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2012年8月 1日 (水)

あるIR担当者の雑感(76)~コーポレートガバナンスって本気でやっているの?

これ実感です。私は、勤め先では担当者でもあり、各社の担当者と情報交換したり、各種の説明会に出たりしますが、そこで肌で感じています。各社の担当者は正直言って面倒臭がってます。社内でも胡散臭がられています。もともと、海外はじめとして機関投資家からの投資の妨げになっているからと政府や市場関係者が積極的に進めたものですが、機関投資家とのミーティングでコーポレートガバナンスのことを訊かれたことは一度もありません。また、先日株式懇話会という株式事務の担当者の集まりと東京証券取引所と合同で勉強会がありましたが、独立役員等の独自のコーポレートガバナンスに関する規制を行っている東証の担当者は企業の担当者から、それぞれの企業にとって具体的にどのようなメリットがあるのかという質問に答えられませんでした。

会社法の改正の議論や証券取引所の上場規則であらたな制度を構築するとか、マスコミや学者の人たちが建前だけの議論を行っていて、ときどき話題になりますが、自分はやっているんだというアピールをしているだけにしか見えません。今までも、実際に法律が改正されたり、政府の諮問委員会での議論が公表されてきましたが、どれもこれも、もっともらしい外形だけ整えるのに汲々としているといか見えません。魂が籠っていないのが明白というのか、これじゃあ、だれも本気でやろうとしないだろうな、嫌々半分で取り繕ってお茶を濁して終わりになるだろうというのが、やる前からはっきりしている、多分作る方も分って作っているのだろうと思います。そんなもの要らないと言ったところで、仕事がなくなってしまうでしょうから。そうせざるを得ないのだろうと思います。

最近、大きな不祥事が続けて表面化しています。たしかに。でも、今、検討されている制度を導入したからと言って、それで防げると信じている人は、正直なところ、いないでしょう。

そもそも論でいいますが、投資の妨げにならないように、という目的についていえば、投資にはリスクが付き物です。高いリターンを求めるにはリスクを取らないといけません。だから、投資する方は不祥事とか、ガバナンスに関することをリスクとしてリターンと衡量するか、投資しながら監視するのは当然のはずです。私には、今のコーポレートガバナンスの論議や施策はそのリスクを見えなくするだけのごまかしのように見えます。

例えば、オリンパスの株式について、不祥事によって株価は大きく下がったわけですが、その株式を推奨したアナリストや証券会社、あるいはファンドマネージャーは、そのリスクを見落としたということで何の制裁を受けたでしょうか。寡聞にしてそういった話は聞いたことがありません。大震災ではありませんが。想定外として自然災害と同じように扱っているのでしょうか。このことからも、コーポレートガバナンスを投資する際のリスクとして本気で考えていないということが明白です。

また、議決権行使助言会社というのがあります。機関投資家が多くの企業に投資しているので、株主総会で投資先の会社の議決権の行使をするときに助言会社の意見を聞いて議案の賛否の投票をするというものです。ここで、よく考えてみてください。機関投資家は企業に投資した時に、企業のことを散々調べて経営者にインタビューして人物を確かめたり、企業に出向いて実際に見てみたりと、助言会社よりも数倍その企業のことを把握しているはずです。実際に投資を判断したファンドマネージャーは助言会社などよりその企業の現状を把握し、見識を持っているはずです。多分、投資先の企業が変な方向に向かおうとしたら早い段階でキャッチして投資を引き上げるかなどの動きをするはずです。そういう人がいるはずなのに、なぜ外部の助言会社にわざわざ頼む必要があるのか。例えば、不適切な人物が取締役に加わることは投資リスクが高まることに直結するはずです。それを防止することができるはずなのに、あえて外部の助言を聞くというのは本気でない証拠としか、投資される側の人間には考えられません。

また、議論にもっともらしいコメントを言っているマスコミの場合も、企業としては権益に守られて独立した企業として存続できない他人任せの状態でガバナンス等と言えるのか、自分の足元を見ろというものです。

なんか、やるべきことを本気でやっていないことを糊塗するために、制度のせいにして、自分はのうのうとしている、としかコーポレートガバナンスを巡る一連の議論や動きは見えません。

もちろん、事業会社が一番の当事者としてもっとも責任があるのは、もちろんで、それを棚上げしているつもりはありません。私もその中で当事者としています。だから、ここで言ったことは、すべて私にも還ってくることは自覚しています。

 

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