佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(3)
ハーバード大学のリスク解析センターでは、リスクを人々が強く感じるようになってしまう10の要因を発表しています。
①恐怖心
②制御可能性
③自然か人工か
④選択可能性
⑤子供の関与
⑥新しいリスク
⑦意識と関心
⑧自分に起こるか
⑨リスクとベネフィットのバランス
⑩信頼
この10ヶ条に皿に筆者が付け加えるとしたら、「好き嫌い」という要素でしょうか。
人間は、いったん自分の中にひとつの「見解」ができてしまうと、それに対する反証が出てきても「これは例外である」などと言って無視したがります。逆に、有利な証拠が出てくるとこれを重視し、より自分の正しさを強く確信する方向に向かうのです。これは、心理学分野で「確証バイアス」と呼ばれます。好き嫌いという感情は、確証バイアスを強めてしまう強力なファクターです。そして、この確証バイアスは、同じ傾向の人が集まることでより強化されるという厄介な傾向があります。マイクにスピーカーに近づけると、音の増幅が繰り返し起きて大音響が鳴ってしまうのと同じように、バイアスはお互いに強め合って、より極端な方向に向かっていくのです。近年では、ブログやツィッター等のソーシャルメディアの急速な普及によって、この「バイアスのハウリング」が起こり易くなっているように思います。
心の偏り(バイアス)のひとつに、「正常性バイアス」と呼ばれるものもあります。何か大きな異変が起こっても、「これはそう大したものではない、日常親しんだ状況の延長で読み解けるものだ」と人は思いたがり、リスクを過小に見積もってしまうのです。この正常バイアスは、大きな心理的動揺を避けるために、危険な情報を無意識に閉め出そうとする、本能の働きによるものと見ることができます。
また、人間は経験豊富な事柄に関してはリスクを低く見積もってしまい、初めての事柄に対してはリスクを過大に評価してしまう傾向があります。これを表わす言葉に「ベテランバイアス」と「バージンバイアス」があります。
現代において、リスクの見積もりを狂わせる何より大きな原因は、マスコミの報道に他ならないでしょう。マスコミにとって情報は商品であり、多数の人に買ってもらえるものでなければ商売が成り立ちません。したがって、マスコミがリスクを実際より大きく報じ、感情に訴えて危機を煽ろうとするのは、いわば本能に似たものです。「○○は安全だ」というより、「○○は危険だ」という方がずっと楽です。「安全」と言って、後から危険性が発覚した場合には責任が発生しますが、「危険」と言っている分には「可能性があるのだから警告を発したまでだ」で通ってしまいます。さらに、危険を言い立てる側は「政府や大企業の悪事を暴く正義のペン」というように見てもらえますが、安全を唱える方は「権力の走狗」と見られて、いいことは何もありません。
しかし、マスコミによって大きく報道されることは、リスクを過剰に認識させてしまうケースばかりではなく、逆にリスクを軽く見積もらせる方向に働くこともあります。心理学でいう「アンカリング効果」と呼ばれるもので、ある情報が与えられると、人の認識がそちらに引き摺られてしまうことを指します。
« 佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(2) | トップページ | 佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(4) »
「ビジネス関係読書メモ」カテゴリの記事
- 琴坂将広「経営戦略原論」の感想(2019.06.28)
- 水口剛「ESG投資 新しい資本主義のかたち」(2018.05.25)
- 宮川壽夫「企業価値の神秘」(2018.05.13)
- 野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(10)(2015.09.16)
- 野口悠紀雄「1940年体制 さらば戦時経済」(9)(2015.09.16)
« 佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(2) | トップページ | 佐藤健太郎「「ゼロリスク社会」の罠~「怖い」が判断を狂わせる」(4) »
コメント