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2012年10月28日 (日)

松島大輔「空洞化のウソ~日本企業の「現地化」戦略」(8)

第3章 「新興アジア」を活用した日本改造

1.日本というシステムの課題

経済、産業の「空洞化」を主張し、このまま日本にとどまることは、日本が直面するあらゆる課題を先送りにする。そして、最後に残されたこの国の将来の可能性を引き渡し、将来を空洞化させるものに他ならないでしょう。「空洞化」論は、既得権益のわずかな時間稼ぎの延命装置。将来の不安を忘れさせるための鎮痛剤、アヘンともいえるでしょう。これまで完璧な経済システムを構築してきた日本が、老いる人口構造社会の到来とグローバル競争で、戦い方、システムを変えなければいけない。特に若い世代や中小企業、地方という完成された日本の経済システムにおいてもっとも脆弱なところを無気力化しているのが「空洞化」論という心理的防衛機制ではないでしょうか。むしろ、「新興アジア」への「現地化」はその一つの解答となるはずです。にもかかわらず、平然と方策も考えずに「空洞化」が論ぜられるのは、日本という勝ち過ぎたシステムのツケでしょうか。下請構造、大企業病、官僚主義、そのどれもが、このシステムの中で思考しなくても仕事をしたふりができるがゆえに、思考が空洞化し、未来を空洞化させるのです。完全に出来上がったシステムでは、新しい知恵が生まれない。日本のシステムの中で深刻なのは、あくまで中核のない空洞化した型に固執することです。考えないほうが楽だと判断するなら、こうした議論の本旨すら理解できないところまで、後退してしまっているようです。丁度究極の様式美を追求してきた日本型スノビズム(武士道など)、鎖国下の身分社会のようにサプライチェーンに身を委ねる系列、規制に寄生する既得権益、組織のために組織する会社組織は思考しなくても動いていく「型」を追求することになるでしょう。

2.「新興アジア」戦線で露呈する日本の課題

「新興アジア」では、日本(企業)の組織の課題、「部分均衡的完璧主義」というアポリアが見えてきます。逆に言えば、「新興アジア」では、すでにお話しした通り総合的な対応がものを言います。企業経営の全体を見据えたうえで、これに基づく個別分野の方針がないと、特に「新興アジア」では、勝ち目はありません。おそらく、日本のような「仕切られた競争」環境では、部分均衡的な競争で事足りたのでしょぅが、「新興アジア」の戦いは、総力戦が不可欠です。

日本企業の最大の弱点は、新しいビジネスコンセプトが生まれるとまじめな必死に導入しようとするのですが、その結果、その分野の担当部署が「仕切られた競争」で一所懸命に高い成果を上げることで部分均衡は最適になっても、逆に企業全体の一般均衡、すなわちこの企業がいかに収益を出して、永続的に事業を継続するか、という主題がおろそかになってしまう場合が多いようです。企業が直面する個別分野、「戦場」で何度勝利を得ても意味がない。最終的な事業継続という「戦争」で勝利を得る必要があります。

3.「作れるもの」から「欲しいもの」へ

日本企業が「新興アジア」ビジネスで抱く最大の誤解は、日本の製品やサービスは最高の品質だから、「新興アジア」だろうが売れるはずだ、という誤解です。日本国内市場り口うるさい消費者に磨かれてきた日本企業の製品やサービスは、たしかに品質水準を上げてきたという自負があるでしょう。「モノづくり王国」日本を旗印に、ものづくりの重要性を理解し、これを日本の競争力の源泉としていくことは首肯できます。しかし、日本のものづくりによって作りこまれた過剰品質が、そのまま「新興アジア」で受けるかどうか、というのは別問題です。じつは、問題は品質がどうだとか、低コストがどうだ、ということで閉じてしまうと解を失います。そうではなく、相手が欲しがるものを提供できるかどうか、この点に尽きるのです。作れるものを市場に堕していくという供給側からのイニシアチブ、いわゆる「プロダクト・アウト型」の発想は、「新興アジア」市場では通じません。これからは市場の声に耳を傾け、お客さんが欲しいものを提供する。この方式に尽きるでしょう。いわゆる「マーケット・ドリブン型」への発想の転換です。

考えてみれば、これまで、日本のものづくりの競争力は、こうした顧客への対応の結果進化してきたものであるといっても過言ではないでしょう。猛威都度顧客の声を聞き、顧客の要望を実現する、という商売の基本に立ち返って事業を再構築する。いわば「御用聞きビジネス」に徹することです。「現地化」による現地情報の体系的かつ自覚的な吸収、これに基づく御用聞き昨日は、新しいビジネスチャンス獲得に向けた橋頭堡となっていくのです。さらに、「現地化」は現地のニーズを拾うことで、イノベーションをもたらします。日本国内ではできないが、急成長する「新興アジア」とリンケージすることによって、新しい技術革新を齎すことができるのです。

顧客重視の経営は、日本のものづくり、最先端の技術、ノウハウを矯めてしまう、あるいは使わないでおく、ということを意味しません。これは誤解であり、むしろ逆です。日本企業が有する技術やノウハウの要素を活用し、組み換えながら、「新興アジア」で必要とされるニーズに合わせて再構成・再構築してビジネスを展開するということなのです。その基礎になるような、日本企業の強みは何になるのでしょうか。技術やノウハウと言った、強みを因数分解し、その最大公約数を取り出して見ると、一つの共通勝ちに逢着します。「長期コストの縮減」です。一般に日系企業の製品やサービスは、他国の提供するそれに比べてコストが高いとされています。コストが高いから「先進国」では売れても、インドのような新興国では売れない。ではこのコストの高さは何を体化しているのでしょうか。よく言われるのは日本企業の品質至上主義が商品に体化されているという説です。しかし、実はコストの本質はそれではありません。品質とコストはトレードオフの関係に立つものの、見方を変えれば、品質を上げることにより、そこに体化されていた全体コスト、さらに言えば「長期コスト」を引き下げることにより、その努力を続けてきたのが日本製造企業の特徴であると言えるでしょう。このように想定すれば、「長期コスト」によって、日本企業の製品・サービスは実は高くない、ということを市場に訴求できます。たしかに新興国向けに出回る商品は安いが、それは短期的に安いのであり、その分すぐにダメになってしまう。「長期コスト」の縮減という観点から、「新興アジア」に日本企業が提供する製品やサービスを売り込むことが肝要なのです。

ここでいう「長期コスト」縮減のため、日本企業の製品やサービスは何を品質として反映し、何をコストとして体化しているすというと。日本企業のハイ・スペック商品に体化された3つの価値として、「時間」、「環境」、{安心・安全}です。翻ってこの3つが長期コストの縮減に寄与している。「時間」は、時間管理であり、日本型ものづくりの本質であり、たとえば工期通りに仕事が終わるという意味での、日本型ブロジェクト・マネジメントの優位性につながります。すなわち「時間がお金になる」という発想が「新興アジア」に扶植され、共有してもらう必要があります。例えば、インドではインフラ工事のオーバーラン(工期の遅れ)による費用負担が大きな課題になっています。

また「環境」も大きなファクターです。環境価値を無視すれば安くなります。しかし長期的には公害問題や地球温暖化、エネルギー枯渇など計り知れない長期コストを齎す事案は枚挙にいとまがありません。

最後にもう一つ日本が得意とするのは「安心・安全」です。当然ながら「長期コスト」は究極的に人命まで行き着く甚大なコストです。

つまり、日本が誇る3つの価値、遅れも早すぎもしない「ぴったり」(時間)、「もったいない」(グリーン・エコ)、信頼できるという意味の「大丈夫」(安心・安全)の3分野こそが、裏を返せば「長期コスト縮減」に寄与するのです。

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