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2012年9月11日 (火)

大津真作「倫理の大転換 ~スピノザ思想を梃子として」(7)

人間的本質としての欲望

人間の幸福のための基礎条件を、神即自然の全体性とそのなかに包摂されている人間存在に分けて検討した後で、スピノザは、人間の至福というものの本性とそれを実現するための方法を明らかにする。そこには、もう一度、人間的自由と欲望存在としての人間的実存の問題が現れる。「人間の至福とは何か?」誰にこの質問をしてみても答えは同じである。自分の欲望が十全に満たされることである。欲望充足は人間の自由と結びついている。人間が奴隷の状態に置かれたとき、十分に欲望が満たされることはない。主人のみだからだ。他に依存し、従属しているからだ。

ここで、探求すべき課題は、一般に欲望と言われているものが何か元言うことである。これが『エチカ』の第三部を占める探究となる。欲望とは精神の決意のことであり、「意識化された衝動」のことだ。この衝動を生み出すものは何か。それは身体の永続を望む存在物の「努力」である。この身体上の「努力」は、精神上にその映像を同時にもたらす。それが欲望だ。だから、欲望及び衝動は、「身体上の決定と本性上同時にあり」、それらはいずれも存在物の「努力」から生じるものだから、「人間の本質」を成している。スピノザの心(欲望)身(存在への努力)平行論がこれである。

これは倫理学史上稀有な定式である。スピノザ以外の倫理学が体制護持のための学問だったことの証だ。スピノザのあのマリアである。倫理学の基本概念はつねに禁欲ではなかったか?それに対してスピノザは、一般に、衝動や衝動を意識化した欲望を倫理学の基本概念に据えた。既成の倫理学とは真っ向から対立する倫理学をスピノザは打ち立てたことになる。スピ除の倫理学は、このように人間の本質から構成された理論であるので、きわめて実践的なものとなる。なぜなら、これまでの倫理学は禁欲を最高の徳と考えて来たので、人間に努力を迫る強制の倫理学だったからであり、およそ人間に在っては、努力の強制ほど無理難題はないからだ。つまり、禁欲は人間存在の本質ではまったくないので、それに根拠を置く倫理学は夢想以外のなにものでもなく、破綻することを運命づけられているということだ。これに対して、欲望の倫理学は、人間の本質に根ざしているので、きわめて実践的な倫理学となる。そして、欲望の充足は人間にとって自由の達成である。だから、スピノザの倫理学は同時に人間的自由の倫理学となる。

『エチカ』の最終部分は、スピノザが果たしたかった最終的な課題である人間の幸福を作り出すための装置をデッサンしている。それは、人間理性の普遍性・共同性に根ざし、分業を行う、公正な共同社会である。そこでの人間存在は、個々ばらばらではなく、多数の人間がたった一個の身体と精神を形成しているように見える共同社会である。こうした社会においては、人間は孤独ではなく、共同存在となり、思う存分自己利益という名の共同利益を楽しむ存在となる。

国家の科学的探究へ

スピノザが構想している国家像はねマキアヴェッリが宗教的な倫理的徳目から君主の行動を切り離したように、人間個人の資質や有徳や勇気には関係しない国家運営を可能にする。それというのも、「人間は必然的に諸感情に従属する」から、国家の永続的平和と安定のためには、統治者の資質をあてにはできないし、また、あてにしてはならないからである。「むしろ国家が永続し得るためには、国事に携わる人間が理性によって導かれようと、感情によって導かれようと、信義にもとる振る舞いをしたり、邪悪な行動に走ったりすることができないように」国家装置が仕組まれなければならない。ここにおいてもスビノザは、はっきりと非「人間主義」である。スビノザは国家の統治者を一種の魂なき人間の身体として、はじめてそれを科学の解剖台に乗せた独創的な医学者、つまり国家思想家であった。

人間から切り離された国家は、「人間の共通的本性または共通の状態から」産出される一種の社会的生産物となる。こうして、スピノザは、国家を一種の「自然物」として扱い、それを客観的に分類し、それぞれのメカニズムとそれを突き動かす「神の永遠なる力」とを明らかにしようとする。この最強の「力」に押されて、人間は自然状態から社会状態へ本性上、移行する。

こうした国家の本性と目的から「国民ができるだけ平等である」必要性が出てくる。

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