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2012年9月23日 (日)

カラヴァッジョ 光と影の巨匠-バロック絵画の先駆者たち(1)

過去の展覧会のことを書きます。2001年11月1日 東京都庭園美術館

Caravaggioposter会社の創立記念日。普通は休日ではない休日。混雑が噂されているこの展覧会も比較的見易いだろうと、早起きして開館前に並んだ。庭園美術館は公園の中に建てられていて入場券売り場は公園入口にあるので、公園の玄関には開園前に数人の人が並んでいた。

カラヴァッジョについては、波乱万丈の生涯が映画にもなったし、日本にも書籍も多い。所謂、西洋美術史のビッグネームのひとつなので、今さら、どういう人と説明する必要もない。バロック期を代表する画家で、彼の開拓した手法は後の世代へ大きな影響を与え、そういう人々はカラヴァッジェスキと呼ばれる。今回の展覧会では、その人たちの作品も展示されていた。しかし、自分で絵を描くわけでもなく、西洋絵画についての教養も持ち合わせていない私には、中世の宗教画の様式性の強い絵画がルネサンスによって写実的な絵画に変わって、ダ・ヴィンチやラファエルロといった巨匠が輩出した、いわゆる泰西名画というやつです。それから数世紀、バロックだのロココだのクラシックだの美術史では区切りがされていますが、私には、その違いがよく分かりません。みんな同じに見えてしまうのです。美術史の本やガイドブックの類を読んでみても、それらしいことが書かれていますが、そもそも、どこが違うのか、どうして、さほど違いが感じられないものを区別する必要がどこにあるのか、私にはまったく理解できません。何せ、さっきのダ・ヴィンチとラファエルロというピックネームだって、どっちの作品だと教えられなければ、ある作品がどちらかが描いたものだと聞かれても、どっちと答えられないでしょう。印象派を境にして絵画そのものが大きく変化するので、印象派の前と後の作品は区別できますが、その程度の美術を見る目とか持っていません。

では、ちょっとお勉強から「通常カラヴァッジョというと、ルネサンス期の華麗だが伝統的な手法から離れ、自然と生活の単純な模倣を導入しながら、その自然を完璧な方法で浮き上がらせるために、明と暗、光と影を画面に強く印象づける画法を駆使した画家。」という説明があります。ルネサンスが伝統的かいえば、それ以前の中世のイコンのような図案に近いものから、取敢えず現代の私が見ても生身の人間のようだ、あるいは写真のようだ、と思えるような絵画に大きく転換させた、それを完成の域に達し洗練させたのはダ・ヴィンチたちで、カラヴァッジョはその僅か1世紀後に生まれ、当時は美術史いえば、ルネサンスからマニエリスムやバロックに移り始めていたはずで、果たしてルネサンスを伝統的と言えるかどうか、後の世の現代から見えると図式的にそのように見えるけれど。それはいいとして、中世の絵画が図案のようだと書きましたが、書かれたのは教会の壁画などでキリストの事績など書かれることは決まっていて、キリストもどう描くかというパターンができて、たとえモデルを使っても、個人をそのまま書き写すことはなかったでしょう。これに対して、ルネサンスは君主や聖職者の肖像画が書かれるようになり、宗教画もパターン化された画像ではなくて、キリストなども生身の人間に近い書かれ方に変わりました。といっても、中世が払拭されたわけではなく、キリスト一個の人間ではなく、神様のようなものですから、普遍性が求められます。どこかの誰かににているキリストでは格好がつかないわけです。そういう人物の描き方が理想化された人物像というわけです。だから、キリストは庶民の大工の家に生まれたといっても、生活に疲れ薄汚れた貧しい青年とは描かれなかった。キリストの弟子たちや聖者と言われる人たちもそうです。

それをカラヴァッジョは、貧しい青年なら実際にそういう人をモデルにして、当時としては、その人にそっくりに描き、それをキリストや聖者としたといいます。しかし、それだけでは、キリストが近所のガキと同じです。そこで、画面では彼に光り輝くようなスポットライトを浴びせた。劇場のステージで小柄な俳優が、まるで劇場全体を支配するような圧倒的な存在感を示すことがありますが、そこでは照明効果で、その俳優にスポットライトを当てたり、下から光をあてて上に伸びあがるような錯覚を見る者に与えるなどの視覚効果を駆使していました。それを絵画の画面で行ったというわけです。一般にキアスクーロと言われる手法です。そうなると、絵画の画面がまるで劇場のようになるのです。それを見る人は劇的と称しました。それがまあ、上で引用した解説の、私なりの捉え方です。

例えば『エマオの晩餐』という作品では、キリストが磔にされた後、復活を遂げて弟子の前に現われた事績を描いていますが。中央でテーブルに着いている若者がキリストであるということは、言われなければ分らないでしょう。しかし、宿屋の室内ということか、全体に暗い空間の中で向かって左から光が差して、それに浮かび上がる顔とその表情や、周囲の人々のポーズが劇の一場面を切り取ったような迫真さが、いままで書いてきた特徴と言えます。

今回は、彼の作品の中でも中規模の作品が展示されていて、それらを見て行きたいと思います。

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