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2012年11月

2012年11月30日 (金)

浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(5)

スピノザには、人間の身体を、手や足や頭で輪郭づけられたいわゆる私たちが「体」と読んでるもので区切る考え方はない。むしろ機械も道具も含め自然のあらゆるものは、「運動と静止の割合を伝え合い」、私たちの身体の本質を成す一定の構成関係と矛盾することなく合致している限り、私たちの身体の一部をなすと考えられるのである。そもそも孤立した系として人間や個物をとらえる認識は、スピノザにとってイギマチオ(表象知)ないし一般概念として厳しく斥けられている。人間は、諸力の織り成す関係の中に包含された一様態にすぎないし、この様態を構成する諸部分はそれこそ無数のさらにミクロな諸身体である。このような視点で考えれば「事物はそれ自体で見れば、善でも悪でもない。ただ他の事物との関係の中でのみそれは善ないし悪と言われるのである」という主張も当然である。人間を含めた諸々の個物にとって何がよいか何が悪いかは、その時々の構成関係が必要とするものによって変わるからである。

スピノザが「私たちの活動力を増大し、促進するものが善であり、私たちの活動力を減少し、阻害するものが悪である」と主張する際に、活動力を増大する主体として、何ら個人の「主観性」が前提されていないという点である。つまり、活動力の増大を享受するはずの個的な意識というものが、「私たちの本性と共通性を有するもの」という認識の導入によって乗り越えられているのである。個的な意識はあらかじめ「共通のもの」という外からの力によって常に/すでに貫通され、集団性/共同性を帯びている。言うまでもないが、この共通性とは力能の共通性である。本質とは力能の度合いに他ならず、人間も含め諸々の個物はこの力能において共通の影響関係にあるからである。

仮に、ニーチェ的な意味での能動的な人間ないし超人が、自分の能動的な力の増大のみを単に喜び、享受し、占有するだけの存在であったとしてみよう。スピノザの能動的人間と一見極めて近いところにあるように見えるその人は、しかしながら、スピノザ的な意味における徳と能力を備えた自由人とは言えない。というのも、前者にとって他者は、超人の強大な能動性に圧倒され、それを畏怖しているいわば「影」としてしか現われてこないのに対し、後者は、自らの本質と他者の本質が、何らかのイデアにおいてではなく、まさに力能において共通の源泉を持っていることを認識しているからである。したがってスピノザの自由人とは、どのようにしたら自らの能動的な力の増大ができるか、喜びの情動の増大が可能かという課題を、諸々の力能の合成の局面において、すなわち共同性の平面に置いて試みることができる人間である。その人は自己の能動的な力の誇示といった主観性の罠に陥らない。スピノザ的な能動的人間は、一切が力能と見なされたこの様態的世界において決して<個人>など存在しないこと、<人間>などという限定が諸力の錯綜した現実に対する非十全な表徴でしかないということを認識しているという点で人間を越えており、<超人>たり得るのである。

だからこそ「徳に従う人の最高の善はすべての人にとって共通であって、すべての人が等しくこれを楽しむことができる」とスピノザは主張する。この「徳」とは「力能」に他ならない。したがって、「徳に従う人々が自己のために求める善を他の人々のためにも欲する」のは、何も外にそのような規範が存在するからそのように行為するのではなく、他者の力能と合成し合うことがより大きな力能を作り出す契機になるからに他ならない。

2012年11月29日 (木)

浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(4)

第2章 <倫理>善悪の彼岸を越えて

ニーチェとの比較を試みながらスピノザ倫理学における善悪の規範の問題について論じていく。

ニーチェは、『道徳の系譜』とそれに先立つ『善悪の彼岸』の中で、<善と悪>、<よいとわるい>とを峻別しつつ、<よい>ということが、よいことを示される側の人間から生ずるものでないことを繰り返し強調する。彼は、<よい─わるい>の対立の起源を、「上位の支配階級が下位の種族に対して持つ持続的・支配的な全体感情・根本感情」、換言すれば「貴族的価値判断」にあると見ているのであって、そのような感情・判断の発生以前に規範として示される「汝何々をすべし」と言う道徳律に根拠を求めていない。この貴族的価値判断の前提を成すものは。「力強い身体、若々しくて豊かな溢れんばかりの健康、祖果てそれを維持するために必要な種々の条件、すなわち戦争・冒険・狩猟・舞踏・格闘技、そして一般に強くて自由で快活な行動を含むすべてのもの」である。「すべての貴族道徳は勝ち誇った自己肯定から生ずる」のである。

 

ニーチェは同時代のヨーロッパにおける道徳を「畜群道徳」と呼ぶ。彼に言わせればそれは、「少なくとも生に然りを言うもの」の観点からではなく、生に対する「否定」から生じてきたものだからである。ニーチェの言う高貴な道徳は、「おのれが道徳そのものでありその他には道徳的なものは何もない」と断言するような一種の自己肯定から生じてくる。すなわち、それは「<よい>という根本的な概念をあらかじめ自発的に考えだ、そこから初めて<わるい>という観念を作り出す」ものである。ところが反対にルサンチマンに基づく道徳は、「おまえはわるい。ゆえに私はよい」という点等した価値形式に基づいている。こうして人々は、<よい─わるい>の代わりに<善─悪>を置くようになる。ニーチェによれば彼らが規範を造るのは、活動することによってではなく活動を差し控えることによってであり、肯定することによってではなく、まず否定することによってである。その上で、彼らは、自分たちの力に由来しないこれらの価値を超越的な地位にまで祭り上げ、それによって「完全なもの、完成されたもの、幸福なもの、強力なもの、勝ち誇ったもの」としての<生>を測り、制限し、押さえつける。こうした価値には、生に対する憎悪、何に対する一切の能動的で肯定的なものへのルサンチマンが隠されていると、ニーチェは主張する。

では、スピノザにとって善と悪の問題はどのような形をとって現われてきているのだろうか。スピノザは、善悪の判断の基準を、喜びと悲しみという二つの基本感情に置いている。しかも、自らの外部に所与のものとして善悪の基準が存在することを認めず、あくまでもその人の「衝動」や「意志」や「欲望」から、すなわち内在的な力の感覚にそのような価値判断の源泉を見ている。したがって、生に対する怨恨を持つ人間、ただ悪を避けるためだけに善を説く脆弱な人間たちが、生に対して反動的な規範を善と判断し、かえって能動的な生の発露を悪と決めつけることが、容易に起こり得るのである。このことをスピノザははっきりと認識していた。このようにスピノザが使用する<善><悪>と言う用語は、人間の習慣によって規定された外在的規範を表わす通常の用法であるというよりは、ニーチェ的な文脈で言う<よい><わるい>の用法に近い。

スピノザの言明、「善とは、私たちの形成する人間本性の型にますます近づく手段となることを私たちが確知するものであると解するであろう」と述べられているのは、何らかの特定の範型に私たちが自らを当てはめていくことが善だと言っているのではなく、自らの本質をなす力能により忠実であることが善だという主張なのである。スピノザは、善を人間の本性にできるだけ近づくこととし、彼はその人間の本性を何らかのイデアではなく力と、すなわち活動力と等置した。スピノザはこのように、善悪の問題を決して外在的な規範の問題としてではなく、人間に内在的な感情の問題としてとらえていた。だからこそ彼は、「善悪の感情は、それが真というだけではいかなる感情も抑制することはできない。ただそれが感情としてみられる限りにおいてのみ感情を抑制し得る」として、単に人間がものの感情を認識していただけでは、行動を促す十分な原因となり得ないことを訴えたのである。

2012年11月28日 (水)

浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(3)

第1章 <現代性>スピノザ・ルネサンスが意味するもの

1960年代以降、スピノザは急速に復権した。その動きを追っているが、その中でもジル・ドゥルーズやアントニオ・ネグリの立場について、

スビノザにとって、人間精神を構成する観念の対象は、身体以外にない。にもかかわらずスピノザは、精神に対する身体性の外部性をまず積極的に認めるのである。しかし、スピノザが「身体は精神に思考させる力はないし、また精神も身体に、運動や静止、あるいし何かほかのことをさせることはできない」と言うとき、ここで言われている精神とは、想像知の段階にとどまったものと理解されねばならない。人間の観念は、その観念に合致した対象のみならず、他の対象の観念を持つとき、それは非十全な観念と呼ばれるが「精神が自己に現在的なものとして表象する事物について、その存在を排除する観念を欠いていると考えられ限り」、精神は非十全な観念しか持てない。したがって、スピノザの言う精神のうちには、私たちが通常意識と呼ぶ受動的な想像知の状態と、より能動的な認識能力とがはっきりと区別されており、後者においては、精神は、身体の変様やものの表象像を、身体の内部で秩序付け連結する積極的な能力を持つ。これらのことは、身体に対して、あるいは同じことだが自然に対して、必ず非十全的な観念しか持てない「意識」を強く告発すると同時に、一方ではこの意識を越える能動的に精神としての「思考」の力に対して十分な地位を与えている。ここに私たちはスビノザの思想の真の革新性を見出すことができる。

ドゥルーズが『差異と反復』で明確にしているように、思考するということは、一つの能力を自然のままに行使することではない。思考するとは、哲学が暗黙に前提としている<みんなが知っている。誰も否定できない。誰もがこう考えるはずだ>という表象の形式、つまり前─哲学的イマージュを共有せずに、<単独者>として一切の概念を振り出しから創造していくことである。スピノザが、『デカルトの哲学原理』の第一部緒論で、デカルトの<コギトエルゴスム>は、三段論法ではなく、「私は思惟しつつある」ということだというとき彼はすでに、思考とは、外部に出ようとする意志であり「働き」であることを語っている。「他のものの観念を排除しようとする」能動的な力の行使があって初めて、思考の外部性は保証される。その意味の限りで、思考とは外に立つこと、すなわち実存なのである。

 

この点は、スピノザの第二の意義、すなわちあらゆる価値、とりわけ「善悪」という道徳の彼岸に<よい─悪い>というエチカを提示した業績に結びつく。

スピノザは、人間に自由意志を否認する。しかしそれは、スピノザにとって、意識というものがいわば錯覚の場だからである。錯覚の特徴とは、結果については分かるが、原因については無知だということである。通常、私たちは自然界のあらゆる原因と結果を知るわけにはいかない。そこで、アダムのように、結果の認識と原因を取り違えるのをやめないのだ。あらゆる目的論、そしておそらく「道徳」の起源がここにある。実際、自然は私たちに何も「禁じて」はいない。善悪の規範、すなわち諸々の価値とは、あくまで私たちの意識の産物なのである。<よい>ということ、自由であるということ、道理にかなっていること、そして強いということは、個体がある出会いを組織しようとし、自らの本性に合ったものと結合しようとし、それによって自らの力を増大させることである。それに反して<わるい>ということ、あるいは隷属状態にあるとか、分別がないとか、弱いということは、行き当たりばったりに出会いを体験することであり、出会いのもたらした偶然の結果に受け身で甘んじるということに他ならない。善と悪とは、おのおのの個体が一定の条件のもとで行う、積極的かつ一時的な選別であり、何度でもやり直すべき産物である。

 

何と言っても、『エチカ』の偉大なところは、このような意味での善を人が試みようとする際に、それに対する障害や、抵抗となる心的要素を決して過小評価していない点にある。スピノザにとって、喜びとは、「精神がより大きな完全性へと移行するような精神の受動」と解され、悲しみとは、「精神がその過程でより小さな完全性へと移行するような精神の受動」とみなされている。したがって、悲しみの情念は、私たちの関係性を解体し、私たちをより小さな完全性へと閉じ込めてしまう主要因なのである。

スビノザは、「精神が悲しみを感じる限り、精神の認識する能力、すなわちその活動力は、減少させられ、妨げられる」と言う。いかにしたら私たちは、こうした悲しみの情念を克服することで、<権力に対する抵抗力の総体>としてとらえられた生の持つ力を拡大させていくことができるのか。おそらくそこでまず要請されるのは、思考の力である。スピノザは、受動感情それ自体の原因について思考する精神の姿勢があってはじめて、人間は隷属状態から抜け出す条件を手にしうることを強調する。「あらゆるものを必然的なものとして認識する」働きは、「理性の本性は、ものを偶然的なものでなく必然的なものとして観想することである」とされる限り、スピノザの言う意味での<理性>を指している。人間は通常、自然界の錯綜する諸原因について明瞭な観念を形成し得ない。これが、人間が絶えず非十全な意識の中で生き、外の力に従属せざるを得ないことの原因であった。したがって、ここで言う必然性の認識とは、そうした言わば虚偽意識を形成する原因の諸関係について、相互の一致点や、差異や、対立点を抉りだしながら、「自己の本性の必然性によってのみ存在し、自己自身のみによって行動しようとする状態」に基づいた関係性を探り出す作業のことなのである。

私たちは、一つの身体、一つの心が、ある出会いにおいて、ある組み込みにおいて、ある結びつきにおいて、何をなしうるあらかじめ知らない。したがって私たちは、「意識に還元されない思考の力」を通して、どのような環境のもとで、自らの情動が最大限の肯定を表出し得るかを、そのつど確かめていねばならないのである。

 

スピノザには、いわゆる「個人」の考えはない。「主観」も「自我」も存在しない。そうしたものは、自然の諸力の織り成す効果、結果でしかないからである。スピノザにおいて世界としてあるのは、「社会的諸関係の総体」としての諸存在(<人間>も、おそらく<自然>もその一つに過ぎない)とその様々な組み合わせ、諸多数・多様体だけなのである。だから、悲しみの情念を喜びの情念を喜びの情念に転換することは、個人的な快楽の追求などを決して意味していない。情念からしてすでに集団的諸関係に規定されているからである。喜びの情念にしても、決して個人の力ではなく、集団の中で諸アレンジメントの結果として、他社との相関の中でしか永続して保証されることはない。

したがって、スビノザがなぜ、理性を「共通概念」と同一にみなしたか、その理由の一つはこのことからも明らかである。それは、この共通概念という認識を通してのみ、私たちは自らの身体と外部の諸物体との間の相互作用が認識でき、感覚や意識が分断している諸存在相互の関係を、明るみに出せるかである。想像知のところで見たように、私たちは、通常事物を孤立して考えてしまうようにできており、それが事物に内在する構造や関係の相互関係の認識を妨げている。その結果、主観の牢獄とも言うべき個人のアトム化がつくりだされ、私たちは自らの存在の社会的被拘束性を見失うのである。こうした状況を打破して、諸力の形作る社会関係の地平の一部として自らの場を認識していくこと。これが共通概念の広義の役割であろう。ものが相互に関係し合うための前提となる共通の側面を見出し、いわば物事を、超越的次元からを持たない一つの共通平面上に生起する事態としてとらえること、そして具体的な身体や思考を、その形態や機能からでなく、触発し、触発される力の関係で考えることは、実際、決して容易ではない。

 

スピノザは、人が自らの隷属を断ち切るために、受動感情を乗り越え、人間相互の多様な連結の形態を創造していく作業をしない限り、真の連帯と相互の尊重もないことを意味する。社会制度の分析と心理的分析の統合。そしてと社会的実践の指針として、理論的認識に劣らず、情念による誘導と感情のサブリメーションを重視する点。マルクスとフロイトの論点を、多くの点で事実上先取りしたスピノザの思想は、様々な再評価を経て、極めて現代的な思想として蘇りつつある。今後スピノザの思想は、私たちの狭窄で一面的な社会認識、自然認識を組み替えると同時に、他の諸思想と様々な結合をしながら、長く同時代への批判的機能を持ち続けることになるだろう。

浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(2)

スピノザによれば<喜び>には二つの種類がある。受動的な喜びと能動的な喜びである。受動的な喜びとは、私たちが自分自身と自らの活動を、この本質的な源に遡って掌握していない状態での喜びであり、こうした喜びはしばしば、人が、身体の幅広い能力に関わらない、局所的な刺激にのみ囚われている場合に生じる。快感は確かに喜びの一種である。ただ、この感覚に注意を払わなければならないのは、それが、人間に身体と精神を多種多様な仕方で触発し、その全般的な能力を高めていく営みの妨げになることがあり得るためだ。しかし、スピノザは「様々なものをできるかぎり楽しむこと」を人々に促した。この「様々なもの」も、人間の身体全体が、絶えず新しい糧を必要とする様々な部分から構成されており、すなわち人間の活動力を増大させ得るあらゆる刺激に対して身体が応答できる力能を、可能な限り高めるために推奨されているのであって、やはりそれへの移行過程で味わう<喜び>なのである。

<喜び>には、もう一つ、見落としてはならない重要な側面がある。スピノザは「権利」と「力」を同一のものと考えたことで知られているが、彼は政治的思考を進める際にいつも、「いかにしたら私たちの諸権利=諸能力は守られ、それらをより堅固に、かつ多様に展開していけるか」という問題に専心していた。すなわちスピノザは、権利=力は、維持されつつ、拡張される必要があると考えていた。それもほかならぬ<喜び>のためである。「喜びは人間の活動力を増大しまたし促進するから、喜びを感じている人間は、喜びを維持すること以外の何も欲しないということが、そしてまさに、喜びがより大きくなるにつれてますます大きな欲望でそれを欲するということが容易に証明される」。<喜び>の増大は活動力の増大に直結し、それはそのまま権利の増大に直結する。実際に為し得ることがそれだけ増えるからである。私たちの活動力・生命力がより大きな状態に移行するためには、私たちが様々な「恐れ」─これは<喜び>の感情を根こそぎ奪う、しぶとい<悲しみ>の感情の一つである─を克服して、今できることよりもさらに多くのこと、今まで為し得なかったことまで為し得るように、力を拡張していく必要がある。例えば最も基礎的なレベルで言うなら、安んじて、寝たり、食事をとったり、自由な会話をしたりすることが実現されていなければ、人はより広範に活動力を発揮することは困難である。

したがって力の発露はそれを支える一定の制度を前提にする。換言すれば、権力=力は保障されていく必要があり、人間はそれを常に欲している。別の言葉で言えば、祝祭的興奮が長々とは続かないこと、人間の欲望が単に「蕩尽」を求めるだけでなく、より多くの<喜び>を求めていること、そのためにこそ、常に社会的組織を欲していることを意味している。おそらく、立法的な行為の源をそこに遡るという解釈は可能であって、「人々が集まって生活するところでは、<喜び>の実現と保障という欲望のために、必ずその集団に固有の諸権利の措定が要求される」という意味でとらえることができる。

むろん国家に関して言えば、その権力の源を形作るあらゆる法は、本質的に「支配」と「命令」の体系である。たとえいかに権益を「保障する」側面があろうと、支配と命令の体系的整備と強制的執行の権限が伴うことは不可欠なのである。その結果、その権限を行使する集団が形成される。ところが事態はこうなると、必ずや支配と命令は、大衆の欲望を後追いするか、先回りして整序するしかできないのであって、いずれにしても、成員の絶えず変化する「今・ここ」の欲望をただちに反映はしないし、それに追いつくことはない。

<喜び>を求めるどんな欲求の実現も、法のみでは常に「不足」か、逆に、その欲求を抑圧するほどに「過剰」である。しかしながらいかなる権力といえども、本質的に成員の「感情的な信任」なしには存続し得ない以上、長期的スパンで見た場合、<喜び>の感情、あるいは強力な<悲しみ>としての怒りのかんじょうによって、変質ないし転覆されていく運命にあることは避けられない。

「生殖」と「突然変異」に端的に象徴されるように、生命は、ある一定の有機的組織を保守的に形作る性質と共に、それを超え出ていく力をも併せ持っている。しかし私たちの身体や思考が、<喜び>ではなく快と不快によってしか行動に決定されない状態である限り、そうした感情を通して形成される制度や法は、「必要な限りの」安全ではなく、「限りない」安定と防衛を志向するようになってしまう。<生>に対する管理と支配を遂行する権力の進行が、あらゆる抵抗や軋みを引き起こしながらも、大勢として一向に止むことがないのは、生命の持つこの保守性のゆえであり、快に安住し、現状の維持を欲する側面を身体がたしかに持っているからである。

したがって、<喜び>に基づく共同性とは、常に「そこにある」ものであると同時に、いつでも一つの「奇跡」としてある。それを語源とする「出来事」という言葉は、スピノザ的な意味での共同性を形容するに相応しい。そこには一切の超越性も目的論も含意されていない。それは超越なくして超え出ていくものであり、目的なくして方向を持つ運動なのである。例えばこれまでの歴史を通して私たちは、人間の幸福の実現を約束するはずの政治思想や宗教思想が、当初の目的とまるで逆の結果を齎すようになる事態を経験し、目撃してきた。その際、お決まりのように持ち出されるは、「理念においては崇高で理想的な状態が志向されているのだから」という言い訳だった。しかし少なくともスピノザについて言えることは、そのようなロジックを断固として拒否するという姿勢である。人々は、<喜び>を求めて集い、<喜び>の感情に奉仕する限りにおいて制度や法の組織化を進めてよい。しかし、それに反する制度や法に直面した場合には、それを改変するか、撤廃するために闘うか、可能な場合にそこから離脱して構わない。「脱出」が正当化されるのはこの文脈においてである。そしてそれは、<喜び>の一形態である以上、必然的に「権利」の確立を要求する運動となるだろうし、なる必要が生じてくる。

簡潔にまとめよう。スピノザの倫理的な定式はただ一つ、「汝の<喜び>を最大限に味わえるように行動せよ」、これだけである。国家も共同体も方も制度もすべて、活動力の増大という生命活動のあとから、要請され、組織されたものであって、その逆では全くない、対照的に、「道徳」は国家や共同体の存続のために要求される規範に他ならず、スピノザが問題にしている「倫理」ではない。そしてこの倫理的定式はそれだけで、集団性と共同性の構築契機を包含している。『エチカ』の中で繰り返されているのは、自己の生命とそれ以外のあらゆる生命が協和していく局面─互いに合成しあい、両立可能性が成立する場─を探り出そうとする入念な試みである。

あらゆる道徳的言説を超えて<喜び>を─このスピノザの訴えは、多様性への賛歌でもある。」道徳人の集まりは、どれほどそこで「人格」の尊重や、個的な「選択」とん「決意性」が叫ばれていようと、根本的なレベルで無差異・無人格的な人間の集合にならざるを得ない。なぜなら、道徳の志向するものは「一般性」だからである。しかし、<喜び>は、本性上多様である。例えば、「人間は、理性の導きに従って生活する限り、ただその限りにおいて、本性において常に必然的に一致する」という彼の主張も、自己の本性としての力を、自覚的かつ全面的に展開しようとしている人同士の間では、自らの能動的な力に従って行動するという方向において不一致はないということを意味しているのであって、人々が同じ行動様式をとるようになるということでは全くない。ある人の<喜び>は、その人に固有の仕方で表現される活動力・生命力のさらなる展開だから、当然ながら特異な仕方で伸長する。スピノザは、この多様な<喜び>を交差させながらひとつの共同体、より大きな<喜び>を構築していくプロセスを構想している。

2012年11月26日 (月)

浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(1)

はじめに <喜びと共同性>

喜びほど、人間にとって本質的な感情があるだろうか。それを感じる時に心が満たされ、それを失う時に悲しみに襲われるもの人類の誕生と共にあり、その永続的な実現のために人々が営々と努力し続けて来たもの、たとえ最も小さな度合いであれ誰もが一度は経験したことがあり、あらゆる共同体が形づくられる時、人々の心の深層で常に働いている感情、それが喜びに他ならない。しかし著名な哲学者の中で、この感情の重要性を、自身の哲学の最重要の課題として終生保持し続けた人物がスピノザである。スピノザは、<喜び>にしか関心はなかった、幸福も至福も徳も<喜び>追求のプロセスで実現されるべきものであり、彼のすべての体系、すべての主張は<喜び>をいかにして実現するかをめぐっての試みだった、ということを指摘したい。それは哲学というより、社会思想・政治思想の領域においてこそ、今一度、確認、あるいは「発見」されなければならない事柄である。

彼は主著『エチカ』で、「直観知」について語っている。この認識は、この世界そのものを絶えず構成している<力>(これがスピノザにおいては「神」または「自然」と呼ばれる)と、その個性的な現れである<個物>と、<私たち自身>のそれぞれの本質が、同じ一つの<力>において一致している事実を、一挙に、洞察的に把握することを意味し、スピノザの思想の「頂点」を形作るものものとも呼ばれているが、彼は、この状態において人間は「最上の満足」「最高の喜び」を味わうと主張している。また、スピノザは、私たちが行動を起こす際には「常に喜びの感情から行動へと決定される必要がある」「善とはあらゆる種類の喜びである」といった考えを示し、<喜び>の感情を事実上、倫理的な行為規範の地位にまで高めた。何より彼は、私たちのあらゆる思想と行動および学問の目的は、人間最高の完全性─最高度に実現された人間の本質、すなわち人間が最も能動的な力に満たされた状態─を実現することであると考えていたが、それはスピノザによれば、私たちがより大きな<喜び>へと触発されていくプロセスを積み重ねることの中にしかない。<喜び>こそ彼の思想の中核に据えられるべき感情であり、それを解く「鍵」なのである。

 

通常私たちは喜びという言葉を、何か嬉しさや楽しさを感じた「瞬間」という意味で使っている。長らく望んでいた事柄が成就したり、それが手に入ったりした時に覚える感情をその言葉で表現することも多い。しかし、それは結果としての喜びであって、スピノザの言う<喜び>ではない。あるいは、せいぜい局所的な欲望の充足である「快」か「安堵」でしかない。スピノザは、「私たちの身体の活動力を増大し、あるいは促進する感情」を<喜び>と呼び、その逆の場合を<悲しみ>と呼んだ。それと同時に、「喜びとは人間がより小さな完全性からより大きな完全性へと移行することである」とも述べ、それが達成感や到達感のようなピークの感情ではなく、移行の感情であることに注意を促している。スピノザにおいて「活動力」とは、個体において働いている、その個体を持続・展開させる<力>のことに他ならないから、誤解を恐れずに言い直すなら、有機体においては「生命力」と私たちが呼んでいるものと、ほぼ同義と考えてよい。つまり<喜び>とは、「生命力が、身体において、より全面的に展開する過程で生じる感情」のことである。自らの存在を充実させ、より広大な地平、異なった次元に連れ去ってくれるような出来事が、「今・ここ」で自分の身体の内に生起している時の、まさにその渦中で味わう感情─これをスピノザは<喜び>と名付けたのである。スピノザの哲学は、『エチカ』における、あの「幾何学的秩序」に基づく叙述も含め、一切がこの感情の周りを回っている。認識の結果としての<喜び>ではなく、<喜び>に至るための認識。これがスピノザの根本姿勢である。

人間はいかにしたら<喜び>の感情を味わえるようになるのだろうか。それは、人間が活動力を増し、能動的になれる仕組みを問うことと同じである。そして、そうした<喜び>としての能動性を一個人のみならず、集団的なレベルで実現する場合にはいかなる条件が必要か、政治的・倫理的著作を執筆する時、スピノザの念頭には、このことしかなかった。哲学や政治学が、人間にとって「本当に必要なこと」「当たり前のこと」を問題にしていないことを、彼は常に批判していた。

スピノザの<喜び>は、直接的なものである。何の体系や思想も前提にしない。「喜びは直接的に悪でなくて善である。これに反して悲しみは直接的に悪である」という定理の「直接的」という言明に込められた無媒介的な思考の荒々しさ、力強い断定を、私たちは正面から受け止める必要がある。私たちが日々感じている感覚としての<喜び>を、スビノザは丸ごと肯定し、それをもっと豊かなものにしていこうと言っている。実のところ彼の思想は、その名前も著作も知らずに生きている大多数の人々にとって、「わからない」どころか、日々それを行い、そこで描かれた感情や表象に翻弄されている自分たち自身の<鏡>なのである。しかしそれと同時に、私たちの歪んだ見方を矯正して、世界のあるがままを垣間見させてくれる<レンズ>の役割も果たしている。

2012年11月24日 (土)

佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(5)

「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があります。もちろん経験も重要でありますが、しょせん自分の身に起こった一回限りの出来事でしかありません。歴史という人類の膨大な体験の集成にアクセスし、多くの事例からリスクを判断して当たるのが、賢いものの判断だという意味でしょう。しかし現代の我々を襲うリスクは、歴から教訓を引き出せないものがほとんどです。添加物の安全性も、放射能問題も、100年前には想像さえされなかったリスクに他なりません。歴史というデータベースに代わって現代の我々が頼るべきは、「統計」でしょう。統計は、統一的な手法によって現象を数量化し、現状を把握しやすくしたものと言えます。数字によるデータは、上手く使えば極めて有用で、何となく当然と思われていたことが実はどうなのか、真実の姿を浮かび上がらせてくれます。しかし他方で、統計は諸刃の剣ともなります。強力なツールであるだけに、その解釈を誤ると、とんでもない結果を導いてしまうことにもなりかねませんし、人を騙すことにも力を発揮するからです。

人間は、因果関係を見出すようにできている生き物です。この性質のおかけで、我々は様々な発見をし、知恵を蓄積してきました。しかし、時にこの性質は、あらぬ者同士にまで因果関係を見つけ出してしまいます。星の配置、掌の皺、血液型、名前の画数、家具の配置、我々は多くのものを自分自身の運命と関連付けてきました。もちろんこれらには統計的根拠はありませんし、みなそのことは理屈の上で分っているはずです。しかし、占いがいくら外れても廃れることはありません。これと同じで、一度心の中で関連付けたものを剥がし取るのは、大変難しいことのようです。統計は、ふたつの物事の関連をあぶりだす強力な手法ですが、下手をすれば間違った者同士を関連付け、誤った方向に物事を導く危険をはらんでいます。実際、統計によるウソは後を絶ちません。これらを見抜く目。データを疑う精神を持っていなければ、手もなく騙されてしまうことでしょう。

このような時に、怪しい話かどうか見分けるポイントとして、「分母が示されているかどうか」ということがあります。

目の前に提示された情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考え、疑うのは、大変に重要なことです。しかし、この「自分の頭で考える」ことは、ときに大きな罠ともなります。誰しもバイアスは持っています。偏った主観で物事を見続けていれば、すべて歪んで映ることにもなりかねません。先人の生み出し、磨き上げた知恵を身につけることと、取り入れた情報を鵜呑みにせず、思考のフィルターを通して取り込むことは、全く矛盾することではありません。両者をバランスよく行っていくことこそが、真の学びである、まさしく真理であると言えることではないかと思います。

要は、「正しい知識を身につけた上で、考えろ」ということです。

 

この後、様々な事象を取り上げて紹介していますが、事例紹介で、そこから議論が展開するわけではないので、そういうものがあるということを楽しんで読めばいいと思います。議論を展開した上での結論というのは、最後にあとがきのところで申し訳程度に触れられているくらいのものなので、読んでいることの面白さはありません。よくいう為になる、という類の本です。最後のあとがきのところから。

 

食生活や衛生面を見れば、我々日本人は、史上最も低リスクな生活を享受しているといえるでしょう。震災、エネルギーなど、様々な問題を抱えていることを考え合わせても、現代は他のあらゆる時代に比べて、悪い時代とは思いません。

へたにリスクを削減しようとすると、別種のリスクが発生してしまう「トレードオフ」が起こると述べました。これは現代が低リスク社会だからこそ起こる現象です。リスク削減の作業は、大理石を削って彫刻をつくることにも似ています。最初は大胆に削っても問題はありませんが、完成に近づいたら慎重に彫っていかないと、理想の姿からは逆に遠ざかってしまいます。我々の社会は、そういう段階に達しているのです。

目先のリスクに惑わされてゼロリスクの幻を負うのではなく、ある程度のリスクを受け入れること。本能的判断も重要ではあるけれど、リスクを定量的に捉えて広い視野で判断して行くことも同じように重要。

2012年11月23日 (金)

佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(4)

ここで、リスクそれ自体の性質・特徴について、見てみることにしましょう。

リスクというものは、何ともつかみどころのない厄介な概念です。たとえばリスクというものは、放っておくと勝手に拡大し、とめどなく膨張していく性質があります。ですから、リスクを下げる、あるいは一定に保つためには、それなりのエネルギーや労力をつぎ込む必要があります。低リスク状態は、営々たる努力の上に初めて成り立つものです。ある意味で我々の行動のほとんどは、生活上のリスク削減のために起こされているという言い方も出来るかもしれません。

しかし、こうしたリスク削減をいくら続けても、リスクというものは決してゼロにはなりません。あるリスクを削減するには、コストが必ずかかります。食品に毒が入っていないをチェックするにも、自動車に安全装置をつけるにも、必ず何がしかのコストが必要になります。当然コストを無制限にかけるわけにはいきませんし、莫大な費用を投じたところで、リスク削減には結局限度があります。あるリスクを避けようとすると、別種のリスクが発生して来るという、「トレードオフ」が起こるからです。交通事故の危険を避けるなら、家に閉じこもっているのが一番いいでしょうが、運動不足になって病気のリスクが高まるでしょうし、そもそも生きていくためのお金が稼げません。我々は生活のため、交通事故その他のリスクを取って、給料や社会生活といった利益を得ているのです。大げさなことを言うようですが、人生は「どのリスクを取って、どの利益を得るか」という選択の連続だとも言えます。

この時、わずかな危険回避のために漫然と行われ、多大なコストを垂れ流し続けているような事例を身の回りにいくらでも見ることができます。リスク計量という考え方さえしっかりしていれば、すぐなくせるようなムダのため、日本の社会はずいぶん悪くなっていると感じます。ではどうすればいいか。結局のところ、リスクを何らかの形で計量し、比較して判断することに尽きるでしょう。化学における分析実験には、「定性分析」と「定量分析」の二つがあります。分析したいものの中に、ある物質が含まれているがどうかを調べるのが定性分析、どれだけの量が含まれているかを調べるのが定量分析です。当然ながら後者には、前者よりも高い技術と知識が必要になってきます。現在のリスク判断は、そこにリスクがあるかないかという、「定性的」な判断しかなされていないことが多いように思われます。「水道水に汚染物質が検出された」という報道だけがあり、どの程度の量含まれていたのか、それを取り入れることによる影響はどの程度と予測されるのかといった一番肝心なことは、ほとんどの場合、ほとんどの場合説明も報道もされません。

この「リスクをきちんと測る」という当たり前のことが行われていないがために、無駄な騒動が度々起こり、犯人探しが行われ、再発防止策が立てられ、以降、膨大なコストがそこに投じられることになります。そしていったん対策が決定すると、本当にそのコストに見合った効果を上げているのかどうか検証されることもなく受け継がれてゆき、膨大な無駄を延々と垂れ流すという流れが、何度も繰り返されています。

もちろん、危険がどの程度か分らないうちは、因果関係がはっきりしていなくても大作を立て、調査を行うことは必要です。しかし、十分なデータが出揃って、問題の全容が判明した後でも、きちんと反省し総括することなく、何となく対策だけが残り続けるという図式は、もう勘弁してほしいものと思います。

リスクがどうやってもゼロに出来ないなら、何らかの形で付き合っていくよりありません。要は、あるものによって引き起こされるリスクと、それによってもたらされるベネフィット(利益)を計量し、後者が上回るときにこれを採用するということになります。といっても、リスクやベネフィットはものさしで測るように単純で数値化できるようなものではありませんから、比較は簡単ではありません。まして、日本は強烈な減点法文化が根付いている国です。ベネフィットの方には、なかなか目が行きません。例えば、自動車などでリコールが発生すると大問題として厳しく叩かれますが、実際にはあれだけ複雑な機械を様々な条件の下で走らせている以上、故障や不具合は完全には避けられません。リコールは、こうした必ず発生し得る問題に対応するためのシステムであり、これがあるから我々は安心して車を買えるのです。小さな失敗を過剰に叩く文化は、必ず失敗の隠蔽を呼び、問題の根を深くします。

また、失敗を許さない社会は、新しいチャレンジをしにくい社会でもあります。

2012年11月22日 (木)

佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(3)

ハーバード大学のリスク解析センターでは、リスクを人々が強く感じるようになってしまう10の要因を発表しています。

①恐怖心

②制御可能性

③自然か人工か

④選択可能性

⑤子供の関与

⑥新しいリスク

⑦意識と関心

⑧自分に起こるか

⑨リスクとベネフィットのバランス

⑩信頼

この10ヶ条に皿に筆者が付け加えるとしたら、「好き嫌い」という要素でしょうか。

人間は、いったん自分の中にひとつの「見解」ができてしまうと、それに対する反証が出てきても「これは例外である」などと言って無視したがります。逆に、有利な証拠が出てくるとこれを重視し、より自分の正しさを強く確信する方向に向かうのです。これは、心理学分野で「確証バイアス」と呼ばれます。好き嫌いという感情は、確証バイアスを強めてしまう強力なファクターです。そして、この確証バイアスは、同じ傾向の人が集まることでより強化されるという厄介な傾向があります。マイクにスピーカーに近づけると、音の増幅が繰り返し起きて大音響が鳴ってしまうのと同じように、バイアスはお互いに強め合って、より極端な方向に向かっていくのです。近年では、ブログやツィッター等のソーシャルメディアの急速な普及によって、この「バイアスのハウリング」が起こり易くなっているように思います。

心の偏り(バイアス)のひとつに、「正常性バイアス」と呼ばれるものもあります。何か大きな異変が起こっても、「これはそう大したものではない、日常親しんだ状況の延長で読み解けるものだ」と人は思いたがり、リスクを過小に見積もってしまうのです。この正常バイアスは、大きな心理的動揺を避けるために、危険な情報を無意識に閉め出そうとする、本能の働きによるものと見ることができます。

また、人間は経験豊富な事柄に関してはリスクを低く見積もってしまい、初めての事柄に対してはリスクを過大に評価してしまう傾向があります。これを表わす言葉に「ベテランバイアス」と「バージンバイアス」があります。

現代において、リスクの見積もりを狂わせる何より大きな原因は、マスコミの報道に他ならないでしょう。マスコミにとって情報は商品であり、多数の人に買ってもらえるものでなければ商売が成り立ちません。したがって、マスコミがリスクを実際より大きく報じ、感情に訴えて危機を煽ろうとするのは、いわば本能に似たものです。「○○は安全だ」というより、「○○は危険だ」という方がずっと楽です。「安全」と言って、後から危険性が発覚した場合には責任が発生しますが、「危険」と言っている分には「可能性があるのだから警告を発したまでだ」で通ってしまいます。さらに、危険を言い立てる側は「政府や大企業の悪事を暴く正義のペン」というように見てもらえますが、安全を唱える方は「権力の走狗」と見られて、いいことは何もありません。

しかし、マスコミによって大きく報道されることは、リスクを過剰に認識させてしまうケースばかりではなく、逆にリスクを軽く見積もらせる方向に働くこともあります。心理学でいう「アンカリング効果」と呼ばれるもので、ある情報が与えられると、人の認識がそちらに引き摺られてしまうことを指します。

2012年11月21日 (水)

佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(2)

第1章 人はなぜ、リスクを読み間違えるのか

この本のテーマである、「リスク」とはそもそも何でしょうか。辞書をみれば、リスクとは、「ある行動を伴って(行動しないことによって)、危険に遭う可能性や損をする可能性を意味する」などという定義が載っています。可能性、という言葉が入っているところがこの定義のミソです。例えば、包丁は危険なものですが、包丁自体を「リスク」とは言いません。(英語では、危険の原因を意味する「ハザード」が使われます)。料理で実際に使った時に初めて、指を切るなどの可能性、すなわちリスクが生じます。リスクの高低は、

「(起きた時の影響の大きさ)×(起きる確率の高さ)」

で表わすことができます。

我々は生活の中で、無意識のうちにこのリスク計算をかなりしっかりと行っています。「目的地には車で行った方が早いけれど、事故や渋滞の可能性を考えて電車で行く」というように、誰もがかなり高いレベルでリスクを測定し、判断して行動しています。リスク判断は、ある意味で生きるために最も必要な能力ですから、これは当然のことであるでしょう。

ただし、リスク判断はやはり難しいものです。実際、リスクを読み誤って失敗した例は数知れません。傍から見ていて、「なぜ、あれほどの人物があんなとんでもない判断を下してしまったのか」と思うようなケースを、皆さんも見聞していることでしょう。

誰もが当然と思う判断でも、冷静に計算してみると、実は全くの不合理であるというケースも数多く存在します。

なぜ人は、リスクを読み間違えるのか。実のところ人間という生き物は、決してあまり合理的には出来ていません。これは、人間が判断する系統を二つ持っているからです。先祖からの記憶や自分の経験をもとに瞬時に判断し、素早く反応するための「本能」の部分と、頭でじっくり考えてリスクを判定する「理性」の部分の二つです。

「本能」は捕食獣や他部族との戦闘に明け暮れていた原始時代、あるいは人類発生以前に進化させた能力です。一方、「理性」の方は、人類が脳を発達させ、文明を築く過程で手に入れたものと考えられます。リスク判断において、「本能」の方が「理性」より何倍も強力であるのは当然のことです。猛獣に襲われたとき、あるいは銃で撃たれそうなときに、のんびりと「ああした方がいいかこうした方がいいか」と考えているわけにはいきませんから、本能で素早く動いて危険を避けようとする他ありません。ただし、高度文明に囲まれた現代社会にあっては、本能で動くよりも、理性で判断して回避すべき種類のリスクの方が多くなっています。経営者や投資ファンドの責任者が、その場のカンや思いつきで戦略を立てていたのでは、待っているのは破滅だけです。しかし、本能はたいへん強力なシステムです。人は思わぬ危険にさらされた時、理性で判断すべきであると分かってはいても、どうしても本能の方が頭をもたげてしまうのです。この結果、人にはリスクを見ないようにしたり、あるいはリスクを過大に見積もろうとしたりする、心の偏り(バイアス)が生じるのです。

2012年11月20日 (火)

佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(1)

日本社会は、長引く不況に苦しんでいます。今までなら思いもよらなかったような大企業の倒産、若者の就職難、うつ病の増加といった、暗いニュースが次々に飛び込んできます。いままでずっと羽振りが良かった百貨店や、広告代理店、テレビ局、新聞社といったマスコミ関連企業さえ、そういうに苦しくなっているのが現状です。今の日本の、何が悪くてこのような事態に陥っているのか。原因はもちろん単一ではないでしょうが、筆者は日本人の「リスク過敏症」が少なからず影響しているのではないかと思っています。

あらゆるリスクを丁寧に回避することで、自らひたすら縮みゆく日本─この構図は、特に震災後、ますますはっきりしつつあるように思えます。日本人は、そもそもこうしたリスク管理を苦手とする民族かもしれません。明治になるまで対外戦争をほとんど経験せず、内々の話し合いで事を済ませてきた我々にとって、正面からリスクを取り上げるという行為は、かなり難しいことに属するのでしょう。また日本人には、「悪いことを口にすると、それが実際に起きてしまう」という、「言霊信仰」が心の奥底に染みついています。これが、リスクを語ることを無意識に回避させることのかもしれません。もちろん、避けられるリスクはされるに越したことはありません。

しかしある面では、その心理は生産者を苦しめるばかりか、消費者自身の首をも絞め、とかも実際には、必ずしも高いレベルの安全には繋がっていません。それがもたらす経済的、身体的損失は、今や計り知れないほどになっています。

2012年11月19日 (月)

シャルダン展─静寂の巨匠(5)~静物画への回帰

Chardpechesシャルダンは、1750年ごろから再び静物画を描き始め、目の疾患により、パステル画を転じるまでの20年間、主に静物画を描きました。そのころは、アカデミーの会員として、王侯の注文も入るようになり、生活は安定していたらしい。

ところで、初期のシャルダンが、それしか描けない境遇の中で描いていた肖像画と、生活の安定を勝ち得た後の1750~1760年代の静物画の違いはあるのでしょうか。一見して分かるのは、作品の中の静物の数が減ったことです。初期の作品では卓上に溢れるように様々な事物が所狭しと置かれていましたが、この時期の作品では事物の数は減り、整然と並べれています。カタログの説明では「それぞれの果物の細部や、それぞれの器具が実物に忠実あるかどうかにさほどこだわっていない。重要なのは全体の見え方である。筆の運びはより柔らかく滑らかになり、初期の静物画の特徴である厚塗りは見られない。これ以降、重要になるのは、反映と透明感であり、光と影である。空気は思いのままに流れて、薄明りの中から堂々たる全貌を現わす用具や果物を包んでいる。」

『すももと籠』という作品では、すもも一個一個はきちんと書いていないように見え、籠などはデッサンが歪んでいるのか目立つほどで、おそらく籐を編んだ籠なのでしょうが、その部分がぞんざいに書かれているのではないかとも思われます。しかし、画面右手から仄かに差す光に、水の入ったコップ、すももやサクランボが映えたり陰になり多彩な色彩の変化が見られます。かといって、画面には統一感があります。その微妙な色彩の諧調は精妙で、独特の空気感とともに詩情を湛えていると言えるかもしれません。

しかし、と思うのです。展示室で、この展示に入って一つ一つの小品とも言える静物画を鑑賞して回っている間、私の個人的な偏りなのかもしれませんが、ひとつひとつを取り上げると、それぞれ佳品なのでしょうが、このように一様に並べられると退屈なのです。というよりも、何かじれったくなってしまいました。初期の静物画では、そのようなことは感じなかったのてずが、一つの作品を取り出して、自室の居間とか台所の壁に立てかけて置く場合には、存在を主張としないので邪魔にはならないだろうし、よく見ると、それなりに応えてくれるというので、長く飾っていてもよい作品と思います。その辺りが、シャルダンの作品が、没後、急速に忘れられてしまったり、その後再発見されて話題になった理由なのかもしれません。

おそらく、シャルダンは1730~1740年代に風俗画を中心に描いていて、それ以前描いていた静物画ではさほど重要なことではなかった空間という課題に向き合わざるを得なくなったのではないと思います。それは、静物画とは比較にならない広い空間を構成することや、奥行という立体的な表現の課題です。その中で、シャルダンは間(ま)ということに気が付いたのではないか。つまり何もない空気です。初期の静物画では隙間がないほど多くの事物で溢れていました。画面に多くの事物を載せてしまえば、空間を考えなくて済みます。しかし、風俗画では室内を描かなくてはならず、室内という空間があって、そこに人物や事物を配置し、何かの場面を観る者に想像させる。そういう作品を描いているうちに、シャルダンの風俗画に自然物の占める割合は次第に小さくなって、徐々に空間に人物か置かれるということで、かえって人物が印象に残るというような、空間の描き方に習熟していきます。その鍵となったのは隙間、あるいは空気の描き方、全体の配置だったのかと思います。そのような風俗画の経験を活かしたのが1750年以降の静物画だったのではないかと思います。

展覧会ポスターなどでもフィーチャーされた『木いちごの籠』では、かつては空間の広がりをChardpanier描けなかったため平面的な静物画にせざるを得なかったのが、ここでは意識的に平面的な画面が選択されているように見えます。そうすることによって、赤い木いちごと白いカーネーション、あるいは透明な水のはいったコップ、籠の黄土色の配置が規則的に平面にレイアウトされているように、しかも色彩が相互補完的に相乗効果で生かされているような画面になっていると思います。このように、あえて奥行という要素を切り捨てて画面の平面性を生かし、色彩の諧調や光と影の陰影で画面を作っていくというのは、後年の印象派の画面を彷彿とさせるではないか、かなり先走った議論かもしれませんが。シャルダンには、印象派のような強烈な光はなくて、抑制がそこで働いていますが、そのためだから、私のような刺激がほしい人には、物足りなさを覚えさせられるのです。

それは『桃の籠』の暗がりから浮かび上がるような桃の描き方に見られるように、シャルダンという画家は、当初の目の前に置かれた物を忠実に描き写すことから、描かれたものが画面としてどのように見る人に映るかに気が付いたのではないか、と思わせるところがあります。当時の絵画のヒエラルキーで最上階の歴史画は、今は現実に無い過去の事柄をあたかも今あったように画面に定着させるものなので、極言すれば画家の作り出す偽の画面です。それをよく言えばイリュージョンという便利な言葉もあります。しかし、シャルダンの描く静物画は、目の前にある台所の器物や果物をそのまま写生すると考えられていたのではないか。それに対して1750年以降のシャルダンは歴史画と同じように画家が画面という偽の空間をつくるイリュージョンであることに気が付いたのではないか。ここに描かれた桃は、桃を写生して描くのではなく、観る人が桃に見えればいい。細部を省略して粗っぽく描いても、胡桃やナイフや水の入ったコップとの対照や位置関係、色合い、光の当て方などからそのように観る者に想像させればいいのです。そこでシャルダンは観る者にそのように想像させる画を描こうとした。だから、これらの静物画は写実ではなくて、歴史画とおなじイリュージョンなのです。そのように積極的に観ようとしなければ、その面白みを堪能できない。それこそ、シャルダンがどのようにひとつの世界をつくろうとしたか、ということがこれらの作品には込められているといえるのではないでしょうか。

Chardgobelet『銀のゴブレットとりんご』という作品には、そのような虚構の要素がさりげなく忍び込ませてあるのではないか、と私には思えるのです。すごくまとまっている作品ではありますが、リンゴを映す銀のゴブレットし陶器製の器の対照的な配置や器に入っているスプーンが銀ではないのか光を反射させていない対比というのか、全体を他の静物画と同じように黄土色にして、それらを浮き立たせているところなどは、明らかに画家の作為でしょう。それを、あたかもさりげないと見せて、写実のような作品に仕上げているところにシャルダンという画家の技法の成熟を見るとともに、この画家の特異性に触れたような気がします。一見、さりげないようで、実は一筋縄ではいかないところがあると、私の考えすぎでしょうか。どうやら、私は、そういう絵の見方が好きなようです。

2012年11月18日 (日)

シャルダン展─静寂の巨匠(4)~風俗画─日常生活の場面

Chardselシャルダンは1734年から15年間静物画から風俗画に転じました。その間、妻子を失い、本人も大病を患うという災厄に見舞われましたが、生活の不自由から漸く解放されることになったそうです。当時の画家の世界には、歴史画─肖像画─風俗画─静物画という階層が存在し、画家の収入もそれに応じたものだったそうです。静物画を描いていたシャルダンは最下層の画家の位置で生活も楽とは言えなかったのではないか。そこで、なんとか生活レベルを上げたいというのは、現代の人間からすれば当然ことで、野心的にシャルダンは挑戦したのかもしれません。(よりよい生活をしたい、出世したいとか、金持ちになりたいという野心は現代の生活では当然のことにように思われていますが、必ずしも普遍的にあてはまることではないので、この時のシャルダンが本当に野心を持っていたのかは、私には想像できません)この絵画の階層については、サマセット・モームの「人間の絆」という小説の中のエピソードが印象にも凝っています。主人公フィリップ・ケアリはイギリスの田舎で生まれ、両親の残した僅かな遺産で画家の勉強をすべくパリに留学し、静物画のデッサンから画学校で勉強し始め、画学生の仲間にも恵まれ一見楽しい学生生活を送ります。その後、しばらくしてフィリップは人物を描く勉強に移りたいと思って友人に話すと、友人たちの態度は手の平を返したように軽蔑を露わにするようになります。そこで、初めてパリの人間の本音に遭うことになるのですが、イギリスの田舎野郎が下手糞なくせに生意気にも人物を描こうとしているとして、彼の身の程知らずを嘲笑うのです。結局、彼は自分の才能のなさを思い知らされ、傷心の内にパリを去ることになることになります。そのきっかけは彼が野心を起こしたことによる、ともいってよく、最下層の画学生としてなら今しばらくは脳天気に仲間とパリで楽しい時間を過ごせたかもしれなかったのです。それだけ、人物を描く画家と描かない画家の間には大きな懸隔があったということです。この小説は19世紀の小説ですが、当時ですらそういう風潮は残っていたのですから、シャルダンの時代は厳然と階級のように存在していたのかもしれません。

Chardportrait_du_peintre_joseph_aveでは、といって実際の作品をと『画家ジョセフ・アヴェドの肖像』を見てみると、シャルダンにしては大判でそれなりの野心はあるのでしょうが、どう見ても下手です。人物に動きはないしボタっと絵の具垂らしたような厚塗りの塗り絵のような、人物に表情もなく、しかも背景かはっきりせず書き割りのようで奥行が感じられない平面的な作品です。何か、書いている私自身ですら見も蓋もないと思うほどです。しかし、かれはその短所を転じて長所にしていく。そのあたりのことを、カタログが上手く解説しているので引用します。

「「彼の絵筆は、決してすらすらとは運ばない」。シャルダンは苦労する。しばしばぎこちなさ、不自由さが見られ、彼が隠そうとしている努力を、「辛い作業」と感じる。シャルダンは生涯を通して、執拗に、決して倦むことなく、生まれついての才能の欠場を克服するために戦うことになる。彼は根気よく、決して満足することない完璧さを追求するだろう。この弱点を力にして、能力の欠如を、彼の時代にあっては独創的で比類のない表現に変えることになる。

彼のもっとも初期の風俗画の中に描き込む人物像を、モデルを基にして写し取ろうとする。だが無駄であった。わずか後には、彼は素描を止めるが、そのことが彼を当時の大家と隔てることになる。画家は動きのない世界に没頭し、イーゼルから適度に離して、眼の前に置いたものを描く。こうした方法で制作したのは、個の世紀には彼だけである。動きのない世界という言葉で私が言いたいのは、彼の静物画はもちろんのこと、すばらしい風俗画の場面、いかなる動きも邪魔することのない、閉じられた世界のことである。彼は見たもの、見たものだけを描く。彼は動きを避ける。シャルダンは同僚の誰ひとりも比べることのできない技法を、自分ために改めて作り出した。ブーシェの滑らかな絵肌の技法を思い出させるような18世紀の画家のタッチの自在さや、フラゴナールの目も眩むような名人芸などとは、シャルダンの技法はまったく別のもので、たっぷりとした絵の具の厚塗り、次々と絵の具を塗り重ねること、粘りつくようなマチエールかに成り立っている。画家は物語を語り始めることのない主題を選ぶ。このやり方は当時の主要な画家とは異なる。早くも18世紀から、彼の芸術のこの特殊性は、人を途方に暮れさせ、当惑させた。それはシャルダンの礼賛者を困惑させた。というのも、彼等は一枚の絵がなんら物語を語らないことを、なかなか認めることができなかったからである。シャルダンは大胆にも当時でただひとり、物語ることを拒んだ画家である。たしかに、彼はすべての逸話を、物語を、画趣あるもの、叙述的なものを避けた。当時の現実的問題を暗示するものは何もないし、道徳、教訓、イデオロギーも何一つない。彼の芸術は、感動的なほど野心的である。」

Chardhane_2少し引用が長く先に行き過ぎたかもしれません。『羽根を持つ少女』という作品を見てみると、輪郭がぼかされ朦朧としたような顔には表情がありません。来ている衣服がそうなのかもしれませんが、身体の線も直線的で、人間というよりも人形を描いているように見えます。個性をもった人物というよりも、人間のパターンを描いているかのようで、羽根とラケットを持った子供の像であるはずなのに全く動きが感じられず、ポーズをとって静止しているような感じです。まるで、人物を静物画として描いているようにしか見えません。シャルダンが、以前に静物画で没頭した、表面の質感の違いの表現が、この作品では、より繊細に描き分けられています。ラケットの木肌、少女の着ている服地、そして、とくに少女の赤らんだ頬の滑らかな肌の質感が、それぞれ微妙に描き分けられているところがこの作品の最大の魅力ではないかと思います。つまり、画家にとっては、人物であろうが描かれる対象としては表面をもった物体としてしか捉えられなかったのではないかと思われるのです。だから、そこで少女が何を想ったとか感じたかということは、物体として存在には関係のないことであり、シャルダンには見えてこなかった。あるいは描くことができなかったのではないかと思います。この作品に感じられる愛らしさは、あえて顔を陰にして、表情見えにくくし、人形のような少女の顔の形に柔らかな肌の質感を描き込んで、少女らしさの外形のパターンを提示し、あとは観る者の想像に結果として任せたという点あると思います。現代のアイドルといわれる少女たちのグラビア写真には呆けたように表情を失った顔で肢体を露わにさせたようなポーズをとっているものがあります。これは、そのようなグラビア写真の定型的なポーズなのか、誰彼も決まったように同じようなポーズで写真に納まっています。それはまるでアイドルの少女のイコンでもあるかのようで判で押したようになっていますが、この『羽根を持つ少女』も同じようなパターンが感じられるのです。

Chardinoriシャルダンの作品としては、もっとも有名なものの一つである『食前の祈り』という作品の場合にも、人物が画面に3人描かれていますが、その3人が織り成す劇的なドラマというのではなく、3人がポーズをとって1コマを作っているような感じです。風俗画は静物画と違って版画家され広く大衆に流通、頒布されることによって画家におおきな収入をもたらすことになるものであることを、シャルダンは知っていて、風俗画に進出しただろうことは想像がつきます。この『食前の祈り』は版画として大量に制作されたといいます。多分、そういう版画を購入するのは、十分な暇と余裕があり、じっくりと絵画を鑑賞し、物語に想いを馳せるような教養と想像力に恵まれた貴族ではなく、市井の庶民たち、あるいと勃興しつつあったブルジョワジーたちだったのではないかと思います。そのような人々にとって、このような作品は下手な感傷も、ものものしい暗示のようなものもなく、単刀直入に生活のシーンを理想化したように見えたのではないかと想像します。しかも、そういう一場面を、版画を贖った人々は自分たちのそういう場面を肯定してくれているように受け取れたのではないか。そこに余計な物語的なものがないだけに、貴族のように人々に媚びるところのない、(教養のない)自分たちの絵だと共感できたのではないかと、私には思えるのです。シャルダンは、それを意図的にやったのか、結果としてそうなったかは分かりません。私には、シャルダンという画家には器用さが感じられないので、後者のように思えますが。その点で、引用した解説にあるような芸術性ということでは、シャルダンはそういうタイプなのか疑問を感じています。こう見ていくと、シャルダンは芸術家というよりは職人に近い肌合いを感じます。

そして、シャルダンの人物画として最後期の作品となっている『セリネット』あるいは『良き教育』はいずれも注文によって制作されたものらしいです。このころになると、描く対象はブルジョワに限られ、描き方も、幅広で、粗くかすれたような、ざらざらした、凸凹のある筆触や、よく目立ちはっきりと判別できる絵の具の塗り重ねが見られなくなり、鮮やかな色彩は大胆さをうしない洗練され、そして、人物は表面から奥に引っ込み、作品の中に占めるスペースが小さくなっていきました。これは、裏を返せば、人物をより広い空間の中に配置し、筆触はぼやけ、蒸気のように軽く繊細になり、淡い色調はパステル画のように、画面の中に清涼な空気が流れ込むように感じられるものになっていったと言えます。そして、晩年の静物画に回帰していくことになります。

2012年11月17日 (土)

シャルダン展─静寂の巨匠(3)~「台所・家事の用具」と最初の注文制作

Chardmoutonシャルダンが1728年に王立美術アカデミーの会員になった後の作品です。シャルダンは、この時期に静物画を描いた後、風俗画に転じ、後年、再び静物画に戻ってきます。後年の静物画は全体に融合してまとまった感が強いのに比べて、この時期の作品は、個々のパーツが突っ張っているという感じがします。ただし、シャルダンという画家の作品の中での比較なので、その差は他の画家との差に比べると小さなものになってしまいます。例えば『羊の骨付き肉のある静物』では、左側から差し込む光を受けて右側に置かれた銅鍋の底が光を反射させています。また真ん中の陶器の壷がテカテカ光っているようなのと、左手前に掛けられた白布に影が映っています。このように、卓上に置かれた個々のものの光の反射の仕方が違うのと、置かれた位置によって光の当たり方、強さが違うことなどによって、それぞれの物の表面上の材質、肌触りの違いが主張されているように描かれています。それに加えて、静物画という名称の中で、意外とこの作品はダイナミックな構図によって動きを多少なりとも感じられるような仕掛けが施されています。ます、テーブルの上に所狭しとものが置かれていること、そして右側ではネギがテーブルからはみ出てしまっていることや、左側では白布が同じようにテーブルの外に出てしまっている。このことから、テーブルという枠に納まりきらない動きがでています。また、テーブルの上のものというと水平なテーブルに乗せられたということで、水平な方向性で安定した感がするものですが、テーブルからはみ出るということで、横の安定を乱すことに加えて、横に置かれて安定していてもいいはずの銅鍋をテーブルに乗せきれないことから壁に立てかけさせることで水平ではなくて垂直の要素をいれて水平を断ち切る方向性を与えています。そして、その方向性は上から吊り下げられた羊の肉によって、水平の画面から水平と垂直が対立する画面に変わります。おそらく、この肉がなければ、横長の長方形の画面でよかったはずが、この肉があることによって縦長の長方形の画面になってしまっています。それが、画面構成に緊張感を与えていて、吊り下げられた肉、銅鍋、ネギ、白布、柄杓、壷のそれぞれが画面の中で存在を主張しているような印象を受けます。それだけ、シャルダンは構成に心を砕いたことが分かります。かりに、この作品を模写して、もっとゴツゴツと輪郭を描いて色彩のメリハリを強調したらセザンヌのような作品が出来上がるように見えてしまいます。

シャルダンの作品には構成ということが大きな要素になっていることは、例えば『肉のない料理』と『肉のある料理』という同じ時期に、おなじように銅板に描かれた、それこそ対のような作品が、同じようなものが卓上に置かれていながらその配置(構成)によって対称を成すように見えてきます。

しかし、と私は思うのです。このように見ていると、悪く言えばパターンの使いまわしではありませんか。比較にならないかもしれませんが、現代の人気アイドルグループAKB48がメインのボーカルを立てられず、センターボーカルをファンの人気投票で選挙するのが話題になっていますが、要するに誰がセンターでボーカルをしても大して変わりはないという突出した存在がないからに他ならないわけです。AKB48のメンバーの少女の一つ一つはいわば取り換えのきくパーツのようなもので、その組み合わせで少しだけ色合いの違うものが組み立てられる、その微細な違いをファンは安心して楽しめる。シャルダンの静物画にも似たような雰囲気が感じられます。しかも、やはり下手なのです。『肉のある料理』に描かれた壷が明らかに歪んでいます。デッサンがしっかりできているのか、と言わざるを得ません。しかし、下手なりに構成を考え最大件の効果を生み出し、頑張っているではないですか。何かいじらしくなるほどです。この点もAKB48に似てなくもありません。

シャルダンはアカデミー会員になって、それまでの狩猟の獲物を描くという範疇からレパートリーを拡大しようとします。そして、あらたに広がったのは台所用品の静物画だったということらしいです。もっと肖像画とか風俗画とか歴史画とかランクの高いものに挑戦すればよいものを、台所用品です。これはシャルダンが、自らの力量をわきまえていたからではないかと思います。当時のシャルダンは、そんなに様々なものを上手に描けなかったのではないか。シャルダンは、目前に現物があってそれを見ながら出ないと描くことはできなかったといいます。それならば、台所用品は身近にあって、いつでも、キャンバスの前に持ってくることが可能です。しかも、種類は限られているので、それらの一つ一つに対してじっくり練習をかさねれば、鍋、壷、食器、肉、野菜という個々のパーツをそれらしく描くことができるようになります。あとは練習して、それなりに描くことができるようになったパーツを組み合わせて作品にするだけです。しかし、パーツが限定されているため、何枚も描くと底が割れて同じような作品しか描けなくなり、行き詰ってしまいます。そこで、限られたパーツで最大限の効果をあげるために、組み合わせと画面構成に心を砕き、なんとか変化を与えようとした、というのがこの時期のシャルダンの静物画が生み出された要因の一つではないかと、勝手な想像をしています。そういうことを考えると、全体として作品のサイズの小ささが、小さく描くことによって粗が見えにくくなるという狙いがあったのかもしれません。

展覧会の惹句では静寂とか寡黙とか、何か珠玉の小品のようなイメージを喚起させられますが、作品を観ていると、そういう高尚な感じはしないのです。芸術としての高貴なオーラは感じられなかったというのが正直なところです。そんな中で、画家として生活の糧を何とか稼がなくてはならない、ということで持っている技術を総動員して、他の画家を出し抜くことができないのなら、差別化して他人がやらないニッチなところで商売をしていった、それなり評判を勝ち得たからこそ、こうやって後世でも展覧会が開かれるわけで、あえていえば、シャルダンという画家の苦闘を想像せずにはおれない、というのが、この展覧会の率直な感想です。多分、批評家のような人がテレビや新聞でチラシの惹句のようなことを述べて進めていましたし、この展覧会の感想がネットに頻出していますが概ねそういう方向だと思います。しかし、私個人はこの方向で感じらませんでした。それが正直なところで私の感想なので、これを読んでも展覧会の参考にはならないことをお断りしておきます。

2012年11月15日 (木)

シャルダン展─静寂の巨匠(2)~多難な門出と初期静物画

Chardmortシャルダンの初期の作品群で、彼が最初に描いた静物画ということになっている野兎を取り上げた作品が展示されています。友人であるコシャンの手記がシャルダンの言葉を伝えていると言われているそうですが

「描いた最初のもののひとつは兎であった。それはまったくとるに足りないもののように思われた。だが、自分が望んだように表現するためには、真剣に取り組まなければならなかった。ひからびて冷やかにしてしまうような、事物に隷属していた表現に陥ることなく、あらゆる点において最大限の真実をめざし、良き趣味とともに描こうとしたのである。さらに兎の毛なみを描こうとはしなかった。毛を一本一本数えたり細密に描写したりする必要をまったく感じていなかったのである。彼は自分にこう言い聞かせた。『ここに描くべきものがある。その真実を描くことだけに集中するため、今まで自分が見た者すべて、そして他の画家たちが描いた様式さえも忘れてしまわなければならない。細部がもはや見えなくなるほど遠くに対象を置く必要がある。それの全体の量感、色調、ふくらみ、光と影の効果をうまく、最大限の真実とともに模倣することに、私はとりわけ専心しなければならない』」

このことを、カタログの解説では「シャルダンが言っていることは、対象をただ表面的に正確に写すことではなく、その存在そのものを表現する、ということだろう、それこそ彼と先輩・同輩画家たちや北方の画家たちを分ける最大の特色であり、シャルダンが50年余りの活動の中で、テーマが変わり技術的に進歩を遂げても、変わることのなかった彼独自の個性、「魔術師」と呼ばれた彼の芸術の本質である」と述べています。これらは、シャルダンが評価をされているからこそ出てきた言辞でしょうが、実際の作品以上に言葉が独り歩きしてしまっている印象を受けます。最初にも言いましたように、シャルダンの作品には結果的にスノビズムに媚びるというのか、この作品を好きになったら、きっと万人に受け入れられるような作品ではないから、この私が支えてあげなくてはならない、とでもいうような思いを抱かせるところがあるように思います。そして、私には、それがシャルダンの作品の最大の魅力ではないかと思います。カタログでシャルダンの芸術が「魔術師」と呼ばれたと書かれていますが、そこには受け入れる側の多分に心理的な要素が働いているのではないかとおもいます。

Chardbill実際に作品を観てみると、兎の毛を一本一本細密に描写する必要を感じていなかったというより、絵の具をボコっと画布に塗りつけるような粗っぽい筆遣いで描かれているので、このような描き方では、そもそも細密に毛を一本一本描き込むような繊細な筆遣いは望めない。つまり、そんなことができる技量がない、ということの方が真実ではないか、と私にはおもえてなりません。その証拠といっては何ですが、同じ展示室に飾られている『ピリヤードの勝負』の天井からぶら下がっている梁やそこに乗せられている物体の不器用な描き方、まるで塗り絵のようなもの。このような描き方をしている人が、いくら精進をしたとしても数年もたたないうちに繊細で細密に兎の毛を一本一本描き込んで毛並みに見せるなどという芸当が、果たしてできるのか。ということから、シャルダン本人の言というのは、それだけの技量がないことは自分で分っていて、そのような技量で最大限の効果を上げるための方法論として選択されたもの、という方が私には説得力があります。

この『死んだ野兎と獲物袋』という作品では、野兎の死骸と獲物袋がどこに置いて在るか分らない。背景が省略されています。好意的に受け取れば、対象物だけをピックアップさせた、本質の存在だけを描いたということも可能でしょうが、私には、背景を描き込んでしまうと、野兎の死骸と革製の獲物袋がそれぞれ茶系のくすんだ地味な色遣いが描かれているため背景に埋もれてしまって、それを際立たせる自身がシャルダンにはなかったのではないかと、私には思えます。だからこそ、野兎の死体を壁に掛けてぶら下げるような縦の構図にし、足を広げさせて対角線を描かせるということで野兎を強調させるというトリッキーというのか、私には、これが生贄の祭壇を連想させるのですが。そこで、突飛な格好を背景を省略するという単純化させた画面で強調させると、観る方では分かり易いということになります。それが、後にシャルダンの作品が版画化されて一般の家庭に広く普及したそうですが、版画のような複製の場合、あまり細密で繊細な筆遣いの再現は困難であるので、単純で分かり易いというのは、そういう複製化にとっては便利だったのではないかと私には思います。しかも、庶民には神話や歴史の教養がなくても身近な題材なら分かり易い、というわけです。シャルダンの作品を存在を描いたと言葉でものがたりにするなら、このような拙い技術で売れるために戦略を駆使したというものがたりをつくり出すことも可能なのです。私には、作品を観ていて高尚な作家には見えないという感覚的、もっというと直観的な印象から話しています。別に事実が何かあるというわけではありません。

一本一本の毛ではなく全体としての対象の存在そのものを表現するというと、何かセザンヌみたいですが、画布という平面に描くという手段でそれをして、なおかつ、それを観るものがそうだと分からなくてはならないわけです。とくにシャルダンの場合は、生活のために画家となっているわけで、絵が売れて食べて行かなければならない。芸術のために真実を追求し、後は歴史が審判してくれるなどというような独善的なことでは生きていけなかったはずです。どちらかといえば、そういう方向性というのは、周囲の画家と自分は違うという差異化の戦略をたてて、絵の買い手にアッピールすることが狙いだったのではないかと思います。もし、そういう方向性だったら、対象の存在を描くことよりも、観る者が対象の存在が描かれているように感じ、それが他の画家にないシャルダンという画家のすごいところだということを理解させることの方が重要なことのはずです。多分、残された言辞からシャルダンという人は、そのことに自覚的だったように思えてなりません。『細部がもはや見えなくなるほど遠くに対象を置く必要がある。それの全体の量感、色調、ふくらみ、光と影の効果をうまく、最大限の真実とともに模倣すること』と自身が語っていることは、どう見せるかという効果について自覚的であることを物語っています。それこそが、私にとってシャルダンという画家の作品の大きな魅力なのです。何か、現代の資本主義の毒に侵された偏った見方と思われるかもしれませんが、私には、18世紀の画家が現代のビジネスの視点からも関連付けられるということの方が驚異的ではないかと感心させられるのです。

この最初期の野兎を題材とした作品は、画家が精進を重ねていく前の拙さが多く残る中で、そういうシャルダンの戦略的な方法論が剥き出しに出ているという点で、大変面白い作品であると思います。

2012年11月14日 (水)

シャルダン展─静寂の巨匠(1)

Chardpost_210月初旬は夏の延長のような陽気で、今週に入るともう冬服が欲しくなるような涼しさになった。この時期は3月決算会社の中間決算なのだが、近ごろは四半期決算が一般化し、以前のような忙しさはなくなった。そのせいか、株懇による6月の総会の反省のようなセミナーがあったので参加した。その後、人と会う約束をしていたのだが、その時間まで余裕ができたので、短い時間だけれど美術館に寄ってみることにした。

美術展としては、展示点数も多い方ではなく、小品が主だったので、一つ一つの作品に魅せられてじっくり時間をかけて、ということもなければ1時間弱で通して見られる。そういう意味では1500円という入場料は高い気もした。

シャルダンという画家は、時代的には18世紀に生きフランス革命の起こる前に亡くなった、ロココの終わりという感じだろうか、時期的には、ドミニク・アングルとかジェリコたちとも重なる時期があると思う。

展覧会のチラシによれば、フランスを代表する静物・風俗画の巨匠ということです。それはチラシの絵を見てもらうと、どうでしょうか。地味というのか、まず題材が静物画ということは別にして、色はくすんだ感じで、木苺の手触りが感じられるようなリアルな描写というのでもなく、また、スペイン・バロックのスルバラン等のような光と影を用いたボデコンと呼ばれる静物画の崇高さもなく、オランダ絵画の親しみやすさもなく、言ってみれば、それらの作品と並べると目立たなくなってしまうような作品です。他の画家であれば、凡庸としか受け取れない、これらのことがシャルダンに限っては肯定的に捉えられてしまう、そういう傾向の画家ということでしょうか。展覧会カタログの中では次のような説明が為されています。

「18世紀、世俗化されていく社会を背景に、現世的なものへの関心が強くなっていく中で、絵画は美的鑑賞の対象として画家の名人技とともに、拡大を続ける鑑賞者たちによって、時とともにますます愉しまれるようになる。こうした時代に、ジャン・シメオン・シャルダンは、平凡でありふれた事物を、充実した、荘厳とも言える存在として表現した、当時の批評家たちの言葉を使えば「魔術師」だった。画布の上に表わされた事物は、生命を与えられた一個の独自の存在として、私を限りなく魅了する。原物とは切り離された、自立した世界がそこにはあるのであり、ディドロのようなシャルダンの礼賛者たちは、対象の生命や本質をとらえて表現した画家として、彼を讃え、絵画固有の価値を認めたのである。例えば『カーネーションの花瓶』はシャルダンが描いた現存する唯一の花の絵である。一度見たら忘れられないほど魅力をたたえた作品で、彼の画家としての資質が余すところなく発揮されている。一見何の変哲もない作品でありながら、彼がどれほど周到に構成を練り、色彩を選んでいるか、次第に明らかになるだろう。たとえば、机の上に置かれた赤い二輪のカーネーションが、強いアクセントとなって画面をどれだけ引き締めているか。あるいは色数はごく限られていながら、音楽的ともいえる心地良い諧調を生んでいるかを」

説明というよりもオマージュに近い、かなり熱い解説になっています。地味な作品にそぐわないかと思いつつも、それだからこそ思い入れのあるファンがいるというタイプの画家ではないかと思います。たしかに、ここで解説に書かれている要素はあるのかもしれませんが、それにしても主観性が強いというのか、逆説的な言い方かもしれませんが、また画家自身は意図的にやっているのではないのでしょうが、このような解説を書きそうなスノッブに結果的に媚びている感じはします。この解説文になんとなく漂う、なかなか普通の人には、この一見平凡な絵画に隠された真実とか存在そのものを、私は見えるのだというようなエリート意識が行間に見え隠れしているのです。繰り返すようですが、これは何もシャルダン本人がそうしようとしたものではなく、周囲の人間や後世の愛好者がそういうものとして祭り上げていったものです。しかし、シャルダンの作品には、そうしたくなるような要素があるのでしょう。例えば、私が支えてあげなければ、という強い思いを抱かせるような要素が。現代において、似たような現象として、突飛かもしれませんが、私はAKB48という少女のアイドル集団とファンの関係に似ているように見えました。彼女らは、取り立てて美しい容姿に恵まれているわけでもなく、歌もダンスも下手であるにもかかわらず、ファンと交流し不器用ながら一生懸命頑張っている姿を見せている。ファンはそれに共感し支えてあげようと熱い共同幻想の空間を作り上げるというものです。シャルダンの場合には、もっとスノッブで上品な感じはありますが、そのファンの雰囲気に共通性を感じました。

で、正直にシャルダンの絵の私の感想を書けば、「下手!」の一言に尽きます。例えば、解説で取り上げられていた『カーネーションの花瓶』。筆遣いに滑らかさはなくて、まるで絵の具をぶつけているようです。だから、陰影のニュアンスは粗っぽく、だいたい輪郭すら描けていないです。花びらのひとつひとつをよく見ると、花びらに見えない。それは、モネの晩年の睡蓮の花びらを見ているようです。そういう要素しかそろえられず、たどたどしくも花瓶に活けられた花として、取敢えずみれるようになっている、いってみれば奇跡のような作品なのです。多分、私にとってシャルダンという画家は、アイロニーとしてしか語ることのできない画家なのかもしれないと思いつつ、これから具体的な作品を見て行きたいと思います。

展覧会は次のような章立てで展示されていたので、それに従って観て行きたいと思います。

Ⅰ.多難な門出と初期静物画

Ⅱ.「台所・家事の用具」と最初の注文制作

Ⅲ.風俗画─日常生活の場面

Ⅳ.静物画への回帰

2012年11月13日 (火)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(10)

第6章 日本社会は企業に厳しいのか?

日本企業の浮上を妨げている二つめの枷は、日本社会に見られる様々な問題です。とくに現状に合っていない旧態依然の規制や制度は、企業の柔軟な対応を難しくする大きな枷になっています。

 

第7章 考え方が縮こまる日本

日本の企業の再浮上を妨げている三つ目の枷は、人々の考え方そのものです。昨今のように大きな変化を迎えている時代には、本来の要請から言えば、自由で柔軟な発想をする人が求められるはずです。しかし実際はそのような状況になっていないのではないかという気がしてなりません。それは人間の性質に起因するものもあれば、人々の考え方に影響を与えている周りの環境に問題がある場合もあるでしょう。最初に取り上げるのは、人間の性質に起因するものです。

人間には困ったことに、「見たくないものは見ない」「聞きたくないことは聞かない」「考えたくないことは考えない」「あって困ることはないことにしてしまう」「発生頻度が低いことは起こらないことにしてしまう」というところがあります。そして、これが本来は起こらない、不必要な事故やトラブルの原因になることが良くあります。誰でもそうですが、「従来と同じ」という動き方をするのは非常に楽です。慣れ親しんでいるから安心できるし、新たなことを考えるときの面倒もないからです。よほど困った状況になったり苦しいことに遭遇しないと、人間はできるかぎり従来と同じ道を進みたがるのはそのせいでしょう。そして過ちに気づき変えられるのは、「破綻をきたした時」というのが一つのパターンです。

周りの環境が人の考え方を縮こませる例として、例えばコンプライアンスの問題を上げることができます。コンプライアンスの本当の意味は「社会からの要請に柔軟に対応する」ことです。それが日本では「法令遵守」と誤訳され、その結果、企業の活動、人々の考え方にまで悪影響を与えているといいます。コンプライアンスを気にするようになると、どうしても「新しいことをやって、これがコンプライアンスに引っ掛かっていたらどうしよう」という方向に人の考えは向きがちになります。そうなると、どうしても無難な方に行かざるを得ません。ちなみに今の時代、無難な道が失敗への道へと続いていることが多いということは、言わずもがなです。

マニュアルにしてもそうです。組織が成熟し、マニュアルが整備されてくると、仮に状況が変わってマニュアルに書いてあることがすでに時代遅れなものになり、そこで問題が発生しても、「私はマニュアルに書いてある通り行動しただけだから悪くない」と考える人が出るようになります。これは本末転倒の話ではないでしょうか。こうしたことが続くと、その組織の人は「言われた通りにやる」「決められたことをやる」ことが一番大切であるという価値観に支配されるようになっていきます。そうした価値観が支配して、いまの大変化に対応できる人間が育つのでしょうか?

 

この後も続きますが、この本で面白かったのは第一部で、第二部、第三部と進むにつれて、つまらなくなっていきます。それは、企業の現場から離れることと、これからのことを考えると著述が一気に生彩を失うようです。どうやら、この著者たちは、分析するまではいいのですが、考察するのは苦手のようです。何か第一部は小気味よく批判的なことを書いていますが、結局それを書いている本人たちが、実は批判されるものに当てはまっていることに彼らは気付いているでしょうか。おそらく、それに気づいていないからこそ、第二部、第三部がつまらなくなると思います。この本で分析されていることは参考になりますが、それ以上に、この本の著者たちが「裸の王様」であることに気づいていないことの方が、私には他人事でないものとして、切実に読み取って行かなくてはならないと思います。結果論ですが、かれらは不誠実で無責任だと思います。

 

2012年11月12日 (月)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(9)

世の中は常に変化しています。それとともに事業を取り巻く制約条件や市場からの要求も変わります。この変化に対応するには、必要に応じてマニュアルなども変えて行かなければなりません。ところが組織の中で極端な形式主義や数量主義、管理主義がはびこると、この変化を無視したり、ないものとして扱って、結果として組織が大きなダメージを受けるということが起こりがちです。従来のやり方に慣れ親しんでいると、「前と同じ」という状態が非常に心地よく感じられます。しかし周辺環境が変化した後も組織が力強く生き残っていくためには、硬直化を防ぐための手を早く打つことが重要になります。しかし現実には、この種の対策がスムーズに進められるケースはあまりないようです。はいけいには変化を望まない人間の意識の問題があります。そして組織全体がこのような意識で動いている状態を、組織の「中間管理職化」と呼んでいます。ここでいう「中間管理職化」とは、仕事をする時にまず自分たちの組織の中のことを見てしまう状態のことです。その弊害は、周辺環境が大きく変化した時に一気に顕わになれます。たいていは組織全体が思考停止状態に陥り、周りで起こっている問題に対して無策で、一切抵抗できずに状況が悪化するのを茫然自失の状態で眺めるしかないということになりがちです。

日本のものづくりの浮上を妨げている企業組織の問題として、「技術者のおごり」についても触れておく必要があります。過去の成功体験があるので、技術者たちは、いまでも技術に強いこだわりを持っています。こういう人たちは「いいものをつくれば必ず売れる」と信じているので、従来のやり方をなかなか変えたがりません。不幸なことに日本の多くの製造会社では、過去の実績を評価されてこういう人が開発責任者等の重要なポストにいたりします。こうなるとなかなかやっかいで、技術者のおごりが組織に大きなマイナス効果を齎すことになります。未だは高い技術が以前のように大きな競争力にならなくなっているのです。消費者のニーズも多様化しています。技術は必要ですが、重要なのは技術を基に消費者の魅力ある製品を生み出していくことです。消費者のニーズを考えずに「いいものをつくれば必ず売れる」と安易に考えるのは、技術者のおごり以外のなにものでもありません。今の時代、ものづくりに携わる企業に求められているのは、消費者が望んでいる機能を持つ製品を、望んでいる価格で提供することです。いくら高い技術があろうと、消費者が望んでいないものは必要ありません。ましてそのような技術を消費者に無理やり押し付けるようとするなど論外。

生産技術でも同じようなおごりがあげられます。生産技術が強い企業では、どの材料を使うか、どの部品を使うかを生産部門のこだわりで決めているところがあります。こだわりの材料や部品を使うことが、その製品の競争力アップのために重要であればよいことですが、実際は単なるこだわりだけで、むしろそのことが価格を上げる原因になっていることがあります。実際は指して必要でない負担を消費者に強いているだけ、という可能性も高いのです。それが結果的に、当初の設計の意図を離れ、消費者にマイナスになるこだわりだとすれば、それはやはりおごりでしょう。そのような製品は当然、消費者から選ばれにくくなります。

ビジネスを成功させるための基本は、環境の変化、市場の動きを意識し、消費者のニーズに合った製品やサービスを提供することです。これはどんな業種でも同じです。ところが日本の多くの企業は、この基本を忘れているかのような動きを平然とします。それは消費者より、ライバル関係にある同業他社の動きを気にする姿勢に顕著に表れています。このように同業他社の動きを人一倍気にする背景には、前述したように、日本の企業が置かれている独特の環境、すなわち一つの産業に同業他社が沢山あるという特殊な状況があると思われます。そのためにしばしば消費者より同業他社に目が行きがちになるということなのでしょう。大企業の組織全体が「中間管理職化」して硬直化するという弊害を生んでいることを述べましたが、いわゆる「業界」ができると、今度は業界の中ばかり見ることで同じ状況がうまれてしまいがちになります。これが、いまでは企業の大胆な改革に進めない枷の一つにもなっているように見えます。

2012年11月11日 (日)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(8)

第2部 日本企業の浮上を妨げる三つの枷

第5章 成熟した企業組織が危ない

ここでいう三つの枷は、企業組織、社会そして人々の考え方に見られる様々な問題を指しています。まずこの章では企業組織に見られる枷の問題から考えてみることにします。

日本企業の浮上を妨げている企業組織の問題として、まずは経営者の姿勢をあげなければなりません。良くも悪くも組織が進む方向は、トップである経営者が決めるものです。トップの役割として、自分たちが置かれている環境が大きく変わった場合には当然、組織の進む方向も大きく変えるような新たに手を打たなければならないこともあります。ところが現実には、こういう従来と大きく異なる方向に進むような思い切った決断がなかなかできない経営者が多いのです。これは日本企業のほとんどで見られる問題です。製品開発の期間が大幅に短縮されて、なにごともスピーディに対応しなければならないのが、激しいグローバル競争にさらされている現代の特徴です。従来のように、まずライバル企業の動きを観察し、それからじっくり自分たちの動き方を決めるようなやり方だと、それこそすぐに取り残されてしまう危険があります。

ところが、日本の経営者の多くがこの決断を出来ないのです。組織の命運を左右する大きな決断がなかなかできず、周辺環境が激変している場合でも結果として旧態依然のままの運営を続けているというケースが多いのです。日本の経営者が決断できないのには、企業組織の問題が大きく関係しています。しかしそれだけでなく、経営者自身の姿勢にも原因があります。例えば日本では「経営者は孤独」といわれています。それが意味するのは、経営者の役割として、目先の損得に左右されず、最後は自分で決めなくてはいけないからというようなことでしょう。しかし、その言葉には大きな誤解があるのです。確かに最後の瞬間には一人で決断する必要があるかもしれません。しかし、こういう時に大切なのは、決断をする時に必要になる情報の収集です。決断の方向を決める材料になる各種の材料まで一人で行うのは到底不可能です。決断は「賭け」とは違います。決断をするための材料をきちんと集めることが大前提です。逆に組織にとって最悪なのは、経営者が「裸の王様」の状態になることです。仮に経営者が孤独になって、外の世界とのつながりもなく、身内からも組織の行く末を左右する大切な情報が一切耳に入らなくなったとしましょう。現実にこのような状態に陥っている経営者はたくさんいますが、これでは組織として環境の変化に迅速かつ柔軟に対応することはできません。そもそも情報不足は、意思決定の遅さにつながります。その意味では、経営者は絶対に孤独になってはだめなのです。理想的な状態は、経営者が外の世界をしっかりとつながりを持って、外部から組織を見ている信頼できる人の意見をいつでも聞ける状態を作ることです。また自分の手となり足となる信頼できる部下を持って、組織の未来を左右する重要な情報が瞬時に入る体制を築くことができたら、必要な決断が行い易くなるでしょう。

組織には、成功して大きくなるほど動きが硬直化するという特徴があります。これもまた日本企業の浮上を妨げる大きな枷の一つになっています。組織の硬直化のパターンとしては、長く活動しているうちにだんだんと三つの「官僚主義」がはびこっていくのが一般的です。ここでいう三つの官僚主義というのは、「形式主義」「数量主義」「管理主義」のことです。いずれも大きな組織でよく見られるものです。形式主義の典型は、社内だけの書式が細かく定められたりすることです。そうなると、中身よりも体裁をつくる作業に時間が掛けられるようになります。次の数量主義は、組織の中で必要以上に数字による評価に重きを置くことをいいます。数字による評価は元々絶対的なものではないので、組織の中でこれが極端に重視されるようになると、次第に様々な弊害が見られるようになるのが常なのです。見かけの数字を良く見せるためのインチキが横行して組織の力が気づかないうちに落ちていたり、本来は数字で判断できない重要なことがばっさり切り捨てられたりといったことが起こるからです。これが数量主義の横行の弊害です。最後の管理主義の弊害は、たとえばマニュアルへの過度の依存形骸化などのことです。極端なマニュアル依存になると、組織全体がマニュアルなしには判断できず、動くことができなくなってしまいます。これが管理主義の弊害の典型例で、これが進むと確実に組織は弱体化の方向に向かいます。こうした管理主義の弊害は組織の長である経営者にまで及んでいることがありますが、この場合は最悪です。環境の変化によって組織の存亡に関わる問題が発生しているのに、思考停止状態になって状況を打開するための手がなに一つ打てないということも起こり得るのです。

2012年11月10日 (土)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(7)

第4章 日本企業の生産性が低い理由

日本のものづくりか低迷している理由の一つに「生産性の低さ」があります。そのように聞くと、「そんなばかなことがあるか」と反論する人もいるでしょう。トヨタ式に代表されるように、「日本ほど効率を考えたものづくりをしているところはない」と信じている人は少なくありません。しかし、日本企業の利益率の低さなどは生産性の低さを物語っていると言っていいでしょう。確かにグローバルに商売を行っている日本企業の多くは、これまでも生産性を上げるための努力を積極的に行ってきました。ところが、この努力が実っているケースは意外に少ないのです。生産性を上げるための努力を一生懸命しているのに結果が伴いないのは、努力の方向が間違っているからに他なりません。そもそも生産性とは何か。基本的な考え方は、インプットしたものからどれだけ多くのアウトプットを得られるかということです。インプットするものは、資本や資源、それから労働力などです。一方アウトプットされるのは、製品やサービスなど利益や付加価値を生み出すものです。そして「生産性がいい」というのは、かけているコストに対して、より多くのアウトプット、すなわち利益や付加価値が生み出されている状態を言います。つまり生産性を上げるとはそもそも、より多くの利益や付加価値を生み出すことを意味します。ですから本来はどのようなものをアウトプットするかということが最も重要になるはずなのです。ところが日本企業の多くは、先ずこの視点が欠けています。生産性を上げるために行っているのは、たいていは生産現場における効率アップで、それはそれでたしかに効果はあるものの、この方向でいくらがんばってところで限界があるわけです。今の視点で、従来の考え方、やり方を見直してみると、日本企業が抱える問題点が良く分かります。

たとえば、生産意を上げるために多くの日本企業がやってきたことに、生産拠点を海外に移す方法があります。これはもともと主にアジアなどの安い労働力を使うことで人件費を下げるのが目的でした。理屈で考えれば、人件費が下がれば売上も同じ、もしくは若干下がっても生産性が上がるのは当然ですが、ここには大きな落とし穴があります、実はこの方法で生産性を大幅に上げることができるのは製造コストに占める人件費の割合が大きい時だけなのです。ところがデジタルのものづくりでは、人の代わりに工作機械に代表される生産設備が活躍する場面が多く、製造コストに占める人件費の比率は小さくなります。このように産業の構造が大きく変わっていることを考慮すると、評価は従来と大きく変わります。デジタルものづくりにおいては、海外に生産拠点を移すことは必ずしも生産性を上げるための効果的な手にはならないのです。

日本で「生産性のアップ」というと、どうしても生産現場のことを思い浮かべる人が多いのは、「トヨタのカンバン方式」に代表される日本のものづくり信仰があるのでしょう。これは作業方法を見直して、できるだけムダを省くことで生産性を上げるという発想です。しかし、これで劇的な効果が得られることはほとんどありません。より大きな効果を得るためには、従来の方法をベースにして考えるのではなく、これまでやり方そのものを変える大胆なやり方が必要なのです。これまでのような改善・改良で何とかなるのは、ライバル企業もほぼ同じやり方をしている時だけです。そうした時代は、生産現場での生産性の向上が大きな競争力になりました。しかし、ライバル企業が部品の標準化を進め、水平分業型のものづくりへと移行したら、その瞬間、生産現場での生産性の向上努力成果が競争力向上につながらないことがはっきりします。一方、デジタルデータを活用して従来とは別の方法で生産性の向上を求めて劇的に成功しているのがサムソンをはじめとする韓国企業です。ここでいう別の方法とは、開発プロセス全体を見直して、プロセスそのものを短縮することで生産性の向上をはかるというものです。アナログものづくりによる従来の製品開発は、商品企画からデザイン、機能設計、構造設計、実際の生産までの開発プロセスがすべて順送りになっていました。これに対し、デジタルデータをうまく活用することで、開発期間を大幅に短縮したのが、サムスンのプロセス・イノベーションの中身です。商品企画が続いているうちにデザインを始め、デザインの最中に機能設計、構造設計も始めるという開発方法がデジタルデータをやり取りすることで可能になったのです。デジタルものづくりによって生産性向上の概念がそもそも変わっていることが、ご理解いただけるのではないでしょうか。

実はここにデジタルものづくりの本質があります。以前にデジタルものづくりによって、「いつでもどこでも誰でも」簡単にそこそこの製品が作れるようになったことに、日本企業の苦境の一因があるという話をしました。しかしそれはデジタルものづくりによって起こったことの半分にしかすぎません。

情報をデジタル化することで、社内に情報を集約化するハブをつくることが可能になりました。たとえば消費者が新しい機能を欲しがっているという情報がハブに入ったら、その情報がハブから企画立案部門へと行きます。さらに企画立案部門が反応することで、設計部門、部品調達部門にもその情報が行きます。そうすることで、ハブがなかった従来のものづくりではありがちだった、部門間のコミュニケーションの問題が解決され、組織全体が有機的に素早く動くことができるようになるのです。多くの日本ではまだまだ、デジタルものづくり=設計情報などデジタル化すること、という認識でとどまっています。実際はデジタルものづくりの本質とは、組織のあり方、動き方の変革を伴うものなのです。

日本の製品は「高品質」をひとつの売りにしています。これはいまでも多くの技術者が誇りに感じていることです。たしかにそれはいいことだと思いますが、消費者の要求ではなく、作り手のこだわり、つまり自己満足でそうなっている場合はないか見直す必要があります。消費者が求めているよりもはるか上のレベルで品質にこだわることは、結局は生産性の低さに繋がるからです。象徴的なのは、製造工程で繰り返し行われる検査です。品質へのこだわりがある企業では、各工程で検査が行われるだけでなく、出荷前にも最終的な品質チェックを行うのが一般的です。そこで不具合が見つかることなどほとんどないにもかかわらずです。これを「手厚い備え」と見るか「ムダ」と見るかは、おそらく意見の分かれるところでしょう。私たちはあえてこれを「ムダ」と見ます。それを「絶対に必要」としているのは、企業側の自己満足以外の何ものでもありません。なぜそう言い切るのか。こうした手厚い検査の費用はメーカーがサービスとして行っているわけではなく、ふつうは価格に跳ね返ってきます。要するに、ムダな検査がたくさんあれば、それだけ価格は高くなるのです。それを「すべての消費者が望んでいるからやっている」と考えているとすると、それは企業の傲慢以外のなにものでもありません。消費者の側からすると、品質は高い方がいいに決まっていますが、それは決して優先されるものではないからです。

サムソンは「体感不良率」を重視しています。体感不良率とは、「消費者の不満こそが製品の不良である」という考え方です。例えば製品が故障したとき、どれくらいの時間で交換、もしくは修理してくれるか、このサービスによって消費者の受ける企業への印象は大きく変わってくるという考え方です。電器製品の場合、故障してもすぐに交換に応じてくれれば、消費者の印象はかえって高くなるはずです。そもそも消費者は、すべてのものに高品質を望んでいるわけではありません。すべての商品には価格なりの品質があってしかるべきなのです。そうした消費者の考えを無視して、行き過ぎた検査を行うことでムダに価格を上げているとしたらどうでしょう。そのようなやり方をしている企業は、そのうち消費者に見放されてしまうでしょう。

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(6)

第3章 外からはどう見られているか

日本の企業は、世界からどのように評価されているでしょうか。株式上における評価が参考になります。日本の経済の停滞はバブル経済の崩壊がきっかけとされています。ただし、上場企業の総売り上げを見ると、意外なことに1990年代以降もほぼ一貫してプラス成長を遂げてきました。しかしそれが株価の上昇に結びつくことはありませんでした。その理由としては、1990年代の利益率の低下と、バブル経済に象徴される企業の過大評価があげられます。要するに、1990年代は内需の拡大が鈍ったことで最終利益率が悪化し、その影響が薄れた2000年代はバブル状態が続いていた日本株の価値が見直され、是正がはかられて全体的に評価が下がった結果、日本の株式市場は概ね下落基調で推移してきたということです。それでは現在ではとうでしょう。いまの日本株の評価は、現時点では他の先進国やアジア諸国並みの水準にまで切り下がったと言われています。つまり調整のプロセスはほぼ消息し、いまの株価は概ね上場企業の解散価値を示しているのです。したがって今後は、各企業が計上する最終利益がそのまま株式市場の投資価値の判断材料になると考えられています。とはいえ将来的な見通しは、必ずしも明るいとは見られていません。今後国内で右肩上がりで経済が成長する姿を思い描くことはできません。そのような状況の中で日本企業が成長するためには、やはり海外、それも成長著しい新興国で利益を創出することが必要ではないか、と海外の投資家は見ています。それができない企業は、少なくとも株式市場では「投資価値はない」という判断を受けかねません。

日本企業が世界の市場で苦戦している理由の一つとして、ブランド戦略の過ちがあげられるのではないでしょうか。これも背景には「自分たちはいいものをつくっているから売れるはずだ」という傲慢さがあるように感じます。しかし、そのことに気づいていない企業は意外に多いようです。日本の企業がまだ世界の市場で大きく後れをとっていた時代は、どこの企業も社名を前面に出してアピールを行っていました。実際に以前でしたら、世界中のどの地域に行っても、一般人で日本の首相の名前は知らなくても、日本の代表的な企業の名前は知っている人がたくさんいました。このようにどの地域もたいていの人がメーカー名を覚えてくれているので、あえて社名を強調する必要がなくなったと考えているかもしれません。しかしもしそのように考えているのなら非常に残念なことです。いまは、新興国が大きな市場となっていますが、これらの国では当然、日本企業の実績はさほどありません。市場に浸透していないのですから、商品名だけで勝負するような従来の手法は成立しないのです。そのための対策をきちんと打たないことには彼らから見向きもされなくなってしまいます。ところが、日本の企業の中で、そのような危機感を持っている人たちは少数派になります。大多数は、「先進国で認められているから、世界のどこの国でも自分たちのブランド力が通用する」と考えているのかもしれません。こうした意識も傲慢以外の何ものでもありません。

2012年11月 8日 (木)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(5)

ものづくりは技術がなければできませんが、だからといって高い技術を有していれば必ず競争に勝てるというわけではありません。その理由の一つはデジタル化ですが、日本企業の低迷の原因はそれだけではありません。そもそも技術というものへの根本的な考え違いをしていることも大きな原因の一つではないでしょうか。

技術には、ラディカル(全く新しい製品を生み出す)なイノベーションを起こす「R&D、技術開発(基礎研究)」と、インクレメンタル(利益を増大させる)なイノベーションを生み出す「製品開発(応用技術)」があると、分けて考えられます。「R&D、技術開発」の中には、「基礎研究」「要素技術開発」「先行開発」、それから「プロトタイブ」作りが含まれます。一方の「製品開発」の中には売れるものをつくるための「市場分析」「商品企画」から「設計糧発」そして実際に製品を量産するための「生産」を含みます。日本のものづくりが他国のものづくりに比べて優れているのは、「R&D」、その中でも「基礎研究」の分野です。基礎研究は長いものですと10年くらいの時間がかかります。日本企業は生産活動と並行して、基礎研究にも長きにわたって投資をしてきたので、様々な企業がいろいろな基礎技術を持っています。にもかかわらず近年海外の企業に押され気味になっているのは、「製品開発」、とりわけ「市場分析」から「商品企画」「設計開発」で負けているからにほかなりません。実はかつては、「製品開発」の分野も日本の企業の独壇場でした。自社ですべてをやるという垂直統合の形で高い品質を謳い文句にして、とりわけ生産技術の高さで1990年代ごろは市場を席巻していたのです。

この状況を変えたのがデジタルものづくりです。ある程度の品質の製品の開発や生産がいつでもどこでも誰でもできるようになったのがデジタル化の最大の特徴です。生産技術の優劣が以前ほど武器になりません。そのためこれまでは生産拠点にすぎなかった新興国が生産国に変わったり、後塵を拝していた海外のメーカーの猛追を受けて苦境に立たされているというのが、ものづくりに携わっている多くの日本企業の状態なのです。日本を猛追している韓国や中国などの企業には、じつは世界に誇れるような基礎技術がほとんどありません。彼らは日本や他の先進国が開発した基礎技術をうまく利用することで成功を収めています。つまり、彼等は「製品開発」、そのなかでもとくに売れるためのものをつくる「市場分析」、「商品企画」とそのための「設計思想」に優れているのです。つまり「戦略の勝利」なのです。ですから「技術では負けていないけれどなぜ勝てないのか」という理由は明白です。今の世界のものづくりの勝負は、「先行開発」の力でまったく新しい革新的な製品を生み出すか、市場のニーズを的確に捉え、「製品開発」で顧客が欲しがる製品を生み出すかで決まって来るからです。言うまでもなく、優れた「基礎研究」が生きるのは、それをうまく活用しながら利益を生み出す製品に変えた時ですし、優れた「生産技術」が生きるのは、売れている製品をつくりだしてこそなのです。

日本のものづくりがよりどころにしてきた技術は、いまや絶対的なものではありません。一方では、デジタルものづくりの時代になっても、優れた技術が強力な武器になることに変わりはありません。その一方で、競争力にならない技術というものもたくさんあるので、しっかりと見極めることが重要です。強力な武器になる技術の条件は、よそが簡単にはマネができないもので、なおかつ大きな需要があることです。もちろんよそがマネできないもので、なおかつ大きな需要があることです。もちろんよそがマネできない技術であっても、需要がなければほとんど価値はありません。事実、かつて強力な武器だった技術がその後の環境の変化で需要がなくなり、競争力を失うといったこともよく起こっています。また簡単にマネできないと安心していると、あっという間に陳腐化するのも技術の宿命です。これが技術力に依存していたり、力を過信することの怖さです。こうした問題は、とくに大企業で起こりがちです。背景には、組織が大きいために硬直化が起こり易いという事情があります。環境の変化が起こった時には組織が大きいことが足枷となり、それまでの戦略を根本から変えるのが困難になるという問題が生じがちです。そのため大企業では、状況の変化に柔軟に対応できないだけでなく、硬直化した組織の中で、競争力がなくなった技術をいつまでも大きな価値があるものとして扱う錯覚も横行するのです。このように、自分たちが「技術を持っている」と自信をもっているために傲慢になっていたということが、日本のものづくりを窮地に追い込んでいる原因の一つにあげられるのではないでしょうか。仮に進んだ技術を持っていてもそこにあぐらをかかず、相手も満足できるような価格やサービスで取引を行っていたら、安泰の商売を続けられていたという例もあります。

技術への幻想の問題として、技術が消費に与える影響についてもあらためて考える必要があります。日本の製品の特徴である技術の高さや機能の豊富さが、本当に消費を左右する決め手になっているかということです。様々な機能を備えているのが日本の製品の特徴ですが、その大半は消費者が使うことのないムダ(と敢えて言います)な機能です。これもまちがいなく日本の製品の特徴の一つです。それこそ中には、テレビショッピングで他の製品との差異をアピールするとか、セールストークの材料にするために消費者が使いもしない機能をつけているとしか思えないものもあります。その機能が本当に消費者に求められているものであるかどうかは、実は消費の実態を見ればすぐに分かります。食品の場合でいうと、消費者が製品を購入しただけでは消費されたとは言えません。重要なのは、実際に食べてみて(=消費してみて)どう感じたかです。「おいしい」と感じたらまた買うでしょうし、「まずい」と感じたら二度と買わないでしょう。いずれにしても、消費者がそのものを実際に消費しないことには、製品の評価さえできないわけです。この見方をすると、本当に消費されて、なおかつ高い評価を得ている機能というのは、意外に少ないように思います。消費していないユーザーが大半だとすると、これは製品自体が売れていたとしても、その理由として、機能が支持されているとも、高く評価されているともいえないでしょう。機能が全く消費者に使われていないとすると、それを実現するための技術は本来、「必要のないムダなもの」ということになります。そのような機能をいくらつけられたところで消費者は喜びません。ムダな機能があることで価格は高くなるのですから、むしろ迷惑な話ではないでしょうか。こういうやり方がこれまでさほど問題にならなかったのは、国内ではそれぞれの業界でどこのメーカーもほぼ同じようなことをしているからです。当然、日本とは常識がことなる海外では通用しません。国内でも状況が変われば、ある日突然、消費者の態度が一変することは十分にあり得ます。消費者は企業が考えているほど技術に重きを置いていないのです。使わない機能がたくさんあることで高価格になっている状況に納得できるはずはありません。本当に消費者の求めている機能のみを搭載した製品がより安価で提供される様になったら、こういうものはまったく売れなくなってしまう危険があるのです。

韓国の企業は「リバース型」の開発プロセスを行っています。それは先行する日本や欧米の製品を徹底的に研究すると、そのままモノマネするのではなく、製品の持つ機能まで遡って(リバースして)、消費者が本当に必要としている機能は何か、機能の引き算と足し算を行って別の解を導き出しているのです。機能にまで遡るということは、製品の作り方、スペックを見るだけでなく、設計者がどのような意図で設計したのか、いわば設計思想にまで遡るということです。例えば日本製のクーラーは静粛性や省エネルギーに優れていますが、むしろある程度音がするほうが、涼しい気分がしていいという地域もあります。日本企業の場合、新製品を開発するときに、一つひとつの製品に対し、その製品が要求する機能をまず最初に考え、次に様々な制約条件を考えながら設計を行う「フォワード型」の開発を行います。しかし韓国企業の場合、リバース型の開発を行うことで、ベースとなる基本設計は同じでも、地域によって、また消費層によって、様々な別のバージョンの製品をつくり出すことに成功しているのです。

2012年11月 7日 (水)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(4)

第2章 技術への幻想

世界の市場で苦境に立たされている日本のものづくりですが、日本国内では、日本企業が備えている「高い技術力」への強い信頼があります。「日本は技術がすごいんだから、今は大変でもそのうちになんとかなる」と思っているわけです。しかし、いまは市場における戦いが、技術力とは別のところで行われていることが多く、高い技術力を有していることが競争を優位に進める武器にはなりません。その良い例が、徹底した現地調査をもとにそれぞれの地域に合った商品ラインアップを揃えたサムソンのものづくりであり、人々の生活がどのように変わるかというビジョンをもとにしたアップルのものづくりです。つまりはじめに「何を誰に向けてつくるか」ありきであり、そのための「戦略」ありきなのです。技術に自信を持つ日本企業はその根本的な部分を履き違えているように見えます。技術への幻想は、企業だけでなく日本中が陥っている問題だといえます。この考えがすでに通用しない古いものになっていることは、商品開発だけではなく、日本が得意なはずの部品製造の世界でも考えを改めなくてはいけない出来事が起こっていることからも分かります。

日本の電子部品製造は、これまで世界で圧倒的な強さを誇っていました。いまでは韓国・中国・台湾などの海外企業の最終製品が日本企業を脅かしていますが、それでもライバルの製品の中に使われている部品の多くは日本製で、こと部品の分野では日本の企業はまだまだ競争力があると思われていました。特に最先端のハイテク製品は、日本製の電子部品なしには製造出来ないと言われていたほどです。ところがiPadに関しては、そのような「負けるはずのなかった分野」で、海外企業にシェアを大きく奪われるようなことがおこっているのです。この理由の一つには韓国や台湾などの後発メーカーの技術向上がありますが、iPadの場合はこれよりもっと大きな理由があります。iPadには高付加価値かつ高価な最先端の部品はあまり使われていません。求められているのはむしろ汎用品のほうで、メイン基盤にしても一般的な携帯電話で使われているような実装技術や部品があれば簡単に作ることができるし、メーカーとしてはこれらの部品を低価格で入手することを望んでいるので、汎用部品の価格競争に強い海外の企業が重用されることのようです。iPadの例は、最も重要視されてきた、高速化、精密化、軽量化などといったわかりやすい性能向上が必ずしも競争力にならないことをはっきりと物語っています。製品に付加価値をつけたのは、部品の性能ではなく、斬新な製品コンセプトやソフトウェアの魅力、デザインのほうです。

ものづくりの世界の勢力図を大きく変えた原因の一つがデジタル化による「デジタルものづくり」の普及です。これは日本製品を足下から大きく揺るがすものになりました。デジタルものづくりによって、これまで積み上げてきた日本のものづくりの高い技術が、一転して競争を優位に進めるための武器にならなくなってしまったからです。

以前のアナログものづくりの時代は、経験豊富な優れた技術者を多数擁している日本の独壇場でした。ところがデジタルものづくりの時代になると、各企業が長年の活動の中で培ってきたこれまでのノウハウが、ノウハウになり得なくなったのです。極端なことを言えば、製品の現物を見てマネをしようと思えば「いつでもどこでも誰でも」それが可能であるのがデジタルものづくりの特徴です。コンピュータにインプットされている情報を使えば、ものづくりの知識がそれほどない人であろうと、設計から部品調達までが簡単にできてしまうのです。

これを後押ししているのは、部品メーカーのデジタル化への対応です。今は部品メーカーが汎用タイプのものを提供しているので、ある製品を開発する時に新しい部品を自前で開発する必要はありません。以前は部品同士の相性が問題になることがよくありましたが、インターフェイス(規格)を揃えることでこうした問題は殆どクリアされています。そんな状況なので、それこそ複数の部品メーカーが提供する部品を上手に組み合わせることで、コンセプト次第でこれまでにない新しい製品をつくることだって可能なのです。デジタル化は生産現場も大きく変えました。こちらを後押ししているのは製造装置のメーカーのデジタル化への対応です。製造装置の能力の進化によって、ものづくりの知識がまったくない人でも、機械の操作を習えばすぐに立派な戦力になる時代がやってきました。実際にものをつくるのは工作機械の仕事ですが、機械の能力をアップしていろいろなものが加工できるようにしたり、加工の精度を上げることで、極端なことを言うとものづくりの知識がない素人をオペレーターとして雇っても、まったく問題がないようになっているのです。ちなみにこうした製造装置をつくる分野では日本は今でもトップクラスですが、最近は価格が半分で日本製の9割近い性能をカバーできる中国製の工作機械してきています。ものづくりの世界におけるデジタル化の進行によって、このように設計であれ製品の組み立てであれ、特別な知識や技術を持たない人でも簡単にものがつくれるようになりました。最新の設計情報をインプットしたコンピュータと、最新の加工情報をインプットした工作機械を買いさえすれば、それこそ優れた設計者や技術者がいなくても、世界のどこであっても日本でやっているのしほぼ同じものをつくることができるのです。まずそのことを理解しないと、デジタルものづくりの時代の競争を、優位に進めるために何が必要かは見えてこない。

2012年11月 6日 (火)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(3)

これに対して韓国のサムソン電子は李健煕会長が強い危機意識のもとで1990年代にグローバル化とデジタル化に向けて改革を行いました。そのために断行したのが、人材育成・製品開発・生産プロセスにおける三つのイノベーションです。人材育成では、世界中の多種多様な市場に調査に行ける専門の人材を育てるところから始まりました。企業内に自前でCIAのようにインテリジェンス部門を持つというイメージと言えば分かり易いでしょぅか?製品開発と生産プロセスでは、デジタル化を最大限に利用し、多種多様な地域の消費者に合わせたレベルの製品を安価かつ迅速に提供できる仕組みをつくりあげました。サムソンのものづくりの特徴は、日本企業が重視した基礎研究や生産技術そのものに注力せず、それよりもどのような製品を消費者に提供するかという、「ものつくり」の「もの」の側に重きを置いている点です。たとえば同じテレビや冷蔵庫でも認められている機能や価格は、先進国と新興国では大きく異なります。もっといえば先進国や新興国でも文化や人々の考え方が異なればニーズは大きく変わってきます。サムソンは、この点を重視して、多種多様な消費者のニーズに合った多種多様の製品の開発に力を注いでいるのです。これを支えているのが、デジタル化を基本にして新たに作り出した仕組みです。多種多様の製品を迅速にかつ開発かつ提供できるようにし、なおかつ大量生産でなく小ロットの生産でも利益が出せるようにしたことで、サムソンは世界的な企業に成長したのです。

サムソンの大躍進の秘密は、「つくり」より「もの」重視のデジタルものづくりの時代ならではの戦略にあるといいました。こうした戦略で成功を収めている例としてアメリカのアップル社があります。

アップルのものづくりはサムソンとはまったく違います。アップルはサムソンのように、世界中のそれぞれの市場のニーズを綿密な現地調査によってあぶり出し、それを自分のものづくりに生かすといった方法はとりません。彼らはこれから私たちの生活がどのように変化していくのか、時代の流れを捉え、その流れに乗った製品を開発して行きます。すなわちアップルの強みは、人々の生活を変えるような、新しい製品の開発力にあります。一方で日本ではあまり認識されていないようですが、「つくり」である生産技術にはあまり重きを置いていないのです。というより自社の量産工場を彼らは持っていません。そして利益という意味ではそれがアップルの大きな強みになっているのです。今日のアップルの躍進はもちろん世界を変えるような革新的なアイデア(「もの」)によるものであることは間違いありませんが、その背景には、製造を水平分業へ転換するという大きな改革があったのです。アップル社のような、水平分業とも言うべきやり方は、ものづくりの世界ではいまや当たり前のものになっています。

一方、品質を重視してきた日本では、開発から製品の生産まで自社で一貫して行う垂直統合型―のこだわりがまだまだあるようです。とくに海外の企業に製造を任せるということは非常に抵抗があるようです。しかし、家電大手の赤字決算を見る限りでは、何でも自分でやろうとした「自前主義」へのこだわりが、大きな負担になっているとしか思えないのです。現実にはORMやODMで極端に品質が劣り、それによって消費者に敬遠されているということはありません。それどころか余計なコストが削減できて、低価格で提供できることで、むしろ消費者から大きな支持を受けていることの方が多いのです。当然のことですが、自社で生産設備を持てばお金がかかります。多種多様のニーズがあるグローバルな市場を相手にする場合は、細部にわたって行わなければならないマーケティング調査だけでも大変な負担になります。ところが製品の生産を外部に任せれば、設備投資はほとんど必要ありません。さらにODMのような形で経験ある製造業者の考えを取り込みながら製品作りを行えば、自分たちにとって未知である市場にも対応がしやすくなります。さらに汎用部品の調達なども数の問題で圧倒的に安くなります。もちろん水平分業型にはデメリットもあります。やはり、自分たちが定めた品質の基準が厳密には維持しにくいのです。いつでも誰でもどこでも同じものが作れる現代のものづくりの勝負は、「と゜のようにつくるのか」ではなく、「どのようなものをつくるか」で決まります。これが日本の製造業にまだまだ欠けがちな発想です。現在ものづくりで世界を席巻している企業は、どこも「つくり」ではなく「もの」を重視しています。製品に使われている要素技術には、誰にもマネできない目新しいものはほとんどありません。いわば既存の技術の組み合わせによって消費者に支持されるものをつくっているのです。

翻って日本のものづくりはどうでしょぅか。よそがマネすることができず、確実に需要がある技術を持っている企業は、確かに不況の中でも業績を落とすことがありません。その一方で、同じような製品をより上手につくる「つくり」にこだわっている企業は、軒並み業績を悪化させているのが実情です。そもそも技術にさほど詳しくない大多数の消費者の側から見ると、多少の技術の優劣など購入を決める時の大きな要素にはならないので、これは当然の結果といえます。

2012年11月 5日 (月)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(2)

ところが2000年代に入ると、状況が大きく変わります。この時の変化の中身は、大きく分けて二つあります。これまでは生産拠点にすぎなかった新興国が「オリジナルの製品を作る生産国らなり、消費国に変わった」ということが一つです。これは生産現場も市場も、グローバルに大きく変わったことを意味します。もう一つの大変化が、ものづくりの世界で急速に進んだ「デジタルねりづくり」の流れです。そしてこの二つは大きく関連しています。「デジタルものづくり」というのは簡単に言えば、設計から実際の量産までの設計情報をデジタル情報でやり取りするということです。これは多少コンピュータが使えさえすれば、誰でもどこでも、ものづくりができるようになったことを意味します。さらに今ではモジュール化によって汎用部品を組み合わせれば簡単にそれなりの品質の製品が作れてしまいます。これはとくに電器・電機製品に顕著です。デジタルものづくりによって、世界中の「誰でも」「どこでも」「簡単に」そこそこの製品をつくれるようになりました。こうなると勝負は、デジタル情報をうまく使って、いかに魅力的な商品をつくり出すかということになってきます。また、デジタルものづくりは、商品開発のスピード、調達のスピードとコストダウンを促進する大きな武器にもなっています。そして、このデジタルものづくりへの取り組みの遅れが、日本のものづくりを苦境に追い込んでいる大きな原因の一つとなっているのです。日本の1990年代までのものづくりの強みは、同じような製品を欧米よりも上手にかつ安価に作れることでした。技術の進化と生産現場の精度を上げることで、高機能高付加価値の商品を世に出し、成熟した先進国市場もまたそれを歓迎しました。しかし、デジタルものづくりの広がりによって、日本画ものづくりの強みとして培ってきた生産技術の高さが、競争を優位に進めるための武器にならなくなりました。ものひとつのグローバル市場の変化もまた、日本のものづくりを苦境に追い込んでいる大きな原因の一つになっています。これまで日本企業が市場として想定していたのは、日本国内、北米、西欧といった先進国だけでした。2000年代の初めから、新興国といういままでとは質の異なる新たな巨大市場が現われてきたのですが、その巨大市場がのぞんでいた商品は、日本企業の発展とともに追求してきた製品のラインアップの中には入っていませんでした。日本の多くの企業がその新興市場への対策を講じてこなかったことが、自分たちを苦境に追い込む原因になっているのです。もともと技術の進歩は著しく、どの分野でも消費者が求めているレベルのはるか上で激しい開発競争が行われています。しかしブランド力などを一切考慮せず、単に製品が備える機能や品質だけでいうと、それこそ後発組の(日本から見ると)遅れた技術でも大多数の消費者を満足させることは可能なのです。それに加えて新興国には、かつての日本のように労働賃金の安さという武器もあります。

しかし、日本の製造業は、こうしたものづくりの世界で起こっていた2000年代の大きな変化に目を向けませんでした。それが結果的に、アメリカ発の金融危機後に日本のものづくりを窮地に追い込むことにつながって行ったのです。

2000年から金融危機までの6年間、日本経済は好調な輸出型製造業に牽引され、経済成長を続けたことになっています。しかし、金融バブルに沸くアメリカを中心とした市場で、今まで通りの方法で製品を売った結果に過ぎませんでした。そんな時代に経営者が世の中の雰囲気に逆らって、新しい道を模索するのは困難だったのは確かでしょう。しかし、時代状況が大きく変化する中で何もしなかったのは事実で、金融バブル崩壊後に大きなツケを十分に払わされることになりました。金融危機を機に日本の経済成長を牽引していた製造業にとり、一番大きな市場であったアメリカで物が売れなくなったわけですから、日本経済が立ち直れていないのも当然でしょう。

根本的な問題は結局、時代の変化に対応しなかったことにあります。2000年代にグローバルな世界で起こっていた変化に対しては、本来は今までの生産の考え方を変えないといけないレベルの改革が必要だったのですが、それができた企業はほとんどありませんでした。そこまでするのにはよほどの危機感をもって組織を変えるくらいの変革が必要です。業績が好調だったこともあり、ほとんどの企業はその改革をしませんでした。

2012年11月 4日 (日)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(1)

第1部 日本企業を取り巻く現実

第1章 何が起こっているのか

まず基本的に押さえておかねばならないのは、とりわけ製造業にとって、第二次大戦後の成長を支えてきた国内市場は今後、「成長が期待できる市場ではない」ということです。製造業に関して言えば、少なくとも2000年代には国内市場の成長が終わっていたと見るべきです。これは分野によって程度の差はありますが、ものづくりに関係するほとんどの産業で見られる共通の問題と考えていいでしょう。

これまでの日本市場の大きな特徴として、産業の成長とともに育ってきた巨大な中間層の存在があげられます。高度成長期の日本画他の国々と比べても特異だったのは、戦後短期間のうちに大は版に増加した人口が経済発展の中で生産に携わるとともに、旺盛な消費活動を行い、国内企業の成長をサポートしてきたことでした。もちろんその背景には、もともと産業の基盤となるインフラが戦前から日本に存在していたこと、教育程度も高く優れた人材がたくさんいたこと、冷戦下でアメリカの陣営ついて恩恵によって、とりわけ戦後の立ち直りの段階で超大国アメリカの援助を大きく受けられたこと、基本的に軽武装ですんだため経済に専念すればよかったこと、といったさまざまな要因が考えられるでしょう。いずれにせよ、国内において生産と消費の好循環が起こっていたのが、かつての日本の高度成長の姿でした。今でも国内のそれぞれの産業分野で複数のメーカーが共存しているのも、日本企業が“過剰な”高品質を売り物にし、「ガラパゴス」と揶揄されるような商品をつくりだしているのも、戦後の経済発展の中で企業と共に育ってきた国内の巨大な中間層の存在の影響が大きかったのです。一億人もの中間層が生産活動と消費活動を活発に行い、企業の発展とともに自分たちの生活も豊かにしてきたというのか、かつての日本の姿でした。

ところがいまはまったく事情が異なります。依然として国内の市場は大きいものの、市場自体が成熟し、なかなかものが売れなくなりました。そもそも買う人自体が減っています。これからますます大きな社会問題にもなる少子高齢化は、国内の需要を拡大させるどころか、縮小方向に向かわせます。もちろん高齢者向けの商品・サービス開発はますます盛んになるでしょうが、高齢者に若者ほどの高い消費意欲を求めるのは無理なことでしょう。なおかつ、いまのように社会保障制度に不安を抱いていると、少しでも将来のために備えようという心理が働きます。また、ライフスタイルの変化によって、若者も以前に比べて耐久消費財を買わなくなりました。さらに各メーカーがライバルとの競争の中で品質の向上を追求したことで、昔に比べ商品の寿命自体も延び、それが消費の拡大を抑えるというマイナスの循環にもつながっています。さらに加えるならば、所得格差の広がり、とくに中間層以下の所得低下は、消費にも影響を与えているといわれています。この傾向は、基本的には今後も続くでしょう。震災の影響云々という問題以前に、国内の市場環境が大きく変化したことで、少なくともかつてのような形での内需拡大はほとんど期待できなくなっているのです。

このような周囲の環境の変化に対して、近年の日本の製造業はどんな展開をしてきたのか、これを「ものつくり」論の視点から見てみたいと思います。

本書でいう「ものつくり」論とは、「ものつくり」を「もの」と「つくり」に分けて考えることです。「もの」という言葉の起源は、古代太平洋圏に認められていた縄文時代の「マナ信仰」にあるということです。これは存在物そのものではなく、そこにある超越的な力を指しているそうです。「もの」はもともと形のある物ではなく、何か人の想念といったものではなかったか。これを本書に当て嵌めると、「ものつくり」の「もの」は思い、考え方、アイデアを指していると考えることができます。ワクワクドキドキするような思い、設計思想や欲求と言い換えていいと思います。一方「つくり」は、この思い(「もの」)を具体的な形にする時のプロセスです。製造業で言えば生産活動に当たります。この二つの言葉か合わさったのが「ものつくり」ではないかと考えたのです。

この視点で戦後の製造業の軌跡をあらためて振り返ると、日本のものづくりはどちらかというと、はじめに「もの」ありきというより、誰かが考え出した製品をいかに上手につくるかに重きを置いてきたことが分かります。それは要するに、「もの」より「つくり」を重視して、後者に磨きをかけてきたことに尽力してきたという意味です。多くの企業は、すでに欧米に存在していた製品をどうすればより上手に安価につくれるかに力を注いできました。まさしくこの努力が、日本製品の代名詞である「高品質」ら結びついたのです。にほんのものづくりに最も勢いがあったのは、1970年代から80年代にかけてです。「ものつくり」の「つくり」、その中でもとくに生産技術に磨きをかけ、それが大きく花開いた時代だったといえます。元となる商品やアイディアは、すでに欧米にいくらでもあったので、それこそ「つくり」に注力すればよかったのです。さらに環境反りものが日本企業の製品輸出にとって追い風となっていたのですから、日本のものづくりが大きく成長を遂げることができたのは当然でした。この時代の日本のものづくりのスタイルは、良質で安価なものを日本国内で製造し、完成品を国内市場に出すとともに、欧米へ輸出していました。これは輸出先の先進国の製造業に大きなダメージを与えました。

2012年11月 3日 (土)

夏野剛「なぜ大企業が突然つぶれるのか~生き残るための「複雑思考法」」(4)

第4章 IT鉄砲論─こうして個人は生き残れ!

複雑系社会に日本企業が取り残され、国力が衰退していくことは、日本に住むビジネスパーソンにとって、けっして他人事ではない。これまで日本社会では、死ぬまで会社が面倒を見てくれることが当たり前だった。しかし会社が突然死しても、個人は生きて行かなければならない。これまでIT革命の衝撃と、それに対応できない日本社会の惨状を述べてきた。これに対して、複雑系社会で個人が生き残るカギも、ITにある。個人にとってITとは戦国時代における一方なのだ。その鉄砲を使いこなせるかどうかで、十年後あなたの人生は大きく変わってくる。戦国時代に鉄砲が大きな役割を果たしたのは、1575年の長篠の戦だった。鉄砲という新しい武器の長所と短所を理解してもこれまでの習慣にとらわれず、もっともふさわしい戦術や組織体系を生み出した信長軍に軍配が上がったのである。現代においては、そうした武器がITなのだ。時代の趨勢を読み解いて、ビジネスという名の「戦い」にその武器を効果的に取り入れることで、とてつもない成果が上がる時代になった。まだまだ日本ではツィッターやフェイスブックが“若者のツール”と思われている。しかし、見識、人間力、判断能力、分析能力がある人、あるいは他人にはない人生経験をもった人がITで武装すれば、その戦力は一気に何十倍、いや何百倍にもなる。

 

このあと、具体的にどうすべきかの提言が述べられ、同様のことが企業、社会、政府への提言と続きますが、それは、これまでの現状分析をみれば想像できる範囲内のことなので、これ以上書く必要はないと思います。この著作の面白さは、現状に対しての小気味いい批判的コメントであり、ある意味典型と言えるものを、スタンダードな形で提示したことにあると思います。著者が現場で感じたことを手際よくまとめたということで、この分析は話題用として重宝できるでしょう。ただ、著者は実践の人なのだろうから、これらについて踏み込んだ考察は為されておらず、それは読んだ各自が自分で考えろということではないか(好意的に受け取れば)ということだと思います。例えば、最後の鉄砲についての分析についても、局地的な戦いの場面においては、鉄砲に対して、弓矢の優位性が客観的にあったということで、鉄砲は戦術面では一つの手段に過ぎなかったということです。破壊力や射程距離は鉄砲が有利ですが、速射性や機動性、そして補充性では弓矢の方が格段にすぐれていたわけで、ひとつの合戦としてみれば長篠の合戦は、たまたま鉄砲を信長考案の三段撃ちに適していたということです。それよりも、信長の大きな突出点は、それまで領地という地縁に縛られ農民という兵士を徴発することから守備的で、せいぜいが近隣の土地を略奪することに適していた軍団を、遠征をして侵略するという組織に作り変えた点にあると思います。その時に鉄砲という武器が生きたわけです。たとえば、弓矢に無い鉄砲の利点がものをいうのです。それが、現代の言葉で言えば兵士のモジュール化です。弓矢の一人前の使い手になるには長期間の鍛錬が必要ですが、鉄砲には必要がありません。ということは侵略に必要な兵士の徴発が容易で、軍団を促成できる。となると、兵士をコマとして取り換えが利くようになると組織として、動かしやすくなるという点です。つまり、信長という突出した武将の言うがままに、手足のように使える一定レベルの兵士の集団の組織化をしたわけです。そこでは、戦後時代の傑出した侍を必要としない平均化された軍団です。言うなれば、著者が批判する日本型経営を信長は、新たに導入したといってもいいのです。そういう解釈の仕方もあるということです。著者は、従来の考え方に固執するなと説きながら、その考えの組立は従来の枠からはみ出ることはないのです。その点で、深い考察が為されていないといったわけです。

夏野剛「なぜ大企業が突然つぶれるのか~生き残るための「複雑思考法」」(3)

第3章 2020年・日本の携帯電話メーカーは全滅?

高度経済成長期は経済全体が右肩上がりで伸びていた。国民の誰もが、昨年より今年、今年より来年の所得が増えていくと思った。人々はよりよい生活を求め、家電や自動車といった製品を買い求めるようになり、そうした旺盛な需要に対し、とにかくモノを提供しつづけることが、企業の戦略になった。テレビを生産するメーカーが、冷蔵庫やエアコン、炊飯器など異なる事業を傘下に収める「アンブレラ経営」という考え方が生まれたのも、このころである。黙っていてもモノが売れる時代には、他社の製品と差別化を図るため、リスクを伴う革新的なアイディアを提案する社員の必要性はあまり高くなかった。だからこそ、ある程度の水準の大学から「新卒一括採用」で人材を集め、誰でも一定レベルのアウトプットが出せるよう画一的に企業教育を行った。また一度採用した人材は、長く会社にいてもらった方が効率が良い。そのため「終身雇用」というやり方で、社員に安心感を与えた。個人の生活は「企業人生」と不可分になっていき、いわゆる“モーレツ社員”が大量発生することになったのだ。そこでは、抜群にできる一人を引き上げるより、全社員が平等に「頑張っている」という状況が大事にされた。

90年にバブル経済が崩壊すると、その様相は一変する。右肩上がりで伸びていた経済成長はストップし、他社と似た製品を生産していても、黙っていても売れることがなくなった。いきなり「商品の独自性」という考え方を経営に取り入れなければ、収益が上がらない時代になったのである。独自性の源泉はいうまでもないが「社員の多様性」に由来する。しかし、「均質性」を重視してつくられた日本企業では、その変化に対応することはできなかった。祖間傾向にIT革命が拍車をかけた。ビジネスの世界がバーチャルなネットの世界へと移行することで、製品そのものの独自性がますます求められるようになった。さらにはマーケットがポーターレス化することで、外国でビジネスをすることが当たり前になった。さらには、「検索革命」が個人の情報収集能力を飛躍的に増大させた。社員の間で「知識量の格差」が急拡大し、それが「アウトプットの格差」としても現われるようになった。これは、ヨコの規範だけでなく、タテの前提も突き崩し、年功序列システムを過去の遺物にしてしまった。極め付きは「ソーシャル革命」。これによって個人の情報発信能力が高まり、ツィッターのフォローが一万人もいるような、経営者よりも社会的に注目される社員が現れた。彼らにしてみれば、その影響力を生かして既存の組織にとらわれず働いた方が、余程仕事になる。社員個人の能力が会社というフィルターを通してしか現れない時代は終わり、社会とダイレクトにつながるようになった。

これほど「日本型経営」は環境に否定される時代となった。しかし、日本の経営者は、これまでの組織のかたちを作り変えようとしていない。逆にほとんどの企業が、「これまでの形を変えない」ことを第一にして、高度経済成長期の30年間で積み上げた資産を食い潰している。そうした傾向が社内の異分子を排除する動きにもつながっていく。複雑系社会の中でイノベーションを起こす人材は、独自の哲学を持っているが、社内で煙たがられてしまう。日本企業は成果よりも内部の心地良さを優先させて、自滅の道を歩んでいる。旧態依然とした経営の仕組みにこだわることは、実はもっともハイリスクな選択なのだ。

中でも日本企業の屋台骨を支えてきたエレクトロニクス産業の惨状は目を覆うばかりだ。IT革命以降は人々の興味が多様化して、その行動パターンも「インターネットとの融合」を抜きにしては考えられなくなった。そこで人々が求めていたのは、たんなる「モノ」ではない。アップルのituneのように「ネットを経由して音楽データを購入し、自分のプレーヤーに取りこむ」というような「仕掛け」である。こうした「仕掛けづくり」ができるのは、その企業に「哲学」があるかどうかにかかっている。消費者に提供したい価値や、どのような製品を作って社会に貢献すべきかを明確に示すことで、社内全体が同じ目標をめざし、イノベーションを起こす仕掛けの開発ができる。しかし、日本の製造業は現状から目を背けて、相変わらず「モノづくり」の考え方にこだわっている。製品の機能が十分に進化しきってしまい、どの企業も製品スペックでは大きな差がつけられなくなっても、日本メーカーは「モノづくり」にこだわりつづけ、無駄なボタンや過剰な機能を加え付けることで、いわゆる「ガラパゴス化」を起こしてしまった。「仕掛けづくり」に必要な明確な哲学を示すこともなく、技術部門、マーケティング部門といった組織を蛸壺化させたままで、各部門からバラバラに上がってきた提案を積み上げる状況を放置した。これでは部門ごとの改善点が重なっても、その総和が製品としての価値にはつながらない。

2012年11月 1日 (木)

夏野剛「なぜ大企業が突然つぶれるのか~生き残るための「複雑思考法」」(2)

第2章 あなたは「複雑系」を知っていますか?

個人の人生を、企業の趨勢を、日本の将来を決める「複雑系」とは、いったい何か。もともと複雑系とは物理学や経済学の用語で、「部分が全体に、全体が部分に影響し合い、要素ごとに切り分けた分析が困難なシステム」のことを指す。複雑系の反対は「閉じた系」で、近代の学問は、そのなかで発展を遂げてきた。つまり、従来の学問では、ある全体を俯瞰するようなアプローチをしようと思っても、そもそも専門分野以外の情報を十分に手に入れることができなかった。だから「全体としての動きを要素ごとに因数分解する」「その他の変数を固定して、ある変数だけを動かして物事を分析する」という「閉じた」発想ののなかで議論を行いながら、かつての社会は進化してきた。ところが今、「閉じた系」のアプローチの矛盾が現われている。そもそも学問とは、人類が直面する課題を解決するための道具。しかしいま人類の目前には、たとえば環境問題のように、物理学、地学など理系と言われる学問、政治学、経済学といった文系と呼ばれる学問が複雑に絡み合った課題が横たわっている。そこで細分化されたある学問分野の知見だけを使っても、そうした課題に対応できなくなったのだ。その矛盾を解決するために、最先端のITや科学技術が駆使され、最近では行動経済学、情報学など、分野を越境する領域が出てきた。さらに全体を複雑なものとして全体で考える「複雑系」のアプローチが注目を集めるようになった。

かつて情報流通の手段はテレビや新聞、雑誌などから個人へという方向に限定されていた。1対Nというかたちで発信側と受信側は明確に区別され、大多数の消費者は情報に乏しく、行動は画一的だった。だからこそ、世の中が変化する方向性や選択肢は有限だった。これは変数が固定されている「閉じた系」の考え方だ。したがって、企業は過去の延長から将来のトレンドを予測し、マーケティングを行うことができた。経営陣に求められる役割は、発生した問題に対し、過去の経験を参考にしながら大過なく対応を行うこと。それに適しているのは、同じ会社で何十年にもわたって無難に仕事をこなしてきた人材であり、彼らの過去の努力の報酬として「役員」というポストが用意された。その状況はIT革命を機に一変する。個人の情報収集能力が飛躍的に増大し、経営者は企業内の「閉じた系」から上がってくる以上の一次情報を手に入れられるようになった。さらに自らの産業という「閉じた系」だけでなく、他の産業の力を使うやり方、たとえば異なる業界との提携や買収が当たり前になった。社会を複雑系としてとらえなければ、理解できない現象が相次ぐようになったのだ。

このような複雑系の特性として、「創発」「自己組織化」「外部経済性」「デファクト・スタンダード」「ポジティブ・フィードバック」という五つの概念を補助線にしながら考えていく。

一つ目の概念は「創発」。定義は、「他者とのかかわりによって影響を受け、最初は思いもよらなかったかたちで新しいビジネスや技術が生み出されること」としておく。例えば「無印良品」ブラントを展開する良品計画は、フェイスブックやツィッターで新商品の情報を随時発信し、ユーザーのニーズを拾い上げて、商品開発に生かす仕組みを整えている。そこから「体にフィットするソファ」などの大ヒット商品が生まれたのだ。「創発」が生み出されることを想定して提携をするか、しないかで、企業間の契約も全く変わったものになってくる。それぞれの会社がもっているリソースを合わせると、こうしたシナジーが…。それだけでは本当の競争力は得られない。現時点で想定できるシナジーがあっても、一瞬で環境が変わるIT社会では、そのシナジーが生きている保証はどこにもないからだ。

二つ目の概念は「自己組織化」。自己組織化とは、「それぞれの要素が独立して最適行動をとっている集合体が、あるきっかけによって、あたかも統率されているかのような方向性や秩序をもつようになること」だ。例えば、グーグルの検索画面では、総数リンク数や人気ページからのリンク数比率などをもとに、表示される順序を決めている。その結果、人気のあるページは上位に表示され、ますますアクセス数が増える。バラバラに動いているユーザーが、「人気ページへのアクセス」という行動に向けて、そこでは自己組織化されている。そうした「自己組織化」の動きを予測しながら手を打っていくことが、今ではビジネスを進める時、とくにB to Cマーケットを攻略するためには不可欠。「こういう製品を出すと、この人たちはこうやって盛り上げてくれないかな」という自己組織化を期待して、システムを作っていくのだ。

三つ目の概念は「外部経済性」。外部経済性とは、「経済行為が市場を経由せず、当事者以外にプラスの影響を与えること」を指す。インターネットの世界では、APIを無料で開放したりすることで、外部の開発者にビジネスを行う基盤を提供する「プラットフォーム・ビジネス」が、外部経済性を最もうまく活用しているモデルといえる。これをフル活用しているのが、アップル。アップル製品に対応するプログラムのモデルはすべて公開されており、外部の開発者は自由にiphoneipadの炙りを開発することができる。それをアップルが用意したApp Storeというサイトで販売することがで、アップルは膨大な数のユーザーを潜在顧客に抱えることができたのだ。開発者はアプリの料金の70%、アップルは30%を得られる仕組みであり、まさに複雑系の仕組みを有効活用したWin-Winのビジネスモデルである。

四つ目の概念は「デファクト・スタンダード」。これは「大多数のユーザーが使うことで、事実上の標準規格になったもの」のこと。1970年代から80年代にかけて、テレビ録画用ビデオフォーマットとして日本ビクターが開発したVHSと、ソニーが開発したベータマックスの争いは、まさにこのデファクト・スタンダードをめぐるものだった。戦いに勝利したVHSは、その後20年近く、家庭用録画フォーマットの中心に君臨した。そうしたデファクト・スタンダードを採用することで、企業は新しいシステムを一から開発する必要がなくなり、時間やお金を節約できる。一方も規格を使う側だけではなく、規格を生み出した側も、ライセンス料等で莫大な額の収益を得ることができる。

五つ目の概念は「ポジティブ・フィードバック」。これは「外部経済性」とセットになっている言葉だ。定義としては、「ものごとのよい結果が、さらにそれ自身を増強させる好循環を生み出す」こと。プラットフォーム・ビジネスを展開するSNSサイトや口コミサイトでは、ほとんどの場合、ユーザーの数が増えれば増えるほど、利便性が増した利用料金が下がって、サービスとしての価値が上がっていく。そこでさらに新しいユーザーを掴むというサイクルが生み出されている。逆に言えば、このサイクルをつくるには、最初のきっかけをうまくつくれるかが重要だ。そこで多くの勝ち組企業が採用しているのは、十分なユーザー数を確保したあと、収益性の向上を狙うモデルに転換する「二段ロケット」考え方である。フェイスブックも、最初は利用者をハーバード大学の学生に限定した「閉じた」サービスとして始まった。ある程度規模が大きくなってからも、しばらくは「.end」という大学のアカウントを持つユーザーだけに公開されていた。ユーザー数を増やすためにも、まずはサービスの信頼性を確保しなければならない、とマーク・ザッカーバーグ氏が考えたからだろう。いきなり全世界の誰もがサービスを使えるようになれば、得体のしれない人物が下心をもって、有名大学の女子学生に近付く可能性があるかもしれない。登録者が「.end」のアカウントをもつ人物に限定すれば、その利用者は間違いなく大学の在籍者だから、その利用者は間違いなく大学の在籍者だから、知人の知人をたどっていけばどこかで繋がっているはず、という安心感がある。

もちろんIT革命以前の社会でも、これまで見てきた複雑系の考え方は着想されていた。しかし、あくまでそれは「理論」の域を出なかった。リアルな現場では「閉じた系」の成功例が積み重ねられていたからである。しかし、ITが社会の細部にまで普及していくにつれて、そうした「五つの概念」が絶大な影響力を持つようになり、それを理解している企業、そうでない企業の力が決定的に分れるようになった。

残念なことに、こうした複雑系の思想を理解している日本企業、ほとんどない。戦後、日本経済は「閉じた系」のなかで発展してきた。各部署の作業領域をあえて限定し、そのなかで現場の作業「カイゼン」といった創意工夫に取り組ませた。こうした「日本型経営」が国民性や戦後の経済状況にピッタリと合い、世界に類を見ない高度経済成長を生み出した。しかし、90年代のバブル崩壊以降、「日本型経営」は行き詰まりを見せ始めた。しかし、日本企業は複雑系への対応が全くできていない。危機感もない。例えば、いまの日本企業の経営者は60歳前後の世代が多いが、かれらは仕事上でもプライベートでも、同世代や同業種のひととだけ付き合うことがきわめて多い。ビジネスの競争相手として同業他社たけをベンチマークとし、ITに対しても積極的ではない。さらにはインターネットを駆使すればトップでも簡単に一次情報が手に入る時代なのに、相変わらず秘書や会議など「閉じた系」からしか情報収集をしていない。これは悪い意味での「自己組織化」だ。

夏野剛「なぜ大企業が突然つぶれるのか~生き残るための「複雑思考法」」(1)

1章 なぜIT革命は“有史以来最大の衝撃”なのか?

経済成長のフェーズではなく、成熟のフェーズに入った日本経済は、モノづくりに代表される第二次産業に代わって、サービス業に代表される第三次産業が主要産業になる。こうした議論を私たちはこれまで耳にしてきた。しかし、状況は、これから変わるのではない。すでに、「変わってしまった」のだ。つまり、鉄や半導体に代わって、いまや「IT」が全産業のインフラとしての地位を獲得したのである。二十世紀の末から現在にかけて、この新しいテクノロジーは「IT産業」という括りが意味をなくしてしまうほど、社会の仕組みを根底から変えてしまった。農業革命、産業革命など、人類はさまざまな「革命」を経験してきた。しかし、現在進行形で進んでいる「IT革命」は、間違いなく有史以来、最大の衝撃を私たちに与えている。

1998年。「IT革命」のターニングポイントである。そこから現在までの歴史を振り返ると、この十数年間で時系列的に、IT技術が社会に対して、「三つの革命」を引き起こしたことがわかる。「第一の革命」は、98年から2000年代前半にかけて起きた、「リアルからネットへの顧客設定の変化」。消費者を対象とするB to Cビジネスの軸足が、リアルな店舗から、ネット上の顧客へと移り始めたのが、丁度この時期なのだ。これによって、ユーザーの利便性が大きく高まった。さらにはマーケティングや販売方法も、劇的に効率化したのである。次に起こった「第二の革命」は、2000年代前半に起きた「情熱の爆発」。情報の爆発とは、企業のIR情報や最先端技術の学術論文など、ありとあらゆる情報がネット上の「アーカイブ」となり、「すべての情報がウェブ上にある」という状況になった、ということである。同時に、ブログが普及したことで、個人がものを考え、発表する主戦場がネット上に移った。そこでグーグルなどの検索エンジンを使うことで、どのような問であっても答えが見つかる「検索革命」が到来した。その後、2000年代後半から現在にかけ、「第三の革命」が起きる。それが「サーシャルメディアによる、個人の情報発信能力の拡大」。ツィッターやフェイスブックといったソーシャルメディアの登場によって、何気ない「つぶやき」がリアルタイムに発信され、それを何百人から何千人というユーザーが目にする、という時代がやってきた。この三つの革命の結果、ユーザーがそれぞれに作用し合い、システムが独自の変化を遂げていくという「複雑系」の現象が、いたるところで見られるようになった。そうした複雑系によって、企業が予想もしていなかったユーザーの創意工夫が新しいビジネスを生み出す「創発」や、本来は独立しているはずのユーザーが、自発的に一定の方向に動こうとする「自己組織化」など、これまでには考えられない現象が次々に起こったのである。この人類が初めて経験する環境変化が、98年から現在までという、わずか十数年で起こったという衝撃の事実を、まず知らなければならない。

この十数年間の社会の変化は、対応によっては一瞬で企業の生死を決めてしまう。そうした社会では、情報収集能力と発信能力が飛躍的に高まった個人を“抑えつけないこと”が、企業に求められる新しいマネジメントになる。普通の能力を持つ100人が力を合わせるよりも、1人の天才が独創的に発想する方が、優れた成果を出せる時代になった。現実がそうなってしまったからには、企業内で個人の能力を最大限に生かすための権限委譲や、教育システムが必要とされるのは当然である。

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