意味する。そのため、その同意と力の結集は精神の自由な絶えざる運動のなかでしか成立せず、それをスムーズなプロセスで進行させるうえで最も重要で不可欠な条件が、思想信条と言論の自由の完全な保証である。スピノザにとって「大衆の力」とは、社会契約や法によってあらかじめ示される理性や一般意志のもとで、啓蒙と指導によって制御・統制されるものではなく、個々人や集団間の絶えざる運動の過程として生成されつつあるものであり、あくまで大衆の力の合成の方式や程度そのものが最高権力の力と権利を決定し続けるからである。

2012年7月28日 (土)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(7)

第2節 ルソーはスピノザの何を抑圧したか

啓蒙主義と基本的命題を共有しなかったルソーは、ディドロなどの百科全書派とはとは全く異なる仕方でスピノザを読んだ。彼が着目したのは、それまで人々が議論の的にしていた聖書批判や形而上学の問題ではなく、国家論だったといえる。

1.統治契約説と社会契約説

ディドロ等の百科全書派の理論家たちは、まず自然状態はまったくの無秩序ではなく一定の「自然社会」を成しており、自然法による一定の規律が支配していると前提し、そうした規律を「全人類の一般意志」、「共通の欲望」、「善」などの概念で示した。そして、人々は生まれながらに功利を追求する自己愛としての「特殊意志」とともに、「一般意志」に従う社交性を持っているが、ただ後者はきわめて不安定なものであるから、社会状態を安定させるため各人は同意と契約を介して自己の自然権の一部を主催者に委譲し、一定の「服従の秩序」を作る必要があると主張した。こうして主催者と人民の間には権利・義務関係が設定され、君主の権力の範囲は自然法と支配服従契約によって正当な範囲に限定され、臣民には市民的自由と所有権及び抵抗権が認められた。

ルソーは、このような自然法論と支配服従契約論は、たとえ人民主権論の名のもとに語られていようとも人民の福利とは両立しない奴隷契約であると主張する。ルソーは支配服従契約論を排し、正当な権威から新しい権力を樹立する結合の契約を提示する。その基本原理とは、多人数が集合し各人の「力」を総和させることによって、一致した動機で共同の活動を行いうる統一的な最高権力=主権を生み出すことである。しかも主権は、各人相互がすべての人々と結びつきながら、どのような他者にも服従せず自由であるような係合方式によって生じるから、各人の利益である「特殊意志」は真に一致し、「共通の利害」つまり「一般意志」が成立する。このような多数者による水平的な結合の契約を樹立するというルソーのモデルこそ、ホッブス契約論を改作したスピノザから引き出されたモデルである。

2.権利と力

スピノザは、個人の権利(自然権)と個人の持つ現実的な諸力とを同一視し、国家権力を諸個人の力の合成として理解しようと試みた。スピノザにとって国家成立以前の無法の自然状態においては勿論のこと、国家形成以後の法治状態において権利と力(ないし権力)とは同一のものであり、さらにはそれは自然法則と同じものだった。それゆえスピノザは、権利や権力の作用形態の変化に先行して、正当な権利をドグマティクに主張することもしなかった。たとえばスピノザによれば、既成の最高権力が崩壊し権力形態が変更されるのは、臣民が正しい権利を主張したからではなく、諸個人の力の結合方式になんらかの変化が起き、人々を結合させていた権力維持機構のメカニズムそのものに多大な変化が生じた結果である。

これに対してルソーは、主権の形成原理としてスピノザの論理を継承しながら、他面では「約束」としての正当な権利と事実としての権力とを同一視することを非常に警戒した。すでに存在する力とあるべき権利を混同することは既成の権力を正当化することにつながるというのだ。それゆえルソーの議論によれば、現実の力よりも正当な権利こそが先行すべきであり、一般意志は契約や法という約束として前提されなければならなんない。一般意志を明示するものは、少なくとも一度だけは成立したはずである社会契約であり、選挙による全員一致によって成立した決議であり、社会契約から成立したのちには一般意志は立法権によって制定された法として示され、合法的な人民集会の同意と決議によってのみ変更可能である。つまり「法律」こそが一般意志を明示するものなのである。これは、一方では近代的な「法の支配」の原理であるが、他方では、ひとたび一般意志を体現する政治体と法が形成されると、各人の私的利益=特殊意志とは対立する、「不変で、純粋で」常に正しく、常に公の利益を目指す一般意志に服従するよう、人々は「自由であることへ強制」されることにもなる。

3.公共的啓蒙性の必要性

ルソーは、「意志を一般的なものたらしめるのは、投票者の数よりもむしろ投票者を一致させる共同の利益である」と述べて、一般意志と特殊意志の功利主義的な一致を強調している。しかしまた特殊意志の集合体である「全体意志」は一般意志とは異なるものであり、一般意志は私的利益である特殊意志の競合や、「盲目的な大衆」の日常的で自然的な精神からは立ち現われない。「人民はおのずと常に幸福を欲するが、おのずから常に幸福が分かるとは限らない。一般意志は常に正しいが、それを導き出す人民の判断は常に啓蒙されているわけではない。」だから集会での「長い討論、紛糾、喧噪」や正規の定例人民集会以外の人民集会、さらには一定の意見を持つ人々が党派的な部分的社会を組んで意志表示の活動をすることは忌避される。

ここでルソーは、人民が常に一般意志を見出し得るような政治的社会的資質を身につけていない限り、社会契約の成立と一般意志の持続と健全な共同体の維持は困難であるが、そうした政治的社会的資質は、逆に人々が健全な国家における政治生活を送ることによってのみ培われるという、よく知られたジレンマに直面することになる。これは、各人の自由で平等な自然権=力の合成と合意のみを正当な根拠として統一的な主権と権威を一挙に産み出そうとする、ホッブス以来の社会契約論が孕んでいた論理的アンチノミーそのものである。ルソーにとって、一般意志が法律として示されるのに対して、習慣とは特殊意志そのものを現わしている。ここでの監察制度は、世論の腐敗を防ぎ賢明な方策によって世論の正しさを保つことによって習慣を維持する。こうして全構成員の真の力の合成によって最大の力を形成するという、最も民主的でリベラルな人民主権論は、人民各人の腐敗を防ぐため、法律によってではなく「公共的啓蒙」によって人民の習慣を日常的に管理制御するというモチーフとともに登場することになる。

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(6)

第2章 スピノザとフランス啓蒙思想─異端の「抑圧」と「復活」

スピノザ思想は西欧啓蒙思想の全盛期を準備する土壌をつくりながら、その思想内容は啓蒙主義とは本質的に相反するものであり、啓蒙主義とは本質的に相反するものであり、啓蒙主義は思想は自らとは異質な諸原理を展開するスピノザ思想を継承したというよりも、受容しつつその真髄を無意識的にすりかえ排除し、

第1節 フランス啓蒙思想はスピノザをどう読んだか

1.自由思想家とスピノザ

フランス自由思想家(リベルタン)はスピノザ思想に興味を抱き、会見しに来たものも何人かいた。当時の自由思想家たち、教会のドグマに苛立ち精神の解放を望んではいたが、放縦な欲望の解放を自由と同一視する傾向があり、みずからの理論体系の欠如をスピノザの思想で補おうとしていた。このような人々に対して、スピノザは批判的であり、彼らを警戒していた。

一方、ボシェ等の様に、スピノザ思想を理論的に咀嚼する作業を始めたものもいた。注目すべきは、ボシェへの批判を通して、ルソーがスピノザ思想に注目していた事実である。

2.貴族改革派とスピノザ

自由思想家を介してフランスに紹介されたスピノザは、誤解を受けつつも、その無神論的唯物論的側面はフランス思想界に浸透した。18世紀に入ると、フランスの「スピノザ主義者」たちは単に無神論的な雰囲気を求めるばかりか、歴史や社会に対して批判的考察を行い、具体的な政治改革を提示するようになっていった。王による専制政治を排して貴族による政治改革を目指した貴族改革派の人たちである。これは、ルソーによって批判されている。ここにも、スピノザとルソーの接点がある。

3.百科全書派とスピノザ

百科全書派は「神」や「実体」などの形而上学的概念やそれらの定義や公理によって体系を作る形而上学的方法を廃して、感覚的物質的な「自然」という概念だけを残した。ここに到って、スピノザ思想との完全なすれ違いが明白になってくる。つまり、自由思想家たちがスピノザ思想を輸入して以来、「スピノザ主義」は近代啓蒙思想の唯物論的傾向と科学的自然主義の土壌を形づくる上で大きな役割を果たしてきたが、スピノザ思想の本質そのものは啓蒙思想の内側には摂取されていなかった。ベーコンやデカルトが人間の自由は機械論的に運動する自然の法則を知り、自然を支配することによって達成されると考えていたのに対し、スピノザは人間社会をも含めた万物の総体として自然の生=力を考え、その必然的自然法則をどのような仕方で人間が受け入れるかに、人間の自由達成の鍵を見出していたからである。

実際に、百科全書派によるスピノザ形而上学は、スピノザ思想が全く理解されていないことを明確に示している。その批判は次のようなものだ。第一点はつね自然=宇宙はスピノザの述べるような必然性に基づく唯一実体=神ではなく、諸部分(諸実体)が複合してできた物質であり、神の自由な創造によって創られたものであるという点である。スピノザの言うように、延長=物質が思惟=観念と同等に神の属性であるならば、神は物質的であることになり、神の本性は卑しめられることになってしまう。第二点は、個々の人間あるいは人間の思考や行為は、スピノザ言うような神の変様ではなく、別々の諸主体であるという点である。そうでなければ神は、人類が引き起こす様々な狂気・妄想、不正・悪を生み出した加害者である。

このようなディドロによるスピノザ批判の内容から、近代啓蒙思想の基本的枠組みに推察することができる。近医啓蒙主義によれ、まずは自然は神の創造の産物である、がゆえに諸部分が緻密にかつ機械的に合成されて出来上がった物質であり、他方神の似姿をもつ人間は、その物質を知覚し法則性を発見し作用を加え支配する主体である。人間が自然を支配しえるか否かは、正しい自然科学の知識を獲得しているか否かにかかっており、それと同様社会が正しく構成され運営されるか否かは、人間の主体的で知的な営みの正誤に依存している。つまり、社会的な不公正や悪は、人間による錯誤・迷信・狂気・妄想などによって生み出されるものであり、人間の認識が理性的科学的になれば不正や悪は改善される。それゆえ従来の神学や形而上核の抽象性・不確実性・虚偽性を排し、それに代わり実験的経験的方法によって確証された科学的真理をたて、百科全書的に体系化されたそうした真理によって人々が啓蒙されるならば、人類全体の「教育」と「精神の進歩」が図られることになる。

このような啓蒙主義の精神とスピノザの体系が示唆した原理とは、根本的に異なっていた。自然は唯一実体=神であるというスピノザの体系によれば、人間は、自然の中における特別な存在ではなく、自然を支配する力もなく、むしろ自然という「外部の原因の力によって無限に凌駕される」存在であり、人間の思考や実践及びそれを介して形成される社会や歴史は、自然全体の必然的な統一性のうちに把握されねばならなかった。また、スピノザは、神の属性が思惟と延長であり、両者が変様したかぎりでの様態である観念と物との秩序は同一であるという形而上学を根拠に、人間における身体と思考の同一性及び観念としての感情や欲望と理性同一施という問題提起していた。それは、人間身体に対する思考の優位性や欲望や感情に対する理性の優越性を基調に理論構築を続けてきた西欧思想の伝統とは、真っ向から対立する問題設定である。さらにスピノザは、実体とその変容としての人間身体や種観念という概念装置によって、社会におる正義・不正義、善・悪、あるいは人間の認識における迷信・妄想・狂気などが、社会を含む自然全体の諸関係から必然的に生み出されるプロセスを解明し、個々の人間を主体ではなく、そうしたプロセスに依存としつつも、プロセスの個別的な連鎖につては、それを変更しえるものとして把握しようとした。

2012年7月26日 (木)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(5)

.「力の合成」論の民主的再編成

スピノザによれば民主政とは、各人が「社会」全体に対して、つまり、「自分自身がその一員であるところの全社会の大多数者」に対して、全面的に自然権を放棄することによって成立する。全員が自然権を絶対的に譲渡するのだから、誰かが自分の自然権を一部だけ留保していたり、構成員の上位に位置する第三者やそれに対する「服従」が生み出されたりすることはなく、自然状態と同様にみんなが同等な「社会の権利」=「共同の権利」が創設される。しかも自然権を放棄する対象は、「意見しえないような他者」に対してではなく、各人が国政の相談に与り得るような「社会」全体に対して為されるのだから、何人も自然権を他者に任せ切ることなく、各人は自律的自由を獲得する。本来スピノザにとって、国家とは、「ひとつの精神」によるかのごとく導かれる「ひとつの身体」とも言うべきものであり、国家の意志とは、構成員をなす「すべての人々の意志」であるとみなされるところに成立する。もちろん、この集合体は、あたかもひとつの精神と身体を持つかのように場に成立するのであって、ホッブスのように統一的な意思決定能力と権利能力=権力を持つ、一つの集合人格をなすことはない。それ故スピノザは、主権設立の際に同時に主権者を決定するというホッブス契約論を取り入れることなく、構成員全員が平等で水平的な結合をつねに保ちながら、放棄した自然権の総和が一人格に結晶しないままあたかもひとつの統一的な意志と力を形成し続ける運動のプロセスを表わす契約の方式を案出する。そうした力の合成の過程においては、「大衆」が退場することはない。ホッブスにおいては、大衆は国家形成以前に存在する無既定な集団であり、契約と主権形成には参加するが、主権成立後には 代表者が主権者としての行為を代行する。しかしスピノザにおいては、大衆はいかなる生体においても最高権力の形成母体であり、民主政においては「なしえるすべての事柄に対する最高権力を共同して有する人間の普遍的結合」である」。

.ルソーの社会契約論

この自然権の委譲の方式が、ルソーの社会契約論に極めて類似している。ホッブスとスピノザの国家形成論の根底には、各人の力を合成することによって統一的な最高権力を形成しようという問題意識が共通している。スピノザとルソーを結び詰まる根本的な問題意識として、「力の合成」論による主権論を見出すことができる。

ルソーは社会契約の原理を述べる前に、自らの問題意識を次のように述べている。「人間は新しい力をつくりだすことはできず、現にある力を結合し導くことができるだけであるから、自己保存のための手段としては、抵抗に打ち勝ちえる力の総和を集合することによって作り出し、それをただひとつの動機で動かし共同の活動に向けることのほかに方法はない」。さらに、ルソーによれば、自然状態に置いて共同体を打ち立てるための社会契約の諸条項は「すべてが次のただ一つの条項に帰着する」。つまり、「協力する各人は自分の持つ全ての権利とともに、自分を共同体の全体の全体に譲渡することである。その理由は第一に、各人は自分いっさいを与えるのだから、すべての人々にとって条件は平等である…。そのうえこの譲渡は留保なしに行われているので、結合はこのうえなく完全」である。しかも「各人は自分を各々の人全体に与えるのであって、ある人格に自分を与えるわけではない。そして、各協力者は自分に関する権利を他人に譲渡するが、それと同じ権利を他人から受け取らないような協力者は誰もいないのだから、人は失うすべてのものと投下のものを、またさらには持っているものを保存するための力をより多く得る」。こうした社会契約の方式によってのみ、「(市民は)何らかの人格に服従せず、自分自身の意志にのみ服従する」ことが可能になる。こうして生み出された主権の意志をルソーは、「個々人の利益の一致」であるとともに「共通の利害」である「一般意志」と呼んでいた。

さらに注目すべき点は、スピノザが契約によって生じた権利・義務関係を個人において保証するため、個人に「市民」と「臣民」という二重規定を与える点である。各人は一方では自然権を全面的に譲渡したのだから、行動においては全面的に国家の諸法律に従う義務を負う「臣民」である。しかし他方では、各人は自然権の完全な保持者としては「市民」であり、最大限自己保存を追求し「国法に基づいて国家の一切の便益を享受する」とともに、思想・信条・討論の自由は完全に保証されている。これも、社会契約を結んだ個人は、法の創造に参加し法的保護を受ける権利を有する点では「市民」であり、法に服従する義務を負う限りでは「臣民」であるという、ルソー人民主権論の根幹をなす有名な定義が、すでに一世紀前にスピノザによって定式化されていたことを示している。

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(4)

第3節 デモクラシーの転換点

.ホッブスにおける「代表人格」論

大衆各人の力の合成によって共通権力を形成するという同一の最高権力論を共有しながら、ホッブスとスピノザとの間には、力の合成とは何かをめぐって考え方の落差が存在している。ホッブスによる力の合成の原理は次のように説明する。「これは、同意や一致といったもの以上のものであり、まったく同一の人格のなかへすべての人々の真の統一である。それは、各人すべてが各人すべてと行う信約によって形成される。それはあたかもすべての人に向かって、私はみずからを統治する私の権利をこの人あるいはこの合議体の権限の下へと放棄すると宣言するようなものである。ただしあなたが私と同様に、あなたの権利をそこに与え、そのすべての行動に権限を認めるという条件のもとでのみだが」。このホッブスのロジックにおいて留意されるべきことは、ルソーの社会契約論と同様、自然権の全面的委譲は平等な各人相互間で行われる社会形成の論理であり、すでに存在する共同体内部の主権者と臣民の間の支配・服従契約ないし統治契約とは本質的に異なるという点である。そして、大衆という多数者が一個の人格として意志し行為する集合人格の概念を重視した。このような多数者を全体と法的に同一視する集合人格の考え方は、絶対君主制の主唱者によってではなく、多数者による支配としての共和制を指示する思想的系譜によって展開されていた。しかし、他方で、このようなホッブスにおける「人格」の概念が、君主の個人的命令や独裁と結びつきやすいメタファーであったことは、否定しえない。

これに対して、スピノザはホッブス契約論のロジックにおいては、自然状態において各人が保持していた自然権としての力の総和と、契約によって樹立された政府の権利としての力とは等しい、ホッブスが立てた原則自体が成立していないと説く。そうした等式が成り立たないということは、各々の臣民の力の総和と政府の力とは不等式の関係にあるということになる。つまり、臣民の力の総和が政府の力より大きければ内乱、闘争、政府の無力や不安定が帰結するし、逆に臣民の力の総和以上の力を政府が行使すれば抑圧、独裁、隷属という事態が生まれる。この全く異なるかのように見える二つの政治状況は、実は表紙一体のものであり、ともにホッブスの社会契約論のロジックがもつ不徹底性とそこから帰結する不確実性、不安定性から帰結する。

.スピノザの政体論

スピノザもホッブスと同様の統治形態の分類を行う。しかし、いずれの統治形態であろうと「最高権力の権利」とは「一つの精神によるかのごとく導かれる大衆の力によって決定されている」のだから、君主政であろうと貴族政であろうと「国家が圧政に陥らないようにし、かつ国民の平和と自由が侵されることなく保持される」ような絶対統治に近い政治体制と機構を整備することは可能である。しかし、「あらゆる権力を一人の人間に委託すること」は「隷属状態を意味し、」君主制を積極的には推奨していない。一人の人間の生命と能力には限りがあり、強大な権力を一人で支えることも公共の福祉を十分に図ることもむりである。これに対して貴族政を評価している。彼によれば、最高権力の権利が大きければ大きいほど、つまり貴族政における最高会議が絶対的に統治権を掌握すればするほど、統治は危機にさらされることなく安定し「絶対統治」に近づく。「絶対統治」に近いとは、最高権力に対する大衆からの支持が厚く、大衆の自然権=力の結集や調達という政治過程が上手く機能し、平和と自由が維持されている状態を示している。会議が十分な大きさを保ち、十分な協議・傾聴・討論を経て意思決定が行われるならば、その意志は理性的方向に向かい、かつそれが「法」という理性的形式で表明されるという利点がある。結局のところスピノザが、完全な絶対統治であり人々に「平和」と「共感」をもたらすと考えるのは、「大衆全体が支配する」民主政、民主国家ということになる。

2012年7月25日 (水)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(3)

3.スピノザにおける権利論

スピノザの自然権の特徴として指摘されてきたことは、自然権と自然の力を同一視し、「自然権」とは自然物全てが持つ自然的力であり、さらに「自然権」とは万物のもつ自然力が織りなす自然法則ないしは自然の秩序としての「自然」にほかならない、と主張した点である。これには近代社会契約論やリベラリズムの側からは、権利と力と法の同一視として批判の対象とされてきた。

このような権利と法の同一視を鋭く批判したのはホッブスである。

しかし、スピノザの述べる自然法則とは、人間の意志的自発的活動の余地のない機械的決定を意味しない。スピノザ哲学にとって法とは、先ず端的に「自然の必然性に基づく法則」つまり「事物の本性すなわち事物の定義そのものから必然的に発生する法則」に他ならないが、通常、人々は、人間の意志によるものか否かという表象に基づいて方を二つに分類している。つまり一方には、例えば運動量の保存の法則のような「物体に普遍的な法」や「人間の本性から必然的に生じる法」があり、他方には「人間の意志に依存した法」があるというように。そして、後者の典型として「人間が自己の自然権の中のあるものを自発的にか強制的にか放棄して一定の生活規則に自己を束縛する」という法がある。そのような自然権=自然法の動向や機能は、哲学の立場から見れば、前者の法と同様に自然の普遍的諸法則に則って存在し機能している。その必然性とは人間の力による必然性である以上、人々はそれわ人間の意志によって生じるとみなしている。また、自然の普遍的法則による哲学的説明は具体的場面においてはあまり役に立たず、実生活において人々はむしろ諸事情を可能的なものとして。または人間の意志に基づくものとして考え行動している。

とするとスピノザの述べる自然法=自然法則には、人間相互の自然的で無意識的な共同性も意識的ないしは意志的な選択によるものと考えられている共同性もともに、本来的にはある同一の秩序連関によって生起している事柄として含意されている。つまり各人が契約に基づいて自然権を譲渡し国家を形成する過程には、ホッブスが社会契約成立の要として考えていた自然法の認識や自発的な意志や理性の働き等が含まれることは勿論のこと、共同性全ての動向と機能を総括・統括する極めて広い要素が含まれている。スピノザは、一方で国家の成立に契約を求めながら、他方では人間は本質的に社会的動物であるとして、国家成立の要因を分業や協業と言った相互扶助活動の自然発生にも求めている。

スピノザが述べる権利の概念とは、法的あるいは道徳的な規範的意味のレベルではなく、ある特定のものがある具体的場面において現実に何を成し得るかという実質的レベルで定義されており、他の無数の力である自然権との連関が織りなす様々な物理的社会的制限のもとにある「定められた力」という具体的内実が指示されている。それゆえ、スピノザの言う人間の自然権の内容とは、「一個人に可能なかぎりでの」個人の身体的精神的能力の総体を指し示す、と解釈するのが妥当であろう。とすると政治的領域における権利論として見る限り自然権の内実はホッブスと大きく異なるわけではない。ホッブスも個人の力=自然権は無制限なものではなく、何らかの外的障害や判断や理性による主体の側からの内的制限を伴うと考えているからである。スピノザは、ホッブスが自己の内在的力としての自然権とそこに加えられる外的内的制限として対立的にとらえた権利と法の構造を、より広範囲のファクターをも含めて様々な力の累積から生まれるある構造的な法則の問題として統一的に把握し、それによって具体的場面における個別的で実際的な権利の本質=力を理論化し得る可能性を開いていく。

4.「力の合成」としての最高権力論

権利と力と自然法則と自然法を同一視し、自然権から自然法による国家権力の樹立を一貫して自然的な力の運動法則によって説明しようとするスピノザの理論は自然法論の側からも批判されてきた。例えば、スピノザの自然法は強者による弱者の支配やパワー・ポリティックスを正当化するものであるという批判である。

自然権の譲渡について、スピノザは次のように説明している。まず自然権を絶対的に譲渡すると言っても、各人が自分の諸能力の総体を放棄することを意味してはいないし、そのようなことは現実に不可能である。自然状態における各人の「力」としての自然権は国家状態においても停止されることはなく、「自己自身が裁判官」である状況から「共同的に所有する」状態へ、つまり「その権利が各人の暴力と欲望によってではなく、万人の力と意志による決定」へ移行されるに過ぎない。そこに生じる最高権力の権利とは、構成員である「大衆の力によってひとつの精神であるかのごとく導かれる自然権そのもの」であり、「より多くの人々が…一体に結合するにしたがって、すべての人々がますます多くの権利を共に持つようになる」

このように各人の生命、平和、福祉を確保するために構成員全ての自然権=力を結合させ、合成力を形成することによって「共通の権力」を構成するという考え方こそ、ホッブスが自ら主権論の中核に据えている理論だった。

スピノザにとって自然権の共同的所有を現実に可能とさせるものとは、ホッブスが提示したような各人の道徳的規範としての自然法やそこに基礎づけられた法的規律ではなく、各人の力より圧倒的に強い唯一の絶対権力の存在であり、それを形成するのはひたすら各人の自然権=力の運動法則という意味での自然法のみであり、だからこそできるだけ多数の構成員の力を実質的に合成する方策が要請される。つまり、スピノザは、ホッブスによって確立された「自然権の圧倒的優位」を継承した上で、ホッブス国家論の最良の理論的眼目は「自然権=力の合成」論にあることを見抜き、ホッブス自然法論が残存させていた規範性を除去し、それによって自然権という力の集合の論理として徹底的に一元化して改作した。スピノザはホッブスの社会契約論の論理構成を追いながら、自然必然性もとに論理を一貫させることによって、もうひとつの可能性を切り拓いていくことになる。

2012年7月24日 (火)

あるIR担当者の雑感(75)~アナリスト・レポートを書いてもらうために(7)~相手にしてもらえるために

IR担当者は、IRの様々なツールの作成を業務の一つとしています。中には、それがIRのメイン業務となっている担当者や企業もあると思います。また、IR支援会社のなかには、説明会資料とかアニュアルレポートとか会社案内とかホームページ、また最近ではSNSツールの制作やこのコンサルティングを中心に行っているところも多いと思います。私自身も、ツールの作成が業務の中で占める比重は決して軽いものではありません。折角作るのですから、良いものを作りたくなるのは人情です。しかも、これまでにアナリストに興味を持ってもらうだの、会社の魅力を理解してもらうだの、つらつらと書いてきましたが、そのためには量的にも、質的にも情報をできるだけ提供することが必要だし、そのためにツールは有効、もっといえば必要なものと言えます。だから、一生懸命に作ります。それは、これまで述べてきたことです。

しかし、ここで実際に感じていることは、それだけ一生懸命に作ったツールを、果たしてどれだけ見られているのでしょうか。つまり、企業が一生懸命ツールを作って、「はいどうぞ」と差し出しても、差し出された側は相応の対応をしてくれるとは限らないと言うことです。当然と言えば、当然のことですが、何か企業の側にとっては実も蓋もないこのように思われてしまいます。

でも、自分の生活のことを考えれば、我々の身の回りには絶えず沢山の情報が駆け巡っています。例えば、自宅でテレビを見ていればCMで企業や商品の宣伝情報が洪水のように繰り返し流れてきます。それらを私は、漫然と流していると言っていいと思います。作り手が一生懸命CMを作っていても、だから何だというわけです。それは情報の洪水のなかで処理しきれないというのか、無意識のうちに選択をしていて、選択に漏れたものは躊躇うことなくバッサバッサと切り捨てているのだと思います。同じように、アナリストだってウォッチしている企業が何十とあり、興味を持っているのはそれ以上、さらに頼まれなくても企業の方から一方的に情報が送られてくる。そんな中で一つ一つの企業のツールを全部丁寧に見ている時間的余裕も体力もないでしょう。

としたら、そこで切り捨てられないためには、どうしたらいいか。そこにIRの戦略と言うものがあるのではないかと思います。よくIRの支援会社の売り文句やセミナーに戦略的IRと謳われていることがありますが、そういう戦略は提示されたことがありません。このようなときに提示されるのは、説明会資料、アニュアルレポート、ホームページといった各ツールを見易くしようというものだったり、インターネットで紹介ページを作ってそこでまとめて紹介しようといった程度です。これらは、興味を持った人が見ようとして、ある程度積極的に動いた時には、有効に機能するでしょう。しかし、ここで考えているような場合には、役に立たないと思います。

ここで、IRではなくてPRの方で、広告の戦略というときにひとつのモデルとして、このようなことを考えます。仮に、私が今このプログで書いていることをまとめて本にして出版したとします。これを売ろうとするときに、これは素晴らしい本だからといってテレビ等で大々的にCMを打って宣伝して、果たして効率がいいと言えるでしょうか。まず、このような本の読者とになりそうな人がテレビを見る機会が多いのか、たとえ見たとしても有効に情報として伝わるのか。つまり、CMを見て書店に行く人がどれだけいるのか、ということです。実際に、この本を購入するモデルを考えてみましょう。このような内容の本を読むのはIR担当者とかそれに関係する人びとでしょう。しかし、その人々のすべてが読むとは限らないでしょう。Aさんはある会社でIRの部署にいて未だ経験は浅いのですが、説明会の参加者が減少気味で、そういう状況に問題意識を持っている。とういう時にたまたま、インターネットか新聞か何かでこの本があることを知った。その時は、そういう本もあるのかと言う程度だったが、その日の夜、友達と待ち合わせをしていて、ちょっと時間があるので書店の寄ったら、その本があった。その本かと思って手に取って立ち読みしてみたら、内容が今感じている問題意識に沿うものだったので買った。というのがひとつのモデルではないかと思います。これは、モデルとして単純化していますが、それでも様々な要因が複合的に作用して、Aさんが購入に到ったということが分かると思います。単純にいい本が出ましたと宣伝するだけでは、この単純なモデルにも届かないということです。簡単な分析をしてみると、まず商品である本に対して、ある購買のターゲットが限定される。そのターゲットに目に触れる宣伝の媒体を選択することがある。ターゲットをしぼってもそのターゲットが皆、無条件に興味を持つということはない。興味を持つ下地というのが必要だと言うこと。Aさんは自分のIRの現状に問題意識を持っていたというのが、これに当たります。そして、タイミングです。問題意識を持っている時に宣伝に触れて、宣伝が素通りせずに頭の片隅に残った。それに加えて、記憶が残っているうちに現物に触れて、「ああそういえば」と思い出すことができた。この他にも、要因が出てくるのでしょうが。ここでは単純化させて、これだけにとどめておきます。このようなときに、宣伝の戦略として、IRの現状に対して担当者向けに問題意識を煽るようなセミナーを企画する。そして、インターネットとか日経新聞、あるいはIR担当者がよく読みそうなビジネス雑誌に広告を出す。そして、IR担当者がよく立ち寄りそうな書店、大手町、兜町、日本橋などのビジネス街の書店で発売キャンペーンをうったり、平積みにして見えやすいところにおいてもらう。等のことを連動させて販売促進をしていくことになるでしょう。

これをIRにそのまま当てはめるというわけにはいかないでしょうが。説明会資料、アニュアルレポート、ホームページ、SNSなどのツールが、それぞれ別個に、とくに連動するでも、役割を分担するでもなく、ただ単に単発で打ち出されています。さっきの宣伝で言えば、テレビでCMを大々的に打つのと同じです。

せっかく苦労してつくったツールを見てもらうために、どのような経緯でツールに触れようとするのかをモデルでもいいから想定してみて、様々なツールの特性を生かして連動させていくことによって最終的にはツールに触れるところまで誘導するというような戦略的な動きというのをIRで考えることは出来ないでしょうか。とくに、知名度の低い中小企業の場合は、アナリストや投資家の興味を多少、強引にでも持ってくる必要があるのです。さっきのモデルのときに触れましたが、興味には下地という環境とか雰囲気が必要なので、新興市場でとか、IRコンサルの会社が数社をまとめてとか、一つのムーブメントにするような提案を考えてくれないものかと、その程度のことで、市場の活性化にも寄与するように思うのですが。

ただ、私は一つの会社が単独でやるにしても、説明資料とホームページとを連動させたりとか、互いに補完的な機能をもたせて、それぞれが得意な点をもっと伸ばす、これによって相乗効果を生み出すということは出来るのではないかと思います。具体的なことは、別の機会に考えてみたいと思います。

2012年7月23日 (月)

あるIR担当者の雑感(74)~コーポレートガバナンス私見

今日の日経新聞に「もの言う投資家が起こす地殻変動」という記事がありました。

コーポレートガバナンスについては、不祥事を防止することと、日本の株式市場への投資を呼び込むという目的が混同されているのを、分けて考えるべきと思っています。たとえば、経営者が独走するのは企業にとってリスクですが、それをもって悪いこととはいえないと思います。それを外側から形式的に規制することには、企業内部の人間としては違和感を感じています。

なぜ、コーポレートガバナンスということを導入しようとするのかという、導入の理由、または目的としては、日本株に投資使用する海外の投資家が投資しやすいようにということだったと思います。でもバブル景気のころは、日本株のパフォーマンスがよくて、海外投資家の投資もさかんだったはずです。また、現在でも新興国や中国の株式のパフォーマンスが高いので、リスクを承知で投資する人は多いでしょう。そういうことから考えて、まず、第一に考えるべきは日本株のパフォーマンスが低水準なのを高めることではないかと思います。でも、この数十年のあいだ、バブル当時の株価水準に追い付けないで低迷を続けている。そんな国は世界中で日本しかいない。だから日本株のパフォーマンスを高めることは望めない。それで、次善の策としてコーポレートガバナンスということなのでしょうか。それならば、経団連の偉そうな経営者に対して、だらしない経営をしているのだからと文句を言わせず、社外取締役だろうがなんだろうが認めさせるべきです。悔しかったら、バブル期以上の株価を付けさせてみろ、と。

しかし、そうではなくて曖昧な形にしておいて、そのままではサボっているように見えるので、パフォーマンスとしてやっているように見えます。マスコミも政府も。

もし、実務の上から見て投資家が経営者と真剣に討論して、経営への理解と投資家自らにより経営の監視を強めたいということならば、以前にもプログに書きましたが、株主総会で決算承認を復活させ、次年度の予算承認も議題として義務付けことを制度化した方が、実質的に経営者に対する強いプレッシャーになるし、株主も、より真剣に考えると思うのですが。(記事にあった機関投資家のミーティングを株主総会の場でできると思うのですが)

そもそも論になってしまうのですが、海外をはじめとした投資家の人たちのいう「経営」と、多くの日本企業の経営者たち、もしくは企業の内部の人たちがいう「経営」とは、意味が微妙にズレているような気がします。単純化してという、全社の意味では資本という投資家から集めた資金をいかに効率的事業で活用することで増やしていくかという投資に近い意味合いで、後者は先頭に立って新技術の開発や商品の売込みを行う事業執行者(というよりもサラリーマン)に近い意味合いです。前者の意味合いなら、一種のスペシャリストとして見ることができるので、そのスペシャリティに対して社外取締役の監視が有効に機能するのでしょうけれど、後者の意味合いでは社外の人間に何が分かるという議論になってしまいます。だから、日本企業はグローバル化が必要とか、強引にガバナンスを押し付けるという議論も一方ではあるでしょうけれど、マスコミもそうですし、特に経団連などでいままでの「経営」で通用するのか、かといって前者の「経営」が有効なのかの検証を真剣にすべきなのではないかと思います。私は、どちらにも違和感を感じています。望むべくは、前者にも後者にも収まりきれないような大胆でユニークな「経営」を模索して、バブル期を上回る高いパフォーマンスを実現させ、コーポレートガバナンスなどとうるさいことが言われなくても、あとからあとから投資の話が来るようにする努力をすることではないかと思います。かなり、ピントがずれているかもしれませんが。

2012年7月22日 (日)

あるIR担当者の雑感(73)~ハピネスを届けたい、その後

ちょうど1年前、オリエンタルランドの株主通信について、ここでコメントをしました。東日本大震災とその語の津波被害、そして原発の事故とその影響によって国土の広大な地域が甚大な被害をうけ、多くの人々が避難生活を強いられる状況で、東京ディズニーランドも被災し、実際に被害を蒙り営業を休止せざるを得なかったという差し迫った中で、事業のあり方について真剣な議論が行われたのでしょう。そこで、見開きのページを割いていた「ハピネスを届けたい」というメッセージは、他の会社の株主通信には見られない迫力があったと思います。オリエンタルランドの個人株主であろう人が、ブログでそのことを書き込んだりと、それなりの反響はあったのではないかと思います。

私自身も、オリエンタルランドの株主ではありませんが、ホームページで閲覧し、このブログでコメントを書きました。ただ、同じ株主通信に携わる担当者としては、会社として真剣な議論が交わされたのなら、もっと株主通信を「ハピネスを届けたい」で徹底して作り込んでもよかったのでは、と書きました。しかし、それはこの株主通信を否定するものではなく、それを実行した企業と、担当に対しての敬意の表われのつもりでした。そして、1年後の株主通信がどうなるのか楽しみにしていました。実は6カ月前の秋冬の株主通信で、そのことが消えてしまっていたので、少し落胆しつつ、1年後はその総括があるだろうと期待していました。

しかし、何もありませんでした。私は、オリエンタルランドの株主ではないので、こんなことを言うと無責任になるのかもしれませんが、真剣な議論を社内で繰り返し、敢えて、2ページをつかって「ハピネスを届けたい」という企業の原点を再確認し、それを株主に対して大きくアピールしたあと、その原点を再認識した活動は具体的にどうだったのか。例えば、施設が事故があって営業を休止せざるをえなかったことが報道されたこともあって、「ハピネスを届けたい」ということが再び問われたのでしないか、と思われるのです。これは安全対策を徹底しましたと言うことだけにとどまることでないような気がします。というのも、1年前に「ハピネスを届けたい」というのは、株主に対して企業の理念を敢えて真剣に打ち出したのは、その理念に対しての賛同とか共感を求めたものだったのではないか、と思ったのです。株主総会を中心に株主対策の業務をしているとファン株主作りなどという施策が手段としてありますが、株主通信であそこまで高らかに謳い上げたのは、そういう小手先のテクニックにとどまらず、「ハピネスを届けたい」という理念に共感して、経営者と株主も共に、その理念の実現に向けて手を取り合って行こうというマニュフェストのようなものだったのではないか、と思ったのでした。だから、それに対しての、どうだったのかというのか、ということが1年後の株主通信の中で、経営者のメッセージの中で一言でもあってほしいと思って読んでみたのですが、残念なことに「ハピネス」の言葉は消えていました。私は、そこで「ハピネスを届けたい」に対してのオリエンタルランドの本気度がはっきり現れる、それを株主が見ている、そして、そのことを誰よりも言った企業自身が自覚していると、少なくとも、そういう株主通信をつくった担当者は一番認識していると思ったのですが。だから、何かしらあるのではと探してみました。

もとより、私の個人的な思い入れでしかなく、オリエンタルランドは順調に経営を継続させており、ベストを尽くしていると思われるので、何も批判されるものではありません。しかし…、と思ってしまうのです。

株主通信って何なのでしょうね。作っている本人が、こんなことを書くと不謹慎に聞こえるかもしれませんが。自社の株主通信の参考にと多くの会社の株主通信をインターネットで見てみると、何のために作っているのか分らないものが沢山見つかります。私の作っている株主通信もそういうものに入ってしまうかもしれない、思うとちょっと懐疑的になってしまいます。

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(2)

第2節 スピノザはホッブスをどう読んだか

1.ネーデルランドにおけるホッブス受容とスピノザ

スピノザがホッブスから深い影響を受けるようになったのは成人した後のことと思われる。自由思想家ファン・デン・エンデンのラテン語学校で、ホッブスの『市民論』や『法の原理』を読んだと思われる。後にスピノザとホッブスは知己の間柄になった推測される。17世紀後半には、二人はヨーロッパにおける無神論の二大巨匠となった。ホッブスの『リヴァイアサン』とスピノザの『神学政治論』が相次いで出版されると、両書はともに、神学=信仰と哲学=理性との分離や宗教からの政治の解放基本理念に据え、教会権力に対する国家権力の優位と個人の信仰の自由を聖書に即して緻密かつ大胆に展開していたから、直ちに各種の教派と敬虔な知識人たちから激しく糾弾された。しかし、時の指導者ヤン・デ・ウィットは良書を擁護した。共和派の主流をなす都市貴族は、商業ブルジョワジーの活動を有利に展開するために、政治権力の教会からの独立を強く望んでいた。そうした視点からすれば、両書は、共和派のイデオロギーとして利用し得るものであり、イングランドにおいては絶対主義体制の擁護者として誤解を受けることになるホッブスの国家思想が、ネーデルランドでは比較的自由主義的で共和主義的な党派と結びついた書物として影響を与えたことになる。しかし。ウィットが無くなると両書は発禁処分を受ける。

17世紀に入っても、オランダ・アカデミズムの世界で支配的だったのは、独立戦争を理論的に支えたカルヴァン主義的抵抗論の思想や、立憲主義に基づく制限君主制、混合政体論であった。こうした状況下に導入されたホッブスの国家論は、オランダにおける政治思想の創出を促すひとつの要因となり転機となった。とりわけ分権主義的であったオランダに衝撃を与えた点は、ホッブス国家論の中の絶対性の理論であったと言われる。

2.スピノザの最高権力と社会契約論

最高権力を社会契約論によって構成するスピノザの議論には、ホッブス国家論の影響が強く見られる。スピノザは、以下のように議論を進める。人間や生物に限らず「各々の物は自己の存在に固執しようと努める自己保存力(contus)」を持ち、人間の場合のconatusは心身の「活動能力」とそこから生ずる様々な感情や欲望である。そこにスピノザは国家論の出発点を定め、各人が自己の意のままに自己の利益を図る自己保存努力を「自然権」と言い換え、各人は「自然権」に基づいてなしうることすべてをなしうる権利をもつとされる。

しかし共同体が形成される以前の自然状態では、各人が感情や欲望のまま行動することによって相手を敵と見なす闘争状態が生じ、結局各人は自然権によって何も得ず何もなしえない。それゆえ、「各人の自然権を、自己及び他者を害することなしに、もっともよく保持するようにすること」を究極目的として「国家」が樹立される必要がある。国家形成は各人の理性による自発的で主体的な契約に基づいて為されるが、その際に各人に自然権の放棄と共同体の形成を指示する自然法は、各人の自己保存追求の計算の結果でもある。従って、の生とは、自己保存力やそこから生じる各種の欲望、感情に対立するものではなく、自己保存達成の最善の道を示すものに他ならない。

しかしすべての人々が利益計算を正しく行い、理性を見出し得るわけではない。無知で公共心にかける「大衆」などは憂慮すべき問題である。それゆえ国家の成立とその後の安定のためには、「すべての人を力づくで強制し、またすべての人があまねく恐れる重罰への恐怖によってすべての人々を制御し得る最高の権力を有する」統治権が必要となる。スピノザは、国家とは、統治権に対するいかなる反対勢力も考えられず、治者と被治者が完全に一致する「絶対統治」の形態を取るべきであると主張し、そうした最高権力を創設するためには、ある特定の一部の人が一定の権利を留保する方式ではなく、ホッブス流に構成員すべてが自己の自然権を絶対的に委譲しなければならないと主張する。

このようにスピノザの最高権力論はホッブス主権論の論理構成と一見極めて類似している。しかし、他方では概念規定の相違をはじめとしたさまざまな異同がある。ここで注目すべきは、スピノザが意識的にその点に踏み込まずに、ホッブスのディスクールに従う形で社会契約論を論じようとしている点だ。ここに社会契約論を哲学上の問題としては扱わないスピノザ独自のパースペクティブが現れている。

2012年7月21日 (土)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(1)

第1章 スピノザと社会契約論─大衆の構成としての社会契約論

第1節 境界人として生きる─漂流する哲学者

スピノザは終生どのような社会集団にも帰属せず、度重なる迫害を迫害とも思わず、一人もの静かに、淡々としかも喜びに満ちた開放的な生活を送り、生涯を閉じた。人間社会には、民族・言語・信仰・・信条・生活・慣習・利益などそれぞれ独自の特質と目的の下に求心力をもって人々を集合させ、それによって一定領域を形成する大小さまざまな共同体、共同性が何時の時代にも存在している。しかしそのような共同体に自己を同一化することなく、共同性の領野の狭間にとどまりながら排他的でも孤独でもなく、国・宗派・階層・職業を問わずさまざまな人々とコミュニケートしえたスピノザのような生き方を貫く人物は「境界人」と呼ばれる。

当時のネーデルランドにおける政治情勢のうちで、近代国家の形成という点で最も重要な争点となっていたのは、連邦制と統一主権を巡る問題だった。同時代で、経済覇権をめぐってネーデルランドと頻繁に戦火を交えていた英仏両国は、その国家形態のあり方は大きく異なるものの、ともに強力な統一主権と国民経済の基盤を持つナショナルな近代国家の原型を整えつつあった。これに対してネーデルランドでは諸州の独立性は強く、世界随一の商業的発展をもたらした自由都市群が強大な自治権を有していた。このような分権的主義的傾向は、単一の主権形成を遅らせ統一的な国民経済の形成を阻んでいたが、反面ヨーロッパの中でも例外的に市民による共和主義的自治を残存させる要因ともなった。アルトゥジウスが、共和国の権力主体は契約によって生ずる「人民」であると中世末期に述べたことに象徴されるように、古典古代とマキャベリの伝統を継承する共和制やその自治主体である人民の概念が強く保存されてきた。その後グロティウスなどを輩出することになる人民主権的自然法思想の潮流は、発展途上の巨大商業資本を背景に持つ都市貴族の自由主義的気質などと結合して、共和主義的なシヴィック・ヒューマニズムの優勢を決定づけた。

とはいえ、ネーデルランド連邦共和国の政治は、必ずしも安定していたわけではなかった。従来から共和国の政治は、各都市・各州の利害対立が交錯し複雑に揺れ動いていたが、独立後も統一的政策の実施は困難な状況にあり、統一連邦議会は政治的決定権を持たない単なる利害調整の場でしかなかった。なかでも土間率戦争に功績のあった軍事顧問的存在であるオラニエ公及びカルヴィニズム正統派と商業資本を蓄え都市や州の高級官職を独占する都市貴族派との二大対立が、激しさを増して行った。丁度、スピノザの思想的営為の大半の期間は、この後者のヤン・デ・ウィットの知性の時代であった。

このように当時のネーデルランドは、旧態依然とした代表制度とごく一部の特権階級による寡頭政治的な支配体制を改革し、共和国に共通する利益を代表する近代的な統一主権を如何に形成するかという西欧諸国に共通する課題を、イギリス、フランス、ドイツなどとは異なる政治的局面において模索しつつあった。この時代的要請に答えるに際して、王権と議会の関係ある世俗権力と教会権力や法王権などの関係の設定に苦慮する同時代の他の政治思想とは異なり、スピノザは独自の問題の立て方をしている。スピノザによる政治論の目的は、国家の最高権力とその制度とが「大衆」の感情と力にどのように依拠し構成されているのか、あるいは一見非合理的な発現形態をとるように見える大衆の政治的力が、現実にはどのような法則に則っているのか、その力学と合理的再編の方向と方法を知ることに定められた。こうしてスピノザの国家論は、「最高権力」と大衆という二つの問題を軸に繰り広げられることになるが、スピノザの炯眼は、問題解決のための最も重要な理論的素材を当時の主流であった共和主義や混合政体論にではなく、ホッブス国家論に求めたところにある。

2012年7月20日 (金)

マグリット展「不思議空間へ」(4)~「大家族」

Magdaikazoku マグリットの作品の中でも、とくに有名なもので、広告や宣伝ポスター等で広く用いられ、マグリットの作品と知らなくても、目にしている人は少なくないと思う作品です。このような風景の中である形の輪郭を切り抜いた青空を、強調するような形で全面に出すというパターンで、広く引用されていると思います。マグリット自身も、このパターンを何度も取り上げています。例えば1966年の「王様の美術館」、1960年の「愛の法廷」、1951年の「誘惑者」、「大潮」、1940年の「帰還」、1931年の「夏」等が今回のマグリット展の中で展示されています。面白いのは、他の画家であればテーマとか題材というものを何度も繰り返し取り上げて、そのテーマを掘り下げたり、違った視点から描いて拡がりを与えたりすることが多いのです。しかし、マグリットの場合は、そうことは皆無で、代わりにこのようなパターンを繰り返し取り上げて作品を制作しているのです。パターンですから掘り下げることは出来ず、異なる視点で拡がりを与えることも出来ません。そこにあるのは反復です。そこにあるのは、パターンの独り歩きともいった現象です。何を描くかという内容よりも、その描かれるパターンの方が優先されるというわけです。

こじつけて、難しい言葉を持ち出すと“シュミラークル”という、言うならばオリジナルをもたないコピーという説明概念が思い浮かびます。例えば、あるブランド商品は品質や信用の伝統の結果打ち立てられたものですが、それがブランドとして独り歩きし始めると、それを買う人々は商品の品質を求めるのではなくて、有名で高価なブランドを買うことで満足し始める。究極には、商品がなくてもブランドパッケージだけでも満足してしまうことになる。そこでは本来の内容とん実質といったものは後回しにされてしまう。だから、まことしやかにブランドのロゴマークがついただけの模造品商売が成立しているのです。

このようなことは、マグリットが描く個々の作品が、どこか薄っぺらく、まがいものめいた感じを受けるのは私だけでしょうか。パターンが繰り返されるという反復が重ねられ、本物らしさが無限に希薄化していって、偽物めいたものになっていくと、シュミラークルに近づいていく。本物とか偽物といった区別が無効となって、それゆえに個々の作品の独立性の前提となる同一性がなくなってくる。これが、さらに推し進められると現実のリアルという足場を失って、普通のリアルな感覚をベースに異常な世界とのズレを作品としていくことから、それらの境界がだんだんなくなって、行きつく先は普通のリアルという足場に逆影響を与え、現実という前提そのものが不安定化させていくことになる。このバランスを失ってしまうと、マグリットの不思議な作品世界というものが崩れ落ちてしまうでしょう。そのような危ういバランスの上に乗っている。それが、マグリットの作品の限界と言えるのではないかと思います。

一方、具象といい抽象といいますが、西洋絵画というのは、常に何かを描いてきたものです。それがテーマという言葉に収束されていると思います。具象は現実の何かを描いているから分かるが、抽象画はもとの形がないのだから、と疑問に思われる方もいると思いますが。キャンバスでも紙でも白い平面に、とにかく線を引いても、絵の具を塗っても、そこに何かが線とか面とかというのが残るわけで、それが描かれた形ということになるわけです。具象画のように現実のモデルを写したというものではなく、描いた画家が描いたものに対して何らかの価値づけを行って、それを見る人に提示することになるわけですから、ある意味では、具象画以上に「描かれたもの」というのに対する切迫感は強いとも言えます。つまり、結果であれ、目的であれ、何かを描くというのは、西洋絵画が絵画として成り立つための条件のようなものと言えます。だから、まんがやイラスト、挿絵のようにものを芸術絵画のハイカルチャーに対して、サブカルチャーという差別していたわけです。しかし、マグリットの作品は、ここでも言うように何を描くということよりも、パターンを繰り返し提供するということを追求しているように見えます。ハイカルチャーである絵画の存在意義を否定するようなものであったのではないかと思います。そこに、マグリットという画家の突出したところがあったのではないか。さらに言えば、そういう絵画であったからこそ、大衆が登場した大量消費社会における宣伝という媒体で、マグリットの方法が真似されて、多数の偽マグリットを輩出させたのではないかと思います。もともと、日本の絵というのは、とういう自意識のようなものはなくて、まんがとの境界もきわめて曖昧な社会で、マグリットのような表面的な作風というのは、馴染み易かったのかもしれません。

2012年7月18日 (水)

マグリット展「不思議空間へ」(3)~「無謀な企て」

Magkuwadate マグリットの描く人物は、どうしてこんなに生気も存在感もないのだろうかと思います。この「無謀な企て」という作品では、画家に動きがなく、描かれている裸婦にしても美しいとかエロスというものは感じられません。もっとも、裸婦は二次元の平面に描かれるべきものが立体として描かれるという不思議さであるため、リアルな息づく人間として描かれる必要はないのでしょうが。女性はマネキン人形のようです。デッサンはしっかりと書かれているのでしょう。形態はしっかりとらえられていて、人物であることは分かるし、どのような動きをしているかということは、情報として分かります。しかし、表情は能面のような無表情です。女性は顔の輪郭などはきちんと描かれ美人であることは分かります。しかし、人間の顔というより人間の顔の形態をそれらしく描いているという感じです。立体感はあり、それらしい色彩も丁寧に塗られています。一方、画家が絵筆を持っている様子は、ちゃんとそれと分かるし、不自然さはありません。しかし、画家の顔にも表情がなく、物体としての重量がないし存在感がありません。それらく陰影があり立体感が感じられるように影が付けられています、何となく塗り絵のような平面的な感じがします。類型的というのでしょうか。この展覧会でも何点も人物を描いた作品が展示されていますが、一様に下手というのか、リアルな人間を感じられないものになっています。1964年の「善意」の人物もパイプがなければ、人物画として積極的に見たいと思うでしょうか。

このことについては、他の作品のところでも述べてきたようなマグリットの特徴として見る人への効果のことを考えると個々のパーツは単純化するという事情があります。そのことは、別のところで述べましたので、ここでは別の点から考えてみたいと思います。

それは、経済発展による大衆社会の到来と、技術の飛躍的進歩ということです。マグリットは1898年に生まれ、1967年に亡くなっています。マグリットの生まれたころは印象派以降の近代絵画の時代と言えます。このころの時代背景としては、それまでの古典やロココといった君主や貴族、あるいは寺院といったパトロンの庇護のもとで注文に応じて歴史画や肖像を描いていた画家というものが、フランス革命や産業革命などによって社会の主導的地位をブルジョワジーに取って代わられることになります。そのために画家はパトロンを失い、時代の担い手であるブルジョワジーを新たな顧客として行かざるを得なくなります。ブルジョワジーはそれまでの支配階級と違って、民衆に対して自らの優越的地位を派手に宣伝するような必要はなく、倹約と勤勉によって経済的実力を蓄えて行くという生き方をするものでした。だから、画家をパトロンとして雇って沢山の絵を描かせるというはしません。そこで、画家は大きな方向転換を強いられたわけです。さらに技術の大きな進歩によって画家たちにとっては写真という新たな競争相手が出現したわけです。肖像画を描いてもらわなくても記念写真をとれば、絵画より対象そっくりの写真が一瞬でしかも安い価格で手に入るわけです。このような中で、旧態依然の絵を描いていて、写真に対して絵しかできないことを考えないと、写真との競争に負けてしまいます。そこで現われた運動のひとつが印象派といえます。そのあと、幻想的な絵画や抽象的な絵画などさまざまな試行錯誤が行われました。さらにマグリットの時代には、技術の進歩と経済発展の進展によってブルジョワジーだけでなく、大衆が社会の消費の担い手として認識され、時代は大量生産、大量消費の時代に入って行くことになります。そこで登場したのは複製技術です。写真も当初は、1回の撮影で1枚の写真しかできませんでしたが、焼き増しができることによって、1回の撮影で多数の写真が一度に作られることになりました。これによって、例えば人気の俳優や踊り子の写真を大量につくって商品として売る、プロマイドのようなものが出てきました。絵画も、多色刷りの印刷の発展により色鮮やかなポスターの生産が可能となり、そういうものへの対応に迫られるようになって行ったと言えます。一枚の作品をじっくり描いていては、そのようなスピードと大量生産に追い付いていけなくなってしまうのです。そして、恐ろしいのは、そういう大量生産が出回り、それが当然のこととなっていくと、人々の意識もそれに引き摺られていくことになるのです。そこでの美意識も例外ではなくて、精緻で繊細な絵画は複製が難しいので、需要が減り、代わって単純化された図案の様な大量生産しやすいものが、しかも貴族やあるいはブルジョワジーのような程度の差こそあれ教養や文化の蓄積がありそれを尊重するような人々から、蓄積を持たない大衆は分かり易いものを自然と求めてしまうのです。

Magking さてもこのような周囲の環境に対して、マグリットは超然としていられたのか。とくにかれの生まれたベルギーはオランダと境界を接し、商人による交易で栄え早くから市民社会の発達した国だったと言えます。そういう社会では資本主義の進展は早く、画家として食べて行くためには最初から貴族や教会の庇護は期待できなかったはずです。現代と、それほど変わらない、画商を通じて描いた作品を人々に見てもらい購入してもらうというシステムが既に出来ていたと言えます。それも、複製することで安く大量に頒布されることで利益を上げるということに既に始まっていたと思われます。その言う視点で見ると、マグリットの作品で描かれた人物というのは、まるで複製されたもののようではないでしょうか。ベンヤミンがいみじくも「複製技術時代の芸術」という論文で述べていたような芸術作品の一回性であるようなオーラを欠いたものと言えます。今の時代からみると、そういうマグリットの描き方はイラストのようなものに極めて似ているように思えます。

つまり、敢えて、人物が描かれていることが分かれば十分であって、芸術のオーラのようなものは却って大衆に広く受け入れられるためには障碍になる。そこで当初から追求しないというわけです。

その意味で、人間の外側の輪郭だけを切り取り、中身を空洞のようにして描かれた「王様の美術館」という作品は、まるで現代のデザイン・イラストといっても誤解のないものではないかと思います。そういう意味で、マグリットという画家は複製の発達による大量消費の時代に、どう対処するかという点で、極めて自覚的な作品を制作したと言えるのではないかと思います。

2012年7月17日 (火)

マグリット展「不思議空間へ」(2)~「アルンハイムの領地」

Magaru まず、今回の展覧会のパンフにも使われた「アルンハイムの領地」について、最初のところで具体的に触れなかったので、ここで見て行きたいと思います。

猛禽類の頭部の形をした岩山を遥かに望み、手前には卵が置かれています。岩山と卵という普通に考えれば無関係なものが描かれているものが、岩山が猛禽の頭の形をしていることで、何か関係ありげな意味を詮索するような気になる、という作品です。

実は、鳥の頭の形をした岩というのを、マグリットは別の作品でも用いています。1950年の「行き止まり」という作品や1957年の「青春の泉」という作品です。このうち、「青春の泉」の場合は、体裁はモニュメントのような人工的に作られた彫刻のようなもののように描かれています。また、「行き止まり」という作品では留まって羽を休めていた鳥が石化してしまったもののように見えます。とくに、「行き止まり」では、鳥の姿がそのまま石と化したというところに一種の驚きを誘うところがあります。これに対して、「アルンハイムの領地」では、岩となっている鳥の形態は頭部と羽の一部に限られています。これは、見る人にとっては鳥がそのまま岩となっているような驚きが最低限に抑えられています。場合によっては岩が鳥に見えるかもしれないと思うようなギリギリのところにある。これは、マグリットが同じ鳥の形をした岩を描いていても、それを見る観客の眼差しが違ってくるように意識して描いていると思われます。鳥がまるごと石化してしまえば、それは異常なことで、見る人は驚きます。しかし、それは一瞬のことにすぎません。普通でないことを目前にすると人は驚きますが、それに慣れてしまうと普通のことになってしまうのです。そうなったら驚きもなくなってしまいます。これに対して、実際にあるかもしれない鳥に見える岩山がらしく描かれていると、見る人の見方によって、それは普通のことにもなりうるし、驚きを誘うことになり得るわけです。そうすることによって見る人は緊張を強いられることになります。当然、その部分に視線を集中させ、「何かが隠されているかもしれない」という疑惑をもたせ、想像力を掻き立てさせるのです。そして、「アルンハイムの領地」では、その鳥の形をした岩山は、山脈の一部としてさりげなく描かれています。それほど強調されているわけではありません。つまり、この描かれている光景は、マグリットの世界として決して特殊なものと描かれているわけではない。普通の光景と同じように描かれています。大事なのは、異常な光景を見せるということではなくて、普通の光景との相関関係でみる人にとって、らしさ、というのか、らしく見える、ことなのです。ここに通底しているのは、異常とか驚きを誘うというのは、普通の空間を壊してしまうようなことではなくて、普通の光景と異常に光景は結果的に共存しているということです。どういうことかというと、「アルンハイムの領地」での鳥の形の岩山を単に異常なものとみる人を驚かせてしまうと、そこで終わってしまうので、異常か普通かの間で宙ぶらりんにすることで、普通の空間が破壊されるまでの張りつめた緊張感を醸し出させるのです。そこには、普通の空間には、その影には異常な、普通を破壊してしまうようなものが隠されているということです。そういう視線で画面をみると「何かあるのかもしれない」と余計な想像を働かせてしまうことになります。

Magkikan 次に、卵と鳥の形をした鳥でないものとの組み合わせというパターンは1940年の「帰還」という作品でも用いられています。一般的な「騙し絵」ならば、タネは一回しか使えません。手品のようにタネを隠すことができないのでパターンが一度知られてしまえば、既知となって次回は見る人を驚かすことは出来なくなります。しかし、マグリットは、バターンを繰り返し用いて洗練させながら、使用を少しずつズラしていきます。この「アルンハイムの領地」が制作された1960年当時は、マグリットは既に大家として名を知られた画家であり、その作風も周知されており、見る人の多くは既に発表された画家の有名な作品を予備知識として持っており、そのような準備をしてくるなかで、「何かありそうだ」という想像をすでに働かせてくるといえます。そのときに、他の作品で既に使われた周知のパターンを、見る人に分かる程度にズラして用いることで、何が変わり、何が変わっていないか、詮索させる気を起こさせる。そこには、見る人にとっては、これだけ画家のことを知っているという優越感を鼓舞させることにより、尚更、そういう気分を煽るのです。

そして、この「アルンハイムの領地」にも「帰還」にも特徴的な点は、卵は手前の窓枠の桟のような狭いところに置かれていて、鳥の形をした岩や空の切り抜きは窓の外の風景のように描かれているということです。つまり、手前の卵と後景の鳥の形をしたものは違う空間にあって、それを窓枠の様なものがしきっているのです。しかも卵はその境目のような窓枠の桟の狭い空間にある。これを見る人にとっては窓枠がこちらとあちらを分ける境界であり、卵はその境界の狭い隙間に置かれ、こちらにもあちらにも落ちてしまいそうな不安定な存在のように見えます。そこに、まるで劇場のような虚構の空間で観客が場を共有していながら、虚構に参加できるようで参加できない、しかし、目前で手に取るように起こっていることが分かるという立場に置かれる。つまり、この絵を見る人は劇場の観客のように目の前のことは全て見えるにも拘らず、手を出して参加することができない。そこで、目の前の絵では、いかにも「何かありそう」に描かれているといえます。

最後に、このような効果を最大限に生み出すように、全体としての描き方が非常に分かり易く描かれているということです。絵画という一般的な概念にもっとも適合するように、何が描かれているかが明確で、画家の個性的な表現とか感情の吐出のようなことは注意深く排除されています。しかも、描き込みはシンプルで、キーとなる卵や鳥の形はさりげないけれど、ハッキリそれと分かるように描かれている。分かり易くするため、画面は具象でありながら余計な要素は注意深く排除され単純化されている。多分、描く前に画面構成は画家によって綿密に設計され、アドリブ的な要素は微塵もない完璧主義といっていい画面になっています。画面が単純化されることによって、見る人はそこにある要素に何らかのシンボルのような意味づけを与えやすくなります。ということはそれが印象に残り、何度も注目することなる。卵と鳥の形を繰り返し見返すことで、見る人が自ら進んで意味を読み込むように仕向けているというわけです。

展覧会カタログの解説文で、マグリットの「見えるものは他のものを隠す─私たちは常に、見えるものによって隠されたものを見たいと願っています。隠されたものと、見えることが私たちに見えなくしているものに関心があるのです」という言葉を引用しましたが、これは以上述べたような視覚設計による効果のことであるように思われるのです。そして、マグリットの場合は、このよう視覚効果そのものが作品として結実していると言えと思います。そこは、心理学的要素とか哲学的要素などというのとは、別の物のように思えるのです。

2012年7月16日 (月)

マグリット展「不思議空間へ」(1)

Magrittetenrankai 以前に見た美術展のことを書こうと思います。2002年7月 BUNKAMURA ザ・ミュージアムでの「マグリット展」です。

6月に定時株主総会が、とにかく無事に終了すると、ほっとします。美術展もそういう時に見ることが多くなります。総会以前は時間の余裕がないのし勿論ですが、美術展に行こうという気も起らないのも事実です。今回も、暑い日でしたが、都心に出る用事を済ませた後、時間に余裕があったので、

展覧会カタログでは、マグリットを次のように紹介しています。長くなりますが、次に引用します。「ペルギーの画家ルネ・マグリットはシュルレアリスムの広範囲にわたる理解において、鍵となる人物である。彼の絵画言語はあらゆる世代の関心を呼び起こす力を持ち、一方では、あらゆる文化的背景を持った人びとが、その驚くべきイメージが持つ数々に驚嘆する。マグリットのイメージが持つ固有の特質は、両義性、奇妙な不思議さといった感覚を引き起こし、また彼の絵画は私たちを困惑させ、私たちの無意識の習慣をかき乱し、私たちの確信を破壊するであろう。それらは、ミステリアスな影響力を失うことなく、色あせない魅力を今なお発揮しているのである。マグリットの絵画に登場するイメージは、それらの本質や源泉は何かという、多様な解釈と議論の分かれる推論の対象となり続けている。生前、画家の心理や伝統的シンボルに言及した説明がなされたが、それらはしばしば彼の不興を買い、また画家を狼狽させることにもなった。彼は自身の作品についていかなる象徴的、精神分析的な解釈をも断固として拒否した。マグリットにとって謎は、現実に対する自らの観念的な見方要約したものであったが、彼は自身の芸術を私たちの意識をその「謎」へと誘うものと考えたのである。不幸にして彼は、このパズルのように悩ましい思考を解き明かす、それ以上のいかなる説明もすることはなかった。多くの思索的エッセイを残しはしたが、謎についての考えは謎めいたまま残されたのである。おそらくマグリットは、言葉で暴くことのできないイメージによって、自身の絵画が伝わることを、私たちに理解させようと試みたと思われる。マグリットの作品を前にして私たちが経験する永遠の魔法を解く鍵は、彼が現実の体験を語ったところの「見えるものは他のものを隠す─私たちは常に、見えるものによって隠されたものを見たいと願っています。隠されたものと、見えることが私たちに見えなくしているものに関心があるのです」という言葉に隠されているにちがいない。」

Magritteteikoku ここで書かれている内容は、この展覧会のスタンスでもあるのですが、一般的なマグリットに対するスタンダードな捉え方を代表しているのではないかと思います。私は、ある程度、そうだと思いますが、それ程のものでもない、というのが正直な感想です。例えば、この展覧会のパンフレットにはマグリットの有名な作品である「アルンハイムの領地」が使われています。猛禽類の頭部の形をした岩山を遥かに望み、手前には卵が置かれています。岩山と卵という普通に考えれば無関係なものが描かれているものが、岩山が猛禽の頭の形をしていることで、何か関係ありげな意味を詮索するような気になる。あるいは、展覧会で販売されたカタログの表紙で使われた「光の帝国」という作品は、前景は暗い家の陰で街燈が点灯し、家の窓にも明かりが灯されているのにたいして、後景では青空が広がっている。そこで前景と後景のギャップに不思議な感じがする。このような、絵画か常識的に描かれている後景を少しズラすことによって不思議な感じを見るものに生じさせる。いうなれば、「騙し絵」のようなものです。じっさい、マグリットの作品をそういう視点で見る人も少なくないと思います。引用した文章にもありましたが、マグリットはシュルレアリスムという運動に属していたと言われますが、シュルレアリスムの画家には、「騙し絵」のような作品を多く残した人がいます。例えば、MCエッシャーもそうです。かれの作品は図のような視覚上の錯覚を利用して、鳥の群れの飛ぶ方向が正反対に見えてしまう不思議な画面になっています。これは、一種の視覚遊びのような感覚で、楽しんでみることができます。これは、純粋に見ることの愉しみです。これに対して、マグリットの場合は、その絵がどのように不思議かということが、言葉で説明できてしまうのです。これがMCエッシャーの作品との大きな違いで、エッシャーのように純粋に見るだけの愉しみとはちがって、言葉で説明できてしまうと種明かしをした手品のように魅力を失ってしまうことになります。しかし、マグリットの作品が今まで、繰り返し見る人の眼を愉しませているというのは、手品の種だけでは終わらない何かを持っているのです。私には、それがマグリットの作品の最大の魅力と思います。

それは、ミステリー(推理小説)というのは犯人捜しがテーマと言われます。ミステリーを読んでいる人に、犯人や結末を告げることは意地悪な行為なことです。しかし、犯人や結末が分かっていても、そういう題材を好んで取り上げたアルフレッド・ヒッチコックという監督のつくった映画は、製作されて何十年経っても人々に繰り返しサスペンスを与え続けています。タネが割れた「騙し絵」で見るものを魅惑し続けるマグリットと、結末が分かっていてもドキドキして見入ってしまうヒッチコックの映画には、全く分野が違うものの共通する点があります。それは、徹底的に“何を描くか”ではなく“どのように描くか”にこだわった点です。二人にも、細部に至るまで周到ともいえる緻密な描き方を徹底しているのです。そして第2の共通点は、その描き方が徹底して表層的であることです。つまり、見る人にどのように見えるかという効果に徹底的にこだわっているのです。ヒッチコックは彼の監督した作品の鍵を「マクガフィン」という言葉で表現しています。「マクガフィン」とは何か、と言っても何も意味はないのです。何か意味ありげではないですか。これが作品にいかにもあるように見せる。見る人は、それを何かあるはずだと探し始める。そういう効果を生み出すことにヒッチコックは頭を絞り、工夫をしました。同じような努力がマグリットの作品にも見られます。それは、決して冒頭で引用した解説に書かれているような大層なことではありませんが、それをこれから個々の作品で見て行きたいと思います。

2012年7月11日 (水)

バーン・ジョーンズ展─装飾と象徴─(5)~まとめ

最後に、まとめてみましょう。ここまで、展示されている作品の印象を、それぞれに綴ってきました。ここでは、そういう印象を与えられたのは、バーン・ジョーンズの作品がどのような描かれ方をしているかをまとめてみたいと思います。

Rubin 先ず第一に、展覧会のポスターやパンフに使われているペルセウスのシリーズのところでもお話ししましたが、このペルセウスの冒険を連作で描いたシリーズでは特に、あるいは『運命と車輪』という作品だったりに顕著に感じられるものですが、画面に空間を感じにくいということです。これらの作品には、人物や怪物、あるいは神様等様々なパーツがビッシリと描き込まれていて、画面の詰め込まれた感じです。その反面、隙間は描かれたもので埋め尽くされ、隙間をあまり取れなくなってしまっているかのようです。ても、それならば、人物などのパーツの大きさを相対的に小さくすれば隙間は取れるはずです。しかし、実際の作品では為されていない。その理由として考えられるのは次の2点です。まず第1点目として、そもそも、この画家には空間というパースペクティブで捉えることがないのではないかということです。そもそも、空間というのは、近代的な認識論の中で、人がある物を見るときに、その物を、それを取り巻くある広がりと共にとらえて、その広がりの中で捉えようとすることをします。そのときに、そのある広がりを捉えるためにものさしのように人が利用する手段のようなものです。それが実体として存在するというよりは、そういう物差しのなかで物を捉えようとする便のようなものです。単純化すれば、地と図の関係の様なものと言えます。例えばルービンの盃というものでは、黒い部分を見ると盃ですが、白い部分だけをみると人の横顔が向かい合っているように見えます。これは極端に単純化したものですが、物というのは、それを単独でみるのではなく、必ず周りとの関係として人は認識しています。その関係を把握する物差しとして空間というのを人は設定するということです。それが絵画でどのように現れているか、というと代表的なものが遠近法という技法です。これによって人物を描いた作品であれば、描かれた人物が手前にいるのか奥にいるのか、もし人物が2人いれば2人の位置関係が想像できるようになっているわけです。そういう視点で先ほど例として挙げた作品を見ていると、人物の位置関係は、すべて手前に一列に並んでいるように見えます。そもそも、いつ関係が生まれるような奥行が感じられない。つまり、描かれていない。だから、そこに空間という広がりがないのです。むしろ、画面の平面にペルセウス、アンドロメダ、大海蛇というパーツがレイアウトされている、という描かれ方をしているように、見えます。そもそも、空間というを把握するためには、物とそをとりまく周囲というように、あるいは地が図かというような選択が行われているはずですが、バーン・ジョーンズの作品ではそのような主と従の選択がなされていないで、それぞれのパーツが一様に描き込まれているように見えます。そのような一様な平面が一般的なものが装飾的な図案です。

Bjunmei_2 次に第2点として考えられるのは、別のところで取り上げた『いばら姫』という作品を見ると、折り重なるように眠っている少女たちの身体の輪郭の線が優美な曲線となって、画面全体に効果を一定の効果を生んでいます。これは、それぞれの人物がリアルな存在を主張するのではなくて、平面的に図案のように並んでいることで、生まれてくる効果です。これは画家が意識的に意図したのか、結果としてこうなったのかは分かりません。しかし、他の『フローラ』などの作品を見る限り、図案として意図的に考えているように想像できます。その場合、平面的な画面の方がレイアウトとして構成しやすいことは確かです。

このように、バーン・ジョーンズの作品が平面的で図案のようだということから、次の特徴が現れてきます。それは、細部まで執拗に細かく描かれているということです。例えば『いばら姫』の少女たちと背後に生い茂る野いばらの描き方を見てみると、同じように細かいところまで描き込まれています。これが、さらに画面の平面性とか図案性をさらに推し進める結果となっています。逆に、平面的だからこそ細かなところまで描き込み易かったのかもしれません。おそらく、彼の画家としての資質が一段高い視点から空間全体を設計して、画面を構成するということよりも、画面を構成するパーツである細部から描き込んで結果として画面が出来上がるという行き方をしているように思われます。その現れとして、画面に描き方に部分による軽重があまりなく全体に誠実に手を抜くことなく描き込まれている、悪く言えばメリハリがあまりない、ということが言えます。

デッサンやドローイングを見れば分かりますが、細かなデッサン力というのが、この画家の得意なところで、強みでもあるもので、それを作品として生かして結実させる、また、全体を大掴みに把握するよりは細部を積み上げていく志向性に合致した画面の作りということで、平面的な画面というのがうまくマッチしたのではないか。

さらに第3の特徴として考えられるのが、バーン・ジョーンズは画家であると同時に、ステンドグラスの下絵デザインや装飾を描いたり、本の挿絵を描いていたということです。そこでは、装飾として用いられることから近代の絵画作品に共通する自己主張のようなものは抑制することになります。その結果が平面的な画面というのは短絡でしょうか。また、さらに、この時代に写真が普及し始めます。似たような機能を果たす絵画にとって写真は新たに出現した競争相手であったはずです。スピードやコスト、リアルな再現力で絵画は写真に勝てないため、写真とは違った特徴を強調することで、生き残りを図ったと思います。それは写真に出来ないこと、例えば、現実に無い幻想や歴史や物語の一部を描いたり、写実とは違う表現を行ったり、人物の内面まで抉るような精神性を追求したり、といろいろあったと思います。そこでの、バーン・ジョーンズの行き方は、写真と正面から対決せずに、写真の特徴であるコピー機能を取り込みながら、装飾的な図案化を施すことによって差別化を図るというものではなかったかと、思います。それが、彼の作品の急速な普及を後押しすることになったのではないか。結果的に、ベンヤミンのいう「複製技術時代の芸術」を絵画の要素として持ち込んだのではないか。

この場合、大量生産に進むことになるでしょう。そうなるとターゲットとなるのは大衆ということになるでしょうか。そのときに、人間の存在とか難しいことをいうよりも、描かれた人物が外形として美しく、しかもギリシャの理想などよりも分かり易いことが求められてくると思います。手っ取り早く言えば、複製可能となったことにより、大量生産が可能となる。そのターゲットとなるのは大衆のはずだが、大衆には各自が審美眼を育てる余裕などない。そこで分かり易い美しさが必要となってくる。その結果、理想とか、内面といったものを欠いた、表面的な見た目の美しさが歓迎されると、画家が意識しなくても、その傾向に添うようなものに傾いてくる。もともと、装飾的な志向があって、精神性とかそういうものとは近しくなかったことも、相乗効果として追求していくうちに、男性から見た女性の美しさを追求していくうちに、エロチックな要素が次第に盛り込まれる結果となったのではないか。もちろん、バーン・ジョーンズ自身にも、そういうものを好む傾向があったと思います。

それが、今回の展覧会での感想のまとめです。ちょっと、最後は駆け足になりましたが。

バーン・ジョーンズ展─装飾と象徴─(4)「ピグマリオン」

Bjn3 キプロスの彫刻家ピグマリオンは、かつて見たことのないほど素晴らしい女性像を創った。ついに彼は、自らの作品をまるで生きているかのように愛するにいたり、ヴィーヌスに祈って救いを求めた。ヴィーヌスは彫像に命を吹き込んで本物の女にし、ピグマリオンは彼女と結婚した。オィデヴィウスの『変身譚』にも収められたギリシャ神話の有名なエピソードです。これはまた、精神分析ではピュグマリオニズムなどと呼ばれる人形偏愛性、生身の人間の女性ではなく心無い対象である人形を愛する性癖、広義に捉えれば、女性を人形のように愛する性癖を指します。つまり、生身の人間の女性は、いくら美しい女性であっても自我がある独立した一人の人間です。だから、こちらの思い通りにはならないし、時には諍いもある。人と人との付き合いですから、そのような煩わしさを嫌い、人形のように自分の思い通りにしたいという性癖のことを指します。これがすすめば変態者になってしまいます。このような例は小説や戯曲では少なからずあり、ピグマリオンをベースに、バーナード・ショーという劇作家が「マイ・フェア・レディ」と言う作品を書いています。上流階級の言語学者が下層階級の少女を淑女に仕立て上げるという作品は、オードリー・ヘップバーンの主演で映画化もされました。こじつけでいえば、「源氏物語」で光源氏が紫の上を引き取って育てるのもそうでしょう。

だから、ピグマリオンという題材を取り上げること自体に、とくにどうということは言えないのでしょうけれど、別のところで取り上げた「眠り姫」でも、眠りについて意識を失っている少女は人形にも通じるものです。これについても、エスカレートしたものはネクロフィリオという変態嗜好に通じるものと言うことも出来ます。

そして、この「ピグマリオン」の連作で描かれている女性は人形であるが故に、表情が描き込まれていません。女性を好んで描く画家なら、生命のない人形から、女神によって命を吹き込まれて女性となったときの生命に輝く姿への変化を描くのでしょう。しかし、バーン・ジョーンズにはそのような劇的な変化には興味がないようです。むしろ、生き生きとした表情がないところで一貫しているようです。それよりも、彫像から人間になったとしても、その女性の外見的な美しい姿に、彫像の硬さや冷たさから、人間となったことによって柔らかさや人間の肌の肌触りが加わったことを嬉々として描いているように見えます。そこに、制作者であるピグマリオンの支配の対象としては彫像でも、人間となっても変わらない描かれ方をされているように見えます。人間となってもピグマリオンに導かれるのに素直に従う様子で描かれているわけです。しかも彫像からの連続ということで、女性の裸像を恥じらいのない露わな姿で現している。

ピクマリオンをベースにした「マイ・フェア・レディ」という物語がありますが、この陰画として、マルキ・ド・サドに「ジュスティーヌ」という物語があります。ナイーブで純粋無垢な乙女のジュスティーヌを、悪意の男たちが寄ってたかって汚して調教していくというポルノグラフィーの古典というべき作品です。これは後の団鬼六の「花と蛇」もそのパターンを踏んでいますし、ポルノグラフィの王道パターンのひとつになっているのです。

べつに、バーン・ジョーンズのこの作品では、縛ったりとかしているわけではありません。それぞれの作品は、ギリシャ神話のや中世の伝説を描いたということなので、表面上では、上に書いたようなポルノグラフィのような捉え方はされないのでしょう。しかし…

ラファエル前派の画家には女性を好んで描く人が多いようです。バーン・ジョーンズもそうでしょう。たとえば、ダンテ・ガブリエリ・ロセッティは女性の神秘性というのか、世紀末のファム・ファタールとしての女性、神秘的な美しさを湛えながら時には男性を手玉に取り奈落の底に落としてしまうような魔性を秘めた姿を描きました。また、ジョン・エバレット・ミレイは歴史に翻弄されながら、時には失意に沈み、時には雄々しく運命に立ち向かう女性の気高くも儚い姿を描きました。かれらの描く女性はそれぞれに生き生きとして独自の存在感を主張していました。これに対して、バーン・ジョーンズの女性は表面的に見えてしまうのです。その第一は表情とか生気に欠けるという点です。そして、前の2人に比べて裸体画や裸体をそれとなく連想させる画像が多いということです。それは、いまの日本の男性雑誌に繰り返し載せられている、少女たちのグラビアといわれる写真の子供っぽいとしか、あるは呆けたとしか見えない、確かなことは彼女たちの自我の主張がない表情と、そっくりのように見えるのです。これは私の偏見かもしれませんが。そういうものと同じような効果をバーン・ジョーンズの描く女性たちは機能していたのではないか。ヴィクトリア朝という時代は、道徳が強調され表面的な礼儀正しさとか公序良俗がやたら目立った偽善的な時代だったという人もいます。そういう、いわば建前がまかり通る息苦しいような時代風潮の中で、ややもすれば抑圧されてしまっているようなものを、表面的には神話や伝説といった名目の陰に隠れて代替的に満たさせてくれるものとして、バーン・ジョーンズの描く女性は機能していたのではないか。だからこそ、存命中は売れっ子作家であった彼は、亡くなる、ヴィクトリア時代が終わると、急速忘れられていったのは、そういう理由もあるのではないか、などと変なことを考えてしまうのです。それが最近になって急速に復権したのは、現代のグラビア写真や美少女イラストとかアニメに似たテイストを持っているからとも思えるのです。

結局のところ、このような書いている私自身の問題で言えば、こうようものとして捉えられるからこそ、この手の作品は好きなタイプです。

2012年7月 9日 (月)

バーン・ジョーンズ展─装飾と象徴─(3)~「フローラ」

Bjflora 古代ローマの花の女神を描いたこの作品は、95×65㎝のサイズと大作でもないのに着手から完成まで16年の年月を要したとされるものです。もっとも、16年の間、この作品だけを描いていたわけではないでしょうから、他の作品を描きながら中断を挟み結果的に時間がかかってしまったものなのでしょう。

前回、画家から感じられる狂気ということについて石井隆というまんが家の名をあげました。ここでは、その辺りのことを話したいと思います。

この作品では、フローラと言う花の女神が、軽やかなステップを踏んで種を蒔くと、指先を離れた金色の種子は地面に落ちるやたちまちのうちに花を咲かせる様が描かれています。その中で、左手の指先から金色の種子が離れ、蒔かれる描き方です。この画面では分かりにくいと思いますが。それこそ種子の金色の一粒一粒が種子として細かく描き込まれています。画像で見ると金色の点か霞のようにしか見えないでしょうが、実際にみるとしっかりと描き込まれているのです。その種子が地面に触れて芽を出し、根付き、花を咲かせるまでの細かな点が、蔓の一茎も葉の一枚もなおざりにすることなく描き込まれているのです。小さな画面のほんの一部で、種子は点か霞のようにすればそれらしく見えると、途中のプロセスはざっと書いてチューリップの花を数本かけば、それなりの体裁は整うところであるのに、画家はその全てのプロセスを執拗に描き込んでいます。前に紹介した「いばら姫」でも野いばらの花や蔓を省略することなくくっきりと描き込んでいました。この辺りの細部への不必要とも言えるこだわりには、画家の執念のようなものを感じます。細部に神は宿るとは申しませんが、一点を疎かにしないというのか、おそらくバーン・ジョーンズと言う人のもって生まれた性分のようなものなのでしょう。それはスケッチを見ると、その描き込み方がさらによく分かります。実は、バーン・ジョーンズのスケッチは完成した作品以上に画家の特徴が出ているとおもわれます。その細かな描き込み方において、とくに。

ここで、参考として石井隆の画像を見ていただきたいと思います。これも画像ではよく分からないかもしれませんが。髪の毛の描き方を見てほしいのです。実は、この人は髪の毛の一本一本を執拗に描いているのです。その過剰さが画面に異常な迫力を生み出しているのです。普通のまんがでは髪の毛の黒い部分は塗りつぶしてしまうものですが、このように描くことによって、髪の毛の乱れが実体として存在感を持って迫ってきます。その髪を持つ当の女性がページ全体にアップとなって見る者に迫ってくるのです。その存在感がまんがの枠を超えてしまうほどで、この存在感が石井隆というまんが家の大きな魅力であったことは確かです。現在、石井隆はまんがを描くことを辞め(こんなことを、いつまでも続けていたら体が保てないでしょう)、映画作家として秀作を発表し続けています。

Bjisii_2 さて、バーン・ジョーンズの作品ですが、このような細部の背景があって、女神フローラの衣服のふわりとした触感や濃紺のストールが風に巻かれる様子、これに対比的に種を蒔く手の腕の柔らかな触感の描き分けといった、触感的な描き分けが制作に時間を要した理由かもしれません。そして、そのような触感の描き分けによって、赤い衣服を通して豊かな臀部がそこはかとなく暗示されているが分かります。透けて見えるのではなくて、材質の違いにより、その形がなぞられているのです。そこにエロスを感じるというのが、私にとって、この画家の魅力の大きな部分です。

そして、これだけ丁寧に描かれている割には、女神の表情が虚ろで活き活きとした生気が感じられないのです。顔がつくりものめいているといえばいいのでしょうか。スケッチをみると、さらにハッキリしているのですが、よくよく見てみると絵画的というよりもまんがとかアニメの類型的なヒロインの顔に似た感じを受けてしまうのです。

2012年7月 8日 (日)

バーン・ジョーンズ展─装飾と象徴─(2)~『眠り姫』─連作<いばら姫>

Bjnenuri 一人の王子が、生い茂った野いばらに閉ざされた宮廷に分け入って、100年もの長い眠りに陥ることを運命づけられた美しい姫を見つけ、口づけをした途端、魔法が解けて宮廷が眠りから目覚めるというのは、浩瀚な「眠り姫」伝説で、グリム童話やシャルル・ベローでも取り上げられていたものです。バーン・ジョーンズも「眠り姫」を題材にした一連の作品を制作し、かれの中でも重要な位置を占めていると言います。

126×237㎝という横長の大きなキャンバスに「画面にさまざまに配された人物をたちが全体として連続した横のラインを構成し、彼らを取り巻く野いばらの蔓や布、衣服の襞を描く繊細で優雅な線と響き合っている。」とカタログに素晴らしい解説がありますが、画家への愛情が感じられるいい解説です。

しかし、私には解説に言う人物たちの連続した横のラインが、横たわる少女たちの薄絹を通して露わになった身体の優美な、言い方を換えればエロチックなラインに見えてくるのです。眠っているということで、意識がないために恥じらうことなく身体の線をしどけなく露わにしているという構図です。ラファエル前派の画家たちは、ダンテ・ガブリエル・ロセッティをはじめとして、ジョン・エバレット・ミレイなども女性の神秘的な美しさをよく描いていますが、裸体やそれに近いものは殆ど描いていないのではないでしょう。彼らの場合は、古代風の衣装を着せたりした扮装とか、顔のとか、それら全体の雰囲気のようなものが中心のように見えます。とくに身体の線は全身像よりも半身像が主だったり、ゆったりとした衣装の隠れてしまうようです。例えば、ジョン・エバレット・ミレイの『オフィーリア』と言う作品は横たわる美少女という点でよく似たシチュエーションの作品ですが、全体の主眼は少女の虚ろな表情とそれを取り巻く幻想的な雰囲気で、しかも少女は全身が描かれておらず、衣装により、さらに身体の大部分は水に沈んでいるため、身体の線は隠されて、窺い知ることができません。

Bjnenuri2 しかも、全体紹介したペルセウスの作品で描かれていたアンドロメダの裸体にも言えるのですが、それまでの常識では女性のヌードを描くと言う時には、神話などの場面をかりて、しかも理想の美の姿として描かれるというような約束事があり、その場合の理想の美とは、ギリシャ彫刻で表現されていたような人体の理想的な姿ということでした。女性の場合には、ミロのヴィーナスが典型的と思われるのですがふくよかで逞しいような姿が理想とされていたようです。これに対して、バーン・ジョーンズが描く女性の身体は、ふくよかで逞しいというよりは、細身になってきているように見えます。華奢とは言いませんが近代の家族の中で生産に携わらない男性に庇護されるという優美が第一というような、そういう捉え方のなかで描かれているように思えます。それは、ファロ・セントリズム、いわゆる男根中心主義というのか、女性はか弱く男性の視線に晒されているというようなあり方です。その対象として見た時に、バーン・ジョーンズの描く女性の身体というは、そういう視線に応える要素を持っているのではないかと思えるのです。

カタログの解説で書かれている“人物をたちが全体として連続した横のラインを構成”というのは、そういう視線に晒された女性の線ということをいみじくも語っているように思えるのです。しかも、当時のヴィクトリア朝の偽善的な道徳の許では、女性があからさまな男性の視線に晒されるということは、はしたないことであるはずです。だから、ふつうは女性がそういう視線に自らを曝すことはあり得ない。そこで、眠っているという状態が、意識がなく恥じらいを感じることがないという特殊な環境にあるということで、日頃は隠されたものが露わになる、禁断の姿を覗き見するような気分になれるといったら、うがち過ぎでしょうか。

しかも、眠っている少女たちの姿勢も、しどけなく、いかにも無防備ではないでしょうか。普段なら絶対に見せてはいけないような格好で、とくに連作のスケッチで一人一人描かれている女性たちの姿は、眠り込んでいるが故に自制心が利かなくなって多少だらしなくなって足をみだしたり、尻を突き出している姿をリアルに細部に至るまで執拗にスケッチされています。

Bjisii さらに、眠っている少女たちの顔の描き方は、いかにも無防備という風情で、男性の視線の晒されていることに気づかず無垢な姿のままでいるようです。

話は変わりますが、「眠り姫」という伝説は、日本では「眠りの森の美女」という名の方がよく知られているかもしれませんが、精神分析のよる分析の対象として様々な取り上げられ方がされていました。その代表的なものとして少女が大人の女性になるときに、それに対する少女の恐れをあらわした一種の通過儀礼として見る見解があります。少女が眠りにつくきっかけは指を怪我して血を流すことですが、それを初潮とも破瓜の象徴ともとらえることができる。また、眠りそして目覚めるというのは死と再生の象徴であって少女として死んで大人の女性として生まれ変わるというのです。しかも、眠っていた少女を目覚めさせるのは王子による口づけです。男性との性的な接触により大人の女性として生まれ変わるという暗喩です。しかし、それは少女にとって恐ろしいことで破瓜は死に喩えられるなどです。だから眠っている少女の城は野いばらに覆われて男性も容易には近寄れなくなっています。その障害を乗り越えて踏み込んでくる男性だけが少女を大人に目覚めさせることができるのです。

ということは、ここで描かれている眠れる少女というのは処女性の象徴ということもできるわけです。つまり、純粋で、いうなれば男性に汚されていない少女のしどけない姿というわけです。それを彩るために野いばらだの装飾だのを執拗に細かく誠心誠意描き込んでいる、このバーン・ジョーンズと言う画家の姿を想像すると、狂気を感じるのは私だけでしょうか。全然、傾向は違いますが石井隆というまんが家の絵を思い出してしまうのです。(これについては、機会があれば別の時にお話ししたいと思います)

バーン・ジョーンズ展─装飾と象徴─(1)

Bjtenpanf 都心でセミナーがあり、早めに終わったので、株主総会も終わったので、帰りに寄ってきました。蒸し暑い中、大手町から東京駅の丸の内側を北から南へ、汗を掻きました。三菱一号館美術館というのは、三菱UFJ銀行本店の隣の古いレンガ造りの外観のビルを美術館に流用したものらしい。入り口は道の裏側でパティオのようなちょっとした広場になっていてオープンカフェのようなテーブルが置いてあった。私の様な不粋な者には入り口が分かりにくいだけにしか感じられない。全体として、この美術館は古い建物の骨格をそのまま転用しているのか利用する側にとって使い勝手が悪いものでした。また、中の空調や仕切りやセキュリティなどは最新のものが設置されているようですが、それがしっくりしていないのが明らかで、取ってつけたような装飾にセンスが感じられない。実際にはまず、チケット売り場がわからず、荷物を預けるコインロッカーが見つからず、鞄を抱えながら展示を見ることになってしまいました。チケットを買ってからチケットの確認が狭いところで展示室に行くエレベータを待つのが狭いところで身の置き場に困る。さらに展示室は一つ一つの部屋が狭く(もともとの建物がそうなのでしょう)、それは仕方がないとしても、部屋の仕切りごとに自動ドアが設置されていて、展示時間中は自動ドアなのでしょうけれど、セキュリティのためというのか明らかで、何か監獄の扉を通っているような感じがしました。それと木の床は靴音が響いてうるさく、自身が歩くのにも気を遣うことになり、落ち着いて絵を見るという快適さは感じられませんでした。美術館自体は企画倒れというのか、アイデアはいいかもしれないが、実際の来館者の気持ちを考えてほしいと思います。こういう美術館に限って、結構いい展覧会の企画をするようで、残念です。無愛想なビルでいいから、快適に絵を見せる環境を作ってほしいものだと思います。

バーン・ジョーンズは英国の画家で、DGロセッティやJEミレイらのラファエル前派で描き続けた人です。展覧会パンフにある作品をみると、ラファエル前派の画家であることが一目でわかります。若いことに、ウィリアム・モリスに出会い、そこからジョン・ラスキンやダンテ・ガブリエリ・ロセッティらと出会って、ラファエル前派に入っていくことなるわけですが、正式な絵画教育をほとんど受けることなく、本人の努力もあり現場での修行で習得していったということだそうです。また、画家であると同時に友人のモリスがアーツ・アンド・クラフツ運動を進めて経営しているモリス商会で、その運動の成果ともいえるステンドグラスの下絵のデザインや家具の装飾の仕事に携わり、若い頃はそれによって生計を立てていたということで、今でいえばデザイナーのようなものかもしれません。そのおかげもあって、製作する絵画は画家自身の好きなものを好きなように描いていたらしく、取り上げられたテーマは神話や中世の伝説がほとんどだった。ラファエル前派のロセッティたちの耽美性や象徴性も、モリスのアーツ・アンド・クラフツによる装飾性も体現しているということから、この展覧会のサブテーマが「装飾と象徴」とつけられたのだと思います。

Bjmorou この展覧会のポスターやバンプに掲げられたのは、今回の展覧会の目玉と言うことになるのでしょう。「ペルセウス」の玲奈作の中の『果たされた運命:大海蛇を退治するペルセウス』ですが、ギリシャ神話の有名なエピソードで、生贄にされた王女アンドロメダをペルセウスが助けるというものです。様々な画家がこのエピソードを描いていて、それらと比べてみるとバーン・ジョーンズの特徴が見えてくるように思います。ここで、比較のために参考として掲げたのはギュスターブ・モローの『アンドロメダ』です。両者を比べて、まず思ったのはバーン・ジョーンズの作品には空間が感じられないということです。ギリシャ神話によれば、アンドロメダは海辺の崖に逃げられないように鎖で縛られているはずです。しかし、バーン・ジョーンズの作品にはそれが感覚として感じられない。強いて言えば室内のような感じです。たぶんラファエル前派の作品に少なからず共通しているので、前期ルネサンス以前にもどれということから空間として全体を把握するという鳥瞰的な観方を意識して排除しているのかもしれません。例えば、JEミレイの『オフィーリア』という有名な作品も小川に身を投げたというよりも室内ブールのような空間なのです。(ただし、ミレイはラファエル前派べったりの画家ではなく、後には距離を置くようになり、それなりに空間の広がりを感じさせる作品も描いています。だから、『オフィーリア』の場合は意図的にそういう空間の描き方をされていたとも考えられます)

次に感じられるのは、怪物である大海蛇に恐ろしさとかおぞましさのようなものが感じられないことです。モローの作品では海蛇とか大きさかないのですが、何となく見たくない、近くに来てほしくないようなものとして描かれているように感じます。しかも、曰く言いだけというのかハッキリとは描かれていないのですね。たぶん、神話としては大海蛇という具体的なものというよりも、人々に災いをもたらす恐ろしいもの。アンドロメダを生贄として要求するようなおぞましいもの。そういうものとして捉えられていたのではないか、と思います。だから、人々は恐ろしくて‘それ’を見ることはできないし、見たくもない。‘それ’の正体を知る者は生贄になった者だけなので、誰も知らないし、‘それ’そのものを語るのも恐ろしい。だから、せめて想像の範囲内にとどめて海蛇の大きなのとして、とりあえず詮索しないということなのではないかと思います。『ゴジラ』という怪獣映画で最初にゴジラが姿を現わすまで、映画の半分を要します。それまで、漁船が被害に遭ったことが出てきたり、魚の動きが異常だったりと何かがおこるという無気味な雰囲気を盛り上げて行きますが、ゴジラが姿を現わすにしても、尻尾の一部とか全体像はなかなか姿を現わさないのです。それが恐怖感を煽っていく効果をあげていたわけです。ところがバーン・ジョーンズの作品では、海蛇がまるで標本のように、それと分かるように描かれている。これでは、神秘性とか恐ろしさといったものを感じられません。

そして、画面を構成する個々の人物が非常に細かく丁寧に描かれていることです。例えばペルセウスの装束の説密な描かれ方は、足首についている羽根について羽の11本が丁寧に細かく描き込まれているようだし、着ている鎧の細かな襞までもが描き込まれているようです。それだけに神秘性がかじられない。まるで神話の英雄というというよりもコスプレのように見えてしまうのです。

もう一人の主要登場人物であるアンドロメダについても神話上の高貴な王女というよう、神秘化、理想化された姿ではなくて、実際の憧れの女性を裸にしてリアルに描いたヌード写真のように見えます。ペルセウスがコスプレなら、アンドロメダはグラビアのヌード写真のようなのです。

それだけ人物が現実の人物に近くリアルに描かれていながら表情がないのも大きな特徴です。神話上の登場人物なら半分神の様なもので、人間を理想化された姿として卑近な表情を敢えて描かないことにより神々しさを醸し出す効果があらわれます。しかし、バーン・ジョーンズの作品では人物は具体的でリアルに描かれていて、表情が描き込まれていないと虚ろな感じを受けます。ペルセウスには怪物を前にした怒りとか必死さのような表情はなく、アンドロメダにも怪物を恐ろしがったり、ペルセウスの勝利を祈る表情もありません。

これらは思うに、表情をつけることでアンドロメダやペルセウスの顔の造形が崩れることを画家が嫌ったのではないかと思います。後に、ピュグマリオンという人形の女性に命を吹き込む神話や眠り姫というテーマを描きますが、これらは人形であったり眠っていたりと表情がない顔と言うことになります。生き生きとして表情というよりも顔の造作に画家は引かれていたのではないか、と思われるのです。それは、だから今でいうと雑誌のモデルのグラビアに近い印象です。その付属品として衣装とか装身具といった細部を細かく描くことはグラビアを引き立てることになります。逆に空間という全体像を提示して、そこに位置づけるとモデルは全体の一部になって後景に退くようなことになってしまいます。つまりは、この作品で言えば2人の美男美女、もっというとイケメンとアイドルを描きたがったではないか、彼らを引き立てるために神話の舞台装置が適していたのではないか、ただし神話が前面に出ると彼らが霞んでしまう。そのバランスを考えて、このような作品として出来上がったのではないか。ということを感じるのです。このような視点で、個々の作品をさらに観て行きたいと思います。

これは、現代の展覧会で見ている私が勝手にそう感じていることであることは言うまでもありません。当時にコスプレなどということはなかったのですから。

2012年7月 7日 (土)

あるIR担当者の雑感(72)~アナリスト・レポートを書いてもらうために(6)~会社に魅力を感じるとは?

アナリストが、ある会社に関するレポートを書こうと思うのは、その会社に投資対象としての魅力を感じるということから、それを投資家に推奨するために書こうとする、というのは、仮説です。学問として考えると仮説は検証しなければならないことになりますが、ここは論文ではないので、このことをスタートに、あれこれと考えて行きたいと思います。

この場合、会社に魅力を感じるとはどういうことか。投資とはとか、投資の目的などということには、様々な議論があると思いますが、ここでは単純化して、投資はまとまった資金を投入し、それ以上の見返りを得ようとする行為、と考えことにします。ざっくばらんに言えば、儲けの追求です。しかも、まとまった金額の。

ということは、投資をする人にとって魅力的な会社とは、端的に、儲けさせてくれる会社と言うことになるはずです。しかし、この投資で儲けると言っても、様々な儲け方があります。大量の手持ち資金をもって、日々刻々動く株式市場に一瞬生じる株価のギャップを瞬間的に発見して大量の売買をすることにより、差額を稼ぐやりかた。これは会社そのものと言うよりも市場の動きのすきを突くような儲け方で、こういうものに対してはアナリストの企業レポートは必要ありません。こう考えると、投資をする人たちの儲け方はいろいろな方法がありますが、アナリストが企業レポートを書くのはそれらの内の一部の儲け方をする投資家に向けているということが分かります。投資家の中には、大きく二つに分けて、上で書いたような人たちを典型とする市場の動きに注目して利ザヤを稼ごうという人々と、株式を発行する企業を見て、その企業が成長することに伴い株価が上がっていくのを待って、見返りを得て行こうとする人々です。人によっては両方のやり方を使い分ける人がいたり、全く別々とは言えないし、企業の成長を見ていても、売買のタイミングは市場の動きをみるというようなハイブリッド型の人もいると思います。どちらが多数派とも主流とも言えません。しかし、アナリストの企業レポートが必要とされる間は、このうちの企業の成長を見ていくタイプと言うことになります。

つまり、アナリストはレポートでこれから成長しそうな会社を紹介しているわけです。それも、新しい会社の場合もあれば、いままで諸般の事情から成長していなかった会社が何かのきっかけがあって今後成長しそうだというケースもあるでしょう。ジャスダックなどの新興市場に属する会社でレポートを書いてもらっている会社は、こういう部類によく当てはまる例でないかと思います。しかし、誰が見ても一目瞭然で、この会社は成長する、あるいは、そのことを多くの人が認識している場合には、アナリストがレポートを書いても、あまり必要性は感じられないでしょう。

ということは、アナリストがレポートを読んでほしいとする投資家とアナリストとあいでは魅力の感じ方にずれがあり得るのではないか、ということです。とくに株式市場では、成長している会社でもみんなが注目して株式を買っている会社よりも、まだそのことに多くの人が気づいていない会社の株を買った方が儲けは大きくなることでしょう。アナリストが、とくに新興市場の会社をレポートで取り上げようとする場合、そういう魅力を感じてということが典型的なのではないか。勿論、成長の度合いにしても長い時間をかけて少しずつ成長していくものから、あっという間に拡大してしまうものまで様々なパターンもあるでしょう。この辺りのパターンなどについてはアナリスト個人の性格や志向その他によって、魅力を感じるかの個人差はあるでしょう。しかし、一般的な傾向はこういうものに近いのではないか。

さて、これまでは分析で、分析だけで終わるなら論文で、ここでは実務者が書いているわけなので、それではどうするかという実践を考えてみたいと思います。

ここで、最初に冷厳たる事実として、そもそも成長の可能性のないのがあきらかな会社は、IR担当者が何をやっても無駄だということです。もし、成長しないのに成長すると言うことは市場に対して虚偽表示をすることになるので処罰の対象となってしまいます。しかし、それではIRは無力なのか。ここで、実際の会社のことを考えてほしいと思います。成長する可能性のないのが明らかな会社なんてあるのでしょぅか、もしあるとしたら倒産寸前の会社くらいなのではないでしょうか。そもそも、そういう会社はIR活動なんかやらないし、かりにやっていたとしてもアナリストにレポートを書いてもらおうなどと本気に考えないでしょう。ダメに決まっているのですから。たしかに、今、低迷していて、出口の見えない会社もあるでしょう。でも発想を変えれば、出口が見つれられれば低迷を脱却できるかもしれないのです。もし、その会社が真剣に出口を探しているなら、そのことをアナリストに伝えればいいのではないかと思います。可能性としては低いかもしれませんが、可能性であることは間違いないのです。少なくとも、その会社には可能性がある。それに向けて真剣に努力している。普通程度の想像力のある人なら、そういう真剣に努力しているのが本当なら、その会社は現状に危機感を持っていることとか、会社の置かれている状況を理解しているということが想像できるわけです。大企業の細分化された仕事をしている人ならば、IRはそんなことまでやるのか、と違和感をもたれるかもしれません。しかし、会社を外部の市場関係者に説明しようとする場合、細かな事実だけでは物足りず、どうしても経営者の目線で、この会社はこういうものだという説明をせざるを得ないと思います。

後半の実践を考える部分は掘り下げ方が足りなかったかもしれません。何せ、私自身ひとつの会社の経験しかないので、一般論として考えていくには、力が足りないのかもしれません。

2012年7月 5日 (木)

あるIR担当者の雑感(71)~アナリスト・レポートを書いてもらうために(5)~会社が分かって後で、それとも前に?

この投稿も、続きものの様相を呈してきてしまいましたが、傾向として私は話が長くなるようです。前の投稿から少し時間が空きましたが、前回ではレポートを書くとかどうこう言う前に、その前に会社のことが分からないと、それ以前の問題ではないか、と変な議論を捏ねくり回しました。それで、今回は、それに続いて、会社のことが分かっても、それがレポートに結びつくわけではないのではないか、ということについてまた捏ねくり回した議論を始めます。

当然のことですが、セルサイド・アナリストの書くレポートというのは単なる企業紹介の目的で書かれるものではありません。その内容に企業紹介が含まれているにしても、その目的は株式の銘柄を推奨するためのものです。だから、アナリストがレポートを書くには、その会社が、アナリストにとって責任をもって推奨できると確信できると評価されなければならない、と言えるでしょう。ここで、さらに議論を捏ねくり回しますが、アナリストがこういう評価をするためには、その会社がどういう会社かということをアナリストが理解していなければ、評価できない。そういう段階を踏むのではないかと思います。これは一種のモデルでしょう。しかし、アナリストすべての会社を理解して、その中からレポートを書くべき会社を評価しているわけではないと思います。実際には、すべての会社を理解するなど物理的に不可能です。だから実際には、ある程度目星をつけて、会社のことを調べ、というのが実際の所ではないかと思います。また、会社のことを調べ理解すると言う作業と、評価していく作業は別々ではなく、同時併行で進められるし、相互に影響しながら進められているのではないか、と思います。

以前の投稿で、会社を分るというのは大変な作業で、アナリストにレポートを書いてもらいたいと会社の側で本気で望むなら、その作業に必要な情報を揃えるくらいは実行しなければ、本気になっているとは言えないのではないか、書きました。でも、アナリストにとっては、いくら会社が情報を揃えて、どうぞと本気になって望んでも、その会社が評価できない会社、投資対象としての魅力がなんら感じられない会社であれば、進んで会社のことを理解しようとするでしょうか。そうなると、たとえ会社の側が本気でも、それは徒労に終わってしまうことになります。

IR担当者がいくら本気で頑張っても、そもそも会社そのものに魅力がなければ、担当者の努力は徒労に終わるという結果しかないことになります。これは、メジャーな大企業は別として、とくに新興市場に上場している比較的地味な企業のIR担当者ならば、一度は感じたことがあるジレンマではないかと思います。IRのセミナーなんかに行くと、講師の先生らしき人が、いかにも勿体ぶって、企業価値を向上させるためにIRなどというお題目を述べられますが。それらしき概念図のような説明をされますが、IR担当者の現場にいる者にとっては、IR活動を展開しようとしてそもそもの企業価値に足を引っ張られ、具体的に何をどうすればいいのか、そういう先生は何も教えてはくれません。そもそも、実際に企業価値を向上させていかなくてはならない義務をおっているのは経営者であり、またそれができる権限もあるのが経営者なのですから、一介のIR担当者風情には、そんなお題目は却って空しく聞こえることもあります。このことは、担当者にとって、IRとは何をすべきかという、かなり本質的な議論になるので、別の機会に書いてみたいと思います。

で、今回のテーマに戻ります。仮に、前回の投稿との関連から、ここではアナリストがとりあえず会社を分ってくれた、というところから始めたいと思います。しかし、分かっただけでは、レポートを書いてもらうにも足りず、アナリストが積極的にこの会社のレポートを書こうを思ってもらうことが必要になると思います。それは、アナリストがレポートを書く、そもそもの目的を考えれば、アナリストはレポートを書くことによりその会社の株式を投資家にすすめることになるわけです。そうした場合、責任をもって進められるか、あるいはリスクを覚悟しても進めたい会社であることが前提になるのではないかと思います。しかし、ここでIR担当者としては壁に直面することになるはずです。だって、そもそも、そういう会社自体の企業価値などはいち担当者が一朝一夕に変えられるようなことではないのです。では、途方にくれるのか。(個人的には、正面からでは無理であるにせよ、この壁は乗り越える可能性はあると思います。敢えて言えば、それを乗り越えようとすることがIRという仕事の本質にある、というよりも会社員たるもの、すべての仕事がそのことに通じているのではないかと思います。それを本気で考えないようならば、腰掛と言われても仕方がないと思います。これは本題は無関係でした。)

ちょっと待ってください。そこで立ち止まって考えてみて下さい。本当に魅力がないのか。だとしたら、このことを真剣に悩んでいる当の担当者は、なぜ悩むのでしょうか。魅力のない会社にいる人がそのようなことで悩むことがあるのでしょうか。本気で仕事をしようとするでしょうか。そこで担当者が悩んでいるのは、会社に魅力がないということではないはずです。だって、悩むほど真剣に仕事をしているということは会社を愛しているからこそであり、それは会社にそれだけの魅力があるからに他ならないからです。と、すれば担当しとしてすべきことは決まってきます。

以前、会社を分ってもらうためには、担当者自ら会社を明確に分かる必要があると書きました。そのことと同じように、会社の魅力を分ってもらうためには、担当者自身がその会社に対してどのような魅力を感じているか深く掘り下げてみることが、先ず必要ではないかと思います。ただし、中途半端な掘り下げでは、他人に分かってもらうことはできませんから、通り一遍のことではなくて、本質的なところで自身がこの会社で働いている意味まで問われるほどの覚悟で掘り下げていく必要があります。また、客観的には、まがりなりにも会社が存続し上場するまで成長してきたわけですから、そこに必ず、会社の強みとか、投資家にアピールできるウリがあるはずです。それを、見つけ出し社内外の人々に知ってもらうことができるはずです。アナリストが気づいていないか、経営者が気づかず社外にアピールできないか、現時点でアナリストに興味を持たれていない会社にはそれなりの理由があるはずですが、ひとつには、そういう隠れた何かかせ必ずあるはずで、それを見つけられていないだけなのではないかと思います。例えば、日本電産と言う会社の永守さんという有名な経営者がいます。このひとは傾きかけた会社を買収し、リストラをすることなく好業績に立て直してしまいます。きっと、この人はそういう会社の隠れた強みとか何かを見つけて、それを生かすのが上手いのではないかと思います。

これで自分なりのものを経営者に当たってみるか、あるいはIRの資料に忍び込ませて呼んだ人に浸透させるか、アナリストにぶつけてみるか、色々やり方はあると思います。仮にアナリストにぶつけてみて、「そうだ!」などとは返ってこないでしょうが、人間ですから受け止めてくれる人はいるはずです。そこで、もし、やりとりのきっかけになれば、後のプロセスで隠れた魅力を見つけ出すことはできるはずです。というよりも、そういうやりとりが始められた時点で、アナリストは関心、あるいは興味を持ち始めているはずです。たぶん、そのこと自体が会社の魅力の一端であることになっているからではないかと思います。

また、読みにくく、分かりにくい文章になってしまいました。もしかしたら、IRに関わる人でも、こういうことには興味をもてないか、そもそも何を言おうしているか理解できない人もいるかもしれません。今回は長いだけで、本質的なこと(今回は本質と言う語をやたら使ってしまっています)アナリストが企業に魅力を感じるとはどういうことか、ということには触れられませんでした。

2012年7月 4日 (水)

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(19)

12.新しいノヴェルティと「経験」の誕生

働きを停止して、謙虚に従順に待っていても、望む観念、望む定義の一つさえ顕現しては来ない、何一つとして「与えられた」ものとなっては来ないという事態は、総じて観念や認識というのを向こうから「独りでに」流れ込んで来るもの、外的な存在からの贈物と看做すスピノザの立場とまともに抵触するノヴェルティであった。それは、また、そうした「与えられた」観念の存在を一つの証とするような、そして、そのア・プリオリな成立が長い間固く信じられて来た、外的存在とのコムニカチオ一般の事実上の不在を開き示したという意味において、一つの新しいエクスコムニカチオであった。そして、それはまた、コムニカチオの可能性の無邪気な承認を含む古い信念の枠組みとの戦いを求めながら、その要求を無視され、したがって、「経験」としての資格も生命も力も認められぬまま、アペンディクスとして枠組みの外に放置され、「漠然とした経験」という形に凍結されて来たあの不幸なノヴェルティ、1656年の破門というエクスコムニカチオのノヴェルティの復讐であったのである。

この新しいノヴェルティも、かつてのノヴェルティと同じ挑戦をする。ノヴェルティ自身を内部に組み込んだ新しい信念の枠組みを作るために、総じてコムニカチオというものの意味と可能性とを問い直し、決定し直す戦いを要求する。そして、スピノザは、今度は、ノヴェルティの挑戦に応じたのであった。ノヴェルティがノヴェルティであることを止め、信念の枠組みの外側に留め置かれたアペンディクスであることを止め、信念の枠組みの内部に場所を得て働きを担うためには、長い期間に亙って保持されてきた信念の枠組みは、変更されなければならない。コムニカチオというものに対する無邪気な信頼は、当然放棄されねばならぬ。

ユダヤ教会からの破門というエクスコムニカチオのノヴェルティは、『知性改善論』における内的なレヴェルでの挫折を俟って初めて、スピノザという一個の纏まりの内部に位置を獲得し、一つの「経験」となる。観念というのは、定義というのは、働きを停止して待つ人間精神のうちに、向こうから「独りでに」流れ込んでるものではなく、したがって、精神と観念の間には、求めるコムニカチオは成立しないという新たなエクスコムニカチオのノヴェルティを信念の枠組みの内部に収め、失われていた纏まりを回復するために、かつて信念の枠組みの死という「危険」の中に足を踏み出したスピノザのうちで、それは一つの「経験」となって行く。以前の枠組みの死によって贖われたこの新しい「経験」の誕生により、総じて世界というもの、自分以外の存在というものに対する態度もまた変わって行かなければならない。外に向かって素直に開かれていた円環は、隙間なく閉ざされて行かなければならない。

世界とか他者というものは、好意に満ちた手を差し伸べて私を包み、私を守ってくれるものではない。私が働きを停止して従順に待っていても、求める観念の一つさえも送り込んではくれないであろう。いや、それどころか、作為も、選択も、評価も、決定も放棄して、端的に開かれたあり方をする限り、私にとっての私自身さえ明らかでなく、私にとっての世界も定まっては来ない。私自身を選択や決定、評価の主体として先ず確立し、確認することなしに、神であれ、人であれ、事物であれ、そして観念であれ、何か私以外の存在との融和を求め、総じて他者からの呼びかけを待つ態度を続ける限り、何一つ決まらず、何一つ得られず、受け身の苦しみや惧れは、何処までも私を追いかけ来るであろう。私は私自身の中に留まり、私自身に固執することから出発し直さなければならない。一つ一つの観念を自分で形成し、自分で表出し、一つ一つの事柄の意味や価値を自分で決めて行かなければならない。私以外の存在と浸透し合うことを自ら断念し、閉ざされた円環となることを、コムニカチオの宣告者となることを自らに課し、一切の責任を負い、自分の行動とその成果とを見定める醒めた意識の重荷に耐えることから始めなければならない。そこからのみ、喜びを汲み上げなければならない。たとえ、そこに生ずるのが悲しみだけであるとしても、私は、そこに悲しみとして把握できる私自身に小さな喜びを見出し、それで満足しなければならない。なぜなら、如何に小さくても、いかに貧しくても、それは私自身のもの、私自身の平和なのであめから…

『知性改善論』の挫折という新たなエクスコムニカチオのノヴェルティが、以前の枠組みの死に贖われて「経験」となり、スピノザが自らを積極的にexcommunicatusとして選び取る必要を自覚して間もなく『エチカ』は書きはじめられた。

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(18)

10.2つの方法

その理由は、『知性改善論』が語っていることに即して引き出すことのできる2つの方法があるのに、スピノザ自身2つの方法の関係乃至は相違を考えていなかったということである。『知性改善論』において現実に語られているのは、少なくとも一義的に単一の方法ではなく、二種類の方法、あるいは二段構えの方法であった。すなわち、スピノザは、観念との関連において方法のスケッチを行う際にも、定義論においても、一方で、神の観念、神の定義を起点とすることを究極の最上の方法の基点となるべき神の観念乃至定義に到るために、「与えられた」個物の観念乃至定義から出発することを常に考え、かつ、それを「最初の道」、「ある足場」などの言葉で表わしているからである。後者の終わったところから前者が始まるのであるから、これら二つは同じ道とは言えないし、少なくとも、二つの道の各々で得られる観念や定義は次元または性格上の相違があるはずである。「最初の道」において齎される観念は、神の観念から下降の道の中で然るべき位置、然るべき脈絡を保証されたものではない以上、その性格は、当然、暫定的に真という制約を免れえないのに対して、「全自然の根源と源泉を再現する観念から」の折り返しの道で得られる観念の方は、「最初の道」の観念とは最早異なり、究極的に真という次元にあるはずであるから。そうでなければ、スピノザ自身が「与えられた最も完全な存在の観念」に端を発する道を「私の哲学」と名付け、予備的な作業としての『知性改善論』と区別する必要はなかった。

真理は「原因の系列」の中でのみ、そして全体の脈絡のうちにおいてのみ可能となると主張される一方で、「最初の道」の出発点となる観念について、非常に多くの個所で、何の限定もなしに無造作に「真」という言葉が添えられていたことからも明らかなように、二つの道に登場する観念乃至定義の性格上の区別が明瞭でなく、そこから生じた結果は、「最初の道」に対しても、究極的な最終的な道におけるのと同じ確実性を要求するということだった。このことは恐らく、観念というのが総じて、人間の精神とは独立にそれ自体として存在する「実的な何か」であり、人間精神の働きを俟つことなく、既に予め「真」なるものとして人間の精神の内部に流れ込んで来るものであり、したがって、たとえ「最初の道」において齎された観念であっても、それが、「実的」な観念領域から贈られたものであるからには、やはりすべて絶対に確実でなればならぬという、スピノザの暗黙の強固な信念に支えられていたのであろう。

後半の定義論においては、まず、「最初の道」を無視した形で、神の観念乃至定義からの下降の道だけが強力に前面に押し出され、かつ、神の具体的な定義が性急に要求されることになる。定義論ではまず、神の定義からの下降の道にのみ方法としての価値と資格とを認めながら、次に、神の定義を一挙に得ることは出来ぬという現実におされて、神の定義に「到達する」ため、「最初の道」を断りなしに復活させておいた上で、最後に再び、知性の定義という具体的なものを実際に提出することが試みられたのであった。しかし、不幸にして、「創造されたもの」「創造されぬもの」の区別が予め云々されており、前者の定義は単独では得られぬこと、神の定義を起点とする諸定義の「系列」の中で、先行する諸定義を介してのみ齎されるということが、強調され過ぎてしまっていた。そして、「最初の道」に相当するものの存在と意味とが、形式上では全く無視されていたのであるからつ、人間の知性という極く慎ましい「創造されたもの」の定義を単独に得ること等は、不可能な話だったのである。

11.「最初の道」と「与えられた」もの

スピノザは一体なぜ、一方では常に、方法の理想を神の理念、神の定義からの下降の道に求めながら、他方、差し当たり身近な個物の観念乃至定義を足場とすることを一度ならず考え、かつ試みたのであろうか。差し当たり身近な個物の観念、定義から出発する試みが挫折したことの言わば形式的な理由がこれまで述べたようなものであっても、スピノザは、一体何を「最初の道」に求めていたのかという問題はなお残るであろう。

この問題に関して一つの大きな手篝を提供してくれるのが、「与えられた」という言葉である。この「与えられた」ものというのは、人間の精神による加工や形成乃至構成の拒否を含み、人間の精神の働きを超えた仕方で向こう側から身を現わしてくるものであって、スピノザが、方法の足場となる個物の観念について「与えられた」という限定を執拗に加え続けたのは、正に、「与えられた」ものに具わるこうした性質、すなわち、人間精神の側で加工や形成乃至構成と言った努力を払わなくても、精神のうちに「おのずから」身を現わし、「独りでに」流れ込んで来るという性質こそ、スピノザが『知性改善論』で最も必要としたものであったために外ならなかったからなのである。

定義論において、無限後退が始まり、混乱が生じ、『知性改善論』が挫折しても、スピノザが、知性の定義が「おのずから」明らかになる可能性への期待を手放そうしなかったのは、自ら手を加えて作り出したのではない「与えられた」ものであってこそ、言い換えると、人間精神の働きを俟つことなく、向こう側から「独りでに」精神内部に流れ込み、「おのずから」身を現わし、進展して行くような観念、すなわち、「実的」な観念領域からの贈物としての「与えられた」観念であってこそ、真に確実で価値に満ちたものであり、また、そうしたものであってこそ初めて、単独で一挙に出会うことの困難な神の観念乃至定義を、同じ「与えられた」ものの水平線上に誘い出す資格を有し、最終的な最も安定したコムニカチオを齎すことが出来るという、『短論文』以来の変わらぬ信念に支えられていたためであった。「最初の道」は身近な個物の観念乃至定義と関連してであれば容易に得られると思われた、この「与えられた」という性質を拡張して行く任務を帯びた道に外ならず、それゆえ、スピノザがこの「最初の道」にある意味で固執したという事実は、観念乃至定義の悉くを、人間精神自身が行う選択や決定や評価といった働きによる汚染から守り、「与えられた」ものというスピノザにとってこの上ない価値を持つ性質が哲学の隅々にまで浸透することを、彼が如何に強く望んでいたかを示すものである。

2012年7月 3日 (火)

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(17)

9.定義論の挫折

未完の著作である『知性改善論』は、その後半において、「定義」の問題を扱っている。ここで、スピノザは先ず、「個物」の認識を取り上げ、それが「系列的に」行われなければならぬと説いた後、次のようなことを語っている。すなわち、個物が「系列的に」認識されるべきであると言っても、その場合の「系列」というのは、いわゆる経験によってしらける事物のあれこれの結びつきのことではない。そうした結びつきを辿り、それに従うことは不可能であるし、それに従うことは不可能であるし、不必要である。

スピノザが言おうとすることの第一点というのは、要するに、:経験によって得られる個物の認識は真の認識ではないということである。経験を通して人間は、確かに人生に役立つ事柄を知ることが出来るであろうし、世界についてあれこれの見解を持つことも出来るかもしれない。けれども、そうした知識や見解というものが仮に有効であるとしても、それは、基盤を欠いた偶然的なものに過ぎないのである。なぜなら、自然における事物の悉く動かし難い連結を以って連関し合っている以上、実的な観念の領域においても、すべての観念は確固たる脈絡を以って相互に接続し合っているから、そうした脈絡を離れて、人間の有限な経験の範囲内で事物の結びつきを追ってみても、それは、何処までも、観念領域全体の「系列」とは関係ない、断片的な性格を免れ得ないからである。それゆえ、個物の認識の認識は、経験に依拠した断片的な見解として提出されてはならず、観念領域全体を貫く因果の「系列」の中で齎されるべきものであり、そうしたものであってこそ初めて個物の認識は、「自然の再現」としての哲学の一端を担い得るのである。こうしたことは、『知性改善論』前半の方法において、スピノザが、最終的な方法を神の観念からの折り返しに求めたことと整合的である。

また、個物を神の認識関連させる第二点の方も、勿論、スピノザの提示した方法から全面的に外れてしまうものではない。けれど、不明瞭な印象を受けるのは、ここで語られ要求されている「系列」というのが、専ら神に始まるものだけに限られていることである。つまり、ここでは、前に方法のスケッチが為された際には、ある位置と権利とが認められていた「最初の道」に相当するものが全く無視されており、「神の認識を敷衍すること」、神の認識から「下降する」道だけが取り上げられているということである。

ところで、このように、真の認識というのが神の観念を起点とする諸観念の「系列」の中でのみ齎されるのであめならば、何よりもまず、神の観念が定義という形で、すなわち、言葉として文字として表出されなければならない。けれども、定義論の幾つかの個所が認めているように、神の定義は未だ得られていない。スピノザは、神の定義に到る道の入り口として「知性」という最も身近な個物の本性と力の認識、すなわち定義を求めた。これは、定義論そのものが表向き無視したあの「最初の道」の無言の復活であったが、しかし、このこと自体は、『知性改善論』の前半においてスピノザが予め描いていた計画の基本線には忠実に沿ったものであり、大きな問題ではなかった。

しかし、『知性改善論』は、知性の本性と力とが知られるためには、それに先立って、「知性の定義そのもの」が明らかになってなっていなければならぬ。すなわち、知性の定義が顕現するためには「知性の定義そのもの」が顕現しなければならぬという無限後退の方向に流されていく。そこでスピノザは不承不承、認めざるを得ない。知性の定義は、人間精神の働きを不要にするような仕方で、進んで姿を現わしてはくれない。言葉として文字として表出し得るような仕方で「おのずから」明らかになってくれはしない。けれども、観念乃至定義が「おのずから」顕現してくれるのではないという事実を決定的に認めてしまうのは、『知性改善論』詩人の描く計画にとって、『短論文』以来スピノザが語ってきた立場にとっても損失の大きすぎることであった。

スピノザは、方法の基礎となる観念乃至定義を「道具」になぞらえて語っているが、『知性改善論』の基調を成す根本的な信念にとっては必ずしも適当ではない。ここでスピノザが方法の問題と関連して言おうとしているのは、認識の道が、差し当たり可能な観念乃至定義から始まらなければならない以上、人間精神が持ち帰る最初の観念や最初の定義というのは、当然、神の観念乃至定義からの折り返しの道で得られる諸観念乃至諸定義とは異なり、他の観念、他の定義との脈絡を未だに欠いたものであることは心得ておかねばならず、この点を忘れて最初の観念、最初の定義の根拠の究明に固執し始めると、「最初の真理」の由来を詮索する不毛な懐疑論者と同じように、抜き差しならぬ無限後退に巻き込まれる破目に立ち至る。『知性改善論』そのものの挫折の糸口は、ここにある。

2012年7月 1日 (日)

清水禮子「破門の哲学 ~スピノザの生涯と思想」(16)

8.『知性改善論』の基調

『知性改善論』の基調を成しているものは、観念が向こうから身を現わし、精神に対して何らかの「指令」を与えてくれるという信念であると理解しなければならないからである。すなわち、外的な事物そのものか、あるいはその観念かという違いこそあれ、自分自身ではなく相手の方が進んで身を現わすのを待ち、自分自身ではなく相手の方が進んで身を現わすのを待ち、自分はそれを受容する側に回ろうとする基本的な態度において、『知性改善論』は『短論文』と何ら異なるものではないからである。『知性改善論』の場合、スピノザが認識の支えを外的事物そのものにではなく観念に求めたのは、一つには、外的事物自体が人間の精神に顕現し、自らに関して肯定否定を行うという『短論文』の主張が、スピノザ以外の人々にとって必ずしも「理解可能」なものではないといった事情によるのであろうし、もう一つには、外的事物が精神に顕現するのは、結局のところ、その事物の観念としてであるという点が顧慮されたことにもよるのであろう。

スピノザは、観念を「道具」になぞらえる比喩のすぐ後で、観念というのが総じて「実的」であること、「それ自体として実的な何か」であることを強調している。「実的」であるということは、何かあるものが精神の外に、精神とは独立に存在するといった事態を現わし、本来、精神による「形成」や「加工」を受け付けぬという含みを持つ。それ故、観念が「実的」であるという主張は、方法とは観念の「指令に従って」行くことであり、観念は人間の精神の内部に「独りでに」流れ込み、「おのずから」身を現わし展開するという表現及び主張とは一致し、ともに、『知性改善論』のスピノザの中で、『短論文』の信念が生き続けていることを明白に示し、かつ証するけれども、これに対して、人間の精神が「生得の力」により「道具」としての観念を「形成する」という比喩的な表現の方は、こうした基本的な信念からかなり外れ、孤立していて、比喩としては明らかに失敗していると言わなければならないし、また、『知性改善論』のスピノザにおいて、『短論文』を支えていた信念が生き続けていないことの証拠にはならないと思う。

『知性改善論』のスピノザにおいても、かつての『短論文』を彩っていた信念、すなわち、自分の側で選択や決定、評価の努力をしなくても、何ものかが顕現して、一切の責任を免れるコムニカチオのパラダイスへ自分を連れ去ってくれるという信念が、決して消滅することなく保たれていたことを明確に示す。そこで、従って、このように人間の精神が自分で選択や決定や評価を行わなくても、観念の方で「おのずから」身を現わし、「独りでに」展開してくれるものであれば、人間はこうした観念の「指令に従って」その顕現と展開の跡を虚心に従順に見守り、記述すれば良いわけで、個物の観念から出発して神の観念へと向かう第一の仕事も、神の観念を起点として「自然を再現する」第二の仕事の方も、ともに難なく完成すると考えられたのであった。

しかし、信念の枠組みに沿って哲学の道を指し示すことに意味があるとしても、いや、むしろ、一度その道が指示された以上、今度は、その道を実際に歩き、道の正しさを証することが始められなければならない。『知性改善論』がその前半において示した道の少なくとも最初の部分に足を踏み入れ、「独りでに」流れ込んで来て「おのずから」身を現わす観念が、一つまた一つ増殖していくプロセスを、言葉として文字として残して行かなければならない。正にこれが、『知性改善論』の後半においてスピノザが試みようとしたことであった。

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