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2012年11月17日 (土)

シャルダン展─静寂の巨匠(3)~「台所・家事の用具」と最初の注文制作

Chardmoutonシャルダンが1728年に王立美術アカデミーの会員になった後の作品です。シャルダンは、この時期に静物画を描いた後、風俗画に転じ、後年、再び静物画に戻ってきます。後年の静物画は全体に融合してまとまった感が強いのに比べて、この時期の作品は、個々のパーツが突っ張っているという感じがします。ただし、シャルダンという画家の作品の中での比較なので、その差は他の画家との差に比べると小さなものになってしまいます。例えば『羊の骨付き肉のある静物』では、左側から差し込む光を受けて右側に置かれた銅鍋の底が光を反射させています。また真ん中の陶器の壷がテカテカ光っているようなのと、左手前に掛けられた白布に影が映っています。このように、卓上に置かれた個々のものの光の反射の仕方が違うのと、置かれた位置によって光の当たり方、強さが違うことなどによって、それぞれの物の表面上の材質、肌触りの違いが主張されているように描かれています。それに加えて、静物画という名称の中で、意外とこの作品はダイナミックな構図によって動きを多少なりとも感じられるような仕掛けが施されています。ます、テーブルの上に所狭しとものが置かれていること、そして右側ではネギがテーブルからはみ出てしまっていることや、左側では白布が同じようにテーブルの外に出てしまっている。このことから、テーブルという枠に納まりきらない動きがでています。また、テーブルの上のものというと水平なテーブルに乗せられたということで、水平な方向性で安定した感がするものですが、テーブルからはみ出るということで、横の安定を乱すことに加えて、横に置かれて安定していてもいいはずの銅鍋をテーブルに乗せきれないことから壁に立てかけさせることで水平ではなくて垂直の要素をいれて水平を断ち切る方向性を与えています。そして、その方向性は上から吊り下げられた羊の肉によって、水平の画面から水平と垂直が対立する画面に変わります。おそらく、この肉がなければ、横長の長方形の画面でよかったはずが、この肉があることによって縦長の長方形の画面になってしまっています。それが、画面構成に緊張感を与えていて、吊り下げられた肉、銅鍋、ネギ、白布、柄杓、壷のそれぞれが画面の中で存在を主張しているような印象を受けます。それだけ、シャルダンは構成に心を砕いたことが分かります。かりに、この作品を模写して、もっとゴツゴツと輪郭を描いて色彩のメリハリを強調したらセザンヌのような作品が出来上がるように見えてしまいます。

シャルダンの作品には構成ということが大きな要素になっていることは、例えば『肉のない料理』と『肉のある料理』という同じ時期に、おなじように銅板に描かれた、それこそ対のような作品が、同じようなものが卓上に置かれていながらその配置(構成)によって対称を成すように見えてきます。

しかし、と私は思うのです。このように見ていると、悪く言えばパターンの使いまわしではありませんか。比較にならないかもしれませんが、現代の人気アイドルグループAKB48がメインのボーカルを立てられず、センターボーカルをファンの人気投票で選挙するのが話題になっていますが、要するに誰がセンターでボーカルをしても大して変わりはないという突出した存在がないからに他ならないわけです。AKB48のメンバーの少女の一つ一つはいわば取り換えのきくパーツのようなもので、その組み合わせで少しだけ色合いの違うものが組み立てられる、その微細な違いをファンは安心して楽しめる。シャルダンの静物画にも似たような雰囲気が感じられます。しかも、やはり下手なのです。『肉のある料理』に描かれた壷が明らかに歪んでいます。デッサンがしっかりできているのか、と言わざるを得ません。しかし、下手なりに構成を考え最大件の効果を生み出し、頑張っているではないですか。何かいじらしくなるほどです。この点もAKB48に似てなくもありません。

シャルダンはアカデミー会員になって、それまでの狩猟の獲物を描くという範疇からレパートリーを拡大しようとします。そして、あらたに広がったのは台所用品の静物画だったということらしいです。もっと肖像画とか風俗画とか歴史画とかランクの高いものに挑戦すればよいものを、台所用品です。これはシャルダンが、自らの力量をわきまえていたからではないかと思います。当時のシャルダンは、そんなに様々なものを上手に描けなかったのではないか。シャルダンは、目前に現物があってそれを見ながら出ないと描くことはできなかったといいます。それならば、台所用品は身近にあって、いつでも、キャンバスの前に持ってくることが可能です。しかも、種類は限られているので、それらの一つ一つに対してじっくり練習をかさねれば、鍋、壷、食器、肉、野菜という個々のパーツをそれらしく描くことができるようになります。あとは練習して、それなりに描くことができるようになったパーツを組み合わせて作品にするだけです。しかし、パーツが限定されているため、何枚も描くと底が割れて同じような作品しか描けなくなり、行き詰ってしまいます。そこで、限られたパーツで最大限の効果をあげるために、組み合わせと画面構成に心を砕き、なんとか変化を与えようとした、というのがこの時期のシャルダンの静物画が生み出された要因の一つではないかと、勝手な想像をしています。そういうことを考えると、全体として作品のサイズの小ささが、小さく描くことによって粗が見えにくくなるという狙いがあったのかもしれません。

展覧会の惹句では静寂とか寡黙とか、何か珠玉の小品のようなイメージを喚起させられますが、作品を観ていると、そういう高尚な感じはしないのです。芸術としての高貴なオーラは感じられなかったというのが正直なところです。そんな中で、画家として生活の糧を何とか稼がなくてはならない、ということで持っている技術を総動員して、他の画家を出し抜くことができないのなら、差別化して他人がやらないニッチなところで商売をしていった、それなり評判を勝ち得たからこそ、こうやって後世でも展覧会が開かれるわけで、あえていえば、シャルダンという画家の苦闘を想像せずにはおれない、というのが、この展覧会の率直な感想です。多分、批評家のような人がテレビや新聞でチラシの惹句のようなことを述べて進めていましたし、この展覧会の感想がネットに頻出していますが概ねそういう方向だと思います。しかし、私個人はこの方向で感じらませんでした。それが正直なところで私の感想なので、これを読んでも展覧会の参考にはならないことをお断りしておきます。

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