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2012年7月18日 (水)

マグリット展「不思議空間へ」(3)~「無謀な企て」

Magkuwadate マグリットの描く人物は、どうしてこんなに生気も存在感もないのだろうかと思います。この「無謀な企て」という作品では、画家に動きがなく、描かれている裸婦にしても美しいとかエロスというものは感じられません。もっとも、裸婦は二次元の平面に描かれるべきものが立体として描かれるという不思議さであるため、リアルな息づく人間として描かれる必要はないのでしょうが。女性はマネキン人形のようです。デッサンはしっかりと書かれているのでしょう。形態はしっかりとらえられていて、人物であることは分かるし、どのような動きをしているかということは、情報として分かります。しかし、表情は能面のような無表情です。女性は顔の輪郭などはきちんと描かれ美人であることは分かります。しかし、人間の顔というより人間の顔の形態をそれらしく描いているという感じです。立体感はあり、それらしい色彩も丁寧に塗られています。一方、画家が絵筆を持っている様子は、ちゃんとそれと分かるし、不自然さはありません。しかし、画家の顔にも表情がなく、物体としての重量がないし存在感がありません。それらく陰影があり立体感が感じられるように影が付けられています、何となく塗り絵のような平面的な感じがします。類型的というのでしょうか。この展覧会でも何点も人物を描いた作品が展示されていますが、一様に下手というのか、リアルな人間を感じられないものになっています。1964年の「善意」の人物もパイプがなければ、人物画として積極的に見たいと思うでしょうか。

このことについては、他の作品のところでも述べてきたようなマグリットの特徴として見る人への効果のことを考えると個々のパーツは単純化するという事情があります。そのことは、別のところで述べましたので、ここでは別の点から考えてみたいと思います。

それは、経済発展による大衆社会の到来と、技術の飛躍的進歩ということです。マグリットは1898年に生まれ、1967年に亡くなっています。マグリットの生まれたころは印象派以降の近代絵画の時代と言えます。このころの時代背景としては、それまでの古典やロココといった君主や貴族、あるいは寺院といったパトロンの庇護のもとで注文に応じて歴史画や肖像を描いていた画家というものが、フランス革命や産業革命などによって社会の主導的地位をブルジョワジーに取って代わられることになります。そのために画家はパトロンを失い、時代の担い手であるブルジョワジーを新たな顧客として行かざるを得なくなります。ブルジョワジーはそれまでの支配階級と違って、民衆に対して自らの優越的地位を派手に宣伝するような必要はなく、倹約と勤勉によって経済的実力を蓄えて行くという生き方をするものでした。だから、画家をパトロンとして雇って沢山の絵を描かせるというはしません。そこで、画家は大きな方向転換を強いられたわけです。さらに技術の大きな進歩によって画家たちにとっては写真という新たな競争相手が出現したわけです。肖像画を描いてもらわなくても記念写真をとれば、絵画より対象そっくりの写真が一瞬でしかも安い価格で手に入るわけです。このような中で、旧態依然の絵を描いていて、写真に対して絵しかできないことを考えないと、写真との競争に負けてしまいます。そこで現われた運動のひとつが印象派といえます。そのあと、幻想的な絵画や抽象的な絵画などさまざまな試行錯誤が行われました。さらにマグリットの時代には、技術の進歩と経済発展の進展によってブルジョワジーだけでなく、大衆が社会の消費の担い手として認識され、時代は大量生産、大量消費の時代に入って行くことになります。そこで登場したのは複製技術です。写真も当初は、1回の撮影で1枚の写真しかできませんでしたが、焼き増しができることによって、1回の撮影で多数の写真が一度に作られることになりました。これによって、例えば人気の俳優や踊り子の写真を大量につくって商品として売る、プロマイドのようなものが出てきました。絵画も、多色刷りの印刷の発展により色鮮やかなポスターの生産が可能となり、そういうものへの対応に迫られるようになって行ったと言えます。一枚の作品をじっくり描いていては、そのようなスピードと大量生産に追い付いていけなくなってしまうのです。そして、恐ろしいのは、そういう大量生産が出回り、それが当然のこととなっていくと、人々の意識もそれに引き摺られていくことになるのです。そこでの美意識も例外ではなくて、精緻で繊細な絵画は複製が難しいので、需要が減り、代わって単純化された図案の様な大量生産しやすいものが、しかも貴族やあるいはブルジョワジーのような程度の差こそあれ教養や文化の蓄積がありそれを尊重するような人々から、蓄積を持たない大衆は分かり易いものを自然と求めてしまうのです。

Magking さてもこのような周囲の環境に対して、マグリットは超然としていられたのか。とくにかれの生まれたベルギーはオランダと境界を接し、商人による交易で栄え早くから市民社会の発達した国だったと言えます。そういう社会では資本主義の進展は早く、画家として食べて行くためには最初から貴族や教会の庇護は期待できなかったはずです。現代と、それほど変わらない、画商を通じて描いた作品を人々に見てもらい購入してもらうというシステムが既に出来ていたと言えます。それも、複製することで安く大量に頒布されることで利益を上げるということに既に始まっていたと思われます。その言う視点で見ると、マグリットの作品で描かれた人物というのは、まるで複製されたもののようではないでしょうか。ベンヤミンがいみじくも「複製技術時代の芸術」という論文で述べていたような芸術作品の一回性であるようなオーラを欠いたものと言えます。今の時代からみると、そういうマグリットの描き方はイラストのようなものに極めて似ているように思えます。

つまり、敢えて、人物が描かれていることが分かれば十分であって、芸術のオーラのようなものは却って大衆に広く受け入れられるためには障碍になる。そこで当初から追求しないというわけです。

その意味で、人間の外側の輪郭だけを切り取り、中身を空洞のようにして描かれた「王様の美術館」という作品は、まるで現代のデザイン・イラストといっても誤解のないものではないかと思います。そういう意味で、マグリットという画家は複製の発達による大量消費の時代に、どう対処するかという点で、極めて自覚的な作品を制作したと言えるのではないかと思います。

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