松島大輔「空洞化のウソ~日本企業の「現地化」戦略」(9)
4.「日本入ってる」で「新興アジア」をめざせ
「新興アジア」のビジネスがコスト競争で理解できるというのは、現実を無視した、まったく単純化した義面です。むしろ相手のニーズに合わせて製品やサービスを提供することに尽きるのです。価格が問題なのではなく、ニーズが問題。相手が欲しいものを提供したら、結果的にネタ線が安かった、に過ぎないのです。結果的には安くなるかもしれの線が、本質的には全く異なります。その意味で、「新興アジア」では、新規のセグメント(縄張り)創造という視点が欠かせません。日本が経験した市場ではなく、新しい市場を創造する力が必要となるのです。つまり、お客様ニーズを製品化して夢をかなえるという発想こそが、夢のある成長する市場の醍醐味であり、またインベーションの源泉なのです。
価格ではなく、市場の声に適合したスペック、品質が勝因であり、単に価格だけの勝負なら、あるいは現地を知らないでもできるかもしれません。しかし消費者が求める商品、特に時代の激変に対応できる商品やサービスを提供するということになれば、東京にいては全く対応できないでしょう。やはり「現地化」が不可欠となるのであり、成長するということは激変するということであり、「現地」でなければできないことです。
日本の技術やノウハウをそのまま売り込むという競争は避けた方がよいでしょう。それは日本企業の技術やノウハウへの過信であり、勢い、低価格競争ができるか否か、という不毛な二元論に陥っているのです。日本企業の「新興アジア」における「現地化」とは、こうした売れないものに固執してしまうことを避け、かつ価格競争を回避する二正面作戦、「新興アジア」と協業し、この地域でのビジネスを拡大することなのです。Made by Japan やmade with Japanという発想もこの点を共有しているのです。従来は完成品まで完成されて売る、という方法が主流だったでしょうが、「新興アジア」とまの協業により、「現地化」を進め、それぞれの地域では、何が売れるかを見極めて作り、提供するのです。「作れるもの」から「うれるもの」への転換。それは、日本企業の技術やノウハウから、「新興アジア」との協業のうえに収益を得るという仕掛け、そのビジネスモデルが必要だというわけです。
価格きょぅひうの本質は、生産工程におけるモジュール化の進行にあります。たとえ「新興アジア」において、膨大で安価な労働力が供給されようとも、製品やサービス自体がモジュール化されない限りは、日本企業を含めた産業化に先発した国々の企業が、技術開発において、「新興アジア」の後発国に敗北することはないでしょう。しかし製品の生産工程におけるモジュール化が進展すれば、すべての部材は相互に互換性があり、さらにインフラ整備が進み、世界がフラット化するような状態では、「世界最適調達」という言葉に代表されるように、一番安く作れるところに作らせる、というビジネスモデルが機能するようになるのです。このため安く調達することを優先すれば、安く仕入れるルートの開拓を目指すため、品質にこだわり、コストの高い日本企業は排除されることになるのです。しかし、日本企業のオンリー・ワン技術なり、誰も知らないノウハウであれば、これを活用しなければ完成品をつくることができない。ここから、日本企業と「新興アジア」企業の連携の余地が生まれるのです。このことによって、日本企業が直接、完成品まで責任を持って売る必要はなくなります。協業相手である「新興アジア」のパートナーが売ってくれることになるのです。こうした連携関係は、翻って売れ筋が分かり、欲しいものを売るという、マーケット重視のコンセプトにも合致するわけです。そして同時に、日本企業の知的財産という、勝負の種を死滅することなく、日の当たる場所で積極的に活用し、ビジネスを得ることができるのです。日本の技術やノウハウというすり合わせと、「新興アジア」のモジュールが、互いに邂逅し、互恵的関係(Win-Win)のなかで最強の競争力を誇るビジネス・アライアンス・モデルに昇華することになるのです。
5.「新興アジア」が日本を変える
この国を変えるため、便法として「新興アジア」を活用する「方法としての新興アジア」。「現地化」は「新興アジア」市場を獲得するための手段であると同時に、その過程を通じて、日本企業自体を再編成する契機とする。すなわち「現地化」による稼ぎをレバレッジにしながら日本企業の再生、再編成を目指そうという試みです。
一つには、「新興アジア」で儲かる可能性が広がることで、このゲームへの参加の意志は俄然盛り上がります。国内の血で血を洗う戦いでは、負けない努力に集中することになり、勢い後ろ向きになり、創造的な仕事は生まれにくいでしょう。構想改革を続けることで日本の産業構造を変えていくことは困難です。産業再編の必要性を否定する人は誰もいません。そのためのアイディアやプランは机の上では山のように生まれます。しかし、現実にはしがらみや変革コストがあることで、相当の突破力が必要です。痛みを伴う。攻めるか、守るか。土壇場に追い込んで伸るか反るかの大博打を打つよりも、海外に飛翔し、試してみてその成功を共有する方が、殺伐としない。目的は同じですが、その過程を通じた革新はどちらが効果的で、日本人に適合的でしょうか。「新興アジア」を自らの事業分野にするには、自らの組織を再編する必要性、必然性があります。そして企業や産業の垣根を越えて融合することにより、産業の革新を図ることにつながるのです。それを行わなければ企業は淘汰されるでしょう。また、「新興アジア」は、これから何でもできる新しいグリーン・フィールドであり、過去のしがらみのない世界なのです。新興アジアでは、「コスト競争ではなく、市場創造競争」というのはその意味で重要なのです。日本国内の「仕切られた戦争」に比べ、「新興アジア」は、産業創造を進めるための自由度が高いということです。「現地化」は、成長著しい「新興アジア」の深い懐を借りることで、いわば痛みをともなわない構造改革を実現する方法なのです。「新興アジア」は、一つの実験場として、新しい組み合わせを試していくことができるのです。
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