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2012年12月28日 (金)

小林敏明「フロイト講義<死の欲望>を読む」(9)

第5講 拮抗する生と死

フロイトの理論は総じて二元論的に構成されていて、二つのファクターないし原理が互いに拮抗し合うというかたちを取ることが多いようです。トポス論的にいいますと、意識と無意識的なものとの葛藤、そこに生ずる抑圧や抵抗等が代表的ですし、先に述べた夢内容の加工や忘却などという現象も、そうした拮抗の結果として解釈されます。そうした拮抗や葛藤が問題となる限りにおいて、またそれは力動論的な性格も示すわけです。欲動論に関しても同様で無意識的なものに属する性欲動に対してもそこに自己保存欲動による規制が働いて、性欲動がそのままストレートに顕現することがないとされるわけですが、これとパラレルな関係にある快原理と現実原理もやはり拮抗関係を孕んだ二元論になっています。

「死の欲動」も例外ではありません。「死の欲動」は「生の欲動」と背中合わせの関係になっており、それ自体で単独に成立するものではありません。言い換えれば、生と死の拮抗関係こそ無意識的欲動の本質だということになります。問題はフロイトがその生死の二元論にどのような具体的内容を与えているかです。死の欲動の内容に関して我々は取り敢えず「無機物への回帰」というテーゼを知ったわけですが、ではもう一方の生の欲動とは何でしょう。それは言うまでもなく、常識通りあらゆる生命現象をかのうにしている根源的な力ないし生気一般を意味しているには違いありませんが、フロイトがその生命現象の中でもっとも注目しているのは生殖です。死が無機物への回帰だとすると、逆に有機物を(再)生産する過程にこそ生の核心が宿っているということになります。そこにフロイトが性欲動をさらに一般化して「エロース」の概念を立て、それを死の欲動に対置する理由もあります。つまり死の欲動はエロースを基本的な内実とする生の欲動と対にされるわけです。

この用語の元祖とも言うべきはプラトンのエロースとタナトスの概念ですが、プラトンは基本的にはエロースを死すべきものが不死を目指して営む行為を哲学と捉えています。プラトン哲学の目標は永遠なるイデアに到達することです。不死のイデアを求めて飛翔するエロースというイメージです。プラトンに置いては「死すべき」存在としての人間のエロースは可死的な肉体レベルと不死の精神レベルの二種類があって、「不死なるもの」を求める哲学は、前者の次元を超え(否定し)、後者の次元での出産を目指すことだとされるわけですが、この言説を今度はタナトスをテーマにした言説と突き合わせてみると、ひとつの面白い背理に遭遇することになるのです。プラトンはタナトスがエロースと同等に愛知の道のひとつであると言います。なぜこれらが対等に置かれているかというと、両者がともに精神を肉体から分離解放して、それを浄化することを目標にしているからですが、ことタナトスに関するレトリックはやや複雑になっています。というのも、本来不死なる魂は肉体からの分離としての死によって不死なるものの世界に到達できるというのですから。これを言い換えれば、人は死ぬことによって永遠の生に到達するということになりますが、ことらの言い換えでも、やはり生の消滅によって生がうまれるというレトリック上の逆説が生じます。そして何より逆説的に聞こえるのは、ともに同等な愛知の道でありながら、エロースのほうは「出産」を、タナトスのほうは文字通り「死」ないし「死の練習」を意味しているということです。このようなプラトンの言説には背理は避けられないようです。この両者の背反的共存をひとつのアイディアとして受け入れそれに沿って言説を進める道を取ろうとしたのがフロイトだったではないか。

フロイトは、死の欲動とは生命体ないし有機体が無機物に回帰するよう駆り立てられることであるという抽象的テーゼにまで到達したのでした。とすれば、生の欲動の方はどう位置づけられるのでしょうか。フロイトが注目するのは有機体の胚細胞です。有機体において他の細胞が自然死に向かうのに対して、唯一胚細胞だけはそこから分離し、それが発生するもととなった「遊び」を繰り返すからです。とりあえず精子と卵子を考えれば、この事態は量かい可能です。あらゆる生命的個体は死滅します。しかしその個体は自らの中から胚細胞を分離し、それの合体である生殖行為を通して延命を図ります。そしてそこに有機体の生の欲動と無機物に向かう死の欲動との拮抗が生じています。こういう拮抗があるにもかかわらず、しかし生命体は結局は死の欲動に屈することになります。ということは裏を返せば、生の欲動は結局のところ死に至る道をたんに長引かせる働きを担うだけということになります。

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