無料ブログはココログ

« カラヴァッジョ 光と影の巨匠(6)~「マグダラのマリアの法悦」 | トップページ | 國分功一郎「スピノザの方法」(2) »

2012年10月 3日 (水)

國分功一郎「スピノザの方法」(1)

序章 方法という問題

本書の試みはスピノザに近代哲学の核心のひとつ、あるいは近代哲学の核心のひとつ、あるいは近代哲学が抱いたある夢、おそらくは果たされなかった、いや、いまだ果たされていない夢を見ようとする。スピノザがその夢の実現のために乗り越えねばならなかった諸々の問題はそもそも知られておらず、スピノザが夢の実現のために敷いた道は理解されていない。それはどんな夢だろう。本書のタイトルに見出される「方法」こそが、の夢の名前にほかならない。我々は以下で、スピノザの方法を解明することを目指す。

スピノザの書簡を見ると、友人から、物を考えるに当たり我々はひとり手探りで進まなければならないのか。それともその暗闇の中には道案内がいるのか。または道案内が可能か。スピノザはこの問いについて考えを巡らせ、最終的には『エチカ』という書物を完成させる。我々は、スピノザが残した著作にその問いへの答えを探す。それならば、著作を読むだけで事足りるのか。しかし、答えを求めてスピノザの著作を読み始めようとも、容易には見出せない。著作が韜晦しているわけではない。スピノザの哲学も我々読者自身を取り囲んでいる言説、そしてその哲学を取り囲んでいる言説から切り離せない。読解の対象はつねにそうした言説の格子を通じて見出されるのであって、その格子がスピノザの方法を見えなくしているなら、実践しようにも実査船の対象が自明ではないだ。つまり、我々を取り囲む言説が我々に方法についてのある一定のイメージを与え続けている。そのイメージに浸ったままであるかぎり、われわれはスビノザの方法を掴み損ねるほかない。スピノザの方法は、ほかならぬそのイメージに疑問を付するものだからである。

スピノザの方法をいわゆる「方法」のイメージから区別する様々な特徴は、すべてじつに単純なあるひとつの発想に由来する。方法の探求においては、方法の探求のために別の方法が必要になり、さらにその別の方法が必要になり、さらにその別の方法を探求するためには別の方法が必要になり…という無限に繰り返すことのできる論理が避けられないが、しかし、それではいつまでたっても方法が手に入らないのだから、この無限遡行の論理は避けなければならない。このような二律背反がそれである。方法の探求は必ず無限遡行を引き寄せる。しかし無限遡行を引き寄せてはならない。方法について考える人なら誰もが思いいたるこの発想こそ、スピノザの方法の秘密であり核心である。

一般に方法が議論の対象となるとき、「どんな方法が用いられているか」が問われることはあっても、「方法とは何か」が問われることはほとんどない。なぜか。答えは簡単である。我々が方法という語に慣親しんでしまっているからだ。われわれは方法という語を用いる時、なんらかの共通了解の上に立ってしまっているのに、この語があまりに身近であるため、それを意識することがない。そして「どんな方法が用いられているのか」というこのありふれた問いこそは、方法をめぐるこの共通了解を分かり易く表現ものであるだろう。それによれば方法とは用いるものである。だから、内容の研究と史的研究が終わった後で行われるべきは方法の研究であると断言できるのである。あたかも、あらゆる哲学者は歴史的影響を背景としながらおのれの思想内容を、あらかじめ用意された一定の方法を用いて取り扱っていると考えるのが当然であるかのごとくに。「どんな方法が用いられているか」という問いを発した時点で、われわれはすでに方法に関するひとつのイメージを受け入れてしまっている。このような「通俗的理性の秘かな判断」こそが問い直さなければならない。

もちろん、一定の方法概念を前提した上で、ある哲学者の著作群においてどんな方法が用いられているのかを問うことはできる。それはそれで重要な作業かもしれない。だが少なくともスピノザに関しては、そのような作業は二次的なものにならざるを得ない。なぜならスピノザは方法とは何かを論じた哲学者だからである。スピノザには『知性改善論』という著作、方法とは何かを論じた方法論の著作がある。したがってスピノザを論じるに当たっては、「方法とは何か」という問いは、「どんな方法が用いられているのか」という問いに優先する。スピノザの方法の解明は「方法とは何か」という問いに対するスピノザの答えの解明でなければならない。そしてその解明は『知性改善論』より開始されねばならない。

« カラヴァッジョ 光と影の巨匠(6)~「マグダラのマリアの法悦」 | トップページ | 國分功一郎「スピノザの方法」(2) »

スピノザ関係」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 國分功一郎「スピノザの方法」(1):

« カラヴァッジョ 光と影の巨匠(6)~「マグダラのマリアの法悦」 | トップページ | 國分功一郎「スピノザの方法」(2) »