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2012年11月18日 (日)

シャルダン展─静寂の巨匠(4)~風俗画─日常生活の場面

Chardselシャルダンは1734年から15年間静物画から風俗画に転じました。その間、妻子を失い、本人も大病を患うという災厄に見舞われましたが、生活の不自由から漸く解放されることになったそうです。当時の画家の世界には、歴史画─肖像画─風俗画─静物画という階層が存在し、画家の収入もそれに応じたものだったそうです。静物画を描いていたシャルダンは最下層の画家の位置で生活も楽とは言えなかったのではないか。そこで、なんとか生活レベルを上げたいというのは、現代の人間からすれば当然ことで、野心的にシャルダンは挑戦したのかもしれません。(よりよい生活をしたい、出世したいとか、金持ちになりたいという野心は現代の生活では当然のことにように思われていますが、必ずしも普遍的にあてはまることではないので、この時のシャルダンが本当に野心を持っていたのかは、私には想像できません)この絵画の階層については、サマセット・モームの「人間の絆」という小説の中のエピソードが印象にも凝っています。主人公フィリップ・ケアリはイギリスの田舎で生まれ、両親の残した僅かな遺産で画家の勉強をすべくパリに留学し、静物画のデッサンから画学校で勉強し始め、画学生の仲間にも恵まれ一見楽しい学生生活を送ります。その後、しばらくしてフィリップは人物を描く勉強に移りたいと思って友人に話すと、友人たちの態度は手の平を返したように軽蔑を露わにするようになります。そこで、初めてパリの人間の本音に遭うことになるのですが、イギリスの田舎野郎が下手糞なくせに生意気にも人物を描こうとしているとして、彼の身の程知らずを嘲笑うのです。結局、彼は自分の才能のなさを思い知らされ、傷心の内にパリを去ることになることになります。そのきっかけは彼が野心を起こしたことによる、ともいってよく、最下層の画学生としてなら今しばらくは脳天気に仲間とパリで楽しい時間を過ごせたかもしれなかったのです。それだけ、人物を描く画家と描かない画家の間には大きな懸隔があったということです。この小説は19世紀の小説ですが、当時ですらそういう風潮は残っていたのですから、シャルダンの時代は厳然と階級のように存在していたのかもしれません。

Chardportrait_du_peintre_joseph_aveでは、といって実際の作品をと『画家ジョセフ・アヴェドの肖像』を見てみると、シャルダンにしては大判でそれなりの野心はあるのでしょうが、どう見ても下手です。人物に動きはないしボタっと絵の具垂らしたような厚塗りの塗り絵のような、人物に表情もなく、しかも背景かはっきりせず書き割りのようで奥行が感じられない平面的な作品です。何か、書いている私自身ですら見も蓋もないと思うほどです。しかし、かれはその短所を転じて長所にしていく。そのあたりのことを、カタログが上手く解説しているので引用します。

「「彼の絵筆は、決してすらすらとは運ばない」。シャルダンは苦労する。しばしばぎこちなさ、不自由さが見られ、彼が隠そうとしている努力を、「辛い作業」と感じる。シャルダンは生涯を通して、執拗に、決して倦むことなく、生まれついての才能の欠場を克服するために戦うことになる。彼は根気よく、決して満足することない完璧さを追求するだろう。この弱点を力にして、能力の欠如を、彼の時代にあっては独創的で比類のない表現に変えることになる。

彼のもっとも初期の風俗画の中に描き込む人物像を、モデルを基にして写し取ろうとする。だが無駄であった。わずか後には、彼は素描を止めるが、そのことが彼を当時の大家と隔てることになる。画家は動きのない世界に没頭し、イーゼルから適度に離して、眼の前に置いたものを描く。こうした方法で制作したのは、個の世紀には彼だけである。動きのない世界という言葉で私が言いたいのは、彼の静物画はもちろんのこと、すばらしい風俗画の場面、いかなる動きも邪魔することのない、閉じられた世界のことである。彼は見たもの、見たものだけを描く。彼は動きを避ける。シャルダンは同僚の誰ひとりも比べることのできない技法を、自分ために改めて作り出した。ブーシェの滑らかな絵肌の技法を思い出させるような18世紀の画家のタッチの自在さや、フラゴナールの目も眩むような名人芸などとは、シャルダンの技法はまったく別のもので、たっぷりとした絵の具の厚塗り、次々と絵の具を塗り重ねること、粘りつくようなマチエールかに成り立っている。画家は物語を語り始めることのない主題を選ぶ。このやり方は当時の主要な画家とは異なる。早くも18世紀から、彼の芸術のこの特殊性は、人を途方に暮れさせ、当惑させた。それはシャルダンの礼賛者を困惑させた。というのも、彼等は一枚の絵がなんら物語を語らないことを、なかなか認めることができなかったからである。シャルダンは大胆にも当時でただひとり、物語ることを拒んだ画家である。たしかに、彼はすべての逸話を、物語を、画趣あるもの、叙述的なものを避けた。当時の現実的問題を暗示するものは何もないし、道徳、教訓、イデオロギーも何一つない。彼の芸術は、感動的なほど野心的である。」

Chardhane_2少し引用が長く先に行き過ぎたかもしれません。『羽根を持つ少女』という作品を見てみると、輪郭がぼかされ朦朧としたような顔には表情がありません。来ている衣服がそうなのかもしれませんが、身体の線も直線的で、人間というよりも人形を描いているように見えます。個性をもった人物というよりも、人間のパターンを描いているかのようで、羽根とラケットを持った子供の像であるはずなのに全く動きが感じられず、ポーズをとって静止しているような感じです。まるで、人物を静物画として描いているようにしか見えません。シャルダンが、以前に静物画で没頭した、表面の質感の違いの表現が、この作品では、より繊細に描き分けられています。ラケットの木肌、少女の着ている服地、そして、とくに少女の赤らんだ頬の滑らかな肌の質感が、それぞれ微妙に描き分けられているところがこの作品の最大の魅力ではないかと思います。つまり、画家にとっては、人物であろうが描かれる対象としては表面をもった物体としてしか捉えられなかったのではないかと思われるのです。だから、そこで少女が何を想ったとか感じたかということは、物体として存在には関係のないことであり、シャルダンには見えてこなかった。あるいは描くことができなかったのではないかと思います。この作品に感じられる愛らしさは、あえて顔を陰にして、表情見えにくくし、人形のような少女の顔の形に柔らかな肌の質感を描き込んで、少女らしさの外形のパターンを提示し、あとは観る者の想像に結果として任せたという点あると思います。現代のアイドルといわれる少女たちのグラビア写真には呆けたように表情を失った顔で肢体を露わにさせたようなポーズをとっているものがあります。これは、そのようなグラビア写真の定型的なポーズなのか、誰彼も決まったように同じようなポーズで写真に納まっています。それはまるでアイドルの少女のイコンでもあるかのようで判で押したようになっていますが、この『羽根を持つ少女』も同じようなパターンが感じられるのです。

Chardinoriシャルダンの作品としては、もっとも有名なものの一つである『食前の祈り』という作品の場合にも、人物が画面に3人描かれていますが、その3人が織り成す劇的なドラマというのではなく、3人がポーズをとって1コマを作っているような感じです。風俗画は静物画と違って版画家され広く大衆に流通、頒布されることによって画家におおきな収入をもたらすことになるものであることを、シャルダンは知っていて、風俗画に進出しただろうことは想像がつきます。この『食前の祈り』は版画として大量に制作されたといいます。多分、そういう版画を購入するのは、十分な暇と余裕があり、じっくりと絵画を鑑賞し、物語に想いを馳せるような教養と想像力に恵まれた貴族ではなく、市井の庶民たち、あるいと勃興しつつあったブルジョワジーたちだったのではないかと思います。そのような人々にとって、このような作品は下手な感傷も、ものものしい暗示のようなものもなく、単刀直入に生活のシーンを理想化したように見えたのではないかと想像します。しかも、そういう一場面を、版画を贖った人々は自分たちのそういう場面を肯定してくれているように受け取れたのではないか。そこに余計な物語的なものがないだけに、貴族のように人々に媚びるところのない、(教養のない)自分たちの絵だと共感できたのではないかと、私には思えるのです。シャルダンは、それを意図的にやったのか、結果としてそうなったかは分かりません。私には、シャルダンという画家には器用さが感じられないので、後者のように思えますが。その点で、引用した解説にあるような芸術性ということでは、シャルダンはそういうタイプなのか疑問を感じています。こう見ていくと、シャルダンは芸術家というよりは職人に近い肌合いを感じます。

そして、シャルダンの人物画として最後期の作品となっている『セリネット』あるいは『良き教育』はいずれも注文によって制作されたものらしいです。このころになると、描く対象はブルジョワに限られ、描き方も、幅広で、粗くかすれたような、ざらざらした、凸凹のある筆触や、よく目立ちはっきりと判別できる絵の具の塗り重ねが見られなくなり、鮮やかな色彩は大胆さをうしない洗練され、そして、人物は表面から奥に引っ込み、作品の中に占めるスペースが小さくなっていきました。これは、裏を返せば、人物をより広い空間の中に配置し、筆触はぼやけ、蒸気のように軽く繊細になり、淡い色調はパステル画のように、画面の中に清涼な空気が流れ込むように感じられるものになっていったと言えます。そして、晩年の静物画に回帰していくことになります。

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