無料ブログはココログ

« 浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(3) | トップページ | 浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(5) »

2012年11月29日 (木)

浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(4)

第2章 <倫理>善悪の彼岸を越えて

ニーチェとの比較を試みながらスピノザ倫理学における善悪の規範の問題について論じていく。

ニーチェは、『道徳の系譜』とそれに先立つ『善悪の彼岸』の中で、<善と悪>、<よいとわるい>とを峻別しつつ、<よい>ということが、よいことを示される側の人間から生ずるものでないことを繰り返し強調する。彼は、<よい─わるい>の対立の起源を、「上位の支配階級が下位の種族に対して持つ持続的・支配的な全体感情・根本感情」、換言すれば「貴族的価値判断」にあると見ているのであって、そのような感情・判断の発生以前に規範として示される「汝何々をすべし」と言う道徳律に根拠を求めていない。この貴族的価値判断の前提を成すものは。「力強い身体、若々しくて豊かな溢れんばかりの健康、祖果てそれを維持するために必要な種々の条件、すなわち戦争・冒険・狩猟・舞踏・格闘技、そして一般に強くて自由で快活な行動を含むすべてのもの」である。「すべての貴族道徳は勝ち誇った自己肯定から生ずる」のである。

 

ニーチェは同時代のヨーロッパにおける道徳を「畜群道徳」と呼ぶ。彼に言わせればそれは、「少なくとも生に然りを言うもの」の観点からではなく、生に対する「否定」から生じてきたものだからである。ニーチェの言う高貴な道徳は、「おのれが道徳そのものでありその他には道徳的なものは何もない」と断言するような一種の自己肯定から生じてくる。すなわち、それは「<よい>という根本的な概念をあらかじめ自発的に考えだ、そこから初めて<わるい>という観念を作り出す」ものである。ところが反対にルサンチマンに基づく道徳は、「おまえはわるい。ゆえに私はよい」という点等した価値形式に基づいている。こうして人々は、<よい─わるい>の代わりに<善─悪>を置くようになる。ニーチェによれば彼らが規範を造るのは、活動することによってではなく活動を差し控えることによってであり、肯定することによってではなく、まず否定することによってである。その上で、彼らは、自分たちの力に由来しないこれらの価値を超越的な地位にまで祭り上げ、それによって「完全なもの、完成されたもの、幸福なもの、強力なもの、勝ち誇ったもの」としての<生>を測り、制限し、押さえつける。こうした価値には、生に対する憎悪、何に対する一切の能動的で肯定的なものへのルサンチマンが隠されていると、ニーチェは主張する。

では、スピノザにとって善と悪の問題はどのような形をとって現われてきているのだろうか。スピノザは、善悪の判断の基準を、喜びと悲しみという二つの基本感情に置いている。しかも、自らの外部に所与のものとして善悪の基準が存在することを認めず、あくまでもその人の「衝動」や「意志」や「欲望」から、すなわち内在的な力の感覚にそのような価値判断の源泉を見ている。したがって、生に対する怨恨を持つ人間、ただ悪を避けるためだけに善を説く脆弱な人間たちが、生に対して反動的な規範を善と判断し、かえって能動的な生の発露を悪と決めつけることが、容易に起こり得るのである。このことをスピノザははっきりと認識していた。このようにスピノザが使用する<善><悪>と言う用語は、人間の習慣によって規定された外在的規範を表わす通常の用法であるというよりは、ニーチェ的な文脈で言う<よい><わるい>の用法に近い。

スピノザの言明、「善とは、私たちの形成する人間本性の型にますます近づく手段となることを私たちが確知するものであると解するであろう」と述べられているのは、何らかの特定の範型に私たちが自らを当てはめていくことが善だと言っているのではなく、自らの本質をなす力能により忠実であることが善だという主張なのである。スピノザは、善を人間の本性にできるだけ近づくこととし、彼はその人間の本性を何らかのイデアではなく力と、すなわち活動力と等置した。スピノザはこのように、善悪の問題を決して外在的な規範の問題としてではなく、人間に内在的な感情の問題としてとらえていた。だからこそ彼は、「善悪の感情は、それが真というだけではいかなる感情も抑制することはできない。ただそれが感情としてみられる限りにおいてのみ感情を抑制し得る」として、単に人間がものの感情を認識していただけでは、行動を促す十分な原因となり得ないことを訴えたのである。

« 浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(3) | トップページ | 浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(5) »

スピノザ関係」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(4):

« 浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(3) | トップページ | 浅野俊哉「スピノザ 共同性のポリティクス」(5) »