無料ブログはココログ

« 柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(13) | トップページ | 柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(15) »

2012年8月 7日 (火)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(14)

第4章 政治神学の眼─権力生成の現場へ

従来の思想史において、スピノザの聖書解釈は、聖書批判を哲学的に根拠づけ正当化した最初の試みとして高く評価され、近代啓蒙主義における宗教批判の先駆として画期的意義が強調されてきた。

本来、社会契約論が聖書的伝統に発する「契約」の概念を原理的基礎においていることから分かるように、西欧近代における「政治的なもの」の設定は、宗教的政治状況に対する実践的な介入と宗教論争のなかで、聖書を逐一解釈し批判するディスクールとして生まれた。その結果、聖書のエクリチュールと社会契約論のエクリチュールはその表面的な相異にもかかわらず、実は同一の平面に属することになった。多くの人々の日常的意識を意味づけ、人々の社会的政治的行動を左右した直接的な動機が、聖書によって伝えられる物語や象徴であり、思想家たちも聖書におれる歴史や象徴の機能を学問的な分析対象としているように、聖書解釈とは、日常的な権力が人々の意識の中で作動する現場を反省的に認識したテキストに他ならない、実際スピノザは『神学政治論』のほとんどの部分を聖書解釈にあてている。

第1節 カルヴィニズムにおける権力と国家

1.社会契約論と聖書的伝統

スピノザの『神学政治論』が、カルテジアンやリベルタンといわれていた開明的急進的な人々までをも含め、様々な陣営の人々の激しい非難の的となった。

ここで、スピノザとカルヴィニストが激しく対立することになった主要な論争点はというと、多岐にわたるが、ここでは聖書解釈のなかでも、統治権の様式を探求するうえで必要であるとスピノザは述べている。『旧約』『新約』という名称が示す通り、「契約」の問題は聖書全体のテーマであるが、とくに契約による国家形成という問題設定の源泉は、族長契約とシナイ契約という、一種の「建国」契約に遡る。スピノザだけでなく、ホッブスやアルトゥジウスも、一神教を創唱し、ヘブライ人の祖となった族長アブラハムの時代、および子孫のモーセの時代において、ヘブライ民族と神とが契約を交わす場面を契約論の主たる題材として取り上げている。彼らは、聖書におけるヘブライ人の契約という歴史と宗教的形象を、施座区的な自然権論や近代的な社会契約論とパラレルに語りながら、眼前の政治権力を問い直し、新しい権力論や国家論をたてた。

ポリス的ないしコミューン的な性格の都市はもち地中海円がと西洋の諸都市を除いてはごくわずかに萌芽的に認められたにすぎず、その例外的な一例がイスラエルの誓約者たちである。しかもイスラエル的特質は宗教的契約が様々な法的人倫的な諸関係の現実的で構成的な基礎となり、政治的な共同体そのものを作っている点にある。このように古代イスラエルにおける契約が政治的な構成力の基盤そのものを成すという点では、社会契約論における契約の概念は、近代における民法的な契約よりも古代イスラエル的な契約に近いとさえ言える。近代において契約当事者がアトム的に独立した契約対立者であるように、古代においても契約が成立するためには、個人が法的主体となりうるほどの独立性を保有している必要があり、その対立的な関係を理知によって表面上の合致に転化させる理知的法技術が契約である。しかもその契約が日常的に存在する共同体の政治的生存様式である以上、以下のような特質を持っている。「この団体の結成時には参加者に決断が要求されるが一度結成された後は、成員に特別の決断が必要とされない。成員の団体所属資格は生得的だからである。しかし、それでも成員がこの団体所属を止めない限り、政治的諸権利・義務関係に置かれており、それを日常的に承認している。しかしこの契約関係は反省的にしか成員には認識されないのである。なぜなら成員に必要なことは自己の保有する諸権利と、政治団体を維持する諸義務の確認だからである。そのことにより、成員は対立的契機を克服し、共同の法を維持する。」このように独立した諸個人の対立に理知的な法技術を介在させることによって、日常的で共同的な政治様式を形成するという古代イスラエルの契約のモチーフを、近代の社会契約論はさまざまなヴァリエーションの下に再読して行くことになる。

« 柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(13) | トップページ | 柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(15) »

スピノザ関係」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(13) | トップページ | 柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(15) »