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2013年1月17日 (木)

生誕100年髙山辰雄・奥田元栄(4)~『聖家族』

Takafa3髙山辰雄の聖家族の連作から5点が展示されています。これが今回の美術展の目玉ひとつでしょう。今回の美術展は、この5点のみが他所から借り受けた作品で、その他は自前の所蔵品からの展示です。悪意にとれば使い回しです。そういう意味で、敢えて借りてきたという作品ですから、美術館としても今回の展示に無くてはならないと思ったのでしょう。展示室に入るとすぐ目の前に展示されていました。この連作は、製作年代から言うと、これまでに感想を述べてきた作品から少なくとも7年以上後の作品で、それだけ晩年に近いというものでしょう。

一見モノクロのようですが、なとか絵の具を焼いたものだそうで、しかも画面におおきな凹凸があり、絵の具を塗るというより、物質化した絵の具を置くといった感じでしょうか。私の周囲にいた二人連れが、これは絶対に筆で塗ったものではないと議論していました。この効果としては、もともと流麗という感じの絵ではなく『坐す人』に典型的にゴツゴツした印象の強い作品が実際にもゴツゴツしてしまったということで、見の目の触感というのが全く他の作品と違う印象になったということです。そして、モノクロームに見える色遣いで、例によってグラデーションの使い分けを駆使していますが、画面に凹凸ができたことで、陰が生まれ、それがグラデーション使いと相まって複雑で微妙な段階を生じさせています。そして、少し茶系の色が出てきているようなところが彩となっています。これも、後日浮き上がってくるように画家が工夫したと展示の説明にあれましたが、そういう点も、この画家が効果ということに、かなり注意を払っていることの現れではないかと思います。

さて、聖家族という連作ですが、今までの作品を見た印象では、この画家が果たして関係を描き分けることができるのかということがありました。これまで感想を述べてきた作品は、たいていが単独のモチーフで、しかも背景に融合させてひとつの雰囲気としてしまうような構成をしていました。それは、人間の内面の真実を描くというイメージでいえば、往々にして、この場合の人間は個人、もっとも手近な私という個人を題材にするのが一番手っ取り早い。見る方も分りやすいわけです。

Takafa7しかし、あえて家族と銘打って作品を制作するということであれば、家族とは一般的には一人の人間では成立しないので、複数の人間、つまり複数のモチーフを描き分け、それぞれの関係を表わす必要があります。全く同じコピーのような人が何人集まっても家族ならないし、違う人間をただ描いても、それらの異なる人間がひとつのまとまりとなっていないと家族とならないわけですから。複数の人間の内面の真実を描き分けるというのは、単独の場合に比べて、どれほど困難か。

そんなことを考えて、作品を見てみると、5点ありましたが、そのどれも、ポーズを見るとみんなくっ付いていることに気が付きました。つまり、一体化しているのです。ということで、他の作品は見ていないので軽々には言えませんが、これらの作品を見る限り、聖家族というのは一体化して、これ自体で一つということのようです。だから、描かれている人々は同じ顔をしているのでしょう。だから、髙山にとって、家族の人々を描き分けるとか、そう人々が相互に様々な場面で色々に関係を変化させていく場面を様々に描いて行くことで現われてくる真実を見せるというのでないようです。どちらかというと、家族が一体となって姿を様々な効果をつかって変化を持たせて描く、様々な角度から作品にしていくという連作のように見えました。

おそらく、私の個人的な想像ですが、真実はひとつというのでしょうか。ある唯一絶対的なものを追求するというイメージに近いものではないかと思います。おそらく、見る側もそれを期待しているのではなかったか。画家はそのことを敏感に感じ取っていたように思います。ニーズに応えなければ作品を供給しても受け入れられませんから。需要と供給です。

そういう意味で、髙山の姿勢は一貫していると思います。そして、これまで見てきた作品よりも、技法の熟練は進み、さらに探究心怠りなく、新たな技法も取り入れ、新たな効果も加味しています。作品の完成度を問うといった性質の作品ではありませんが、可能性をさらに進めた作品であると思います。

ただし、『坐す人』の直接性に比べて、何かが間に挟まって間接的になったような気がします。牙が鈍くなったとも印象です。しかし、これはこれで、他の日本画家の作品とは明らかに違うし、画家の差別化という点では、分かり易いし、特徴は鮮明だし、親しみ易さもあるし、いい作品ではないかと思います。

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