松島大輔「空洞化のウソ~日本企業の「現地化」戦略」(4)
第2章 「新興アジア」における「現地化」ノススメ
1.「新興アジア」で進行していること─日本経済との対比で
日本の国内市場は、今、急激な縮小傾向にあります。これが日本産業の全般的な不振の根本です。一方、日本市場の縮小とは対照的に、インドを筆頭とした南アジア、東南アジア、中国の一部を含む地域から成る「新興アジア」の急激な興隆は、じつに目を見張るものがあります。「新興アジア」における消費市場を牽引する中間層と呼ばれる、一定の購買力を持っている人口は中国とインドだけでも16億人、今後約10年で倍増することが約束されているといいます。それぞれの国の生活水準、物価水準を考えますと、社会風景を一新するような急速な変化といえるでしょう。こうした中間層の抬頭に裏打ちされて、2020年のアジアの消費市場規模は我が国の4.5倍に拡大するのです。「新興アジア」は、日本もうらやむばかりの巨大消費市場として、世界の成長センターの地位を不動のものとしつつあります。
日本経済は、内需が主導しているのだから、内需喚起をつづけていくべきで、輸出もふくめた海外市場へのアクセスは不要であるという主張があります。しかし本当に日本国内の内需だけで、未来永劫、日本経済を引っ張っていくことは、持続可能なのでしょうか?日本国内の内需自体が、日を追うごとに縮小してしまう中、今までの国内目線の戦い方では限界に来ているのです。日本国内に閉じこもっていれば、生産性の低い分野は、早晩国際競争力が削がれてしまうでしょう。
日本企業の中には、まだまだ国内市場のシェア拡大競争で他社に伍していけると考える企業が多いようです。しかし、一般に企業の成長にとって、市場全体の伸び代があるというのがいかに重要か、という点に注目すべきではないでしょうか。日本国内では、他社のシェアを取り合う、激しい戦いを制していかなければ勝ち目はない。日本国内のシェアをコンマ数パーセント増やすことに注力する企業も見受けられますが、それがどの程度、今後の企業の成長に寄与するでしょうか。日本国内市場でのシェア取り合戦へのこだわりが、「新興アジア」に広がる無限とも言えるビジネスの可能性を活用できず、その企業の競争力を削いでしまってはいないか、と傍で見ていてたいへん残念に感じる時があります。
外国から好奇のまなざしを向けられ、もはや学術的な考察の対象となってしまった「ジャパン・シンドローム」。日本経済が潜在的には競争力があるにもかかわらず、負の連鎖が続いて経済社会が沈下していく「日本という発病」の謂いです。この現象の背後には、日本企業の国内市場至上信仰とでも形容すべき病巣が横たわっているとみることも可能ではないでしょうか。競争力を紡ぎ出す種(シーズ)はあるにもかかわらず、これをうまく活用できない。むしろこの競争力の源泉である経営資源を、収益率が低く、将来的に縮小し、かつ今後過当競争が激化する国内市場争奪戦に投入するという行動に駆り立ててしまっています。この国内での血で血を洗う戦いを制したところで、国内市場自体が小さくなっているため、外から見てもあまり違いの分からないようなちょっとした差異化を永久に続けなければいけない。このような「負のスパイラル」に陥るという懸念があります。
さらにサプライチェーンでつながった下請け企業群にあっては、メーカーからの指示待ちに甘んじ、その顧客を維持することに汲々としているのではないでしょうか。進取の気性に富んで新しい製品開発を検討することや、事業モデルを思考することを停止し、思考の空洞化が蔓延しています。上流に位置するメーカーや施主からの過度な要求が、そのまま下請け構造に甘んじる企業群、とくに雇用を吸収する豊饒な泉である中小企業にしわ寄せが行っているのです。つまり、縮みゆく日本国内市場だけに注目した結果、挙句の果てには、利益率の低い国内の過当競争のただなかに、日本企業群全体がサプライチェーンごと参戦しているということが繰り広げられているのです。日本国内で、あの手この手を駆使し、当事者すらわからないほどのトリビアな差異を追求すればするほど、海外市場で売れるものから遠のいてしまうという残念な結果を生んでいるのです。この悲劇は、怠惰からではなく、経営資源を全力投球して努力しているがゆえに、努力すればするほど、逆説的に敗北してしまうところにあります。
国民経済全般の状況を俯瞰してみても、日本経済の「新興アジア」の成長に対する相対的凋落傾向は顕著です。2000年以降、日本の名目国内総生産は、ほぼ横ばいで推移しているにもかかわらず、「新興アジア」諸国の成長は著しい。つまり、日本経済だけが一人負けの状況を喫しているのです。この一人負けの原因が、日本企業の能力不足でも、日本人個人の資質の低下でもない、ということを強調する必要があるでしょう。日本経済凋落の背景にあるのは、大きな構造的難問です。そこに横たわっているのは、人口構成の問題、特に生産年齢人口の相対的低下です。一言で言えば、日本社会は他国に比してすでに老いを迎え、生産と消費を担う人口が減少に転じていることが、市場の縮小につながっているということです。
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