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2012年11月14日 (水)

シャルダン展─静寂の巨匠(1)

Chardpost_210月初旬は夏の延長のような陽気で、今週に入るともう冬服が欲しくなるような涼しさになった。この時期は3月決算会社の中間決算なのだが、近ごろは四半期決算が一般化し、以前のような忙しさはなくなった。そのせいか、株懇による6月の総会の反省のようなセミナーがあったので参加した。その後、人と会う約束をしていたのだが、その時間まで余裕ができたので、短い時間だけれど美術館に寄ってみることにした。

美術展としては、展示点数も多い方ではなく、小品が主だったので、一つ一つの作品に魅せられてじっくり時間をかけて、ということもなければ1時間弱で通して見られる。そういう意味では1500円という入場料は高い気もした。

シャルダンという画家は、時代的には18世紀に生きフランス革命の起こる前に亡くなった、ロココの終わりという感じだろうか、時期的には、ドミニク・アングルとかジェリコたちとも重なる時期があると思う。

展覧会のチラシによれば、フランスを代表する静物・風俗画の巨匠ということです。それはチラシの絵を見てもらうと、どうでしょうか。地味というのか、まず題材が静物画ということは別にして、色はくすんだ感じで、木苺の手触りが感じられるようなリアルな描写というのでもなく、また、スペイン・バロックのスルバラン等のような光と影を用いたボデコンと呼ばれる静物画の崇高さもなく、オランダ絵画の親しみやすさもなく、言ってみれば、それらの作品と並べると目立たなくなってしまうような作品です。他の画家であれば、凡庸としか受け取れない、これらのことがシャルダンに限っては肯定的に捉えられてしまう、そういう傾向の画家ということでしょうか。展覧会カタログの中では次のような説明が為されています。

「18世紀、世俗化されていく社会を背景に、現世的なものへの関心が強くなっていく中で、絵画は美的鑑賞の対象として画家の名人技とともに、拡大を続ける鑑賞者たちによって、時とともにますます愉しまれるようになる。こうした時代に、ジャン・シメオン・シャルダンは、平凡でありふれた事物を、充実した、荘厳とも言える存在として表現した、当時の批評家たちの言葉を使えば「魔術師」だった。画布の上に表わされた事物は、生命を与えられた一個の独自の存在として、私を限りなく魅了する。原物とは切り離された、自立した世界がそこにはあるのであり、ディドロのようなシャルダンの礼賛者たちは、対象の生命や本質をとらえて表現した画家として、彼を讃え、絵画固有の価値を認めたのである。例えば『カーネーションの花瓶』はシャルダンが描いた現存する唯一の花の絵である。一度見たら忘れられないほど魅力をたたえた作品で、彼の画家としての資質が余すところなく発揮されている。一見何の変哲もない作品でありながら、彼がどれほど周到に構成を練り、色彩を選んでいるか、次第に明らかになるだろう。たとえば、机の上に置かれた赤い二輪のカーネーションが、強いアクセントとなって画面をどれだけ引き締めているか。あるいは色数はごく限られていながら、音楽的ともいえる心地良い諧調を生んでいるかを」

説明というよりもオマージュに近い、かなり熱い解説になっています。地味な作品にそぐわないかと思いつつも、それだからこそ思い入れのあるファンがいるというタイプの画家ではないかと思います。たしかに、ここで解説に書かれている要素はあるのかもしれませんが、それにしても主観性が強いというのか、逆説的な言い方かもしれませんが、また画家自身は意図的にやっているのではないのでしょうが、このような解説を書きそうなスノッブに結果的に媚びている感じはします。この解説文になんとなく漂う、なかなか普通の人には、この一見平凡な絵画に隠された真実とか存在そのものを、私は見えるのだというようなエリート意識が行間に見え隠れしているのです。繰り返すようですが、これは何もシャルダン本人がそうしようとしたものではなく、周囲の人間や後世の愛好者がそういうものとして祭り上げていったものです。しかし、シャルダンの作品には、そうしたくなるような要素があるのでしょう。例えば、私が支えてあげなければ、という強い思いを抱かせるような要素が。現代において、似たような現象として、突飛かもしれませんが、私はAKB48という少女のアイドル集団とファンの関係に似ているように見えました。彼女らは、取り立てて美しい容姿に恵まれているわけでもなく、歌もダンスも下手であるにもかかわらず、ファンと交流し不器用ながら一生懸命頑張っている姿を見せている。ファンはそれに共感し支えてあげようと熱い共同幻想の空間を作り上げるというものです。シャルダンの場合には、もっとスノッブで上品な感じはありますが、そのファンの雰囲気に共通性を感じました。

で、正直にシャルダンの絵の私の感想を書けば、「下手!」の一言に尽きます。例えば、解説で取り上げられていた『カーネーションの花瓶』。筆遣いに滑らかさはなくて、まるで絵の具をぶつけているようです。だから、陰影のニュアンスは粗っぽく、だいたい輪郭すら描けていないです。花びらのひとつひとつをよく見ると、花びらに見えない。それは、モネの晩年の睡蓮の花びらを見ているようです。そういう要素しかそろえられず、たどたどしくも花瓶に活けられた花として、取敢えずみれるようになっている、いってみれば奇跡のような作品なのです。多分、私にとってシャルダンという画家は、アイロニーとしてしか語ることのできない画家なのかもしれないと思いつつ、これから具体的な作品を見て行きたいと思います。

展覧会は次のような章立てで展示されていたので、それに従って観て行きたいと思います。

Ⅰ.多難な門出と初期静物画

Ⅱ.「台所・家事の用具」と最初の注文制作

Ⅲ.風俗画─日常生活の場面

Ⅳ.静物画への回帰

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コメント

こんにちは。
私もシャルダン展を見てきましたので、興味深く読ませていただきました。
「食前の祈り」は心温まるすばらしい作品でしたね。
「木いちごの籠」を始め、静粛の巨匠を感じさせる静かな雰囲気の静物画もすてきでしたね。

私もブログにもシャルダン展について書いてみましたので、ご意見、ご感想などコメントなどをいただけると感謝します。

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