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2012年12月21日 (金)

小林敏明「フロイト講義<死の欲望>を読む」(2)

第1講 無意識の時代

フロイトを考える時、接頭語「un-」のついた「語りえないもの」、どうしてもこういう否定的で不明確な存在のことをぬきに語ることができないのですが、これにはフロイトを取り巻く歴史的な事情も関わっています。それは学問的及び思想史的な背景です。まずは、メスメルの磁気仮説から催眠療法が広まり、フランスの催眠療法を経て徐々に理論的に洗練され、それがフロイトに影響を与えたと言われています。

フロイトの精神分析の背景となったのは、催眠療法という特殊な分野を超えた、もっと広い分野にわたる思想的背景ないし時代精神のようなものが大きく影を落としているからです。それが「ドイツ・ロマンティック」という思潮です。1800年頃からドイツ語圏を中心に広がりを見せ、19世紀を通してひとつの時代精神を形成したと言ってよい、この運動が文学、絵画、音楽といった芸術の分野を活動の舞台にしたことはよく知られている。ロマンティクの起源は、カントに象徴される近代的な啓蒙合理主義に対する反発から始まったと言われています。多士済々な文学者や哲学者を輩出したロマンティクの思想内容を簡単に要約することはおよそ不可能ですが、その一つのメルクマールとして独特の自然観があります。ロマンティクでは自然をたんなる数量や法則に還元してしまうことが嫌われ、むしろその「語りえない」神秘的側面が強調されます。簡単に言うと、自然の本質は実験と観察に基づく計量によってではなく、直観によってアプローチできるという立場です。こうした機運のなかでフリードリッヒやルンゲなどを代表とする絵画の流れが出てきます。例えば、フリードリッヒの絵画が示しているように、風景すなわち自然は個々の人間を超えた崇高な存在です。それを表現するため、フリードリッヒは峨々たる山や荒涼とした海辺、あるいは月光の降り注ぐ夜景を描いたりしました。やや誇張していえば、明るく日の照る表の俗世界を背後から支配している厳かで神秘的な夜の世界とでも形容したらよいのでしょぅか。

このフリードリッヒと非常に親しい関係にあったカール・グスタフ・カールスという人物が重要で、ドレスデンで産婦人科医、解剖医として知られていましたが、病理学や心理学の研究も残し、メスメリズムを積極的に取り入れた人です。彼において初めて「Un-Bewuβtsein(無-意識)」という概念のもとに一種の医学的生理学的説明の試みが為されたということです。基本的に、カールスにとって「心Seele」とは無意識的な段階から意識的な段階へと発展的に自己形成していく生のプロセスだということです。その意味で「無意識」はいわばそういうプロセスの出発点であり、生そのもののベースでもあります。カールスにとって「無意識」とは細胞のレベルから始まり、胎児の段階を経て、成体にまで有機体が発達していく過程に見られる一種の生気的な働きのことです。この過程の中から次第に意識が形成されてくるわけですが、当然その意識の根底にもつねに無意識が働いていると考えるわけです。カールスは、同時にこの無意識を過剰に神秘化してしまうことにも反対します。

こうしたカールスの発想と並行するように進行していったのが、通称「ロマンティク医学」と呼ばれる流れです。とくにゴットヒルフ・シューベルトはフロイトの『夢解釈』に先んじた『夢の象徴学』という著作で知られた人です。我々の関心にとってより興味深いのは『自然科学の夜の面』という著作です。この著作は宇宙全体をひとつの統一的な生命体とみる立場に立って、天体から無機物、生物に至るあらゆる存在の「有機的」性質とそり構造を説明しようとするもので、メスメリズムの動物磁気や催眠術が強調されています。ここで興味深いのは、その着想ないし発想の独創性です。催眠状態と死の類縁性に目が向けられていることです。シューベルトは次のような奇想天外な推論も発表させています。有機体が死ぬとその死体から燐が出て発光することがありますが、シューベルトは、これは宇宙のいたるところに「燃える本質」があって、それは死体において可視化されるだけではなくて、「電気現象からさらに深く有機体における性の合一現象にまで」見られることだと言います。だから死と性はある意味で同一の性質を持った現象になるわけです。そういう奇妙な説明方法を駆使しながらとらえようとしている死と生殖、いいかえればタナトスとエロースの同一視というテーマは、後に見るように、簡単に笑って済ますことのできない問題を孕んでいます。「燃える本質が部分的、一時的に解放される」性とは生の中に「部分的、一時的に侵入する死」のことであり、それはまた「人間の自然がより美しい故郷へ向かって錨を揚げる瞬間、新たな存在形態の翼が動き始める瞬間」であると言われる時もそのポエティクな表現の背後に何が捉えられているか、それはたしかに一考に値する事柄だと言わなければなりません。ここにメスメリズムないしそれら類する発想がいかに広く流布していたかが分かると思います。

そのなかで中心的な役割を果たしていた動物磁気という概念を考え直してみましょう。問題になるのはこのなかの「animal」という形容詞です。この言葉の起源となるラテン語の「anima」には「空気」「風」「息」「生命」「活力」「精神」といった意味があり、漢字「気」の意味の広がりに似ています。さらにもう一つ付け加えておかねばならないのは、ヨーロッパ語の流れにはもうひとつこれと並行する類似の言葉があるということです。ギリシャ語の「Ψχ」に起源をもつドイツ語の「Psyche」や英語の「Psychology」などです。もとは「息」の意味ですが、それが今日ではもっぱら「心」とか「心理」の意味で使われているわけです。ここで話を戻すと、ここで言われる「animal」には「空気」「風」「息」「生命」「生気」「活力」「精神」から、さらには「心」「心理」のニュアンスが入っているということです。動物という概念に関していうなら、その中にこのanimaが吹き込まれているから動物なのです。メスメリズムやロマンティクを支配していたのはそういう発想法です。この様々な意味を含む「anima」は、そもそもその実体をつかもうとしても、容易にそれができない存在です。言い換えれば、それは一種の「語りえないもの」です。

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