ベルギー象徴派展(4)~フェルナン・クノップフ
この展覧会は、私にはクノップフとそれ以外の画家を見るというもので、お目当てはクノップフでした。今回の展覧会パンフやポスターでも彼の「妖精の女王」(左図)が使われています。ここで描かれている人物、女性とも両性具有ともとれるような両性的で、しかも世紀末に盛んに描かれたファム・ファタールの要素もあるような、彼の独特のキャラクターともいえるこの女性は作品に様々な衣装をまとって登場します。それは、ラファエル前派のダンテ・ガブリエル・ロセッティが自分の妻をモデルにしたキャラクターの作品を多く描いたのにも似ています。ロセッティの濃いめのキャラに比べて、クノップフの描くキャラは薄味の味わいというのでしょうか。瞑想的というのか眼にあまり力が感じられず、多少虚ろな感じが現実から遊離した印象を強め、淡い色彩で、クノップフに特徴的な下あごの大きな顔の輪郭も定かに描かれないことも多く、まるで顔が宙に浮いているような重量感のなさです。
でも、今回の展示では、このような人物画はスケッチとか下絵のようなものが多く、目に付いたのは風景画でした。彼の地元である古都ブリュージュの風景を描いた作品は、風景の写生をしているように見えながら、見ているうちに幻想の蜃気楼のように見えてくるという不思議な作品です。クノップフという画家が描いているからという先入観で見てしまっているからでしょうか。それとも、世紀末の小説としてよく言及され、クノップフも取り上げている、ローデックバックの「死都ブリュージュ」のなかで、主人公が霧のような現実とも夢とも見分けのつかない中で亡き妻と瓜二つの運命の女性を追いかけて歩き回る風景を連想してしまうからでしょうか。まるで写真のような正確で厳格なデッサンで、あたかも客観的に書かれた古いゴシック様式の寺院や運河わきの建築は、北欧独特の光というのか、印象派のような強烈な光と影の対比が見られない代わりに、鉛筆で描かれる建築物の壁はまるで光が粒子であるかのように、ひとつひとつの粒で構成されているように見えてしまいます。そこで、薄暗く、淡く、霞んでいるかのように見える風景は、測ったような正確なデッサンでありながら、どこか非現実的に見えてくるもので、グザヴィエ・メルリの描く風景にも似ています。しかし、クノップフにはメルリには明白に感じられた画家の作為が巧妙に隠され、ほとんど見えてきません。それは、彼が盛んに描いたキャラクターにも通じる雰囲気かもしれません。
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