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2012年11月10日 (土)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(7)

第4章 日本企業の生産性が低い理由

日本のものづくりか低迷している理由の一つに「生産性の低さ」があります。そのように聞くと、「そんなばかなことがあるか」と反論する人もいるでしょう。トヨタ式に代表されるように、「日本ほど効率を考えたものづくりをしているところはない」と信じている人は少なくありません。しかし、日本企業の利益率の低さなどは生産性の低さを物語っていると言っていいでしょう。確かにグローバルに商売を行っている日本企業の多くは、これまでも生産性を上げるための努力を積極的に行ってきました。ところが、この努力が実っているケースは意外に少ないのです。生産性を上げるための努力を一生懸命しているのに結果が伴いないのは、努力の方向が間違っているからに他なりません。そもそも生産性とは何か。基本的な考え方は、インプットしたものからどれだけ多くのアウトプットを得られるかということです。インプットするものは、資本や資源、それから労働力などです。一方アウトプットされるのは、製品やサービスなど利益や付加価値を生み出すものです。そして「生産性がいい」というのは、かけているコストに対して、より多くのアウトプット、すなわち利益や付加価値が生み出されている状態を言います。つまり生産性を上げるとはそもそも、より多くの利益や付加価値を生み出すことを意味します。ですから本来はどのようなものをアウトプットするかということが最も重要になるはずなのです。ところが日本企業の多くは、先ずこの視点が欠けています。生産性を上げるために行っているのは、たいていは生産現場における効率アップで、それはそれでたしかに効果はあるものの、この方向でいくらがんばってところで限界があるわけです。今の視点で、従来の考え方、やり方を見直してみると、日本企業が抱える問題点が良く分かります。

たとえば、生産意を上げるために多くの日本企業がやってきたことに、生産拠点を海外に移す方法があります。これはもともと主にアジアなどの安い労働力を使うことで人件費を下げるのが目的でした。理屈で考えれば、人件費が下がれば売上も同じ、もしくは若干下がっても生産性が上がるのは当然ですが、ここには大きな落とし穴があります、実はこの方法で生産性を大幅に上げることができるのは製造コストに占める人件費の割合が大きい時だけなのです。ところがデジタルのものづくりでは、人の代わりに工作機械に代表される生産設備が活躍する場面が多く、製造コストに占める人件費の比率は小さくなります。このように産業の構造が大きく変わっていることを考慮すると、評価は従来と大きく変わります。デジタルものづくりにおいては、海外に生産拠点を移すことは必ずしも生産性を上げるための効果的な手にはならないのです。

日本で「生産性のアップ」というと、どうしても生産現場のことを思い浮かべる人が多いのは、「トヨタのカンバン方式」に代表される日本のものづくり信仰があるのでしょう。これは作業方法を見直して、できるだけムダを省くことで生産性を上げるという発想です。しかし、これで劇的な効果が得られることはほとんどありません。より大きな効果を得るためには、従来の方法をベースにして考えるのではなく、これまでやり方そのものを変える大胆なやり方が必要なのです。これまでのような改善・改良で何とかなるのは、ライバル企業もほぼ同じやり方をしている時だけです。そうした時代は、生産現場での生産性の向上が大きな競争力になりました。しかし、ライバル企業が部品の標準化を進め、水平分業型のものづくりへと移行したら、その瞬間、生産現場での生産性の向上努力成果が競争力向上につながらないことがはっきりします。一方、デジタルデータを活用して従来とは別の方法で生産性の向上を求めて劇的に成功しているのがサムソンをはじめとする韓国企業です。ここでいう別の方法とは、開発プロセス全体を見直して、プロセスそのものを短縮することで生産性の向上をはかるというものです。アナログものづくりによる従来の製品開発は、商品企画からデザイン、機能設計、構造設計、実際の生産までの開発プロセスがすべて順送りになっていました。これに対し、デジタルデータをうまく活用することで、開発期間を大幅に短縮したのが、サムスンのプロセス・イノベーションの中身です。商品企画が続いているうちにデザインを始め、デザインの最中に機能設計、構造設計も始めるという開発方法がデジタルデータをやり取りすることで可能になったのです。デジタルものづくりによって生産性向上の概念がそもそも変わっていることが、ご理解いただけるのではないでしょうか。

実はここにデジタルものづくりの本質があります。以前にデジタルものづくりによって、「いつでもどこでも誰でも」簡単にそこそこの製品が作れるようになったことに、日本企業の苦境の一因があるという話をしました。しかしそれはデジタルものづくりによって起こったことの半分にしかすぎません。

情報をデジタル化することで、社内に情報を集約化するハブをつくることが可能になりました。たとえば消費者が新しい機能を欲しがっているという情報がハブに入ったら、その情報がハブから企画立案部門へと行きます。さらに企画立案部門が反応することで、設計部門、部品調達部門にもその情報が行きます。そうすることで、ハブがなかった従来のものづくりではありがちだった、部門間のコミュニケーションの問題が解決され、組織全体が有機的に素早く動くことができるようになるのです。多くの日本ではまだまだ、デジタルものづくり=設計情報などデジタル化すること、という認識でとどまっています。実際はデジタルものづくりの本質とは、組織のあり方、動き方の変革を伴うものなのです。

日本の製品は「高品質」をひとつの売りにしています。これはいまでも多くの技術者が誇りに感じていることです。たしかにそれはいいことだと思いますが、消費者の要求ではなく、作り手のこだわり、つまり自己満足でそうなっている場合はないか見直す必要があります。消費者が求めているよりもはるか上のレベルで品質にこだわることは、結局は生産性の低さに繋がるからです。象徴的なのは、製造工程で繰り返し行われる検査です。品質へのこだわりがある企業では、各工程で検査が行われるだけでなく、出荷前にも最終的な品質チェックを行うのが一般的です。そこで不具合が見つかることなどほとんどないにもかかわらずです。これを「手厚い備え」と見るか「ムダ」と見るかは、おそらく意見の分かれるところでしょう。私たちはあえてこれを「ムダ」と見ます。それを「絶対に必要」としているのは、企業側の自己満足以外の何ものでもありません。なぜそう言い切るのか。こうした手厚い検査の費用はメーカーがサービスとして行っているわけではなく、ふつうは価格に跳ね返ってきます。要するに、ムダな検査がたくさんあれば、それだけ価格は高くなるのです。それを「すべての消費者が望んでいるからやっている」と考えているとすると、それは企業の傲慢以外のなにものでもありません。消費者の側からすると、品質は高い方がいいに決まっていますが、それは決して優先されるものではないからです。

サムソンは「体感不良率」を重視しています。体感不良率とは、「消費者の不満こそが製品の不良である」という考え方です。例えば製品が故障したとき、どれくらいの時間で交換、もしくは修理してくれるか、このサービスによって消費者の受ける企業への印象は大きく変わってくるという考え方です。電器製品の場合、故障してもすぐに交換に応じてくれれば、消費者の印象はかえって高くなるはずです。そもそも消費者は、すべてのものに高品質を望んでいるわけではありません。すべての商品には価格なりの品質があってしかるべきなのです。そうした消費者の考えを無視して、行き過ぎた検査を行うことでムダに価格を上げているとしたらどうでしょう。そのようなやり方をしている企業は、そのうち消費者に見放されてしまうでしょう。

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