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2012年8月 4日 (土)

柴田寿子「スピノザの政治思想 ~デモクラシーのもう一つの可能性」(12)

第3節 歴史物語としての普遍的宗教─表象の多様性と政治的統合

こうしてスピノザにおける「政治的なもの」は、宗教を主戦場として展開されることになる。宗教心がどのように人々のあいだに政治的社会的統合をもたらすか、という社会意識としての機能を分析するに当たって、スピノザは「物語」の読解という方法と戦略を採った。ここで読み取られるべき物語の筆頭は聖書である。スピノザによれば、聖書において語られている「超自然的啓示」ないし「預言的認識」とは、徴証によって伝えられ表象力によって捉えられた物語であり、感覚や経験や記号を介して把握される第一種の感情的認識である。そして第一種の認識が、物を一定の時間(持続)や場所と関連して考える能力である以上、この物語は歴史である。

1.ヘブライ語聖書における預言的認識と普遍的宗教

スピノザによれば、モーセをはじめとしてヘブライ語聖書に登場する数々の預言者たちによる認識の特徴は、主として次の二点に集約される。その第一は、啓示の内容が幾重もの特殊的限定性に捕らわれている点である。神は預言者に対して、言葉や形象を通して語っているから、その内容は「預言者の表象能力や身体的気質、思想」に応じたものであり、その程度に応じて神の精神は制限、変形されている。さらには啓示を受けた民族も、優れていたから神に選ばれたのではなく、その預言者の程度に相当する民が歴史上選ばれたに過ぎず、預言者もまた選ばれた民の精神と把握力に応じて語った。にもかかわらず人々は、預言者の啓示や民族に関する物語や奇蹟のなかでも特殊的出来事のみを珍重し、逆に聖書の真の教えである道徳の方を無視した、とスピノザは語る。

預言的認識の第二の特徴は、それが伝達されるさいの預言者と人々との関係にある。預言者的認識は歴史上に特殊な状況で起こった物語の形をとって語られているから、それ自体には確実性はない。それは、どの預言者も神に対して神としての「徴証」を明示してくれるよう懇願した、という聖書の著述からも明らかである。それゆえ預言者から啓示を伝えられた人々は、「預言者の権威と預言者に対する信仰とにのみ頼って」啓示を信ずるしかないこうして人々は、自らの明確な認識によって神を認識するという理性と哲学の認識方法を身につけるのではなく、権威を信じる認識方法と態度を身につける。

以上のような預言的認識の形態は、エジプトを脱出したヘブライ民族の認識能力と社会意識の特質を如実に示しており、それよって彼らの国家形態も規定されることになる。エジプトを脱出したヘブライ民族が、当初民主政を成立させながら維持できず、王的な支配者を求めた原因の一つは「彼らの大多数が、賢明に法を制定し、統治権を自らの手中に共同的に保持するということに適さず、粗野な精神の持ち主で、惨めな隷属状態に消耗しきっていた」からであると看做される。

そして、スピノザは次のように議論を進める。モーセのヘブライ国家は「恐怖」による国家ではない。なぜならモーセは国家的統一を保つため、「民に恐怖よりも敬神の念からその義務を果たさせようとして」、「服従」と「敬虔」を人々に教える宗教を国家の中に導入したからである。ヘブライ人が神と契約を結んださいに生じた宗教は、統治の権利によってのみ法的力を得た。ここでの宗教権力は国家権力の下位にいるが、さらに、「ヘブライ人の統治が滅亡すると同時に啓示宗教は法的効力を失った」そして、聖書に記されている預言者を介して伝えられた神の啓示は、統治権の命令が消滅すると同時に、啓示宗教としての役割を終え、そこに残るのは「理性の普遍的教説」であり「普遍的宗教」と同じものである。

スピノザによれば、普遍的信仰とは、「正義と慈悲を愛する最高存在が実在し、すべての人は救われるためには、それに従うように義務付けられ、正義の行いと隣人愛を通じてそれを崇拝する」という簡単で基本的な教義につきる。

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