夏野剛「なぜ大企業が突然つぶれるのか~生き残るための「複雑思考法」」(2)
第2章 あなたは「複雑系」を知っていますか?
個人の人生を、企業の趨勢を、日本の将来を決める「複雑系」とは、いったい何か。もともと複雑系とは物理学や経済学の用語で、「部分が全体に、全体が部分に影響し合い、要素ごとに切り分けた分析が困難なシステム」のことを指す。複雑系の反対は「閉じた系」で、近代の学問は、そのなかで発展を遂げてきた。つまり、従来の学問では、ある全体を俯瞰するようなアプローチをしようと思っても、そもそも専門分野以外の情報を十分に手に入れることができなかった。だから「全体としての動きを要素ごとに因数分解する」「その他の変数を固定して、ある変数だけを動かして物事を分析する」という「閉じた」発想ののなかで議論を行いながら、かつての社会は進化してきた。ところが今、「閉じた系」のアプローチの矛盾が現われている。そもそも学問とは、人類が直面する課題を解決するための道具。しかしいま人類の目前には、たとえば環境問題のように、物理学、地学など理系と言われる学問、政治学、経済学といった文系と呼ばれる学問が複雑に絡み合った課題が横たわっている。そこで細分化されたある学問分野の知見だけを使っても、そうした課題に対応できなくなったのだ。その矛盾を解決するために、最先端のITや科学技術が駆使され、最近では行動経済学、情報学など、分野を越境する領域が出てきた。さらに全体を複雑なものとして全体で考える「複雑系」のアプローチが注目を集めるようになった。
かつて情報流通の手段はテレビや新聞、雑誌などから個人へという方向に限定されていた。1対Nというかたちで発信側と受信側は明確に区別され、大多数の消費者は情報に乏しく、行動は画一的だった。だからこそ、世の中が変化する方向性や選択肢は有限だった。これは変数が固定されている「閉じた系」の考え方だ。したがって、企業は過去の延長から将来のトレンドを予測し、マーケティングを行うことができた。経営陣に求められる役割は、発生した問題に対し、過去の経験を参考にしながら大過なく対応を行うこと。それに適しているのは、同じ会社で何十年にもわたって無難に仕事をこなしてきた人材であり、彼らの過去の努力の報酬として「役員」というポストが用意された。その状況はIT革命を機に一変する。個人の情報収集能力が飛躍的に増大し、経営者は企業内の「閉じた系」から上がってくる以上の一次情報を手に入れられるようになった。さらに自らの産業という「閉じた系」だけでなく、他の産業の力を使うやり方、たとえば異なる業界との提携や買収が当たり前になった。社会を複雑系としてとらえなければ、理解できない現象が相次ぐようになったのだ。
このような複雑系の特性として、「創発」「自己組織化」「外部経済性」「デファクト・スタンダード」「ポジティブ・フィードバック」という五つの概念を補助線にしながら考えていく。
一つ目の概念は「創発」。定義は、「他者とのかかわりによって影響を受け、最初は思いもよらなかったかたちで新しいビジネスや技術が生み出されること」としておく。例えば「無印良品」ブラントを展開する良品計画は、フェイスブックやツィッターで新商品の情報を随時発信し、ユーザーのニーズを拾い上げて、商品開発に生かす仕組みを整えている。そこから「体にフィットするソファ」などの大ヒット商品が生まれたのだ。「創発」が生み出されることを想定して提携をするか、しないかで、企業間の契約も全く変わったものになってくる。それぞれの会社がもっているリソースを合わせると、こうしたシナジーが…。それだけでは本当の競争力は得られない。現時点で想定できるシナジーがあっても、一瞬で環境が変わるIT社会では、そのシナジーが生きている保証はどこにもないからだ。
二つ目の概念は「自己組織化」。自己組織化とは、「それぞれの要素が独立して最適行動をとっている集合体が、あるきっかけによって、あたかも統率されているかのような方向性や秩序をもつようになること」だ。例えば、グーグルの検索画面では、総数リンク数や人気ページからのリンク数比率などをもとに、表示される順序を決めている。その結果、人気のあるページは上位に表示され、ますますアクセス数が増える。バラバラに動いているユーザーが、「人気ページへのアクセス」という行動に向けて、そこでは自己組織化されている。そうした「自己組織化」の動きを予測しながら手を打っていくことが、今ではビジネスを進める時、とくにB to Cマーケットを攻略するためには不可欠。「こういう製品を出すと、この人たちはこうやって盛り上げてくれないかな」という自己組織化を期待して、システムを作っていくのだ。
三つ目の概念は「外部経済性」。外部経済性とは、「経済行為が市場を経由せず、当事者以外にプラスの影響を与えること」を指す。インターネットの世界では、APIを無料で開放したりすることで、外部の開発者にビジネスを行う基盤を提供する「プラットフォーム・ビジネス」が、外部経済性を最もうまく活用しているモデルといえる。これをフル活用しているのが、アップル。アップル製品に対応するプログラムのモデルはすべて公開されており、外部の開発者は自由にiphoneやipadの炙りを開発することができる。それをアップルが用意したApp Storeというサイトで販売することがで、アップルは膨大な数のユーザーを潜在顧客に抱えることができたのだ。開発者はアプリの料金の70%、アップルは30%を得られる仕組みであり、まさに複雑系の仕組みを有効活用したWin-Winのビジネスモデルである。
四つ目の概念は「デファクト・スタンダード」。これは「大多数のユーザーが使うことで、事実上の標準規格になったもの」のこと。1970年代から80年代にかけて、テレビ録画用ビデオフォーマットとして日本ビクターが開発したVHSと、ソニーが開発したベータマックスの争いは、まさにこのデファクト・スタンダードをめぐるものだった。戦いに勝利したVHSは、その後20年近く、家庭用録画フォーマットの中心に君臨した。そうしたデファクト・スタンダードを採用することで、企業は新しいシステムを一から開発する必要がなくなり、時間やお金を節約できる。一方も規格を使う側だけではなく、規格を生み出した側も、ライセンス料等で莫大な額の収益を得ることができる。
五つ目の概念は「ポジティブ・フィードバック」。これは「外部経済性」とセットになっている言葉だ。定義としては、「ものごとのよい結果が、さらにそれ自身を増強させる好循環を生み出す」こと。プラットフォーム・ビジネスを展開するSNSサイトや口コミサイトでは、ほとんどの場合、ユーザーの数が増えれば増えるほど、利便性が増した利用料金が下がって、サービスとしての価値が上がっていく。そこでさらに新しいユーザーを掴むというサイクルが生み出されている。逆に言えば、このサイクルをつくるには、最初のきっかけをうまくつくれるかが重要だ。そこで多くの勝ち組企業が採用しているのは、十分なユーザー数を確保したあと、収益性の向上を狙うモデルに転換する「二段ロケット」考え方である。フェイスブックも、最初は利用者をハーバード大学の学生に限定した「閉じた」サービスとして始まった。ある程度規模が大きくなってからも、しばらくは「.end」という大学のアカウントを持つユーザーだけに公開されていた。ユーザー数を増やすためにも、まずはサービスの信頼性を確保しなければならない、とマーク・ザッカーバーグ氏が考えたからだろう。いきなり全世界の誰もがサービスを使えるようになれば、得体のしれない人物が下心をもって、有名大学の女子学生に近付く可能性があるかもしれない。登録者が「.end」のアカウントをもつ人物に限定すれば、その利用者は間違いなく大学の在籍者だから、その利用者は間違いなく大学の在籍者だから、知人の知人をたどっていけばどこかで繋がっているはず、という安心感がある。
もちろんIT革命以前の社会でも、これまで見てきた複雑系の考え方は着想されていた。しかし、あくまでそれは「理論」の域を出なかった。リアルな現場では「閉じた系」の成功例が積み重ねられていたからである。しかし、ITが社会の細部にまで普及していくにつれて、そうした「五つの概念」が絶大な影響力を持つようになり、それを理解している企業、そうでない企業の力が決定的に分れるようになった。
残念なことに、こうした複雑系の思想を理解している日本企業、ほとんどない。戦後、日本経済は「閉じた系」のなかで発展してきた。各部署の作業領域をあえて限定し、そのなかで現場の作業「カイゼン」といった創意工夫に取り組ませた。こうした「日本型経営」が国民性や戦後の経済状況にピッタリと合い、世界に類を見ない高度経済成長を生み出した。しかし、90年代のバブル崩壊以降、「日本型経営」は行き詰まりを見せ始めた。しかし、日本企業は複雑系への対応が全くできていない。危機感もない。例えば、いまの日本企業の経営者は60歳前後の世代が多いが、かれらは仕事上でもプライベートでも、同世代や同業種のひととだけ付き合うことがきわめて多い。ビジネスの競争相手として同業他社たけをベンチマークとし、ITに対しても積極的ではない。さらにはインターネットを駆使すればトップでも簡単に一次情報が手に入る時代なのに、相変わらず秘書や会議など「閉じた系」からしか情報収集をしていない。これは悪い意味での「自己組織化」だ。
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