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2012年9月14日 (金)

大津真作「倫理の大転換 ~スピノザ思想を梃子として」(10)

第一原因という罠

人間の原因学は無限に続くものであるために、恐ろしい不安を掻き立てる。人間は自分たちと同じレベルで、神を想定することにより、この原因学を打ち止めにしようと図る。なんでも不幸と悪事は、他人のせいにしたいのだ。だが、人間の認識には限界があるので、外的な究極原因を突き止めようとしても、今度は、究極原因が無限の彼方に消えてしまうことを発見する。つまりは、原因不明であり、残るのは不安感だけだ。そこでの不安感だけでも解消しておきたいと願う人間は、ひとつの凶悪きわまりない悪の権化、第一原因たる悪魔を想定する。宗教が困窮した人間の慰藉となっている。

スピノザも「神は、絶対に第一の原因である」と断言する。ここでスピノザ理解は二つに分かれる。一方は有神論的理解であり、他方は表現論的理解であり、後者の道は、主体なき過程を想定することに帰着する。スピノザが「第一の原因」という用語の前に、「絶対に」という副詞を付けていることからわかるよう、ここでスピノザが言う「第一の原因」とは、前記の原因の原因という具合に人間的常識のレベルで、無限のおおもとに遡っていって、結局はその果てに「うちどめ」としての神を想定する、というような相対的認識のうえに導入され、仮定される「第一」原因ではない。それは、ア・プリオリに「絶対」的な認識で、把握されるような原因なのである。このような原因は、当然のごとく「存在を含む」ゆえに、結局は、当然のごとく「存在を含む」ゆえに結局は自己原因なのである。したがって、前者の有神論的理解は明らかに間違っている。

つまり、通常人間が追い求める原因は外部原因であり、その行きつく先は、人間の姿をした神だというのである。外部原因の究極に神を設定するならば、設定された神は、必然的に神の外部原因という恐るべき想像を突きつけられ、神が全知全能の究極存在ではなくなる事態に直面せざるを得ない。スピノザは、結局これは神の定義に反するので、虚偽の推論として、あらかじめ斥けているのである。こうして、われわれは、こでは「事物をその第一原因から認識する」立場、つまりは、後者の有神論でないスピノザ理解に立たざるを得ない。

存在性と自己原因

哲学者スピノザが想定する絶対的な第一原因とは、言い換えると、内部原因または「自己原因」のことであり、「第一の」という形容詞から想像されるような「自然の事物に始めがあるのを見て、実体にも始めがあると思うようになる」という意味での、最初の起動因ではない。

まず、自己原因はそれ自体の原因を持たないというものでなければならない。「ひとつの実体は、もう一つの実体によって産出されることができない」そこから、「実体は、他のものによって産出されることができない」という結論が出てくる。存在論のレベルで見ると、この実体はなにものかによって生み出されていないのに、存在しているものと定義することができる。しかも、第一原因は、「第一」という表象で浮かぶ、通常の意味での最初の起動因ではない。つまり、それ自体も原因となりうるような「結果として利原因」ではない。なにものかを産み出したとたん、当該のものは、原因を持つことになるからである。しかし、それでは、第一原因は「存在」できないのではないか、という疑問に突き当たる。だからこそ、スピノザは、自己原因は必然的に存在を含む、と主張したのだ。自己原因または第一原因とは何か。時空を超越して、「存在」を本性=本質として持つもの、通常の意味での原因なくして存在するものとは何か。スピノザに忠実にこのような原因を指名するとすれば、それは、このあるがままの世界だということになる。すなわち現実の全自然である。自然に含まれている個々の物体はそれぞれに循環する因果を持つが、全体としての自然はただ「存在」しているだけである。

そうだとすれば、スビノザの自己原因なるものは、もはや通常の表象に浮かぶような原因とは言えない。産出活動をいっさい伴わない原因は、もはや原因とは言い難い。それゆえスピノザは、「実体は、本性上存在する」と言い、「必然的に無限である」と言うのである。これがスビノザの神=実体論のアルファでありオメガである。主体がなければ、目的も意志もない。しかもなお自然なるものに存在理由はあるかといえば、それは存在を本性とする、としか答えようがない。自然または神は存在している、それで終わりだ。そこからは何も作り出されない。

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