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2012年7月16日 (月)

マグリット展「不思議空間へ」(1)

Magrittetenrankai 以前に見た美術展のことを書こうと思います。2002年7月 BUNKAMURA ザ・ミュージアムでの「マグリット展」です。

6月に定時株主総会が、とにかく無事に終了すると、ほっとします。美術展もそういう時に見ることが多くなります。総会以前は時間の余裕がないのし勿論ですが、美術展に行こうという気も起らないのも事実です。今回も、暑い日でしたが、都心に出る用事を済ませた後、時間に余裕があったので、

展覧会カタログでは、マグリットを次のように紹介しています。長くなりますが、次に引用します。「ペルギーの画家ルネ・マグリットはシュルレアリスムの広範囲にわたる理解において、鍵となる人物である。彼の絵画言語はあらゆる世代の関心を呼び起こす力を持ち、一方では、あらゆる文化的背景を持った人びとが、その驚くべきイメージが持つ数々に驚嘆する。マグリットのイメージが持つ固有の特質は、両義性、奇妙な不思議さといった感覚を引き起こし、また彼の絵画は私たちを困惑させ、私たちの無意識の習慣をかき乱し、私たちの確信を破壊するであろう。それらは、ミステリアスな影響力を失うことなく、色あせない魅力を今なお発揮しているのである。マグリットの絵画に登場するイメージは、それらの本質や源泉は何かという、多様な解釈と議論の分かれる推論の対象となり続けている。生前、画家の心理や伝統的シンボルに言及した説明がなされたが、それらはしばしば彼の不興を買い、また画家を狼狽させることにもなった。彼は自身の作品についていかなる象徴的、精神分析的な解釈をも断固として拒否した。マグリットにとって謎は、現実に対する自らの観念的な見方要約したものであったが、彼は自身の芸術を私たちの意識をその「謎」へと誘うものと考えたのである。不幸にして彼は、このパズルのように悩ましい思考を解き明かす、それ以上のいかなる説明もすることはなかった。多くの思索的エッセイを残しはしたが、謎についての考えは謎めいたまま残されたのである。おそらくマグリットは、言葉で暴くことのできないイメージによって、自身の絵画が伝わることを、私たちに理解させようと試みたと思われる。マグリットの作品を前にして私たちが経験する永遠の魔法を解く鍵は、彼が現実の体験を語ったところの「見えるものは他のものを隠す─私たちは常に、見えるものによって隠されたものを見たいと願っています。隠されたものと、見えることが私たちに見えなくしているものに関心があるのです」という言葉に隠されているにちがいない。」

Magritteteikoku ここで書かれている内容は、この展覧会のスタンスでもあるのですが、一般的なマグリットに対するスタンダードな捉え方を代表しているのではないかと思います。私は、ある程度、そうだと思いますが、それ程のものでもない、というのが正直な感想です。例えば、この展覧会のパンフレットにはマグリットの有名な作品である「アルンハイムの領地」が使われています。猛禽類の頭部の形をした岩山を遥かに望み、手前には卵が置かれています。岩山と卵という普通に考えれば無関係なものが描かれているものが、岩山が猛禽の頭の形をしていることで、何か関係ありげな意味を詮索するような気になる。あるいは、展覧会で販売されたカタログの表紙で使われた「光の帝国」という作品は、前景は暗い家の陰で街燈が点灯し、家の窓にも明かりが灯されているのにたいして、後景では青空が広がっている。そこで前景と後景のギャップに不思議な感じがする。このような、絵画か常識的に描かれている後景を少しズラすことによって不思議な感じを見るものに生じさせる。いうなれば、「騙し絵」のようなものです。じっさい、マグリットの作品をそういう視点で見る人も少なくないと思います。引用した文章にもありましたが、マグリットはシュルレアリスムという運動に属していたと言われますが、シュルレアリスムの画家には、「騙し絵」のような作品を多く残した人がいます。例えば、MCエッシャーもそうです。かれの作品は図のような視覚上の錯覚を利用して、鳥の群れの飛ぶ方向が正反対に見えてしまう不思議な画面になっています。これは、一種の視覚遊びのような感覚で、楽しんでみることができます。これは、純粋に見ることの愉しみです。これに対して、マグリットの場合は、その絵がどのように不思議かということが、言葉で説明できてしまうのです。これがMCエッシャーの作品との大きな違いで、エッシャーのように純粋に見るだけの愉しみとはちがって、言葉で説明できてしまうと種明かしをした手品のように魅力を失ってしまうことになります。しかし、マグリットの作品が今まで、繰り返し見る人の眼を愉しませているというのは、手品の種だけでは終わらない何かを持っているのです。私には、それがマグリットの作品の最大の魅力と思います。

それは、ミステリー(推理小説)というのは犯人捜しがテーマと言われます。ミステリーを読んでいる人に、犯人や結末を告げることは意地悪な行為なことです。しかし、犯人や結末が分かっていても、そういう題材を好んで取り上げたアルフレッド・ヒッチコックという監督のつくった映画は、製作されて何十年経っても人々に繰り返しサスペンスを与え続けています。タネが割れた「騙し絵」で見るものを魅惑し続けるマグリットと、結末が分かっていてもドキドキして見入ってしまうヒッチコックの映画には、全く分野が違うものの共通する点があります。それは、徹底的に“何を描くか”ではなく“どのように描くか”にこだわった点です。二人にも、細部に至るまで周到ともいえる緻密な描き方を徹底しているのです。そして第2の共通点は、その描き方が徹底して表層的であることです。つまり、見る人にどのように見えるかという効果に徹底的にこだわっているのです。ヒッチコックは彼の監督した作品の鍵を「マクガフィン」という言葉で表現しています。「マクガフィン」とは何か、と言っても何も意味はないのです。何か意味ありげではないですか。これが作品にいかにもあるように見せる。見る人は、それを何かあるはずだと探し始める。そういう効果を生み出すことにヒッチコックは頭を絞り、工夫をしました。同じような努力がマグリットの作品にも見られます。それは、決して冒頭で引用した解説に書かれているような大層なことではありませんが、それをこれから個々の作品で見て行きたいと思います。

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