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2012年9月 6日 (木)

辰野登恵子/柴田敏雄展─与えられた形象(4)

Ⅲ.1970年代

展示は、この後、柴田の写真がしばらく続き、二人の初期作品として学生時代とその後の作品が展示されていました。それらを見て感じるのは、若さゆえか、もともとそういう性格なのか、ある種の軽薄さというのか、当時の流行に敏感で、それなりに距離を置こうというセンスらしさは感じられるのですが、誰かが言っていましたが、日本の西洋絵画というのは当時のヨーロッパの流行を最初に持ってきた人が、その芸術運動の紹介者ということで一つの権威となるという構図、そのシステムを作っているのが東京藝術大学と画壇と政府ということで、言ってみれば、カタログに二人の対談にもありましたが、学生時代、ひたすら新しいことを追いかけていたようで、穿った見方かもしれませんが、そういうシステムが体現化されていたと言えなくもない、されは、初期作品も地に足がついていない、だからといって実験する、試している楽しさが伝わってこない。習作に目くじらを立てるのはどうかと思いますが。そのあと、1970年代の辰野の作品の展示になりました。

Tatsunowork78177ある程度の大きさのドローイング(この人は大きいということ好きなのですね)クリーム色のファブリアーノ紙の上に事務用の赤鉛筆で引いたグリッドの上を、さらにグワッシュや水彩の面相筆による描線によって丁寧になぞっている。色鉛筆によるグリッドは、紙面全体を均質に、規則的におおって丹念に引かれている。フリーハンドで引かれた、白や水水色のグワッシュや水彩の線は、赤鉛筆の線を消し去っているように見えるし、赤やオレンジのグワッシュや水彩の線は、逆に赤鉛筆の線を強調しているように見える。絵の具の線は、溜まりをつくって盛り上がったり、逆にかすれたりしており、画家の呼吸や腕の動きを伝えながら、画面上に起伏を、表情を作り出している。とカタログで解説されている「WORK78-17-7」(上図)という作品。

辰野はこう言っています。「普通の罫線やマス目のノートを開いたとき、右側と左側のページは、連続していながら、同時に断絶があります。ページが重なると、重なったがゆえに線がずれたり、とじ目があるので線が消えたりすることもあります。もともとそういうノートとか原稿用紙は子供の時から好きで、ただただ見入ってしまったり、それに色を塗ったりとか、逆にはみ出すように塗ってみたりとか、していました。1970年代は、概念的でコンセプチュアルなものしか認められていない時代で、何をするにも理由が必要でした。それで、自分がもともと気になっていたものにとことんこだわってみようと思ったのです」

ミニマリズムの影響だそうですが、赤い方眼紙に細工を加えたようなと言ってもいいもの。辰野本人やよく分かっている人の解説を読むと、そういうものか、ということは分かります。画家本人も言っているようにコンセプチュアルということで、概念として言葉で説明できるものになっています。しかし、そこで執拗に引かれたであろう画面の赤い線に魅力が感じられないのです。あるいは線の赤に魅力を感じられない。線が生きていないとしか言えない。鉛筆できちっと引かれているはずの線ですが、そういう精密さというものが見る者に迫ってこない。だから、グワッシュや筆で引かれた線の揺らぎとの対照が際立ってこない。解説にあるような画家の呼吸や腕の動きを伝えるに中途半端になっていて、観ている私には伝わってこない。むしろ、下手な線に見えてしまう。総じて、初期と言えるでしょう、1970年代の作品は、私には面白くなかった。抽象画に技術とか技能というのはおかしいのかもしれませんが、そういうものが付いて行っていないような印象が強かったです。社会的には、批評家や画廊に高い評価を受けたのでしょうから、私の見方はたぶん偏っているのでしょう。

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