あるIR担当者の雑感(91)~此岸と彼岸
以前、仕事の引継ぎにかこつけて、分かる側と分らない側、出来る側と出来ない側とは明確に区別できて、分かる側から分らない側を、出来る側からは出来ない側を見ることはできるけれど、その逆はない。というようなギャップのことを書きました。これについて、1名の方から共感のコメントを個人的にいただいたので、ちょっと舞い上がって、その勢いでもう少し書いてしまいます。以前の記事もそうですが、これは私が独断と偏見をもって個人的に感じていることで、客観的に証明できるような事実ということではありません。
さて、此岸と彼岸ですが、前に話した分かる側と分らない側、出来る側と出来ない側というのは習得した能力のことで結果の側面にあるものです。で、これから書きたいというのは、その前、する側としない側というお話で、これは原因の側面といっていいかもしれません。どういうことかというと、例えば、ここで昨日まで、IRに関して個人投資家向け説明会の試みについて、詳細まで突っ込んでここに明らかにしてきました。現時点では、成果が出たわけでもなく、未だ海のものとも山のものとは判然としないことではあるわけですが、例えば、こういうことに関心を持っているIR担当者がこれを読んで、誰か1人でもやってみようという人が出て来るかというと、おそらく出てこないだろうことです。う~ん。わかりにくいでする。たとえが適当ではないかもしれない。あるブログで読んだ話です。その書き手は書店で働いていて将来独立を考えているという人なのですが、そこで最先端の販売戦略を取り入れて業績を伸ばしている出版社の営業担当の役員が書店に来たときに、その戦略の内容を隠すことなく教えてくれたそうです。その会社はそのことを隠すことなく対外的にも明らかにしているそうです。それで、そのブログの書き手が、手の内を明かすとライバルに真似されてしまうのでは、と件の役員を心配したところ、その役員は、「でも、どこも、やっていないでしょう」と言ったといいます。なんとなく、ニュアンスは分って頂けたでしょうか。
自慢するようですが、IR活動を進めていく中で、投資家やアナリストに会社概要を説明する時に、どこの会社でも会社案内を作っていると思いますが、それは投資家や市場関係者の視線で作っていないので、実際のところあまり役に立たなかったので、投資家向きの会社案内を手作りで作りました。たとえば、事業のリスクだとか、市場規模とかシェアとか競合会社といったこと、ミーティングをすれば必ず質問されるようなことをまとめて冊子にしたものです。作るのに何年かかかりましたが、使ってみると、投資家やアナリストにも好評で、ホームページ制作とか意外なところで活用できたり重宝しています。それを見た、あるIRセミナーの講師の人が感心して、その人が講師をしているセミナーでこのこと紹介をして奨めてくれました。たまたま、私もそのセミナーに出席していてそこで作ったのはこの人ですと紹介されました。(自慢じゃないです?)その後で、そのことについて聞いてきた人はいませんでした。その講師の人も、個人的に何人かの人に奨めたそうですが、一様に感心し、興味は示すものの、作ろうとする人はいなかったそうです。(自慢じゃないです??)
長々と書いてきましたが、言いたいことは単純です。出来るのにやらない。思うに、やる人とやらない人の間に一線が画されていて、やらない人はその一線の彼岸に留まっているのに対して、やる人あるいはやっている人はその一線を軽やかに跳び越えてしまっているようなのです。かといって、やらない人がやる気のない人とも言い切れないのです。例えば、会社案内を作ろうとしない人であっても、セミナーに出席するというのは、何とか自社のIRを良くして行きたいとしての行動であるに違いないわけです。また、出版社の営業の場合でも、厳しい競争を繰り広げている中、何とか他者との競争に勝ちたいとどこの会社でも努力しているはずです。そして、会社案内もそうですが、やることを躊躇するほどの大事業でもないのです。今日から、取敢えず始めてみようと思えばできることなのです。だけど、…なのです。
多分、その一線を越えた人、つまりやっている人というのは、その一線というは意識するようにこともなく、軽やかに越えてしまって、簡単に実行できてしまうのです。また、当初は一線を越えられないでいた人が、何かのはずみで越えてしまったら、今度は軽やかに実行できてしまうのです。
一線を越えられない人の中には、慎重であるとか(石橋を叩いても渡らない)とか、リスクを考えてしまうとか、そういう人がいると思いますが。越えてしまうと、きっと目の前の世界が同じなのですが、変わって見えてくると思います。象徴的な言い方をすると、越えられない場合には「…となったらどうしよう」と考えることから「…するためにどうしようか」と考えられる世界に見え方が変わるというのでしょうか。
これも、教えられないことだろうと思います。また、越えた人が、越えられない人を導いても、当人が自分で越えないと越えたことにならないのです。
以前の書き込みと今回の書き込みで、何か仕事ができるようになるには、学校へ行ったり、社内研修を受けたり、マニュアルを読んだりといった教科書にかいてあるような標準的な制度のもとで、仕事ができるようになることに対して否定してる、懐疑的な議論と取られるかもしれません。実際の所、それらの効能を全面的には信用していません。むしろ、できる人が自分のやっていることを整理したり確認をするのに使う方が、より役に立つのではないかと思います。
そして、おそらく、出来ない人としない人は重なります。できないからしないのか、やろうとしないから出来ないのか、鶏と卵の議論のようですが。そして、おそらく絶対数で言えば、出来ない人の方ができる人より圧倒的に多いのです。だから、やる人が会社でやるためには上司の承認が必要で、上司がやらない人であった場合に、それは承認されず、やられなくなってしまうのです。多分、デフォルトでやらないとなってるので、特段の理由がなければ自然な流れでそうなってしまうのでしょう。ではとうするか。やる人は、そう言うことは過去に何度も経験しているでしょうから、それなりにやってしまっていると思います。だから書きませんし、書く必要もないと思います。
なんか書いているうちに、宗教がかってきてしまっているようです。ただ、原則的に制度化された仕事の進め方とか組織といったものは、出来ない側のことを考慮して、というよりもその側のために作られるようになってきていると思います。個人的には、そうであっていいのか、思うことがあります。(出来ない人が気が付かないでトップにいたり、上層部、つまり出世した人の多くが実は出来ない人だったりという会社は結構あると思いますが、そういう会社は伸びていない、とかいうことはやめておきましょう)
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