無料ブログはココログ

最近読んだ本

« 夏野剛「なぜ大企業が突然つぶれるのか~生き残るための「複雑思考法」」(4) | トップページ | 畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(2) »

2012年11月 4日 (日)

畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(1)

第1部 日本企業を取り巻く現実

第1章 何が起こっているのか

まず基本的に押さえておかねばならないのは、とりわけ製造業にとって、第二次大戦後の成長を支えてきた国内市場は今後、「成長が期待できる市場ではない」ということです。製造業に関して言えば、少なくとも2000年代には国内市場の成長が終わっていたと見るべきです。これは分野によって程度の差はありますが、ものづくりに関係するほとんどの産業で見られる共通の問題と考えていいでしょう。

これまでの日本市場の大きな特徴として、産業の成長とともに育ってきた巨大な中間層の存在があげられます。高度成長期の日本画他の国々と比べても特異だったのは、戦後短期間のうちに大は版に増加した人口が経済発展の中で生産に携わるとともに、旺盛な消費活動を行い、国内企業の成長をサポートしてきたことでした。もちろんその背景には、もともと産業の基盤となるインフラが戦前から日本に存在していたこと、教育程度も高く優れた人材がたくさんいたこと、冷戦下でアメリカの陣営ついて恩恵によって、とりわけ戦後の立ち直りの段階で超大国アメリカの援助を大きく受けられたこと、基本的に軽武装ですんだため経済に専念すればよかったこと、といったさまざまな要因が考えられるでしょう。いずれにせよ、国内において生産と消費の好循環が起こっていたのが、かつての日本の高度成長の姿でした。今でも国内のそれぞれの産業分野で複数のメーカーが共存しているのも、日本企業が“過剰な”高品質を売り物にし、「ガラパゴス」と揶揄されるような商品をつくりだしているのも、戦後の経済発展の中で企業と共に育ってきた国内の巨大な中間層の存在の影響が大きかったのです。一億人もの中間層が生産活動と消費活動を活発に行い、企業の発展とともに自分たちの生活も豊かにしてきたというのか、かつての日本の姿でした。

ところがいまはまったく事情が異なります。依然として国内の市場は大きいものの、市場自体が成熟し、なかなかものが売れなくなりました。そもそも買う人自体が減っています。これからますます大きな社会問題にもなる少子高齢化は、国内の需要を拡大させるどころか、縮小方向に向かわせます。もちろん高齢者向けの商品・サービス開発はますます盛んになるでしょうが、高齢者に若者ほどの高い消費意欲を求めるのは無理なことでしょう。なおかつ、いまのように社会保障制度に不安を抱いていると、少しでも将来のために備えようという心理が働きます。また、ライフスタイルの変化によって、若者も以前に比べて耐久消費財を買わなくなりました。さらに各メーカーがライバルとの競争の中で品質の向上を追求したことで、昔に比べ商品の寿命自体も延び、それが消費の拡大を抑えるというマイナスの循環にもつながっています。さらに加えるならば、所得格差の広がり、とくに中間層以下の所得低下は、消費にも影響を与えているといわれています。この傾向は、基本的には今後も続くでしょう。震災の影響云々という問題以前に、国内の市場環境が大きく変化したことで、少なくともかつてのような形での内需拡大はほとんど期待できなくなっているのです。

このような周囲の環境の変化に対して、近年の日本の製造業はどんな展開をしてきたのか、これを「ものつくり」論の視点から見てみたいと思います。

本書でいう「ものつくり」論とは、「ものつくり」を「もの」と「つくり」に分けて考えることです。「もの」という言葉の起源は、古代太平洋圏に認められていた縄文時代の「マナ信仰」にあるということです。これは存在物そのものではなく、そこにある超越的な力を指しているそうです。「もの」はもともと形のある物ではなく、何か人の想念といったものではなかったか。これを本書に当て嵌めると、「ものつくり」の「もの」は思い、考え方、アイデアを指していると考えることができます。ワクワクドキドキするような思い、設計思想や欲求と言い換えていいと思います。一方「つくり」は、この思い(「もの」)を具体的な形にする時のプロセスです。製造業で言えば生産活動に当たります。この二つの言葉か合わさったのが「ものつくり」ではないかと考えたのです。

この視点で戦後の製造業の軌跡をあらためて振り返ると、日本のものづくりはどちらかというと、はじめに「もの」ありきというより、誰かが考え出した製品をいかに上手につくるかに重きを置いてきたことが分かります。それは要するに、「もの」より「つくり」を重視して、後者に磨きをかけてきたことに尽力してきたという意味です。多くの企業は、すでに欧米に存在していた製品をどうすればより上手に安価につくれるかに力を注いできました。まさしくこの努力が、日本製品の代名詞である「高品質」ら結びついたのです。にほんのものづくりに最も勢いがあったのは、1970年代から80年代にかけてです。「ものつくり」の「つくり」、その中でもとくに生産技術に磨きをかけ、それが大きく花開いた時代だったといえます。元となる商品やアイディアは、すでに欧米にいくらでもあったので、それこそ「つくり」に注力すればよかったのです。さらに環境反りものが日本企業の製品輸出にとって追い風となっていたのですから、日本のものづくりが大きく成長を遂げることができたのは当然でした。この時代の日本のものづくりのスタイルは、良質で安価なものを日本国内で製造し、完成品を国内市場に出すとともに、欧米へ輸出していました。これは輸出先の先進国の製造業に大きなダメージを与えました。

« 夏野剛「なぜ大企業が突然つぶれるのか~生き残るための「複雑思考法」」(4) | トップページ | 畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(2) »

ビジネス関係読書メモ」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 夏野剛「なぜ大企業が突然つぶれるのか~生き残るための「複雑思考法」」(4) | トップページ | 畑村洋太郎×吉川良三「勝つための経営~グローバル時代の日本企業生き残り戦略」(2) »