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2012年12月27日 (木)

小林敏明「フロイト講義<死の欲望>を読む」(8)

第4講 死は欲動するか

前講で我々は、ことの発端が戦争神経症、外傷性神経症、反復強迫といった、互いに類似の現象にあることを知りました。そこでフロイトは自分のメタサイコロジーを駆使して、まずこのなかの外傷性神経症のしくみを解き明かそうとします。外傷とは「トラウマ」、すなわち何らかのショッキングな体験が心の傷となって残ったもので、後になって当事者に強い不安やパニックをもたらしたりする原因となるもののことです。

トポス論とは、意識・前意識・無意識的なものの三つの心的装置とその配置関係のことでした。このうちトラウマの形成で直接問題となるのは意識です。意識の先端を形成しているのは知覚です。我々は感性的知覚を通して外部にある対象と出会います。言い換えれば、知覚は外界と内界との境界ないし接点に位置するわけです。フロイトのトポス論における意識というのは外界と内界を調整しながら仲介する特殊な心的装置だということです。このような発想を前提にしてみると外傷性神経症は、一言でいうと、その境界に位置する「刺激保護が大規模に決壊してしまった結果」ということになります。言い換えれば、外界からの刺激量が過度に大きいため保護膜が破れてしまい、内部にパニックが発生するということです。

これをエコノミー論の観点から見ると、例えば堤防が決壊しそうな時に救助隊がそこを大量の土嚢で補おうとします。そうするとその分堤防の内側にある土や砂が大量に運び出されることになるわけです。普通は刺激が外から襲ってくる場合、我々は多かれ少なかれ不安を感じるわけですが、フロイトによれば、この不安は、ある意味で外的刺激に対する準備乃至は防衛を意味します。つまり、「エコノミー論」の言い方を借りれば、刺激と実際に遭遇するまでの間に各処から防衛のためのエネルギーが備給されてくるということです。例えば不意打ちの場合この不安による準備が不可能となります。だから不意打ちをくらって驚愕に陥った場合は刺激量がそれほど大きくない場合も、刺激保護が決壊しパニックを引き起こし、それがトラウマになる可能性があります。

これは外傷性神経症の一応の説明とはなりましたが、これで戦争神経症や子供の反復強迫までは説明できないからです。戦争神経書も外傷性神経症も「外的」暴力が原因となって起こるといいますが、戦争神経症の場合には転移神経症のように「内的な敵」がいるという推測を述べていました。そのきっかけが、「いないいない・ばあ」にみられる反復強迫です。子供はもともとは母親不在という不快な経験に基づく遊びを飽くことなく何度も繰り返しました。だからこの場合の強迫は外からというよりも、むしろ、積極的に欲する子供の内面から来るものと考えられるわけです。これと同じように当事者の内面からやってくる何ものかが戦争神経症にもあるのではないかとフロイトは勘ぐっているのです。もし内側から刺激が襲ってくるのだとしたら、意識は外的刺激に対するような防御膜をもっていませんから、これに抗するのが非常に困難になります。この「内側からの刺激」ないし「内的な敵」とはなにか。

フロイトは「欲動Trieb」を問題にします。欲動は生命ある有機体に内在する衝動で、この生命体が外的な障害の力の影響で放棄せざるを得なかった以前の状態を回復しようとするものといっています。この衝動の本質が以前の状態を回復することにあるというと、精神分析とその周辺で胎内回帰願望という言わる、一般化すると、人間がそれまでにたどってきた発達の段階を逆に遡る「退行」現象の一種です。さらにフロイトは、これを人間のみならず、生命体すべてに内在する「欲動」にまで一般化します。「生命体がかつて捨て去り、またあらゆる発達の迂回路を通ってたちもどろうとする、かつての出発点の状態である。あらゆる生命体が内的な理由から死んで、無機物に帰るということを例外のない経験と仮定してよいなら、あらゆる生命体の目標は死だと言うことができる。そもそも遡れば、生命なきもののほうが生けるもの以前に存在したのである。」要するに「以前の状態」とは「無機物」のこと、そこへの回帰とは「死」だというわけです。いったい「無機物への回帰」を「欲動」だと言ってよいのか。

そもそも「欲動Trieb」という言葉は問題含みの概念です。もともとドイツ語には「Trieb」だけではなく「Instinkt」ということばもあるのです。ところがフロイトは、わざわざ「Trieb」の方を選んでいるのです。たしかに両者はよく似た概念です。しかしその微妙な差こそある意味ではフロイト理解にとって決定的になります。前から述べているように、他党フロイトが生物学や脳解剖学などの知識を使いながら論じていても、その言説はあくまでもフロイトの新たに打ち立てようとするメタサイコロジーを構成するものだということです。「Trieb」という言葉も例外ではなく、一見生物学的に見えようとも、これはあくまでSpekulationにもとづくメタサイコロジーの概念なのです。それだから単なる本能ではないのです。

Trieb」という言葉は動詞の「treiben」から来ています。この動詞の元々の意味は「あるものを特定の方向に駆り立てること」をいいます。さらに問題になるのし「treiben」を直接名詞化したものに「Treiben」と「Trieb」の二つの形があるということです。前者は文字通り「駆り立てること」です。わずかに表記の違った後者は、だかに意味もややずれていなければなりません。あえて前者に対応させて言えば「駆り立てるもの」と言うことになるでしょう。やや原因や原動力のニュアンスが加わる感じです。これに対して、適当な日本語が見当たらないため、翻訳するに様々な知恵が絞られて、最近では「欲動」という訳語が定着してきています。私としては便宜上これまでの翻訳者たちの苦労の結晶である「欲動」という訳語をつかいますが、その場合「駆り立てるもの」「駆り立てる力」と言う原義をつねに念頭に置いておいてもらいたいと思います。

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