生誕100年 船田玉樹展─異端にして正統、孤高の画人生(5)
第4章 孤高の画境へ
大病に倒れ、身体が不自由な状態となって、リハビリしながら画業を再開したというのは、たしかに、伝記的事実として鬼気迫るものがあります。だからと言って、そういう不自由な状態で描いた作品が素晴らしいかというと、それはまた別のことです。(何か、こういう書き方は船田に対して悪意があるように誤解されると困るのですが)展覧会の展示では、その辺りの区別がはっきり意識されていないため、孤高の巨匠が不自由な身体のなかで描いた執念の作品というゆうような観方をどうしてもしてしまう。この船田という人の作品には、どうしてかそういう“ものがたり”を付随させてしまう何かがあると思います。それを、そういうものとして作品を楽しむための、言うなれば、アクセサリーのようにして楽しめばいいのでしょうが、制作している画家もそのことは意識的にされていなかったと思います。例えば、現代の松井冬子のように、絵画そのものというよりも、そこにいかに付加価値を加えていくかということが意識的に行われ、見る私たちは、そういうオマケが追加されていくのを楽しむことが、その作品を追いかける大きな魅力になっているのですが、船田には、そういう戦略性がないだけに、却ってたちが悪いという考え方もあると思います。だから、一連の洒脱風な河童の作品は、私には面白くない。何か惨めったらしい、というのか。画家本人には、そういう意図はまったくないのでしょうが、観ている私の側からは、同情を買おうとしているさもしさといった感想を抑えることができないのです。それは、河童の周囲に弁解のような下手くそな字で書き連ねなれた文が助長されます。
この一連の文章を読んで不快感を持った方もいらっしゃると思います。勝手なことを言って、と。船田の作品は、すべてが傑作とは思わないけれど、ほとんどすべての作品が、観る私に向かって正面から対峙するように迫るという面があると思います。そして、こう問いかれられるようなのです。「おまえは、どうなのか」と。黙ってやり過ごすことを許さないような雰囲気があって、この展覧会を通して見るのは正直疲れました。
そもそも、絵画作品が何かを伝えるとは、どういうことなのでしょうか。ここでも、私は安易に“伝わってくる”というような書き方をしています。例えば、言葉ならば、話される内容というのが比較的はっきりしているものです。また、音楽のようなパフォーミングアートはプレイする側と受け取る側があって、そこでコミュニケイションが成立するように見えます。しかし、絵画の場合はどうなのでしょうか。画家が作品に何かの思いとか感情とか理念を託して制作し、それを見る者が受け取る。といった、記号のようなものとして絵画を捉えているでしょうか。たぶん、そう考えている人は少ないと思います。作品は、ある程度、独立したものとして見ているという人が、ほとんどでしょう。(ただし、画家の伝記の方が主でその情報の確認とか、作品の解説を理解するために絵画を見ている人等は、ここでの考えの対象から外します)だから、作品の迫力などといった場合は、そこに込められた作者の感情の迫力ではなくて、作品から感じられるものです。それは、具体的には、構図や色遣いやいろいろいな画面上の工夫が観る人にそういう感じを抱かせる、という、いわば効果です。クラシック音楽の世界で、モーツァルトという著名な作曲家は短い生涯で膨大な手紙を残しています。その中で、彼は、自分の作品について、それが聴衆に与える効果について事細かく説明しています。そこには、感情をゆすぶられるとか、感動するといったような、今でもお決まりのことは、全く触れられていないのです。例えば、ある個所で三度転調した場合と七度転調した場合のインパクトの違いとか、ある場面ではクラリネットとオーボエの音色のどちらが効果的か、とかそういうことばかりです。彼の時代の音楽が聴衆を喜ばすエンターティメントだったと思われるかもしれませんが、モーツァルトはクラシック音楽を代表するような大作曲家です。今回の記事では、なかなかそうは行っていませんが、これまでも見てきた展覧会のことを書いている時、上述のモーツァルトの手紙ではないですが、できるだけ個々の作品の画面を追いかけて、そこで実際に受けた効果を語ろうとしてきました。とくに、今回の船田玉樹の場合は、日本画ということもあって題材が限定されてしまうため、何を描いたのか、ということよりも、どのように描いたのかというによって特徴が分かるタイプの画家だと思います。つまり、より効果いうことにウェイトを置いた画家ではないかと思います。そして、効果という点について、さらに考えてみると、人々というのは一様にできないので、効果といっても、どのような人を対象としているかという、対象の限定が必要になってくると思います。とくに、船田という画家は、画業の初期より前衛的というのか、突飛な変わったことを試みていた画家だったので、当時の一般的な美術鑑賞者、実際に作品を買ってくれたり、展覧会に金を払って見に来てくれる人だけを対象に限定していなかったと思います。そこから外れる人としては、既存の作品に物足りなさを感じる人や美術の世界に入ってこない人たちです。多分、師匠である古径という人たちとは、対象がずれていたのではないか思います。ちょっと話は、脇道にそれますが、サッカーというスポーツで名プレイヤーといわれるAさんの言葉で、「パスは人に向かって出すのではない」というのがあます。サッカーの試合で選手と選手との間でパスのやりとりがありますが、そのパスを送るため、ボールは相手に向かって蹴っていないといいます。では、何処に向けて蹴っているのか。誰もいないところです。そこに味方が走り込んで、そのボールを受取るようにトラッピングしたときにパスは成立するのです。ある人が、サッカーが誰もいないところにパスを送るのは、可能性に向けてなのだそうです。ここで話をもどしますが、船田玉樹の対象とは、このサッカーのパスのような、未だ誰も来ていないところ、しかし、誰かが走ってきて受け取ってくれるような可能性のあるというものだったと思います。だから、初期の「花の夕」という作品は突飛だけれど、これだ!というのが分かり易い。今回、このような文章を書きながら、船田でグーグル検索すると、画像検索では、この作品ばかりが出てくるのです。つまりは、パスは受けられている証拠です。しかし、それ以外の作品は、ほとんど検索でも引っ掛かりません。「花の夕」が強烈すぎると考えましたが、他作品には「花の夕」に負けない強烈なものは沢山あります。しかし、なぜか「花の夕」だけがネットで検索にひっかかるのです。また、作品一覧に作品の所蔵先が空白がほとんどとなっています。これは、パスが可能性のままで現実に受け取られていないのでは、と思うのです。そのことをパスの送り手である画家が認識していたとは、どうも思えない節がある。今回の展示も、第1章に「花の夕」展示されていて、それをポスターにあった絵だと見て、底で終わってしまって、後は付録のように回ったという人も多かったではないか。それは主催者の意図でもあったのか、「花の夕」だけがやたらと強調されていたのも確かです。その意味では、この展覧会のポスターや惹句には、違和感を持ちましたし、船田が故郷に戻って以降の作品にはズレと、展示方法への違和感を感じたという展覧会でありました。
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コメント
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コメントで失礼します。私は玉樹の第六子にです。たまたま、たどり着いて拝読しました。私の感ずる違和感と同様のご意見で、深い洞察に驚いたところです。くも膜下出血での麻痺状態については全身麻痺状態の重篤な時期以外は、奇跡的なほど早期に回復に向かい2年ほどで、通常の制作をできるようになっています。よって、病気に物語の焦点を当てる展示は違和感があります。実際は、死に瀕する病気を契機に、中央画壇から離れて自適に制作していた画家が、画家としての承認欲求が過度に現れてきたということでしょうか。私への手紙にもそのような意識や、焦り、金銭への不安を綴っています。また、絵を描くことだけに集中したい、生活や人間関係などの煩わしいことから逃げたいとの思いが強かったようで、実践もしています。入院中、意識が戻ったときに傍にいた私に語った言葉は「親権を捨てる。親と思うな。」でした。結局、駄々をこねる赤ん坊のような状況で、それを私の実母が受け入れたという環境でした。作品は売ることに対して、アレルギー反応が強かったようで、画商との付き合いは皆無でした。生活できたのは、熱心な支援者がいたからです。展覧会での作品は、美術館にあるもの以外は、相続でなく母から金銭売買し、ほぼ全て私が所有しています。所有先が空欄であるのは、市場に出ていないからであり、画壇と距離を置き東京での発表をしていないからです。花の夕も私が近年東京国立近代美術館に寄贈しました。私も滝のシリーズは見ていて楽なので好きです。これらは呉市立美術館に近年寄贈しました。父の作品は、思いを込めて描いたというより、基礎研究として膨大な量の実験をしていたという趣が強いです。付き合わされた家族は大変でしたが(笑)
投稿: 船田奇岑 | 2021年12月10日 (金) 11時59分
船田さま
コメントありがとうございます。しかも、画家の親族の方からなんて、驚きました。画家の貴重なエピソードまで教えていただいて、恐縮以外に言葉がありません。
>船田奇岑さん
>
>コメントで失礼します。私は玉樹の第六子にです。たまたま、たどり着いて拝読しました。私の感ずる違和感と同様のご意見で、深い洞察に驚いたところです。くも膜下出血での麻痺状態については全身麻痺状態の重篤な時期以外は、奇跡的なほど早期に回復に向かい2年ほどで、通常の制作をできるようになっています。よって、病気に物語の焦点を当てる展示は違和感があります。実際は、死に瀕する病気を契機に、中央画壇から離れて自適に制作していた画家が、画家としての承認欲求が過度に現れてきたということでしょうか。私への手紙にもそのような意識や、焦り、金銭への不安を綴っています。また、絵を描くことだけに集中したい、生活や人間関係などの煩わしいことから逃げたいとの思いが強かったようで、実践もしています。入院中、意識が戻ったときに傍にいた私に語った言葉は「親権を捨てる。親と思うな。」でした。結局、駄々をこねる赤ん坊のような状況で、それを私の実母が受け入れたという環境でした。作品は売ることに対して、アレルギー反応が強かったようで、画商との付き合いは皆無でした。生活できたのは、熱心な支援者がいたからです。展覧会での作品は、美術館にあるもの以外は、相続でなく母から金銭売買し、ほぼ全て私が所有しています。所有先が空欄であるのは、市場に出ていないからであり、画壇と距離を置き東京での発表をしていないからです。花の夕も私が近年東京国立近代美術館に寄贈しました。私も滝のシリーズは見ていて楽なので好きです。これらは呉市立美術館に近年寄贈しました。父の作品は、思いを込めて描いたというより、基礎研究として膨大な量の実験をしていたという趣が強いです。付き合わされた家族は大変でしたが(笑)
投稿: CZT | 2021年12月14日 (火) 00時14分