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2013年1月31日 (木)

チャールズ・ローゼン「音楽と感情」(2)

Ⅱ 古典派以前

音楽学を勉強する者なら、だれでも「情緒の統一」なる美学が18世紀はじめの音楽を支配し、世紀の終わりになってもなお、少数の重要作曲家に影響を与え続けたこと知っているはずだ。トッカータや幻想曲などの即興の印象を与えようとする音楽をのぞいた、正式に構築される作品は、単一の情動原則に従うよう要求された。正式構築作品では、「情緒の統一」はリズムや質感の点で時代の好みにぴったりとあてはまった。これに正式作品は、最後の終止までとどまることなく駆け抜けるリズムの連続体で、その連続体で、その勢いを中断させる区切りはまったくといっていいほど存在せず、表現的なわずかなぶれの強さの変化をつけている─響きの厚みの変化、和声の不協和部分の変更などのぶれは、不変という規則性に迫られた結果起こる単調さを避けんがための、すばらしく独創的な表層の現象であることが多い。

「情緒の統一」はかならずしも情動内容の退屈な表出だったわけではなく、微妙な抑揚変化を包含していた。ある短い作品を一見して見れば、そこで何ができたのか、そしてその限界は何だったのかがわかる。ここではたとえば鍵盤楽器の響きにすぎなくても情動的意味における寄与するような音楽のさまざまな局面のすべてや、たとえ音楽様式に感情表現の新たなプロセスが加わったとしても二世紀は有効であり続けるような音楽の局面を想起させるシンプルな例として、バッハの鍵盤楽器のための「パルティータ第1番からアルマンド」を選んだ。

このアルマンドは平均的、典型的な作品として取り上げたのではない。だがその風変わりな点が、当時可能だった表現の幅や、きちんと定義された枠組みに内蔵される情緒の微妙な抑揚の多様性を知るのに役立つ。リズムは確実で揺るぎない十六分音符の連続体である。冒頭の数小節はむらなく一様で、各アラベスクの最高音がFからBbまで一音ずつ上昇し、外声が小節ごとに根音に対して五度、六度、そして表現的な長七度、次いでオクターブへと連続した輪郭を描きながら、わずかに強さを増して行くだけだ。だが4小節目の最後でヴォイス・リーディングによって加わった表現的なアクセントが十六分音符の動きを中断し、それよりはるかに表現的な次の小節のアラベスクを準備する。この空隙はバスの和声変化で埋められる。十六分音符のリズムそのまま途切れずにつづくが、ソプラノに新しくゆるやかなリズムがあらわれ、私たちはついついソナタ形式の標準的な用語を使って、「属調の第二主題」と呼びたくなる。これは間違いなくその後の様式の発展を先取りするものだが、ソナタ形式の特徴である属調への動きという区切りは影も形もない。だが実はバッハは新主題の2小節目でそれをちらつかせている。言い換えると古典派システムの基盤がすでに存在しているのに、古典派システムで使う区切りを使っていない。ここではすべてが接ぎ目なくスムーズに仕上げられ、たえまなく前進する動きにすべての細胞が包み込まれているからだ。このあと十六分音符のたえまない動きはソプラノから継ぎ目なくバスに移る。バスのクロマティックな流れとともに局は短調に変わり、またふたたび長調にもどって終止に向かうが、これによってさらに新たな強さが加わる。前半の終わりで十六分音符の連続体は二声に分岐し、リズムのアクセントが倍加するので終止が切迫していることがわかるが、この新しい響きで増した重みのせいで終止へのプロセスがはばまれることはない。「情緒の統一」はここで動きの統一によって補強されるが、和声と質感の強さに起こるわずかな変化によって、またアラベスクのラインにふくまれる不協和要素が巧みに増すことによって、たえず抑揚の変化が起きている。後半では未来の様式変化の萌芽をもっとはっきりみることができる。後半はあたかも前半のパターンをくりかえすかのようにはじまり、属調から主調へ移るが、このパターンは新しい順序で根底から書き直されている。関係短調(ここではト短調)への本格的な解決は、やがてソナタ形式展開部の決まりごとになっていく。すぐに属調の「第二主題」がもどってくるが、これは主調ではなくハ短調であらわれる。このように曲の後半三分の一でサブドミナントの領域(ハ短調は変ホ長調の関係短調)をちらつかせるのは18世紀を通じて調性音楽の標準的慣習で、ベートーヴェンが現役生活を終えるまで支配的だった。主題をスーパートニック・マイナーというサブドミナント領域でくりかえすことには、表現の強さと再現部の解決力を増すという二つの機能があり、ここで低音域でいちじるしく強調されたあとすぐ、上のオクターブまで上昇していく。連続運動が中断しないのに、表現の強さの波動はすさまじい。にもかかわらず、まったく誇張がなく、劇的にきわだつこともない。この様式はけれん味なしに強さの変化を長い間持続させることができる。バッハほどスムーズかつパワフルにこれができる作曲家がほとんどいないのはたしかだ。これらの変奏はひじょうに重要なので、曲の進行につれて情緒が変化したといいたくなるのもたしかだが、ひとつの情動とべつの情動とを区別する一線の引かれる場は存在しない。たえず変わる明暗の配合のなかに基本的な情緒が提示されると考えるならば、「情緒の統一」という考え方は維持できるかもしれない。つまりは強さの陰影と和声構造が暗黙のうちに劇的シナリオをつくり、それが─揺るがぬ調性の基礎、感情の対比、高まりゆく興奮とパトス、最終的な解決をたしかなものにして─半世紀後にやってくる発展を予告するのである。

このアルマンドに見られる情動表現の技法には、容赦ないリズムが内包する強さの波動、最後の終止にいたるまで単調さに陥ることなく途切れずに進む楽章を統轄する力がおなじく存在する。この技法では二つの動機がすぐにではなくともやがて一体となって響くことと、統一を決定する基礎的情動がふたつの動機の組み合わせであることが必要だ。作曲家たちが複合的で正式な構造の中にバロック的即興のすばらしい対比を統合することを学んだ時、「情緒の統一」は強弱の対比を特徴とする新しい芸術に膝を屈するのである。

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