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2013年1月24日 (木)

ベルギー象徴派展(2)~グザヴィエ・メルリ

Belgmel1_2私には初めての画家でした。1845年にブリュッセルで生まれ1921年に亡くなっています。美術アカデミーで装飾デザイン、絵画と彫刻を学び、1879年にオランダ領マルケン島に滞在し、この島の風景や人々を描く。この時期以降、メルリの画風は簡素さ、静寂さ、豊かな詩情を特徴とする写実主義の方向性に向かう。日常的で身近な空間を神秘的に描くとともに、装飾的な寓意画を制作した。と、カタログの解説から引用しました。

まずは、上の象徴的な画風の作品ではなく、「ベギン会修道院」という鉛筆画にこの画家の特徴が表われていると思います。修道院の廊下を正面からスケッチしたような作品で、左右シンメトリーな廊下の構成で、ほの暗い柔らかな光線が左手の開け放たれたドアから差し込み、その奥のドアから部屋に入ろうとしている尼僧の後姿があり、その向かいの廊下の壁には大きなキリスト像があるという、ごくシンプルな作品です。その仄暗く、淡く柔らかな光の中で、光と影は対立するものではなく融合するように扱われ、そこに映し出されるモノや人の輪郭は淡く、この作品では輪郭は残されていますが、他の作品では輪郭は限りなくぼやけて、薄暗いなかで色彩は無彩色に接近します。日常の風景を写したような親密さの中に、モノや人の輪郭が、光と影の対比が、色彩の区別が、ひとつの融合した単一性の中に溶け込むような志向性を強く感じさせられます。一方、他の画家にあるような幻想的な小道具のようなものは一切加えられることはなく、むしろシンプルで写実的な描写は、その融合にむかうような志向性と相まって、瞑想的な静けさと、観る人もそこに対立的な要素を刺激的に受けることもないことから安心感に満たされるようです。メルリという画家は、親密な日常の風景に、現実の殺伐した生活という要素から、神秘性を抽出し、ある意味で日常の皮を一枚剥いた幻想世界を創り出そうとしたと言えると思います。

Belgmel4_2マルケン島の風景や人々の生活を描いた作品は、メルリが彼の上に述べたような絵画の傾向を自覚するに至ったものではないかと思えます。民族衣装を着て、近代的な都市生活とは異なる伝統的な生活を営む、当時の島の人々のなかにブリュッセルという都会から来たメルリにとって幻想世界のように映ったとしても不思議ではありません。島での人々の噛みしめるようなゆったりとした生活を見ている中で、自らの日常を、これまでとは違った視点で、つまりは幻想的に見ようとする視点を得たのかもしれません。また、付け加えれば、ヨーロッパがキリスト教に浸食される以前のゲルマンとかガリアに土着のアニミズム的な生活の個々のものに神秘を見るような視点で日常の空間を見るといいうことを発見したのかもしれません。そういう視点でみれば、あえて余計な作為でもって絵画作品を幻想的に仕立て上げる必要はなくなるわけです。そういう視点でみる日常の世界をそのまま写せば、そこに神秘が存在している、というのがメリルという画家の世界ではなかったのか。だから、展示されていた作品のほとんどが個人像だったのは分かるような気がします。つまり、公開の場で大々的に見る物ではないということです。

Belgmel2その中でも、異質に感じられるのが、「時の円舞曲」です。象徴的な図案で金色の背景に翼を生やした老人の天使を若い女性が円陣となって取り囲んでいる。まさに円舞曲を踊ろうとするかのような構図です。しかし、全体としての基調は、落ち着いた感じで、そこに装飾的なものは見当たりません。女性たちも、簡素な服装のどこにでもいるような隣のおネエさんのような人々です。

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