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2012年9月 6日 (木)

辰野登恵子/柴田敏雄展─与えられた形象(3)

Ⅱ円と丸から

最初のⅠ.1980年代の展示が、受付を入ってすぐに目の前に広がり、大きい、キレイでない、という印象のまま、あまり好感を持てずにいるうちに、次の区画に入り柴田の写真の展示を見て、少し落ち着くことができました。柴田の写真の展示に関しては、最初のところでまとめて書いたので、ここでは書きませんが、作品として出来上がったものをこうした展示で見るよりも、作者がこんなことをしているというような、この一連の作品について意図を語ったり、文章で書いたのを読んだりする方が、ずっとエキサイティングのような気がしました。アィディアは面白いと思いますが、それに作品が追い付いていないと思いました。これなら、風景写真を画像ソフトを使って手を加えて、あたかも現実にあるかのような人工的で、抽象的な風景を写真の形で提示してくれた方が徹底しているように思えます。もとより素人の浅はかな思いつきですが、写真を見ていて、中途半端に印象が先に立ちました。

Tastunountitled948lそれに比べると、まだマシ(というとお二人には失礼ですが)ということで、辰野登恵子の作品を柴田の展示区画から入り口を通して遠く視界に入ってくると、はじめて、その作品が汚くないことに気づきました。

これらの作品は時期的には、Ⅰの1980年代の作品の後に当たります。まず、ゴチャゴチャしたものがなくなりましたが、かといって、だからすっきりしたというのでないです。

画家自身は、円とか丸をテーマとして意識していたわけではないようで、曲線で囲まれたものとかかたちを、抽象性の高い円とか球というものではなくて、もっと丸いものという感じで描きたかったようです。カタログには、円とか丸というモティーフは、まったくフラットなものから、陰影とヴォリュームを施されたものまで、同じ外形を保ちながら様々な度合いのイリュージョンを付与することが可能だったと書かれています。

例えば「UNTITLED94-8」という作品では紫とピンクの細長い球のようなものが交互に並べられ、それぞれの紫やピンクが球体ごとに濃淡の変化や陰影の加え方の変化により立体感や重量感が加わるがそれぞれに変化が付けられ、それらが積み重ねられ、壁とも山とも見えてくる。そして、それらの球体の隙間の色が変化し、右下の部分のオレンジ色の部分は見方によれば光が差し込んでくるようにも見える。と説明していけば、そうなのです。しかし、だからどうなの?という問いが浮かんでくるのです。丸いというモティーフを使っていることは、本人やカタログの説明から理解できるのですが、そこから分かるのは、たんに便利に使っているということでしかありません。この作品の場合でも、さまざまな技法を用いて絵の具を画面に置いているのでしょうし、見た目でいろいろな塗られ方、絵の具の定着のされ方をしているということは分かるのですが、それが画面上のヴァリエイションとなって目を楽しませるとか、そういうことはなくて、画面の汚さを助長しているようにしか見えないのです。

しかし、先ほど言ったように他の区画から遠く眺めるとか、とにかく距離をできるだけとって、作品に対して正対しないで漫然と眺めると、汚い色の塗り方は一種の揺らぎのように映り、輪郭の曖昧さ不揃いさは不定形な動きを内包しているように映るのです。多分、この文章をネットで読み、作品をコピーされた画像で見ている人は私が上に書いたような汚さはあまり感じないと思います。それが、とうしてなのか、どういうことなのか、会場で辰野の作品に対して、出来る限りの距離を開いて眺めて眺めることで、これから追求していきたいと思います。

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