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2012年12月 9日 (日)

あるIR担当者の雑感(96)~説明会で共感

先日、第2四半期の決算説明会が終わりました。それによる脱力感もあるのでしょうか、ここ数日はエネルギー補充の意味も含めて、感傷的になっています。今回は、デレデレになってしまうので、先にお断りしておきます。

このところ、毎回そうなってしまうのですが、前回の説明会に対して反省点が大きくなってきて、説明会の進め方とか構成とか、を考え直すというのでしょうか。説明会のたびに、何のためにやっているのか、ということから、では説明会で何をするのか、というような根本的な考え直しをする羽目になってしまっています。何か文章にするとたいそうに映りますが、それだけ、浮ついているということです。こんなことを始めようとすると、余計な神経を使ったり、物理的な労力が格段に増えたり、何よりもとりあえずパターンとして安定していたものから、わざわざリスクを取りに行くようなもので、50歳をすぎたジジイが年寄りの冷や水で、と思うこともあります。かなり青臭いことを言わせてもらうと、だから面白い…、ということもあります。結果が伴っているかは、また、別の問題ですが。

ただし、こんなこと一人で思ったってできるわけではないので、そんな時に、単に私自身の勝手な思い込みに過ぎないかもしれませんが、分ってくれる人がいてくれる、という思いがあって、あえて年寄りの冷や水をやってしまっています。とくに、会社の中ではなくて、会社外のところです。これが、今の勤め先の中で、このIRという業務について、こんなブログなんかを始めてしまった理由でもあります。また、このブログを始めたことで、その思いが一層強くもなりました。

という訳で、本題に入ります。このように、説明会でパターンを見直そうと考え、実行するのに、担当者である私の背中を押してくれているものについて、少しお話しします。

私の勤め先では、決算説明会を定期的に実施するようになって、しばらくしてから、パーセプションスタディとして、説明会に出席していただいたアナリストや機関投資家に意見を尋くということを始めました。会社の人間には直接話しにくいこともあるからと、会社には属さない人にきいてもらって、その内容を教えてもらうようにしました。私というか、私の勤め先の会社にとって幸運だったのは、その時に説明会に出席してくれたアナリストがいらっしゃったということでした。最初は、そのアナリストの意見を教えてもらいましたが、ショックでした。後に思い出して見れば、それほど厳しいことは言われていなかったのですが、当時はボロクソに言われたよう思えました。説明会について、社外から批判的なことを言われたことがなかったので、それだけでもショックだったこともありました。ちょうど、何度か説明会を行って、最初は手探りで資料を作ったり、社長と話の内容を相談したりしていたのが、パターンとして定着して、こんなものかと一種のルーチン化して手際もよくなってきたときでした。多分、当時の説明会の内容を考えれば、私が落ち着き始めたのは自己満足で、一般的に求められる説明会のレベルとか内容を全く考えていませんでした。そのことを、アナリストは基本的なところで指摘してくれたのだと思います。それが、パーセプの始めでした。

これを聞いたときはショックでしたが、そこでアドバイスもあり、とにかくできることをやって行こうということになりました。それ以降、説明会は試行錯誤の場になりました。実際、資料や説明の仕方も毎回変わりました。それについて、パーセプも、その都度つきあってくれました。そして、意見を言ってくれる人が徐々に増えて行きました。(このパーセプに対して、1度だけで終わってしまう人もいれば、続けて付き合ってくれる人もいますが、2度つきあってくれると3度目以上続けてくれて常連化するようです)

それを何度が繰り返しているうちに、実際にアナリストと、このことで直接会話をすることはありませんが、何となく信頼関係が生まれてきたような感じがし始めました。最近でこそ、あまり厳しいことは言われなくなりましたが(でも、安心していると「この会社には計画戦略などもともとないのではないか」という当を得た?直言をうけたりします)、言われたことの中から、会社サイドとして首肯できることでできることは実行すると、それは評価してくれたり、何回言われても一向に進まないことについては、飽きることなく毎回のように指摘してくれたりしました。それも、続けるにしたがって、言われることが表面的なことから突っ込んだことに、より建設的になってくるのが、分かりました。ときには、こんなことまで言ってしまっていいのか(表面的な礼儀上は、お茶を濁して直言しないようなこと)もさりげなく言ってくれることもありました。それだけ、本音を伝えてくれているのだと思います。

そのなかで、このところの、私の勤め先の説明会に対して、情報量については平均点に届くようになってきたが、会社として、今後どのような方向に行こうとしているのか、会社の姿が伝わらないということを複数の人から指摘されていました。(ても、このような指摘もキツいですが。だって説明会をして会社が伝わっていないということですから)それで、このように外から会社を見られていると、経営者に話して、説明会での社長の説明を思い切って絞り込んでしまうことにしました。それができたのは、パーセプの積み重ね、経営者に対しては市場の声として無視できないものになっているためです。

だから、今回の説明会に対するパーセプが、どのような反応が還って来るか、戦々兢々としもいるし、楽しみにもしています。

 

ある人に指摘されたことですが、私の勤め先の会社は地味な会社で、市場でのパフォーマンスも目立つものではありません。ただし、技術があるとか先端技術にたいてい関連しているとか、潜在的な可能性がある会社なので、周辺情報として見られる可能性はあるという位置にあるようです。そのなかで、パーセプでのアナリストや機関投資家とのやり取りに感じるのは、美しい言葉で言えば共感の輪のようなことです。当初の拙劣な説明会に対して、「この会社は下手なんだけれど、何か放っておけないところがある」というようか思いを持ってもらえたということです。だから厳しい意見も言ってくれたし。そして、会社も耳に痛かったことをとにかく、それを聞きました。それで、コミュニケーションが成立したのではないかと思います。それで、会社に対して親しみのようなものが生まれたのではないか。それが進んで、パーセプに意見を言ってくれる人の中に、こうすることで、この会社(の説明会)をもっとよくしてあげよう、という気持ち。多少でも会社に参加しよう、というと言い過ぎでしょうか。説明会を一緒に作って行こう、とくまではいきませんが、そこに連なっていくような意思が生まれているのではないか、と私は個人的な思い入れで思っています。(多分、こんなことを当のアナリストの人にぶつけても、戸惑われるだけ、却って引かれてしまうでしょうが)

で、大袈裟な結論です。これは何も説明会に限ったことではなくて、IRということ自体にも、あり得るのではないかと思っています。つまり、現時点の株式市場のパフォーマンスとか、時価総額とか、様々な指標はあるのでしょうけれど、それとは別に(全く無関係ではありえませんが)、アナリストや機関投資家といった人たちが、「この会社何となく見守ってみたい」とでもいうような、淡い共感で会社を見るというような方向性もありうるのではないか。あってもいいのではないか。と思っています。

 

※ここで書いたパーセプですが、このようなことをやっている会社は少ないそうです。また、会社に頼まれて、こう言うことをする人も少ないそうです。実際のところ、これをやるには厳しいことでも正面から受け止め、それを会社の上(経営者)に伝える覚悟だけは最低限必要です。そうでなければ、相手は1度は意見を言ってくれるでしょうが、その後付き合ってくれなくなるでしょう。

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