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2012年7月31日 (火)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(9)

第3章 スピノザとネーデルランドにおけるシヴィック・ヒューマニズム

スピノザ思想の現代的意味が問われ、またその核心をなすものとして彼の政治論の意義が新たに問われつつある現在、ひとつのキー・ポイントとして注目されるのは、スピノザにおける「大衆」の概念である。この問題を考える際の重要な前提として忘れてはならないことは、すでにスピノザの民主政論が登場する以前に、ネーデルランドにおいては共和主義的な人民主権論者が、「人民」の主権や徳に関して様々な議論を展開していた点である。

第1節 ネーデルランド共和政における伝統的人民とスピノザの大衆

1.独立戦争におけるモナルコマキと抵抗権論

ネーデルランド独立戦争は、直接的にはスペイン王フェリペ2世の強硬なカトリック政策と独裁的な中央集権体制への対抗するもので、その根拠として中世以来の慣習法や各州議会と君主との間の統治契約だった。しかし、これはあくまでも中世の身分を前提に君主を牽制する限定的なもので、独立戦争に勝利した後には、イギリスに典型的に見られるような近代的な議会へと転換される必要があった。

しかし都市の参事会、州議会、連邦議会すべてが各々テリトリーで統一的な主権をもたず、各会議は貴族団やギルドなどの諸団体の集積に留まり、各種特権団体の利害調整を行っていた。これには様々に歴史的評価は分かれているが、イギリスやフランスを典型例として概念化された近代史の概念が当てはまらないのは確かである。

こうした状況の中で、17世紀になると二大勢力による権力闘争が先鋭化していた。

2.政治的イデオローグとしてのアルトゥジウスとグロティウス

17世紀前半のオランダの政治思想史におけるオラニエ派のイデオローグの代表はアルトゥジウスであ、都市貴族派のイデオローグの代表がグロティウスである。

3.アルトゥジウスとグロティウスにおける人民主権と混合政体論

オラニエ派か都市貴族派かを問わず、当時のネーデルランドの政治思想においては、伝統的な人民の法に基づく立憲主義的王政が暴政を防ぐ最善の政体であるとの見解が一般に共有されていた。この傾向はアルトゥジウスやグロティウスにも共通している。彼らはともに、議会を人民の権利を擁護する砦として、議会と王との協力によって人民の死主権を立憲的に統治・運用していこうとする国家構想を持っていた。

例えば、アルトゥジウスによれば、人民の主権とは各人が自らの便益のために相互の労働と財の交換を目的として、契約に基づいて設立され、生活共同体であると定義される。生活共同体とは、家族─身分別各種職業団体─連邦議会というように、自然的及び社会的団体の階層的秩序として構成される。そして、アルトゥジウスによれば、人民主権のこのような構成が前提とされている以上、行政権をだれが握るか、つまり最高統治の形態が王政であるか、貴族政であるか、共和政であるかは、現実の場合に適合的にかつ最善の仕方で決められるべきことであって、主権の所在とは本質的に別の問題である。

これに対してグロティウスは、国家の最高主権を有する「人民」とは、権利を共有し、またその共通の利害のために結合した自由人の完全な結合と規定している。つまり、アルトゥジウスのように個人と国家の間に中間諸団体を介在させることなく、国家を諸個人の相互的な権利と義務関係からなる一元的な社会関係とみなしている。しかし、主権の権能を複雑に分類し、支配者と人民の間に結ばれる「統治機構に関する約束」の内容をいく通りにも区分けし、それに応じて契約の主体である「人民ないし少数者の集団」の権限をそれぞれに明らかにしようとする。このようにグロティウスのいう人民の主権も、各種議会の「多数派」と王との契約にもとづく共同運営に求められた点で、主権を団体的に構成するアルトゥジウスの主権論と共通の地盤を持っていた。

両思想家は、ネーデルランド共和国という特殊な状況の中で、王政を貴族政的ないしは民主的要素とどのように連結させて混合政体を案出するかという課題を考えたのであり、2人がそれぞれの会派のイデオローグとして利用されえたのは、こうした共通の理論的地盤の存在によるものである。

4.スピノザのみた共和主義的貴族政の限界

こうした当時のネーデルランドの人民主権論に対して、スピノザの提示する大衆は、王政においても貴族政においても議会から排除された位置にあり、議会に否定的な役割を果たすことが明確にされている。スピノザによれば、統治権は大衆の力=自然権の合成によって規定されているにも拘らず、例えば貴族政においては、大衆は統治機構の運営に直接携わることができず、議会の「審議からも表決からも除外され」ているから、「暗黙のうちに」統治者を「恐れ」させることによってしか、みずからの政治的力と要求を示すことができない。スピノザのいう貴族とは封建貴族ではなく、一定の基準によって「大衆の中から選ばれた少数の人々」であるから、貴族政とは代議制に極めて近い形態である。そこで、何らかの形で下層の人々が議会政治に関われるように、民主政と言えるものになるように改革案を詳細に論じている。

しかし、ここで問題にすべき点は、スピノザが、貴族政においてこのような民主的機構改革がいくら進んだとしても、そして「ある国家の大衆全体が貴族の数に入れられたとしても…それはやはり貴族国家にすぎない」と明言していることだ。これによって明確になるのは、スピノザの言う大衆とは、たんに多数の人々や下層の人々を意味するのではなく、伝統的なネーデルランドの法と特権を享受する主体としての「人民」などとは全く異なる意味づけを持った政治的概念である。

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