佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(5)
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」という言葉があります。もちろん経験も重要でありますが、しょせん自分の身に起こった一回限りの出来事でしかありません。歴史という人類の膨大な体験の集成にアクセスし、多くの事例からリスクを判断して当たるのが、賢いものの判断だという意味でしょう。しかし現代の我々を襲うリスクは、歴から教訓を引き出せないものがほとんどです。添加物の安全性も、放射能問題も、100年前には想像さえされなかったリスクに他なりません。歴史というデータベースに代わって現代の我々が頼るべきは、「統計」でしょう。統計は、統一的な手法によって現象を数量化し、現状を把握しやすくしたものと言えます。数字によるデータは、上手く使えば極めて有用で、何となく当然と思われていたことが実はどうなのか、真実の姿を浮かび上がらせてくれます。しかし他方で、統計は諸刃の剣ともなります。強力なツールであるだけに、その解釈を誤ると、とんでもない結果を導いてしまうことにもなりかねませんし、人を騙すことにも力を発揮するからです。
人間は、因果関係を見出すようにできている生き物です。この性質のおかけで、我々は様々な発見をし、知恵を蓄積してきました。しかし、時にこの性質は、あらぬ者同士にまで因果関係を見つけ出してしまいます。星の配置、掌の皺、血液型、名前の画数、家具の配置、我々は多くのものを自分自身の運命と関連付けてきました。もちろんこれらには統計的根拠はありませんし、みなそのことは理屈の上で分っているはずです。しかし、占いがいくら外れても廃れることはありません。これと同じで、一度心の中で関連付けたものを剥がし取るのは、大変難しいことのようです。統計は、ふたつの物事の関連をあぶりだす強力な手法ですが、下手をすれば間違った者同士を関連付け、誤った方向に物事を導く危険をはらんでいます。実際、統計によるウソは後を絶ちません。これらを見抜く目。データを疑う精神を持っていなければ、手もなく騙されてしまうことでしょう。
このような時に、怪しい話かどうか見分けるポイントとして、「分母が示されているかどうか」ということがあります。
目の前に提示された情報を鵜呑みにせず、自分の頭で考え、疑うのは、大変に重要なことです。しかし、この「自分の頭で考える」ことは、ときに大きな罠ともなります。誰しもバイアスは持っています。偏った主観で物事を見続けていれば、すべて歪んで映ることにもなりかねません。先人の生み出し、磨き上げた知恵を身につけることと、取り入れた情報を鵜呑みにせず、思考のフィルターを通して取り込むことは、全く矛盾することではありません。両者をバランスよく行っていくことこそが、真の学びである、まさしく真理であると言えることではないかと思います。
要は、「正しい知識を身につけた上で、考えろ」ということです。
この後、様々な事象を取り上げて紹介していますが、事例紹介で、そこから議論が展開するわけではないので、そういうものがあるということを楽しんで読めばいいと思います。議論を展開した上での結論というのは、最後にあとがきのところで申し訳程度に触れられているくらいのものなので、読んでいることの面白さはありません。よくいう為になる、という類の本です。最後のあとがきのところから。
食生活や衛生面を見れば、我々日本人は、史上最も低リスクな生活を享受しているといえるでしょう。震災、エネルギーなど、様々な問題を抱えていることを考え合わせても、現代は他のあらゆる時代に比べて、悪い時代とは思いません。
へたにリスクを削減しようとすると、別種のリスクが発生してしまう「トレードオフ」が起こると述べました。これは現代が低リスク社会だからこそ起こる現象です。リスク削減の作業は、大理石を削って彫刻をつくることにも似ています。最初は大胆に削っても問題はありませんが、完成に近づいたら慎重に彫っていかないと、理想の姿からは逆に遠ざかってしまいます。我々の社会は、そういう段階に達しているのです。
目先のリスクに惑わされてゼロリスクの幻を負うのではなく、ある程度のリスクを受け入れること。本能的判断も重要ではあるけれど、リスクを定量的に捉えて広い視野で判断して行くことも同じように重要。
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「ゼロリスク社会」の罠 「怖い」が判断を狂わせる (光文社新書)佐藤 健太郎 by G-Tools
リスクゼロということはありえない。
実際にそのリスクがどれほどのものなのか、どう付き合っていけば良いのか、見定めていきましょう、という話。
“リスクがある”というだけで、それを徹底的に排除しようとする動きはまったく経済合理性がない。
リスクの大きさと、それが現実のもの...... [続きを読む]
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