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2013年2月

2013年2月28日 (木)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(9)

21世紀になると、もっとゆるく、もっと気楽にモノを消費するだけで自己愛を充たせるようになっていきました。そうなった理由の第一は、キャラクターコンテンツが急速に発展したことによって、他人を介するまでもなく、コンテンツの中のキャラクター達が自己愛を充たしてくれるようになった、というものがあります。第二に、サブカルチャー領域にあまりにも多くの作品が蓄積し、沢山のサブジャンルに別れてしまったために、長短を誰も判断できなくなってしまった、というのがあります。この場合①の他人を映し鏡にするより、③の自分に似た対象を通して自己愛を充たす方がはるかに充たしやすくなります。そして、第三に、ここまでサブカルチャー領域が細分化して、誰にもヒエラルキーが分らなくなったことを逆手にとって、自分の好きな作品やジャンルこそが最高とめいめいが勝手に思い込んで、他のジャンルを見下すことが可能になった、というのもあります。そこで、自分のジャンルに引きこもりながら優越感を充たしても何の不都合も発生しないわけです。

 

こうして、共同体のなかで集団的に自己愛が充たされる時代は終わり、個人的な成功やコンテンツ消費を介して自己愛を充たす時代がやってきました。しかし、自己愛に飢え、自己愛に振り回されて社会適応の幅が狭くなったり歪になったりしている人は年々増大しているように見えます。景気の悪化もありますが、自己愛を充たす方法が変化しているだけでなく、世代を経るにつれて、私たち自身のメンタリティそのものが自己愛に飢えやすくなってきている。それを考える上で参考になるのは自己愛パーソナリティ障害です。自己愛パーソナリティ障害とは、自己愛を充たすために社会適応に極端な支障や歪みを来してしまうような性格傾向を指しています。自己愛に飢えやすいメンタリティが最も極端に現われている人達と考えて差し支えないでしょう。自己愛パーソナリティは、見かけ上、大きく分けて二つのタイプをとります。傲慢でプライドの高い態度ばかり見せる「顕示型」と、恥に敏感でプライドの傷つきを極度に避ける「過剰警戒型」です。「顕示型」は有名人などにもしばしばみられるタイプで栄華を保てるうちは社会適応もそれほど悪くはありません。しかし、傲慢でプライドの高い態度ゆえに敵を作り易く、他人のアドバイスに耳を傾けることが苦手です。ですから表面的なイエスマンに囲まれることは多いのですが、打ち解けた友人や家族に恵まれにくく、しばしば孤独です。対して「過剰警戒型」は、対人関係のなかで恥をかく可能性のある場所では自己主張を避け、ブライドが傷つけられないよう振る舞おうとします。そのせいで人間関係や興味の幅が狭くなりやすく、やはり孤独に陥りがちです。この二つのタイプは状況によって入れ替わることがあります。特に、状況に合わせて「顕示型」「過剰警戒型」をスイッチングできる人の場合、社会適応を比較的維持しやすく、自己愛パーソナリティ障害の障害という言葉があまり似合いません。「顕示型」「過剰警戒型」のどちらかに著しく傾いてしまっている人や、切り替えがへたくそな人でもない限り、自己愛パーソナリティ傾向が少々強いとしても、意外と社会適応もメンタルヘルスも保ててしまうものなのです。

 

自己愛パーソナリティ障害に代表されるような、自己愛を充たすことに汲々としやすい性格傾向は、どのように生まれてくるのでしょうか。多くの心理学者は「幼い頃に自己愛を充たす機会に恵まれない人は、自己愛パーソナリティ障害になりやすい」と指摘しています。コフートの学説を要約すると以下のようになります。

・幼児期~学童期の間に、極端に自己愛を充たせない時期があると、自己愛の要求レベルはその時期のものに止まってしまいやすい。そのまま歳を取ると、自己愛を幼児レベルに充たさないと充たした気持ちになれない大人になる。

・幼児期~学童期にかけて、まずまず年齢相応に自己愛が充たされていれば、自己愛の要求水準は下がっていく。

・自己愛を充たしてくれる相手との人間関係しだいでは、自己愛パーソナリティ傾向の強い人でも自己愛の再成長が進むことはあり得る。ただし年齢が上がるほど、再成長は難しくなる。

・自己愛の要求水準が年齢相応に下がっても、自己愛を全く充たさなくて済むには至らない。人間は、最低限の自己愛の供給源を生涯必要とする。

逆に言えば、自己愛の要求水準が年齢相応に軽くなり自己愛を求めすぎない人に育っていくためには、両親なり友達なりとの一体感を感じられるような体験が必要不可欠という事になります。

そして、重要なことですが、次のようにもコフトは付け加えています。

・単に自己愛が充たされるだけでなく、まずまず年齢相応な、失望しすぎない程度の齟齬や摩擦を含んだやり取りのなかで、自己愛の要求水準はちょっとずつ下がる。

・満足のいく水準で充たされていた自己愛が、あまりに急に充たせなくなると自己愛の要求水準はそこで止まってしまう。

まとめると、小さい頃から年齢相応にたくさん自己愛が充たせるほうが望ましく、なおかつ自己愛を充たしきれていないような齟齬や摩擦が、年齢に合わせて少しずつ体験されるぐらいが望ましい、ということになります。

 

以上を踏まえた上で、私達が育った生育環境を振り返ってみましょう。私たちの世代、特にニュータウンで育った世代は、母親一人に子育てが任されがちな環境で育てられました。ということは、子ども時代に自己愛を充たして貰えるか否かの大半が母親次第の環境で育てられた、ということです。もし、母親が疲れ果てていたり、母親自身が自己愛に飢えていたりしたら、子どもの自己愛は充たせなくなってしまいますが、そうした事態に際して自己愛充当を保険的に補ってくれる人物はいません。母親として人間ですから、どこかの誰かから自己愛を充たして貰わなければ心が折れてしまいます。父親は留守がちで、親族や学生時代の友達から遠く離れたニュータウンで孤立した母親は一体どこで誰との一体感を介して自己愛を調達してくれればよいのでしょうか。こうした母親にとって、第2章で紹介した「教育ママ」はかなり優れた処世術でした。子供をしっかり教育してピカピカに磨き上げるほど、そのピカピカに磨き上げられた子どもとの一体感を介して母親自身の自己愛もハイレベルに充たせる、というわけです。こうした子どもの磨き上げは、母親の自己愛充当への飢えが激しいと、等身大の子どもを置き去りにして理想の子どもという名の蜃気楼を追いかけてしまうリスクを孕んでいました。

こうした「母子密着」になりやすく「教育圧」のかかりやすい状況下で、おそらく母親の苦労と愛情のもとで私達は育てられました。母親自身の自己愛を充たすために子供が必要とされたことは、私たちの世代の自発性の足りなさと、マザコン息子が多いこととも、それなりに関連しているでしょう。そして父親不在の家庭環境で、「個性」「末は博士か大臣か」と吹き込まれながら、ろくに同世代との集団遊びをせずに育ったような人が、①ばかり求めて②③に不慣れで、自発性もコミュニケーション能力も足りずに社会適応に行き詰ってしまうのも、無理ならぬことだと思います。

 

かくして、私達の多くは自己愛にとても飢えやすいパーソナリティ傾向を身に付けて社会に進出しました。母親の、そして私達自身の自己愛を充たす手段を恒久的に提供するように思えた学歴は、空手形に過ぎませんでした。世の中の方も心得たもので、そんな私達の過剰に自己愛を充たしたがるメンタリティに付け込むように、多くの夢売り商売や自己実現ビジネスが登場しました。こうした私達の自画像を見ていると、平成時代の私達は、昭和時代の日本人と比べてずいぶんとひどい「自己愛人間」になってしまったように思えますし、実際その通りなのでしょう。しかし、自己愛に飢えやすくなっているのは私たちの世代だけではありません。世の中全体が自己愛に飢えやすくなっている点にも留意する必要があると私は思います。21世紀の日本社会は、過去の社会システムに自己愛充当を強く依存していた人達にとっても、自己愛に飢えやすい社会なのだと思います。

2013年2月27日 (水)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(8)

第4章 取り扱い要注意物件としての自己愛

ここまで現代の私達の世代にありがちな現象を書いてきましたが、「自己中心性」は私達のメンタリティを特徴づける通奏低音になっているように思います。しかし実際には、私達の世代だけが自己中心的なのではありません。私達を取り巻く企業も、若さにしがみついて必死な年長世代も、そしておそらく私達より下の世代も、皆、他の世代・他の性別・他の立場に思いを馳せる余裕のないまま、自分のことに必死になっているのが現状のように思えます。

ハインツ・コフートという精神科医は「自己愛は克服するもの」ではなく「自己愛は成熟するもの」と考えました。人間が人間である限り、「対象との一体感」を求める気持ちを捨てることはできないし、捨てるべきでもないと考えました。「対象との一体感」がなければ、ひとは心理的に参ってしまうのではないか、とコフートは考えたのです。この考え方が脚光を浴びるようになったのは、1980年代になってからのことです、大半の人が大家族や地域社会といった共同体の中で濃い付き合いに囲まれて生きていた頃には、一体感不足で参ってしまう人はあまりいなかったでしょう。しかし、大半の家族が核家族になり、地域社会からニュータウンへと暮らしが変わって行くうちに、私達は自由に、そして孤独になりました。ということは、それだけ一体感を感じにくい、それだけ自己愛を充たすチャンスが少ない時代になったという事です。

 

では、そんな自己愛を私達は実際にどんな感じで充たしていのかについて、コフートは三つのパターンに分類しています。

①鏡映自己対象で自己愛を充たす

他人からの称賛や反映を映し鏡として自分自身の価値や存在意義を感じて、それで自己愛が充たされるタイプです。運動会や文化祭で活躍して拍手や声援を集めた時の高揚感とか、子どもの頃母親に抱きしめられて安心している時のことのような、自分がベストを尽くしているという充実感以上に、拍手・声援・抱っこといった他人のリアクションを介することで、自分自身が満更じゃない、無視されていないと確認できるからこそ体験できるもので、そう確認させてくれる他人が存在しなければ体験しようがありません。常に拍手や声援の中に身を置けるような人は滅多にいませんし、他人を映し鏡として露骨に利用していれば皆に嫌われてしまいます。

②理想化自己対象で自己愛を充たす

理想の対象との一体感を感じたり、理想の対象に心を寄せたりすることで自己愛が充たされるパターンです。例えば、自分の恩師や先輩に対して尊敬していられる時や自分の属する会社が誇れるような偉業成し遂げている時、あるいは子どもの頃父親の力強い後姿に憧れを抱いている時というような、自分が理想とする対象を誇りに思っている時・素晴らしいと感じている時には、案外、人の心は充たされ勇気づけられるものです。たとえ自分自身が称賛や評価を集められず、①が困難な人であっても、理想や憧れを引き受けてくれる対象に心を寄せている限りは、自己愛は充たされ得ますし、心理的に安定するという事は十分あり得ます。

③双子自己対象で自己愛を充たす

自分によく似た対象を通して自己愛を充たすパターンです。自分自身にそっくりな人を見つけた時や、自分とたくさんの共通点を持っているような対象とともにいられると感じている時にも、自己愛は充たされる。

 

以上を踏まえて、20世紀~21世紀の日本人が実際にどうやって自己愛を充たしていたのか、その傾向について紹介します。20世紀の自己愛の充たし方の特徴は、21世紀のそれに比べると集団的な点です。地域社会、大家族、日本企業といった集団との一体感を介して自己愛を充たす形式が大きなウェイトを占め、個人主義的に、あるいは自分一人に称賛やアテンションを集めて自己愛を充たす形式は社会的に望ましいものと看做されていませんでした。例えば、地域社会は、子ども達が両親以外にも一体感や親近感を感じやすい近所の人に囲まれて育つことができたという点、現役を退いた年寄りも死ぬまで一体感に包まれていられたという点では地域社会は幅広い世代の自己愛を充たすのに向いていたと言えます。また、大家族、あるいは親族の居住地に近い核家族同士ならば一族としての緩やかなまとまりを維持し、一体感をもてるものでした。

しかし、20世紀も高度経済成長の時期になると地域社会や大家族は希薄化し、次第にニュータウン的な暮らしが増えて行きましたが、集団的に自己愛を充たすこと慣れていた当時の人々にとっては、当時の日本企業が人々の心理的ニーズを巧みに汲み取って組織化するのに成功しました。いわゆる会社人間です。もちろんこれは、高度経済成長と終身雇用制度という、今では期待しようのないバックボーンがあってこそ成立した一体感であることは言うまでもありません。

 

ニュータウン育ちの世代が社会に進出し始めたあたりから、社会の中で自己愛を充たす方法は少しずつ個人主義的な色彩を帯び始め、それに並行して世の中の仕組みも少しずつ変化していきました。1980年代に入ると、従来のような企業と社員とが一体になった働き方に代わって、自分の成果は自分のものと主張し、それに見合った地位や報酬を期待する考え方が徐々に支持され始めます。「成果主義」や「自己責任」といった言葉が浸透していった背景のひとつには、グローバルな競争に勝ち抜くことを迫られた日本企業側の、優れた人材を集めたいという思惑もあるでしょう。しかしそれだけでなく、80年代以降に社会に進出したニュータウン生まれの若い世代が予め個人主義的な価値観を持ち①の他人を映し鏡にして自己愛を充たすことに抵抗感がなかったからこそ個人主義的なワークスタイルを違和感なく引き受けることができたという事情を無視することはできません。こうした個人主義的スタイルが定着していくと、経済面だけでなく、心理面でも著しい個人差が生じてきます。成功者は一部の人で、そうでない平凡な大部分の人には企業共同体や地域共同体より自由を選んだため、集団的な一体感を通して自己愛を充たすこともままなりません。そこで、人々の自己愛不足を埋めるように台頭してきたのは、モノを消費することで自己愛をみたすというスタイルです。80~90年代にかけてのモノの消費は、生活必需品である以前にプライベートに自己愛を充たすためのアイテムでした。そしてバブル経済が始まると、日本人は世界中からモノを買い漁って自己愛を充たし始めるようになり、西欧では上流階級しか身に付けないような高級ブランド品を女子高生が持ち歩くという風景を見かけるようになりました。そして、バブル崩壊後にはカネにモノを言わせることは不可能になり、差異化ゲームの主戦場はサブカルチャー領域へと移りました。安上がりではありましたが、他人よりも長じるにはそれなりの努力とセンスが必要でした。

2013年2月26日 (火)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(7)

そして、異性への願望を充たしてくれるメディアコンテンツがものすごい勢いで発展しているため、そちらで満足している人も増えてきています。この20年ほどでコンテンツは一転充実し、その発展と普及によって、少なくとも二種類の「コンテンツでなければ異性を愛せない男女」が出現しているように見受けられます。一つめは、①現実の異性の代用品としてではなく、美少女/美少年キャラクターに心奪われる人々です。近年は、思春期前半から魅力的なキャラクター達にドップリ浸かって育つ人が珍しくありません。その結果として異性に対する魅力の判断基準が現実異性ではなく、架空のキャラクターの方になってしまっている人が現われています。魅力には混じりっ気がなく、怒ったり拒絶したりすることもありません。そんな、安全で純度の高いキャラクターに馴染み続けてきた人達にとって、現実異性とは、魅力の純度が低くノイズだらけのうえに、危なっかしい存在と感じられるのかもしれません。そういう人達にとって、キャラクターは現実異性の代用品ではなく、キャラクターこそが「本命」になり得る、というわけです。二つ目は、②セクシャルなメディアコンテンツがさほど発達も普及もしていなかった頃に思春期がスタートし、まずは現実異性に心惹かれ、その後、現実異性の代用品としてアイドルやキャラクターを消費するようになった人達です。このような人達にとって、現実異性にアプローチするのに比べると、コンテンツを消費するのはお金も時間も低コストということです。そのうえ、アイドルやキャラクターは傷つくようなことは言いませんし、全能感を折られるリスクもありません。しかし、こうした人達にとってアイドルやキャラクターは「本命」ではありません。心の中では現実異性への未練を残しています。②の人達にとって、所詮ディスプレイの向こう側は都合のいいつくりごとの世界でしかないのです。結果として、②の人達は中途半端な境地に留め置かれることになります。そのうえアイドルやキャラクターに親しんでいれば、異性を見る目が無駄に肥えていますから、異性に対して高すぎる理想を期待してしまいがちです。男女双方が、アイドルやキャラクターといった本来あり得ないほどの「魅力の塊」を知ったうえで現実異性を眺めるようになったら、異性を好きになる際の採点基準が辛くなって、その分異性に惚れにくくなるでしょうし、異性に好かれる際の採点基準も厳しくなって、それだけハイレベルな自分を繕わなければならなくなってしまうでしょう。これでは、現実異性に未練が残っていようとも、なかなか恋なんて出来ませんし、前述の「めんどくさい」処世術の人達が一層めんどくさがることになってしまいます。こんな具合に、百花繚乱な日本のセクシャルメディアコンテンツは、①の人達では直接的に、②の人達では間接的に、男女がお互いに恋する可能性を遠ざけています。

 

この①②の人達は男女交際のノウハウも、異性とのコミュニケーションの呼吸も、いつまで経っても身に付きません。そして、男女の恋には「年齢相応」というものがあります。そもそもパートナーの意志を汲み取りながらの対等な男女交際という結婚する二人にあって然るべき態度を身に付けるだけでも実はかなり大変で、それなりに修練や経験蓄積を必要とするものではないでしょうか。以降錯誤と幾らかの苦い経験、そして経験や修練を教訓へと生かすことも無しに「パートナーの意志を汲み取りながらの対等な男女交際」に到達できるとは思えません。ということは結婚適齢期の頃になって望ましいパートナーシップを構築できるようになるためには、多少とも男女間のコミュニケーションや恋愛経験を積んでいなければ難しい、考えられます。①②の人達はこうしたノウハウの蓄積がありませんから、齢をとって急に婚活を始めても年齢不相応な振る舞いしかできず失敗に終わってしまう可能性が高いでしょう。

 

この観点から少子化・非婚化について考えてみると、なぜ、少子化・非婚化対策として若い頃からの男女交際を奨励しないのか、私は不思議な気持ちになってきます。現代の男女の配偶が男女間のコミュニケーションを介した合意のもとで行われる以上、男女交際のノウハウを誰もが相応に詰めるようなパスウェイは社会に必要な筈です。にもかかわらず、そうしたパスウェイに相当するシステムが世の中には存在していません。全体として、思春期が始まっても全員一律に男女交際のノウハウを蓄積し始めるわけではなく、自主的にエネルギーを差し向けた人だけがノウハウを蓄積することになります。このためスポーツや学問に打ち込んでいたような人は、それがために男女交際に関しては最低限の蓄積すら経験できないかもしれず、大人になって恋愛や結婚を考え始めた頃になって困り果てる、という事が起こり易いのです。

 

もっとも男女交際のノウハウ蓄積と言っても、「モテるためのテクニック」みたいなものばかり熟達するのも考えものです。本来、恋が始まるからには、誰かを好きになって、その誰かに対して自分自身が関わって良好な関係を構築していきたい、という願いがあるものです。「この男(女)が欲しい」という、その異性に拘っている自覚が多少ともありそうなものですが、今風の「モテたい」には、これが無いのです。そこにあるのは、「異性に好かれる自分になりたい」といった異性を介して自惚れたい願望だけです。このような人達にとっての異性とは、自惚れるためのアクセサリや勲章としての異性ということでしょうから、自惚れさせてくれるなら誰であっても構わないのでしょう。いずれにせよ、「モテたい」は「惚れる」とは対照的な気持ちです。実際、ひとたび意中の異性に惚れ込んだ男女は、その思いを果たすためにはリスクテイクしないわけにはいきません。しかし、「モテたい」人はまだ誰も好きになっていませんし、異性が欲しいのはあくまで自惚れを充たすためですから、自分が崖から落ちて怪我をするようなリスクテイクができません。もし恋が始まるにしても、そのリスクテイクなりは、まず異性の側が支払うべきで、自惚れが折れてしまうような事態は絶対避けなければならないのです。まとめると、自分が傷ついても構わないから誰かを好きになりたいのが「惚れる」であり、自分が傷つくのが絶対駄目で誰かに好かれたいのが「モテたい」となるのでしょうか。自分は自惚れが折れるのを回避しつつ、白馬に乗った王子様(お姫様)にはリスクテイクして貰いたいと願望する人が、まともに恋愛できるでしょうか。

 

とはいえ、そんな傷つきたくない自分大好きっ子な人でも、傷つかないように食指を異性に伸ばすことがあります。「ダメな俺を受け容れてくれ症候群」です。好意を抱いている女性に、自分の欠点や駄目な点を延々とプレゼンするといった特徴的な行動は、普通の恋愛からすれば異常です。ですが、自分自身の心理的な傷つきを回避しながら、自分自身の承認欲求を充たす機会は捨てずに狙い続けるしたたかさが含まれています。具体的には、①ダメな自分をありったけ曝け出すことによって、拒否された時の痛みを減弱、②だけど、もし上手く行ったら丸ごと承認してもらおうという魂胆、③誠意という名の免罪符、④自分語りの快感、などです。この①②③④のように、自分が傷つきたくないという事を優先させる点では多くのメリットがあります。とはいうものの、これらのメリットは、あくまでダメ語りする側の心理的メリットばかりですし、それを聞かされる異性側にはなんらメリットはありません。ダメ語りは、自分さえよければ異性の快不快は忖度しない、デリケートな自分の心が傷つかない安全圏からことを進めたいという自己中心的な視点から見て合理的・合目的的なのであって、異性を楽しませたいとか幸せにしたいとかいった願いとは対極の態度です。

 

ここまでを振り返ると、現代の男女関係の最大の問題は、「私が愛されたい」「私を幸せにしてほしい」という受動的な欲求ばかりを男も女も抱え過ぎている、ということに尽きると思います。自分が傷つくリスクを冒してでも、この人の幸せに何か自分に出来ることが無いかと思い悩んでみるような、そういう瞬間が、男女双方あまりに少ないのではないでしょうか。「あなたは誰かを幸せにしたいと願ったことはありますか?」先に問われるべきは、こちらだと思います。恋愛にしても、結婚にしても、異性に幸せにしてもらうものではありません。お互いに助け合って、お互いに相手を幸せにしたいという気持ちがなければ、どんなに良い異性に出会っても幸せは長続きしませんし、相手に愛想を尽かされるか、相手が疲れてしまいます。にもかかわらず、メディアが婚活に触れる際には、異性を釣るテクニックにばかりスポットライトが当たるのは、本来物凄く偏った事であり、そのことを誰も不思議に思わない世の中も、物凄く偏っているのかもしれません。

では、どこでどうやって「誰かを幸せにしたい気持ち」を育めばいいのでしょうか。この実践の場は、いくらでもあると思います。日頃、自分がポジティブな気持ちで接している人や、世話になっていると感じている人との日々のやり取りの中で、「相手を幸せにしたい気持ち」の種が育つのだと思います。ちょっとだけ親切を実践しようとか…その程度のレベルの方がウソくさくありません。相手を幸せにしたいというのは祈りのようなもので、必ず相手を幸せにするものでも、義務として行うものでも、必ず相手に届くものでもないでしょう。けれども、その祈りや願いの有無が、人間同士の関係に何かしら影を落とすとも思うのです。

2013年2月25日 (月)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(6)

第3章 ミソジニー男とクレクレ婚活女の織りなす空前のミスマッチ

いつの間に、結婚はとても難しいものになってしまったようです。こうした「結婚できない理由」としてよく挙げられるのは、経済的な問題です。しかし、結婚率の低下をすべて経済問題のせいとみなし、あたかも単一原因のように論じる向きには、私は賛成できません。バブル以前を振り返ってみれば、貧乏人でも大体結婚していたわけですし、現在の年収400万円以上の男女にしても、結婚しない人や出来ない人がいるのですから。経済的な問題にプラスαするような、心や価値観の事件において男女の仲を妨げる要素があるとしたらどうなのか?

イソップ物語の「酸っぱい葡萄」という逸話をご存知でしょうか。高い所に実っている葡萄を欲しいと思った狐が食べようとしても手が届かない。その悔しさと腹立たしさに、最初は欲しかった葡萄を「高い所の葡萄は酸っぱくてろくなもんじゃない」と思い込むようになるというお話です。精神分析の世界では防衛機制のひとつ「合理化」とも呼ばれています。防衛機制とは、心に備わった自動ブレーキのようなメカニズムを指す言葉です。人間の心には、認めてしまうと都合の悪い欲求、思い出すと動転してしまいそうなトラウマといった、直視すると強いストレス状態や葛藤状態に陥りそうなものから心を守るためのメカニズムが備わっていて、無意識のうちに作動し心の安定を維持するようにできています。防衛機制というメカニズムには幾つかのバリエーションがありますが、「合理化」は、充たせない欲求を諦める際、葛藤に心を乱されないようにするために、後付け的に「あれは最初から手を出さなくて正解だった」と自分自身に無意識で言い聞かせるようなパターンを指します。「女なんてろくなもんじゃない」といった言動を繰り返して、脱価値化することによって、女性に手が届かない欲求不満やイライラを軽減させている・させざるを得ない男性がいる、という事です。「手が届かない異性は酸っぱい葡萄」に考えが切り替わっておけば、異性絡みの願望を充たしたくても充たせない葛藤によるストレスを最小化できます。それが証拠に、「異性なんてろくなもんじゃない」と口で言っていた人が、ある日、間近に異性が現われてコミュニケーションが始まってみると、「異性なんて…」とはピタリと言わなくなって、有頂天になってしまうケースがあります。そもそも「異性なんて…」と言及を繰り返していること自体が、異性に何らかの関心がある証拠です。好悪の別はさておき、言及するからには異性に何らかの関心があるか、そうでなければコンプレックスが存在する筈で、本当に異性に無関心なら、自分からわざわざ言及を繰り返しはないでしょう。「女性が好き」の反対は「女性が嫌い」ではなく「無関心」でしょう。

そして、私たちの世代の特に男性は、団塊世代やバブル世代に比べて、こうした「女性は酸っぱい葡萄」に陥りやすいと言えます。団塊世代以前であれば、恋愛結婚よりも見合い結婚が優勢で殆どの男女が配偶しましたから、自分が女性に手が届かないと端から諦めなければならない人はいませんでした。しかし、団塊ジュニア~ロスジェネ世代の男性の場合は、バブル世代のような経済的恩恵も、団塊以前の見合い結婚的な配偶システムの恩恵も受けられませんから、異性に全くアプローチしようのない層がどうしても増えてしまいます。しかも同世代の女性は経済指標で男性を選びがちですから、不況の煽りを受けて収入面で厳しい男性は、よほど甲斐性や魅力がなければ女性に選んでもらえません。まして、出会いの場も無い・コミュニケーション能力もない・自発性もないと三拍子揃ったような男性の場合はどうしようもありません。そうやって同世代女性から不可触民扱いにされてしまった男性が、それでも異性への願望を抱き続け、絶望し続けるのは心理的に非常にしんどいでしょう。そのような境遇に立たされた男性が、付き合いもしないのに「女なんてろくなものじゃない」と思い込み、自分の心を挫けさせないように立ち振る舞うのは、心理的にはすこぶる合理的です。

 

「女性は酸っぱい葡萄」は、異性への願望に完全に蓋をしてしまうわけで、そこまで強固に異性を遠ざけようとする人は多数派を占めるほどではありません。実数としてそれよりずっと多いのは「めんどくさい」という処世術です。「女性は酸っぱい葡萄」とは違い、「めんどくさい」人々は、異性への願望を諦めきっているわけではありません。しかし異性を求めて得られないストレスに直面するかというと、案外そうでもないのです。なぜなら、誰かに恋しているわけでも、誰かに好かれるために努力しているわけでもない限り、本気で異性を求めた時のように「ああダメだったんだ…」と失望せずには済みますし、「いつか本気で異性を求めれば何とかなる私」という気持ちも手放さずに済みます。この構図は、第1章で紹介した「全能感を維持するために『なにもしない』人達」に似ています。この「めんどくさい」という処世術を採る人は、異性との縁が得られる確率より、異性に本気になってアプローチして、それが失敗に終わって自分が傷ついてしまう事態を回避するほうを優先するのです。アニメでも車でも何でもいいのですが、異性以外の分野で自分の好きな事を好きなようにやって、なおかつ、「本当に頑張れば異性に好かれる私」という幻想も捨てることなく、なんとなく自惚れていられればそれで十分じゃないか、ということです。家族を心配からせず済むというメリットもあります。

2013年2月24日 (日)

「エル・グレコ展」(1)

2013011923240070d東京都美術館 2013年2月22日(金)

都心で夕方にミーティングがあって、その帰りに寄ることができた。新聞社の主催で、泰西名画で、しかも上野の美術館で大々的に開かれているというので、混雑が十分予想できたし、グレコっていう画家も取り立てて絶対見たいほど好きというのでもなく、単に、記憶の片隅に残っていたというだけだった。そのまま、展覧会の会期がいつの間にか過ぎてしまって、「ああ、そうだったか」と思い出す、そんな程度の認識だった。だから、万全を期して行ったというわけではない。たまたま、ミーティングが予定していた時間を超過してしまったため、終わった時に会社に戻るのには遅すぎる時間で、金曜日は美術館が夜間まで時間延長して8時まで開館していた、という偶然がかさなったからだ。

多分、この文章をネットで検索して辿り着いて目にするような人は、グレコがどういう画家かという予備知識を十分に持ち合わせていると思うので、余計な紹介のようなことはせずに、私のグレコ展の個人的な感想を綴っていきたいと思います。

私は、元々写実的な絵画よりも、画家が何らかの作為を加えた絵画作品が好きで、その画家の加えた作為を自分なりに想像して追体験するというような観方をしています。とはいっても、その追体験とやらが画家が事実そうしたかということには、あまり頓着せず、自分がそう思って作品から見てとれる世界の創り方とか、そんなことをあれこれ解釈していくのが好みです。だから、そこにあるそのままを描いた(実際に、そんなことは不可能なのですが)ような作品には、概して面白みを感じられません。例えば、そういう要素を敢えて意図的に排除するようなポーズをとっている印象派の画家たちの作品などが、その典型です。そのような作品に比べるとグレコの描いた作品というのは、人が一般的に感じる写実とは明らかに違う独特な作品を描いていると思います。しかし、どこか不可解さと不自然さ(意図を加えているので、不自然なのは当然なのですが)というのか、わざとらしさ(これも貶す言葉ではないのですが)に、何となく違和感というようにものを生理的に感じていて、積極的に見たいと思えない画家でした。だったら、なんでわざわざグレコ展に出掛けていったのか、と問われればそれだけの話です。また、弁解がましくなりますが、マニエリスムやバロックの画家を嫌いではないのです。最初に言いましたが、人為的な作為を加えて、その作為や意図を愛でるというところが、カラバッジォやポントルモなどといった画家を比較的好んでもいるわけです。でも、何というか私の個人的な印象ですが、決定的にこれらの画家とグレコが違うような気がするのです。それが、グレコと言う画家に対して、私が感じている違和感なのではないかと思います。それは、美術史家が指摘していることですが、グレコの宗教画の特徴は聖堂でこれを見る人が祈りを捧げることを意図しているため。つまり、祈りの気持ちを喚起するために描かれているということです。ということは、言ってみればプロパガンダです。今回のグレコ展の目玉として展覧会チラシでも大々的にフィーチャーされている「無原罪のお宿り」にしても機能面でいえば、例えば北朝鮮の報道でテレビ画面に映る体制のプロパガンダ用の、こっちから見ればアナクロにしか映らない指導者をヒーローに仕立てたような画像と同質的なものだということです。比較は適切ではないかもとれませんが、その辺りに違和感を感じているかもしれません。ポントルモの作品を観ていると、注文に従って描いているのでしょうけれど、そこにポントルモ自身がそのように描かざるを得ないような物語を想像させるところがあるのですが、「無原罪のお宿り」にはそういうグレコが私には発見できないのです。プロパガンダには作者の主体性は邪魔になりますから。

もう一点は、スペインとイタリアの風土の違いということです。これは、私の中途半端な歴史と地理の知識から想像していることで、事実がどうか証拠を見せろと言われれば答えられないことです。私の中では、取敢えず納得できることではあるので、話半分で聞いてほしいと思います。当時のイタリアとスペインの豊かさの違いと中世が残っている度合いの違いということです。当時のイタリアは地中海交易の中継点として商業が発展し、金融の中心地としてもフィレンツェやヴェネチア、ジェノヴァあるいはミラノ等の都市が栄えていました。その中で豊かになった都市で市民階級の萌芽がみられ農業に依存した封建貴族に代わって台頭しつつあったという情況です。そのなかで、従来の経済的には停滞を前提した自給自足を原則にしたような中世の文化に対してルネサンスの文化が花開いたというのが教科書的な理解です。あまりスペースがないので、このような書き方が本当に適当かどうかということは、とりあえず脇に置いて比較のために議論を単純化します。そこには中世の文化の祈りの感情、どちらかという現世というよりは来世を見通すような視線が強いものから、現世をポジティブに見ようという視線が生まれた。そこにルネサンスの中世とは違った明るさのようなものが、例えば中世のイコンとダヴィンチの聖母マリアを描いた絵画を見比べると明らかに違います。

これに対して、スペインはイタリアに比べれば広大な国家ですが、国土の大半は岩山で農業に適したのはごく一部で、イタリアのような交易で栄えるということもなく、もともと豊かな国とは言えなかった。まして、直前までイベリア半島の半分以上をイスラムに支配され(イスラムの支配は繁栄をもたらしましたといいますが、後のスペインがそれを継承できたかは疑問です)ていたのをレコンキスタの長期にわたる戦いで取り返した、とはいっても、その戦いで国土は荒れ果て、イタリアと違って庶民が豊かさを背景に自立台頭してくるというのとは逆に惨状にあったのではないか、という状況だったと思います。だからこそ、スペイン国王はイタリアの征服を考えたり、大西洋の向こう側の新大陸という大きなリスクに賭けざるを得なかったのではないかと思います。実際に、スペインが新大陸を植民地として繁栄していたと言われでいますが、実際は王家は借金まみれで折角新大陸から強奪した富を借金のかたにイタリアやドイツに取られてしまって、富の蓄積ができず首都であるマドリードは貧困から脱出できなかったといいます。だから、庶民にはイタリアのルネサンスのようなことは殆どなく、中世が続いていたと考えてもいいのではないかと思います。カトリック教会に目を転じてみても、イタリアのカトリック教会は世俗化が進んで教養豊かな俗物のような人物が教皇になったりしますし、教会が芸術の庇護者となったりしますが、スペインのカトリックと言うとドミニコ会とかイエズス会というような反宗教改革、あるいは異端審問というような苛烈なイメージが強いのは、私の印象だけでしょうか。それだけ中世のカトリック信仰の残滓が濃厚だったのでは。そこで、民衆に祈りを喚起させる絵画がどういうものかと言えば、はたしてイタリアのルネサンスの明るい現世肯定的なものが、市民が独自に注文するような絵画が好ましいのか、と考えた時に、グレコは最初はギリシャでイコンの修行をしているという事実です。今回の展示の中にも、彼が描いたイコンがありました。かといって、中世そのままではない。おそらく、注文主は貴族だったり教会の上位聖職者なわけですから、ルネサンスには取り敢えず触れているので、中世そのままというのでは、もはや受け入れられない。ということで、グレコの絵画というのは、イコンを当世風にアレンジしたものとして、貴族や僧侶のような当地の上流階級にも、教会で作品に祈りを捧げる庶民の両方にも受け入れることができた折衷的なものとして受け取られたのではないか。そう考えれば、「無原罪のお宿り」の現実の空間の感覚とはかけ離れた画面構成や人間としての個性とか実在感の希薄なキャラクターピースのような人物の描き方とか、パターン化されたようなまるでコスプレのような衣装への色遣いなども、イコンの様式性を当て嵌めたと考えれば、それなりに納得できます。イコンはもともと写実性など求めてもいないわけですから、想像の世界を描き、それを人々にそういうものだと受け入れさせるには格好の方法だったのかもしれません。それをうまく使いこなし、聖堂という建築物に飾るということに適した描き方をしたところにグレコという画家が当時受けた原因があるのではないかと思います。それと同じ理由で、ギリシャからイタリアに行って、そこに落ち着かずにスペインに流れてきたのも、そういう画風はイタリアでは受け入れにくかったのではないかと想像します。

展示は次のようなコーナーを設けて為されていました。

Ⅰ-1 肖像画家エル・グレコ

Ⅰ-2 肖像画としての聖人像

Ⅰ-3 見えるものと見えないもの

 クレタからイタリア、そしてスペインへ

 トレドでの宗教画:説話と祈り

 近代芸術家エル・グレコの祭壇画:画家、建築家として

これから、このコーナーに分けて、今考えてきたことを実際の作品で検証しながら、感想をお話ししていきたいと思います。

なお、この関係の書き込みは都度、不定期に行うつもりなので、次の書き込みは不定時になります。

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(5)

さらに団塊ジュニア世代以降では両親のウェイトが高くなりますが、これは父親と母親の双方が子育てに平等に参与していればの話しで、母子家庭や父子家庭の場合など、片親からのウェイトが圧倒的に多くなります。このことを踏まえながら団塊ジュニア世代以降が育った昭和後期~平成前期を思い出してみると、子育てに父親が参加する割合が非常に低い時代だった、ということが思い出されます。モーレツ社員や5時から男といったキャッチフレーズに見られるように、父親が家庭を顧みないようなワークスタイルは、それなりに社会的なコンセンサスを得ていたと考えられます。当時は「子育ては母親の責任」という意識の強かった時代でした。そのなかで一人で気負って行わなければならない子育ては、かなりの負担とストレスを母親に与えていたのだろうと思います。また、母親の気負いや使命感が強くなれば、いきおい、子供に対する「こうしなきゃダメよ」という規範意識の提示も、そして拘束力の強いものになりやすかったと思います。このような負担やストレスを解決しつつ、一人で子育てを一生懸命行うための方便として有効だったのが、教育ママ的処世術でした。これは、子どもの巣○アップや学力向上に熱心に取り組むというものですが、子育ての責任をきっちり果たすだけでなく、少なくとも以下のようなメリットがあった点も見逃せません。

①教育熱心な母親という世間体が得られる

②教育熱心な母親という自意識が得られる

「こんなに子育てに頑張っている私」という自惚れに似た心理的メリットがあるということです。

③子どもとの一体感をいつまでも手放さずにいられる

教育という名のもと、子どもが大きくなってからも生活や教育に介入し、まめまめしく世話を焼けば、このようなメリットもあります。実よりもいなければ、夫の帰りも遅いニュータウンに暮らす母親にとって、寂しさを解消し、一体感を得られる第一の相手は子どもです。人は、自分に自惚れたり誰かにほめられたりしなくても、誰かと一体感を感じてさえいられれば、自己愛を充たすことができます。ほとんどの人間は、自己愛を全く充たせなくなると精神的にしんどくなってしまいますから、孤独な母親ほど、子どもとの一体感を手放さないよう密接に関わり続け、自己愛を充たそうと躍起になります。

このような教育ママ的な処世術は、子育てを立派に果たそうという責任感を充たすと同時に、孤独な子育てのストレスに曝されがちな母親の心理的ニーズをも同時に充たす、一挙両得なものだった言えます。

 

こうした母親側のニーズに上手く対応してビジネスとして成功したのが、学習塾や稽古事といった教育産業だと思います。ただし、母親の教育ママ化に加えて、こうした学習塾や稽古事の利用が増えたことによって、ニュータウン育ちの子どもは大きな問題に直面することになりました。ニュータウンにおける子育ては、個々の核家族の自由裁量が尊重されます。そのため親の裁量次第で子ども時代の生活や体験が大きく偏ってしまう、という事が起こりえます。例えば放課後の過ごし方も、その気になれば毎日塾や稽古事に行かせることも可能です。問題は、そうやって塾や稽古事に時間を費やす子どもでも、自主性や自発性が従来までと変わらず育てられるか、ということです。塾や稽古事に行けば、子どもが自主的に遊ぶ時間はそれだけ少なくなってしまいます。大人のインストラクターの指示通りに教わる体験をしている時間は、自分の判断や欲求のままに過ごす時間ではありません。もちろんニュータウンの子どもとて、子ども同士で自主的に遊ぶ機会はあるでしょう。しかし、子ども同士で一緒に遊ぶといっても、遊びの中身は旧来の地域社会の子ども達のそれとは少し異なります。昔の子ども達は、遊ぶ場所も、遊び道具も、遊びのルールも、概ね子ども達の自主性に委ねられていて、それらを大人が指定したり強制したりする拘束力はあまり強くありませんでした。これに対し、ニュータウンでの子ども遊びは、大人が決めた場所・大人が決めたルール・大人が用意した遊具で専ら遊ぶことになります。自分たちでクリエイトする自主性・自由度は相対的に少なくなっていました。結果として、ニュータウンで育った子どもは、地域社会で育った子どもに比べると母親の意志や大人の承諾の内側で多くの時間を過ごしやすくなり、自分達の自主的な判断に基づいて過ごす時間が減少しがちになりました。おおまかな傾向として、子ども時代の体験が、自主的なものから受動的なものへと質的に変化した、とも言えます。このような、いうなれば透明の檻に閉じ込められた子ども時代を過ごした世代が、放課後散々自分達で遊びをクリエイトしていた世代と同じくらいの自主性や自発性を持てるでしょうか。こうした自主性よりも受動性の先行しやすい生育環境からの影響は、私達の世代の問題であると同時に、これからの世代の問題でもあります。

 

こうした自主性の問題に加えて、私達の世代はコミュニケーション能力の乏しさもよく指摘されます。こうした能力の原因については、テレビゲームやアニメといった子供向けメディアによる影響が盛んに語られてきました。そのシンボルがファミコンです。ファミコンが爆発的に売れた第一の理由はゲームが面白かったからでしょう。しかし、当時の子どもにとって、ファミコンは色々な遊びのうちのワンオブゼムでしかなかったのですが、ファミコンには他の遊びに無いメリットがありました。ファミコンなら一人でも十分に遊べるのです。皆が学習熟や稽古事に通い始め、友達と一緒に遊ぶためのスケジュール調整が難しくなったころから、「独りでも遊べる」というファミコンのメリットが効いてきました。従来型の遊びは友達が集まらなければ楽しくありませんが、ファミコンなら一人でも遊べるのです。地域社会からニュータウンへと街が移り変われば、小学生が集団で自由に遊べる場所が少なくなりますし、塾通いや稽古事が日常化していけば、集団で集まれる時間も少なくなります。そうなると子どもの手元に残るのは、「一人ぼっちの自由時間」ばかりですから、一人でゲームという遊び方が定番化するのも仕方ないでしょう。ですから、「ファミコンが流行ってコミュニケーションの技能を奪った」と考えるよりは、「ファミコンが流行るような一人遊びの時間がコミュニケーションの技能を奪った」と考えた方が、事実に即していると私は思います。

 

「地域のルールから親のルールへ」「集団の子どもの遊びから、一人の子ども遊びへ」「家族でテレビを見る時代から、一人でテレビを見る時代へ」子どもの生育環境の変化としてどれも無視できないものばかりですが、20世紀後半の日本では、これらが一気に進行したのです。このため私達の世代は、親世代に比べると主体性やコミュニケーションの体験蓄積が少なく、後発世代に比べると現代社会を前提にした割り切った価値観も処世術もインストールされていない、宙ぶらりんな境遇を生きることになりました。親の世代にあった能力を欠き、親の世代が働いたような社会状況を失っているにもかかわらず、いまだに心のどこかで親の世代のような暮らし・親の世代のような成功を夢見ているのが私たちの世代ではないでしょうか。

2013年2月23日 (土)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(4)

ここで、私たちの世代における価値観の内面化がどういう環境で進行したのかを振り返ってみます。団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は、伝統的な地域社会に育った人も多少はいたにせよ、首都圏に代表されるような、都市とそれを取り囲むニュータウンで子ども時代を過ごす人の割合がかなり増えた後の世代でした。他の親族から遠く離れた大都市圏で、ニュータウン暮らしをする核家族というライフスタイルは、高度成長期以降、そう珍しくなくなっていましたが、70年代にもなると一層一般的なものとなり、団塊ジュニア世代以降のかなりの割合は、地域的な人間関係や共同体意識の希薄な、ニュータウン的空間に生まれ育つようになりました。高度成長期以前の地域社会では、比較的近い距離に親族が住んでおり、個別の家庭だけでなくその地域そのものが家父長的な性格を帯びていました。地域の人間関係は濃密で、良い意味では互助的な、悪い意味では拘束的・抑圧的な性質だったとも言えます。そういう性格のコミュニティのなかで子ども達は、遊ぶにしても親の手伝いや地域行事に参加するにしても、一人だけで好きなことをやる頻度は比較的少なく、多くの営みが非個人的で集団的でした。対して高度成長期以後のニュータウンでは、両親以外の親族は遠方に住んでいることが多く、子どもの価値観やパーソナリティ形成に関与する余地は小さくなりました。出身の異なった者同士が集まるニュータウンの性質上、地域社会のような濃厚な人間関係は過去のものとなり、良い意味では自由な、悪い意味ではどこにどんな人が住んでいるのか不透明な状況下での生活が当たり前のものになりました。ここでまず注目したいのは、従来の地域社会に比べると、ニュータウンで育った子どもは、より少ない大人や年長者としか知りあう機会がないということ、言い換えれば、ニュータウンではより少ない大人しか生育環境に含まれないということです。地域社会においては、両親以外の親族はもとより、近隣住民や町内会の大人達は全くの他人というより、ちょっとした身内のようなものでした。両親以外にも「この人の言うことは聞かなければならない人」が両親以外にも複数名存在したという意味でもあります。対してニュータウンでは、「この人の言うことは聞かなければならない人」は両親以外には殆ど存在しません。近隣住民の殆ど、少なくとも多くは他人であり、子供としては両親の意見や価値観に左右されやすくなります。それゆえ、親の価値観や常識が極度に拘束的だったりエキセントリックだったりすると、子どもの価値観の内面化過程にとって致命的な打撃になり得ますし、もしそうなっても、周りは皆赤の他人である以上、両親以外の保険になるような年長者はどこにも存在しません。つまり、地域社会では地域社会の質や拘束性の大小が子どもの価値観やコンプレックス形成を大きく左右し、ニュータウンでは核家族内の両親の質や拘束性が子どもの価値観やコンプレックス形成を大きく左右しやすい、ということです。この両者の、子どもの価値観の形成や規範意識のインストール、そしてそれらに関連したコンプレックスが形成される際に問題となる大人が「どこの誰なのか」が大きく異なっているのは間違いありません。そして、生育環境のニュータウン的な度合いが強まるほど両親の性質や振る舞いの占めるウェイトが大きくなる、という点こそが、団塊ジュニア以降の世代を理解する鍵となります。

 

2013年2月22日 (金)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(3)

第2章 われわれはなぜ、どこで躓いたのか─団塊ジュニア~ロスジェネ分析

ここでは、団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代に的を絞って、この世代が特に大きく抱えている問題や、その問題が起こってきた由来について掘り下げてみたいと思います。

団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は学生時代に想像していたものとは全く異なる就職氷河期に直面し、終身雇用制はバブル崩壊以前に就職した人々と、それ以後では一部のどうにか正社員として就職できた人びとだけに適用されるルールになりました。残った人々は、収入と雇用の将来性がハッキリしない、非正規雇用という流動的な立場で働くことになりました。団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は、この変化をモロニ蒙ったといえます。団塊ジュニア世代~ロスジェネ世代は、心理面でもかなり困難な、前後の世代とは毛色の違った立場に立たされています。というのも、この世代はバブル以前の価値観の影響を色濃く蒙っていながら、なおかつバブル以後の生活や境遇を余儀なくされているからです。高度成長期を生きた親達に育てられ、バブル景気の華やかな気分と、そうした諸先輩の背中を見て育った私達は、年長世代の価値観を内面化しながらも、しかしその価値観を実現できないという葛藤を抱えながら生きることになったわけです。この矛盾に由来する心理的葛藤は、恵まれた上の世代にも、恵まれないことを前提に育った下の世代にも共有されておらず、それゆえ理解も共感もされずにスルーされやすいように見受けられます。

 

そんな私達の世代の中でも特に悲惨なのは、親達の価値観を忠実に内面化し、その価値観の通りに生きようとした挙げ句、時代の変化に取り残された人達です。人口ピラミッドの関係上、私達の世代は最も熾烈な受験競争を潜り抜けなければ大学に入れませんでした。そんな情勢下、親は子のためと思って高い月謝を払って子どもを塾や予備校に通わせ、子は親の期待通りにやれば幸せになれるとぼんやり信じて、一度きりの思春期を受験勉強の背伸びに費やすという親子が珍しくありませんでした。ところが、大学を卒業して見る頃になると、そうした処世術が的外れだったことが明らかになってきます。それなりの大学を卒業していても就職先がなかなか見つからない、という事態が多発しました。そして企業側から期待される能力も違っていたのです。受験勉強の延長線上として講義の最前列でノートを取るような勉強中心の大学生活を送っていれば、座学はしっかり身につくのかもしれませんが、企業はそんなものを新卒者に期待してはいません。企業が期待していたのはコミュニケーション能力や協調性といったもので、要は、社会に出てすぐに使い物になりそうな能力や経験を重視していたのです。しかし、コミュニケーション能力も協調性も、座学で身に付くものではありません。親の言いなりに勉強ばかりしていた人間は、指示待ち人間とか自発性を欠いた人間、応用のきかない人間という誹りを受けることにもなりました。

 

こうした親の言う通りに勉強ばかりしてきた人たちに残されたのは、大学の卒業証書と、その学歴に見合わぬ就職先でした。もちろんこうした受験神話に忠実な人達ほど自分には高学歴に相応しい収入なりステータスなりがあって然るべきという思い込みを内面化していますから、学力に相応しくない就職先では働くモチベーションが得られません。「こんな職場は僕には相応しくない」という思いを抱えていては、職場のストレスは過大に感じられますし、第一、そんな鼻持ちならない意識を持っていては、職場の人間関係の中で浮いてしまうのがオチでしょう。しかし、バブル崩壊後に就職した私たちの世代には、こうした、頑張って手に入れた学歴に相応しくないという思いを抱えながら生きている人間がたくさんいるのです。

 

90年代~21世紀初頭にかけて、個性的であることはいいことだと、やたら個性が礼賛された時期がありました。個性を追求し、自分らしさへと突き進んだ青少年の多くは、その個性を賞賛されることみないまま、自分は個性的だという不良債権と化した自意識を胸に、平凡な日常をのた打ち回っています。個性が生かせない仕事したくない、働いたら負けだと思っている、個性を大事にしない社会が悪い、自分の才能を見抜けない上司が悪い…。そういう怨嗟をオーラのようにまといながら、心のどこかで本当の自分が開花する日を待ち望んでいる男女が、今、どれだけ存在するでしょう。現実を見るに、彼/彼女らの思うところの個性が、スポットライトを浴びる日が来るとは思えません。世の中の仕事の大半は、没個性的なものであったり、巨大なプロジェクトの歯車の一つだったりもしますから、自分らしさを開花させるとは無縁のものばかりです。結局、ビジネスの世界でも、プライベートの世界でも、個性が無条件に礼賛されているわけではなく、現実に礼賛されているのは、使える個性や欲しい個性であって、使えない個性や欲しくない個性ではありません。数多のライバルを蹴落としてナンバーワンを目指すのか。それとも個性をむしろ殺して店先に並ぶ普通の花を目指すのか。個性を手放しで礼賛した時代のなか、そのどちらにも属さないような個性を身につけてしまった人達は、本当は礼賛されるべき自分の個性が全く評価されていないという葛藤を抱えながら、これからも生きて行かなければなりません。

 

報われてしかるべきと思っていた努力が報われず、認められてしかるべきと思っていた個性も認められない現実を前にしても、私たちの世代はそれなりに社会に適応しようと努めてきたと思います。それも、20代の若いうちなら、さまざまなトライアンドエラーを繰り返しながら自分可能性を模索することができますが、30代ともなれば、これからどのように生きていくのか、ある程度の見通しが欲しくなってくるようになります。昭和の両親とバブルな諸先輩を見上げながら育った私たちの世代は、こうした従来的な価値観をある程度内面化しており、いい歳になったら定職に就かなければならない、結婚しなければならないといった価値観に囚われがちです。内面化された価値観は自分自身のものですから、逃げられるものではありません。

2013年2月20日 (水)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(2)

もうひとつ、個人と社会との相互作用がこんがらがっている例を挙げてみます。モンスタークレーマーな人達と社会との関係です。自分の欲求を充たすためなら常軌を逸した要求やクレームをも辞さない振る舞いは全体の中のごく少数ではあっても、社会構造に大きな影響を与えるようになっています。というのも、こうした無茶な要求をする人が1万人に一人程度だとしても、その1万人の一人に出会った時に対応できないようなサービス業は、たった一人のモンスタークレーマーによってシステムダウンしてしまうからです。このため、現代のあらゆるサービス業は、平均的なお客のニーズに合わせてではなく、1万人に一人のモンスタークレーマーに合わせる格好で、サービス内容やリスク対応を考えなければならなくなっています。見方を変えるなら、「モンスタークレーマーによって、現代のサービス業やサービス従事者の質は規定されている」とも言えるかもしれません。モンスタークレーマーにも耐えられる事業者と人間だけが生き残り、そうでないものが淘汰される社会になった結果、消費者としても、私たちは大きすぎるコストを支払い、高すぎるハードルを超えなければならなくなっています。

そんな難しい社会に適応できなかったと感じている人達は何を思い、どのように生きているのか?かつてのサラリーマンの居酒屋とか主婦の井戸端会議のようなストレス発散の場はインターネットへと変貌しました。ネット上に他人の不幸を喜んで憂さを晴らしたい人が集まって、“自分は生活が充実していない”と思っている人達にとって“自分よりも生活が充実していそうな人”が引き摺り下ろされるさまを眺めながら、ルサンチマンを共有する同士で一体感を体験することでカタルシスを感じる。ネット炎上も、これに近い性質があります。ここには、さきの居酒屋や井戸端会議とは違ったインターネットならではの特徴があります。①日本中から不特定多数が集まって来る。②目に見える形でいつまでも履歴が残る。③書き込まれた場の怨恨が独り歩きし始める。④正義感を伴っている。⑤ターゲットが無尽蔵に供給され、終わりがない。以上のような特徴を持っているが故に、エスカレートしやすく、しばしば個人の意志やコントロールを越えた事態に発展しがちです。このようなつもりに積もった悪意は大きな力となって簡単に個人を押しつぶしてしまいますし、ガス抜きと称して日常的に罵倒を繰り返している人は、いつか自分自身が悪意に呑まれてしまうでしょう。

では、“生活が充実している”人達なら、悪意に溺れることなく、満足に暮らして行けるでしょうか。20代の人ならバブル的な物質的充足を幸福の条件としていませんし、何より、まだ若いのです。若いということは、まだ変化する可能性があるということです。しかし、団塊ジュニア世代の場合、もう30~40代にさしかかっているわけで、“リアルが充実”している人でも肌の容色が衰えたりとか、可能性に夢を見ることが段々難しくなってきます。そして現代社会に浸透している価値観においては、「若いということは素晴らしいこと」なのですから、若さを維持できないという一事が、不幸感に直結するかのように感じられる人がゾロゾロ出てきてしまいます。「いつまでも若者のままでいたい」そう言った願望に応えるべく、近年は、中年男女が若作りするためのアイテムが一大市場を形成しています。しかし、若作りが強引であればあるほど歪みが生じずにはいられません。若いライフスタイルに固執し過ぎて神経をパンクさせてしまった人を見かけることがあります。考えようによっては、現代人は社会的・心理的には、老いも若きも「歳をとらなくなった」と言えます。さりとて、いざ歳をとったライフスタイルに移行しようと思っても、成人式や還暦などは通過儀礼としての意味をほとんど失って形骸化していますし、世代間コミュニケーションの少ない昨今、“格好良い年長者”のロールモデル的な人物に出遭うチャンスもあまりありません。私たちは、人生のギアチェンジも為し得ないまま歳をとっていく時代にいるといえます。

かくして、大勢の人が他人の痛みも他の世代の都合も考えず、一生懸命に自分の快楽やストレス解消や若さを求めてやまない21世紀がやってきました。見ようによっては、個人の自由と自己選択を尊重するような社会が生まれたからこそ、自分の快楽や若さに夢中になれるようになった、ともいえるかもしれません。しかし、仕事の配偶も自由に選べるようになったということは、自由競争に打ち勝った上で選ばなければならなくなったということでもあります。自由競争に打ち勝てるような人には天国でも、自由競争について行けない人は、どこかでウサを晴らしワーキングプアな独身生活を続けるしかない、そういう社会だったわけです。また、自分自身の自由と欲望を優先した結果の一面として、大家族は核家族化し、その核家族すらしがらみと感じる人々は、当然のように単身住まいを選ぶようになりました。異なる世代・立場同士の断絶は進み、互いに非難し合ったり貶め合ったりすることこそあれ、相手の価値観や隠れた技能を垣間見るチャンスも失われました。結局、どこまで自由を謳歌しているのか、自由と裏腹な孤独に疲れているのか分らないような人たちがごまんと存在しているのが、私たちの世代の現状ではないでしょうか。しがらみと責任を回避し、自由と可能性を追い求め続けたスタンドアロンな人々が、このような死屍累々の様相を呈している現状を見ていると、私は、高度成長期以来のライフプランニングはもはや時代遅れ、と思わずにはいられません。“終わりなき思春期モラトリアム”的なメンタリティを抱え続けたまま歳を取った挙句、孤独を誤魔化すためのあれやこれやに奔走し続けるような生き方は、私たちの世代でもう終わりにすべきではないか、と思うのです。

2013年2月19日 (火)

熊代亨「ロスジェネ心理学~生きづらいこの時代をひも解く」(1)

1970~80年代前半にかけて生まれた世代は、有史以来、どの時代の子ども達よりも物的に恵まれた“飽食の時代”に生まれ、育てられてきました。“末は博士か大臣か”と親から期待され、厳しい受験競争を戦った世代でもあります。勉強さえ出来れば立身出世につながるという受験システムが、知識階級の子弟ばかりでなく庶民にまで認知され、出自や親の職業とは無関係に誰でも自分の夢に向かって突き進めるようになりました。しかし、現在、大人になったそり世代の多くは、幸せにも満足にもほど遠い日々を過ごしています。本書の中で、私たちの世代が生まれ育った背景について、一つの視点を提供してみようと思います。「いまどきの30代・ロスジェネ世代のことがよくわからない」という人の参考にはなると思います。

第1章 俺的に正しく、俺的に間違っている社会

この章では、そんなに“豊かなのに貧しい”私たちの21世紀について、その生きざまをラフスケッチしてみたいと思います。

現代社会の生き辛さを象徴しているものは色々ありますが、そのひとつに、精神疾患を患う人の数が増えている、というものがあります。増えている病気の内訳を見ると、倍以上の伸び幅を見せているのが「気分障害」と「その他」です。「気分障害」にはうつ病のほか、気分変調症や双極性障害(躁鬱病)などが含まれます。「気分障害」という名前の通り、このカテゴリーの病気に共通しているのは、「気分やテンションのコントロールが失調している」と言う点です。また、「その他」にふくまれるのは、「発達障害」や「パーソナリティ障害」などです。「発達障害」にはアスペルガー障害やAD/HD等が含まれます。発達障害の人は、先天的な問題と後天的な環境との掛け合わせによって病状が形作られ、空気が読めなかったり、落ち着いて授業が受けられなかったりといった、コミュニケーションや社会適応上の困難さを抱えています。「パーソナリティ障害」も、20世紀後半から増えてきた精神疾患です。安定した人間関係や社会適応に難をきたすような人柄になってしまうもので、いわば人格レベルの発達が障害された状態、と表現できるかもしれません。

「気分障害」「発達障害」「パーソナリティ障害」がこんなに増えたのは何故でしょうか?理由のひとつには、精神科や心療内科を受診する敷居が下がったからもあるでしょう。しかし、どれだけ心療内科の敷居が下がろうが、社会生活にそれなりに対応し満更でもないような人が、わざわざ手間暇をかけてクリニックを受診するわけがありません。精神科を受診するひとは、それなりに社会適応やコミュニケーションに困っているからこそ受診に至るのでしょう。ここにきて「発達障害」などの診断が増えている理由は、環境やライフスタイルの変化によるところが大きいと推定されます。社会という名の環境が変化したことによって、昔だったら出来なくても構わなかったコミュニケーションや自己コントロールが全員に課せられるようになったり、ついていけなくなって困り果てた人が診断に至っているのでしょう。この新しい社会からの要請に応えられない人間は、社会適応が難しい時代になりました。

しかし、生き難さの全てが社会環境のせいだと看做すわけにもいきません。パーソナリティや処世術に何のある人もいます。一例として、全能感を維持するために「何もしない」人達を挙げてみます。この人たちとて、全く何もしないわけではありません。得意分野や挫折を体験する可能性の少ない分野では、むしろ積極的に活動します。問題は、このタイプの人が「失敗や挫折のリスクのある挑戦」をしない、ということです。人間は、様々なことに挑戦し、成功だけでなく失敗からも多くを学ぶものです。失敗から教訓を得るという意味だけでなく、子供めいた全能感が修正されて等身大の自分がどれぐらいのものかに気づくのも、児童期~思春期における学びの大切な一部です。この人達は挫折や失敗を経験するかもしれない挑戦をやたら避けるので、いつまでたっても全能感が失われません。こういったトライアルを未然にすべて回避していれば、自分の可能性は無限だ、本気でやれば何でもできる子だ、という自己イメージをいつまでも維持できるわけです。もし、自分の全能感が失われそうな試験・競争に直面した時にも、全能感を維持するのは実は難しくありません。「俺は本気じゃない」と言い訳しながらの挑戦なら、失敗した時も、全力を出していないから失敗したと自己弁解できますから、全能感は保たれます。このような「全能感を維持するために何もしない人達」は、“本当は自分は何でもできる”という子供じみた全能感を抱えながら、スキルアップや成長の機会を逃し続けることになります。このような処世術は、当座のストレスを回避するには優れていますが、万が一、挫折を避けられなくなった時にはポッキリと心が折れてしまいます。そうでなくても、「実は何もしないまま歳を取った自分」にいつの日か直面する日がやってきます。その時には「何もせずに歳を取った等身大の自分」と「全能な自分自身のイメージ」のギャップに愕然とするしかありません。今日の精神科臨床では、このタイプの人が、全能感を失ったショックや挫折をきっかけにメンタルヘルスをこじらせて受診…というパターンが珍しくありません。

そんな困難な社会と、困難な個人の両方が合わさると一体何が起こるでしょうか?それが典型的に現われているのが、大学新卒者の就職戦線だと思われます。現在の企業はせっかちになっていて、新入社員を“長い目”で育てようという意識が希薄になっているようです。こうした即戦力志向・即業績志向は、企業側だけのメンタリティではありません。学生の側も、すぐに戦力になれる自分・すぐに業績を認められる自分でなければ、活躍できなくなっているのではないでしょうか。本当はいっぱしの社員としてすぐに認められたり活躍できたりするほうがおかしい筈なのに、それが出来ないからといって、「この会社は合っていないような気がする」「この会社では自分の才能が開花できない」と思い込んで辞めていく、そんなイマドキの新入社員たちも、企業に負けず劣らず我慢の利かない人達だと言えます。

2013年2月18日 (月)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(10)

第10章 展望

リズムの「喜び」は何に基づくのか。どんな自然の造形、同じようにまたどんな人の手になった造形でも、感知される価値はその造形がもつリズム的内実と一致しまたそれに尽きる。それ以外になお疑問の余地があるとすればそれは技術についての疑問であり、本質についての疑問ではない。

現象として把握すると、世界は現象するものの現象あるいはそれゆえ表現である。世界現象のリズムは何の表現であるのかということについて至る所で様々なことが論争されてきた。そして情動、「アフェクト」、激情について繰り返し語られた。しかし、同じような技倆の二人の練達踊り手がいたとしよう。二人が踊り始めたが、一人はいままさに激しい怒りに捉えられており、一方でもう一人は素晴らしい幸運に出会っていたとする。二人のうちどちらがそのような状況でよりリズム的に踊ることができるであろうかと、自問してほしい。答えるまでもないことであるが、しかしなぜ幸運に恵まれた人の方がよりリズム的に踊れるのかという疑問については答える必要がある。この怒りに比べた喜びと同じように、老人に比べた若者、しらふに比べた軽い酔いに共通するもの。抑制的感情からの自由あるいは解放である。それゆえ情動がリズムを生み出すのではなく、特定の激情、状態、人生段階と結びついてそれと対立する人生段階、状態、激情につきまとっていたある種の抑制が解除された後にリズム的に拍動することができるその抑制されたものとは何なのであろうか。すなわち生命それ自体が抵抗を乗り越え優勢になるにつれて、過程や形をリズム化するのである。したがってリズムの中で振動するということは生命の拍動の中で振動するということを意味する。したがって人間にとってはさらにその上に、精神が生命の拍動を抑制している枠が一時的に取り払われることを意味するのである。

リズムの中で振動するということとは、心情によって境界を打ち破ることそして生命の大海に浸されることによって心情が更新されることの一つのありようである、ということだけで十分である。しかしここには何かめくるめく展望が開かれている。それを示すことで我々に十分としてよい。

この研究は水の波から始まった。そして水の波について認めたと思うリズムは、水の波に内在するのか、あるいはその現象によって我々の中に引き起こされるだけなのか、そしてわれわれがまだその源や動きを知らない内的な強要によって水の波に転嫁しているかは、未解決のままであることをはっきり述べておいた。見るところ我々の精神には、確かにこのような転嫁を行うことはできない。しかしひょっとして心情にはそれができないであろうか。精神には出来ないとしたらそれではこの心情が、波の現象のリズムを、個体的生命的世界あるいは四大的世界の周期的流れの中のリズムをでっち上げたのであろうか。あるいはごく普通の言い方で言えばリズムを現象界に「感情移入」したのであろうか。そうであるとすると生命の大海に浸されることは、文字通り想像あるいは幸せを感じさせる一種の幻想ということになるであろう。そのように理解したなら、我々は次のような疑問に、つまりどんな主観主義者もその回答を見出したことのない疑問によって、途方もない困難に巻き込まれるかもしれない。この困難は無視することにしよう。その疑問とは、無数の交代的過程現象を通じて心情に強要されて引き起こされるリズム的振動が、非常な幸福感を伴って生じ、例えば不快な妨害された感じを齎すことが多いのはなぜかという疑問である。ここでは次のことを示唆しておく。波のリズムを、宇宙の運行の大小の周期のリズムを感じる人は、地球それ自体を荒らしや洪水や雨風とともに心情をもつものと見るであろう。そして地球を心情をもつものと見る人は次に我々の太陽系を心情を持つものと見る人は次に全宇宙を心情をもつものと見るであろう。宇宙が心情をもつ、全思想史を通じてこの言葉で理解されてきたことは、宇宙が精神を持つとする生命敵対的な脳の紡ぎ出す幻影以外の何ものでもなかった。ここでは四大心情を想定することから行き着かざるをえないただ一つの結論だけを挙げておくことにしたい。

それはロマン主義の予感と同様に宇宙の極性を要求するであろう。それに従って月は地球と、地球は太陽と、太陽は銀河系と、そしてまた製紙は運動と、熱は輝きと、むろん空間は時間と互いに連関することが体験されるであろう。そのほかのすべての極性を包み込んでいると思われる最後に挙げた空間と時間との極性についてだけもう一度見ておこう。現実とは生起の現実のことであるとするなら、現象の空間性も絶え間ない変移を免れない。そして生命をもつと言われた宇宙において形象の空間極と時間極とは肉体と心情の関係にある。現実空間は現実時間の心情であることになるであろう。しかし心情はリズムにおいて無制限に現象するとすれば、リズムの本質の鍵となると思われる去来の交代は時間性に特有のものであろうし、ただ測定機器や線形の時間しか知らない物理学者にはどれほど神話めいて聞こえようと、リズムの意味のもっとも基底的な根拠は、現実時間の拍動する歩みにあるのである。したがって個体心情がリズムの中で振動すると、たとえどんなに短い瞬間であろうとも、生起の双極を結合しているものつまり過ぎ去りと生成とを結合する永遠と一つになるのである。

2013年2月17日 (日)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(9)

第9章 拍子の生命的内実

いつの時代にも、人間はもっぱら生命だけの担い手であることは決してなく、その上にまた精神の担い手でもある。したがって先史民族や非歴史的民族の作業の結晶でさえ、自然に成ったことを示す特徴が優勢であるが、それと並んで人為の結果としての痕跡もまた認められる。今日ではもはや達成不可能なリズムの壮麗さと並んで規則と拍子が暗示的に認められるのである。しかし、未開人はいわば遊び半分に拍子を無秩序に投げ散らしていながらそのために拍子を失うことがない。このようなことを可能にしたものは彼らの内的なリズムの豊かさであること、他方反対にわれわれが内的にもつリズムははるかに衰弱したものであるために、拍子を保ちそれによってリズムを保つために出来るだけ秩序だった拍子を必要とするということである。従ってリズムは拍節が極度に強調されることによって間違いなく抑制されるが、そのことは別にしても、リズムは明らかにまた拍節が放棄されることによっても消えてなくなるのである。

実際無数の機会に拍子は心情と融合して造形作品をなし、その「リズム的韻律」あるいは「韻律的リズム」は徹底的に完全に一体化した全体をなすものとなって現れているためにあらゆる研究者がその内部における分裂を見逃してしまったほどである。拍子自体にすでに分裂があるのでなければこのことは確かに理解しがたいことであろう。疑いなく拍子を含んでいるはずの未開人のある種の歌謡からどんな拍子ももはや聞き取れないということは一体全体どういうことなのか。拍子配分の異常な不規則性、加えて拍子の長さやその多様性が大きいこと等がある。三つのすべての要因は規則を把握することを困難にするものであり、したがって本質的に反規則的なものであることを熟考すると、拍子における規則の現象とは系列の現象である、ということである。

繰り返しは系列でありそしてそれだけにあるものである。そして分節が単純なものとなり互いの間隔が正確に均一になればなるほど系列はそれだけ明瞭に繰り返しとなって現象してくる。規則正しい一音系列があり、それに続いて初めて拍子の手本となる二音系列が来る。こうして二拍子においては繰り返される間合いが同一であるところに精神が証明され、それに対して上昇と下降とが交代するところに生命が証明されるのである。規制する境界を設定することと、揚音と抑音の交代やアクセントの強弱の交代によって設定された境界に向かって駆り立てられるように感じることとはそれぞれ別のことである。単に精神だけでなくなおそのほかの何かが二拍子には関与していなければならないのであるが、いまやこれこそリズムであることが分かった。そのときには未解明のままにおかれた疑問、つまり受動的に聞き取る人は確かに系列は聞き取るが、なぜ一音系列を聞き取らないのかという疑問に対する回答はこうである。なぜならその人の中で行われる境界を区切る精神の行為は拍動の上昇と下降とによって同時に規定されているからである。もちろん本物の脈拍は韻律的にチックタックとは全く異なるものであり、むしろ急激に上昇し砕け散って下降する波に似ている。聞き手が機械が打つ拍子の規則的な継起を聞いてときおりそれを意識しないでイッチニ、イッチニと言うふうに数を数えるきっかけを与えるようなものではまったくない。このことからはっきり言えることは、分節化はたとえ生命的搖動を必要としてはいても精神的加工のために行われるのである。そのようにして発生した系列が拍子の系列になるためには、この生命的搖動が精神的加工に劣らず同じように意のままになり効力をもつものでなければならない。

もう一度まとめておこう。二拍子における精神について問題になるのは、方向の転換点を標識することとそれによって初めて数を数えることが可能になるということ、また二つの終端のあいだの運動が直線的ではないことに対して精神は盲目である古都、決定的には規則的な系列を作るために音群を利用することである。それに対して二拍子における生命について問題になるのは、その拍動する上昇と下降である。このような二重の性質のために、生命と精神とを幾何学的な場所として表現すれば、拍子はリズムと抗争しながらしかしなおリズムと結びつくことができるのである。

原始民族の音楽に固有な特徴に導かれて考察を進めてきた。そして原始民族の音楽においてもまたもちろん拍子が現存することは明らかになってきた。まず最初に指摘されたその固有の特徴を解明することが困難なのである。その特徴とは未開人の打拍が非常に正確さで打たれかつしばしば長時間同一形態のまま続けられること、それもとに未開人の舞踏に際してそうであることである。しかしここでは鉄道旅行の際に車輪の拍子に関して取り上げた疑問と同じ疑問が生じる。つまり疑いなく「音によって告げられている」拍子は、そう要請しなければならないと思うが、いまや同時にリズムを助けて確かに圧倒的な強さをもつ表現を与えているのではないかという疑問である。すなわち、ガラガラ、リンリン、ガチャガチャ鳴るこれらのあらゆる音の自然音のような音色の中に我々はあの様々な形態をした音がもつリズム値を見出していると信じているのである。変化に富んだ単調さがしかしとりわけ密かな振動が共通していることを見出すことであろう。この振動によって上に述べたもろもろの音は、たとえそれがもっと未開な民族のものであろうとどんなメロディの音とも区別されるのである。この舞踏に伴う音についてカタカタする、カチャカチャいう、ゴウゴウ鳴るなどの動詞で描写しているものは、途方もない速さの振動というその独特さのおかげで心情を振動させる音なのである。それはあまりに内的なものとしてとどまるために普通にはそれについて説明することができない。未開人の打拍はそれが厳しく節度をもってなされてもその音色の力で過程全体が大気的な振動で充満されてしまう。この振動は部分をなす印象を一つ残らずそり息吹で包み込んで、嵐のようなリズムの息遣いの波浪の中に飲みこんでしまうのである。

2013年2月16日 (土)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(8)

第8章 分極した連続性としてのリズム

極とはもともとは回転中心を意味する。球状描かれた宇宙の回転軸の両端に用いられ、主にただ一緒に出現する時に何らかの対立する作用として現われる「力」に転用された。したがって、特定の条件のもとでは二つの極の一方がもう一方なしに在ったり生じたりすることがありうるとしても、分極した事態とは常に双極的事態なのである。ここまでは生命学的な極概念と物理学の極概念とは合致している。しかしそこから道は分かれる。生命学においては双極的全体のどの極ももう一つの極と質的に対立している。それは現代人の耳にもわかりやすく言えば喜びと悲しみという対立的感情値を負わされた双極に比べられる。

ロマン主義の哲学は、的確にも三という数の古代的聖性にいたる基盤となる誘因を突き止めた。というのは、あらゆる生命体的生命の現象は双極性の観点からとらえなければならず、それゆえこの双極性に対すれば全体は第三のものであることを示したからである。したがって両極は、どちらもがそれが現にあるためにそれを補完するもう一方を必要とするが交換は不可能な相異なる二つの事態であることに自ずからなるであろう。さらに、両極の重さは決して平衡状態に達することはなく必然的に異なっており、そのために依存関係もまたその程度変化するのである。ロマン主義は、極性思想を宇宙の極性思想にまで拡大することに何のためらいも見せていない。リズム的交代の中に何よりも生滅に従って分極した宇宙的生起を見出すことに何の疑念ももたない。そのような現象のリズム性は大部分は推測されたリズムに過ぎない。しかしそれは現象界の領域にあり、我々に直接現象するリズムについてその本質的指標をいわば巨大なまでに拡大して見せてくれる。それに従えば、交代的生起をリズム的な交代的生起にするものは、原則的に測定可能なあいだではなく、上昇と下降の、そして下降と上昇の質的対立であることが反論の余地がないほど明らかになる。したがって類似の期間に類似の新しいものが生じるためには、更新されるべきものは滅びなければならない。それこそがまさに、拍子を伴うか否かに関わりなく、リズムの名を担うに値するすべての先後あるいは並存の意味である。

出会うことと別れることという人生の免れがたい交代につれてあらゆるリズム的な脈打ちを何よりも人間の生命を映し出す深い感動にかえるものは、ただそのような分割規則には含まれていないものだけなのである。我々はまた生命の悲哀に満ちた喜びとこの喜びとのあいだにある裂け目もまた知っている。

今や一つには分割不可能の動かされ方と、次いで常にただ類似したものが常にただ類似の回帰を示すこととがともに不可欠であることのより深い根拠が、どの程度明らかにされたか、あれこれと話を展開する必要はない。

もし拍子が規則の現象以外の何ものでもないとしたなら、この間に明らかにされたことのすべてに従って、リズムを破壊することなしには拍子はリズムとは結びつき得ないということになるであろう。なるほど不完全な特徴づけで一応満足することにしたということは繰り返し述べておいた。つまりもし表紙も韻律も繰り返されることがなかったなら、拍子は拍子でなく韻律も韻律ではないという事実である。さてしかし、拍子づけられたリズムがあるだけでなく、さらに拍子を導入することによってリズムが強められることさえ起こる。根本的な解答はただ次のように表わすことしかできない。拍子の名に負わされている規則現象は何らかの性格特徴によってリズムに関与していなければならないのであって、そうであれば確かにその特徴は精神の生命への侵入を物語るものであると同時に敵対する二つの威力の結合箇所を意味するであろう。

2013年2月15日 (金)

最後の山への思い出

今回で、一応の区切りとしたいと思います。前置きは省略して本題に入り、今まで散々勿体ぶってきたので、最後は単刀直入に結論めいたことから始めます。

これまでの文章の中で、少しずつ形を変えて呟いてきた「なぜ山に登るのか」という問いかけです。この問いかけに対する明確な答えはありません。拍子抜けしたことと思いますが、この問いかけは答えを求めていないのです。多分、この説明では釈然としないことと思います。そこで、そもそもこんな問いかけが、なぜ発せられたか、ということを考えてみましょう。たいていの場合、このような問いかけをするのは、実際に山に行かない人です。会話の席等で、ある人が山登りが趣味と話しているのを聞いて、事情が分からないまま、「なぜ?」と訊いてしまう。いわば野次馬です。このように場合には、問う人は説明を求めているわけではないので、センスよく躱してあげるのがカッコいい処し方と言えるのではないでしょうか。マロリーというエベレストの頂上に向かったまま還らなかった登山家が残した「そこに山があるから」という回答が有名です。(ちなみに、マロリーがエベレストの頂上に立ったかというのは20世紀の登山の世界での最大のミステリーで、もし、彼が頂上に達していれば、ヒラリーとテムジンより数十年前にエベレストのみならず8000m峰の最初の征服者として、アムンゼン等と並び称せられると言われていました。)では、野次馬の他に、このような問いかけをする人がいるのか、というと当の山に登っている本人が問いかけることもあるでしょう。しかし、考えてみてください。例えば、好きな人ができて恋愛の真っ最中に、「何でこんなことしているのか?」などと思う人はいるでしょうか。だいたい、熱中しているとか、充実感を感じている時には、それ自体を問うことはない筈です。ではどのような時に問いが生まれるのか。一番分かりやすいのは恋愛が突然終わった時、つまり失恋したときです。多分に後悔を含んでいるでしょうが、「何で、こんなことをしたのだろうか?」と真摯に問われるわけです。ことは他のことに対しても通じると思います。そして、その答えを悶々と考えているうちに、新たな恋人ができて、そんな質問は、どこかへ吹き飛んでしまう。「なぜ山に登るのか」も同じに考えていいと思います。私が、初めて北アルプスに出掛けて、その登りのきつさに、「何でこんなことやっているのか?」と考えたのは、問いというよりは、辛いと感じたことから逃げ出したいと思ったことからでてきたものに他なりません。そこで、無理やり言葉を取り繕って答えを提示しても、辛さが消えるわけではないので、当時の私なら、どんな答えを聞いても納得することはできなかったでしょう。

そして、ごくまれに、こういう場合があります。それは感動した場合です。感動などと一口に言いますが、そう簡単なものではなく、それこそ天地がひっくり返るような場合、極端なことを言えば、それまでの人生はなんだったのかと否定されるほどの衝撃を受けたような場合です。そうでなければ「何なのだ?」という根本的な問が発せられることはないでしょうから。20世紀を代表する哲学者と言われている、ヴィトゲンシュタインとハイデガーの2人のやっている哲学は全く違うのですが、彼ら二人に共通していることがあって、普段の日常生活では触れることが無いのだけれど、そして、一生遭遇することが無い人もいるかもしれないが、極限的な状況に出会った時、人は自分が「いま」「ここに」いるという事実の不思議さ、奇跡的なことに直面することになり、その時人は驚く以外にない。哲学とは、そもそも、その驚きであるという認識が出発点であるということです。この驚きとは、絵や音楽に出会った時の感動とも言えるでしょうか。哲学者は哲学をはじめるのなら、音楽家は音楽をつくり、画家は絵を描き、詩人は言葉を紡ぐ、そういうではないかと思います。私も、長くはないこれまでの生の中で、一度だけ、そうではないかという時がありました。ポゴレリッチというクラシックのピアニストのリサイタルの後半だけでしたが、時間を忘れ、緊張で身体全体が金縛りにあったような30数分間でした。会場全体曲が終わった後でもしばらく緊張が解けず、誰も身動きが取れないような張りつめた数分が続き、誰かがプログラムを床に落としたバサッという音で皆が我に返り、ようやく拍手が起こったという体験でした。それまで聴いてきた音楽がその場では、全て糞に思われたような体験でした。それこそ、「そんな音楽しか聴いていなかった自分は何なのだろうか」とか「今まで、何をやってきたのか?」と問わざるを得ない感じでした。その後、数日間は音楽を聴く気が起こりませんでした。このピアニストのリサイタルには、その後、何度か聴きに行きましたが、音の立ち上がりの見事さ、とくにピアニッシモの危険なほどの美しさに魅入られることはあっても、二度と、その強烈な体験はありませんでした。山で、そういう経験をする可能性はあり得ると思います。私の場合は、ありませんでしたが。それが良かったのか、悪かったのか。

そして、今、私が、ここでこんなことを書いているのは、それら以外のところで、私自身が、もう山へ行くことは無くなり、当事者ではなく、野次馬のような立場になった時です。老い先短い老人が、自らの半生を振り返って回顧録とか半生記などというものを書いて見たくなったようなとき、「これまでの人生は何だったか」という問いをあらためて発するのと同じような場合です。そこには、諦めと、一抹の後悔、そして、ちょっとしたスパイスとして人生への満足感のようなものが起因していると思います。そのように振り返ってみたとき、「山へ行く」とは、どのような体験だったか。それをこの一連の投稿の結論として書いて区切りとしたいと思います。これまでの投稿の中に小出しにしながらストーリーを作ってきたつもりですが、後で、そうだったのかと思っていただけると嬉しいのですが、それだけニュアンスというのか、明確に言葉で語っても伝わりにくいことと思いますので。

山に登るというのは、決して頂上に達するというものでもなく、景色とか、高山植物とか、山での出会いとか、おいしい空気とか、森林浴とか、様々な魅力的なところがありますが、それらは私にとっては本質的なものではなくて、身も蓋もなく言えば、付加価値、つまりオマケです。それでは、つまらないではないか、山で苦行するとか、困難を克服するのがいいのか、といわれても、それも違います。何も残っていなさそうです。では何かというと、山に登るということ、そのこと自体、プロセスです。これは、山歩きでも、稜線散歩でも、沢登りでも、ロッククライミングでも、それをやっていること自体です。そこで感じることのできる全身的な感覚です。伝わりにくいかもしれません。山ではありませんが、ダンスをすることの楽しさは踊っていること、リズムに乗って身体が自然に動いているというそのことではないかと思うのです。他に様々な要素はあると思いますが。で、ひとつの例として、こういうのを考えてみましょう。私は、今、旧い峠道を歩いています。かつては人々が往還し人通りが多かった時もありましたが、今では麓に便利なトンネルが開通し、通る人は稀になり、道は寂れてか細い踏み跡になってしまいました。そこを、今、私は歩いています。この、今私が歩いているのは、峠に至る沢とか尾根といった地形に沿って、人が歩き易いところを先人が踏みしめて行き来をするうちに踏み固められて径をかたちづくってきたものです。この一連の投稿でしつこいほど書き込みましたが、私は山でバテないためにペース配分とか、歩くリズムとか歩き方をテクニックとして意識して練磨しました。かつて、この峠道を歩いた人も意識してか無意識にか、険しい登りを自分のペースで歩いて、峠を越えて行ったはずです。その軌跡が踏み跡として残され、の踏み跡の蓄積が径となったものです。だから、このような径はかつてそこを歩いた人の記憶の集積なのです。そこでは屈強の強力もいれば体力のない人が苦しみながら峠越えをしたかもしれません。それぞれの人が径を踏んできました。だから舗装道路のように真っ平ではないのです。だから、そういう凸凹を踏んでいくということは、かつてそこを踏んだであろう先人たちと同じところを踏んでいくことになるわけです。全く同じ踏み跡をなぞっていくことができれば、同じ歩幅で同じ歩数で歩くことになりますから。ペースもリズムも同じようなものなる、つまりは同じような息遣いでそこを歩くことになる。というと想像が飛躍しすぎかもしれません。現実には、他人とおなじ息遣いで歩くことなどできないし、個人の痕跡がそこまで明確に残っているわけではありません。しかし、どういうわけか、そういう道では歩く人の傾向がでてきて、踏み跡の個性が出てくるのです。これは実感としてあります。それは、そこを通る人たちの個性であったり、その地形や土の柔らかさ、植生、様々な要素で違いが出てくるのです。そこを実際に歩いて、踏み跡を追体験する。その踏み跡のリズムやペース配分の痕跡を実感しながら、そして、今、ここを歩いている私の痕跡が、これに加わっていくということ。この場合、面白いもので、私のリズムなりペース配分と、ここの踏み跡に残されているものとの相性がでてきます。感覚的なことですが、歩き易い道とどういうわけかバテてしまう道があるんです。かりに、歩き易い道に遭遇したときの調和した感覚、ホントにハマるという実感があります。そういう感覚は離したくない、ずっとこのまま歩いていたいと思わせるものなのです。小説なんかを読んでいて熱中してはまりこんでいると、クライマックスがあって、そろそろ終わるのが分ってくると結末に行きたいけれど、もうちょっと読んでいたい、というアンビバレンツな願望に捉われることがあると思います。この瞬間がずっと続いてほしい「時よ止まれ、君は美しい」とファウストが最後に叫んだアレですね。それを瞬間ではなくて、持続した時間のなかでずっと続けていられる。(それが山に登るということです。これは、峠道に限らず、ロッククライミングでも沢登りでも、冬山でも全部に通じます。ロッククライミングならば人跡はないですが、自然の刻まれたリズムとの対話や調和を身体で感じることができます。岩登りの基本の一つはリズムとタイミングです。また、これは私自身のコンディションによって歩くリズムが変わったり、峠道も天気や季節によって様相が変わりますから、仮に一度は調和できなくても、違ったコンディションでは調和できるかもしれません。だから一期一会と言えるかもしれません。)カッコいい言葉でいうと、ハレの瞬間というような非日常ということではなくて、日常の延長の中で、というよりは実は日常の中にあって日頃は気づかないで過ごしている至高さをつぶさに経験している時間とでもいうのか、持ち上げすぎかもしれませんが。かなり宗教っぽくなって、教祖さんが騙っているようになってしまいましたが、今は山に行っていないので、理想化しすぎたかもしれません。

2013年2月14日 (木)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(7)

第7章 リズムの時空性

リズムはこれまで前提されて来たように現象の時間性だけを貫き支配しているのかあるいは空間性もまた貫き支配しているのかを決定して、この枠を考え方の上でも急いで一掃しようと思う。造形芸術家ならためらうことなくリズムが空間性をも支配していることに賛成するであろう。建築物のリズムや筆跡のリズムあるいは樹皮の模様のリズムや木の葉の葉脈の李図家について語れば、彼はそれを理解しそれがあまり気づかれていないと思うであろう。これは単なる比喩があるだけなのであろうかあるいはとりわけ時間的な韻文のリズムと同じような何か原初的なものがあるのであろうか。次の命題をもって答えよう。空間的現象でもないような時間的現象などありはしないし、時間的現象でないような空間的現象などありはしない、と。そして現象の時間性のリズム的分節化はしたがって常に現象の空間性のリズム的分節化であり、逆もまた同じである。

誰かがフルートの音を聞くとすると、その人はそれをどこかある場所から聞こえてくる音として聞く。しかし、その源をどこに置くにしても、フルートの音の発生個所が特定のどこかに位置していることに疑いを抱くことは決してない。ここで問題にしているのは、その音の物としての発生基盤ではなく現象自体である。そして音の現象に関して不可避的に確信されることは、音形象は空間内で起こっているものとして把握されるということである。音を聞く人にとって聞くことができるのは必然的に聴空間に属し、聴空間は再び視空間、嗅空間、味空間、触空間、寒暖空間等とともに同一の感知空間に属しているとするなら、そのことから、どんなに奇妙に思われるにせよ、我々は音を聞き取りながらとりわけ現象する空間そのものに気づいていると結論するよりない。事実さらにそれ以上のものを聞いているのである。

聞こえるものを空間内で起こっているもの生起するものと呼んだことには、意図がないわけではない。雑音であれ響きや楽音であれ聴覚に現象するもので、その瞬間に作用的威力の表現とならないものは一つもない。そしてその上このことは聞こえる音について例えば単なる色彩印象よりも本質的にずっと多く妥当する。音の世界は色や影や光の世界よりもはるかに高度に力動的な世界である。そしてこの点でこれに比肩し得るものは運動形象だけである。したがって音と運動のとの間にはいわば心情的な引力があって、その結果、音が奏でるリズムはどんなものでもリズム的な運動を生み出さずにはいられないし、リズム的な運動はリズム的な音を生み出さずにはいない。そもそも耳が聞こえなかったなら人類が踊りを思いつくことなど決してなかったことであろう。音はときに煩わしくときに魅惑するように我々に迫るが、常に多少に関わらずわれわれを揺さぶる。響きのリズムは時間現象を分節化するばかりでなく、それを越えてさらに空間現象をも分節化するのである。というのも、響きのリズムが空間現象を生命的威力の交代運動で満たすからである。

瞬間的なものの現象と持続するものの現象という二つのもので時間性の印象が作られている。空間の任意の二点は互いに別のものとして在り、しかし同様にまた時間の任意の二点も互いに別のものである。そして例えば遠と近との対立は、空間と時間という二種類の別異のうちの一方にだけ認められる対立であるとはっきり言えるようなものではない。むしろ直接体験された類似性に基づいて時間的な先後になる。ただし空間的前後に対してだけは、さらにそれをそれ以外に並立の観点から見ることも許されているという重要な点で区別されてはいる。

現象空間は時間の表現領域であるとまとめてもよい。二つを結ぶものは再び運動体験にある。この運動体験にために任意の線がそれを体験するものに対してある生起の現象となって現れるのである。まとめると、空間と時間とは現実の現象における分かち難く結ばれた二つの極である。そのようにして聴覚形象においては空間極が時間極に依存し、視覚形象においては逆に時間極が空間極に依存する。したがって現象面から見れば空間的分節化なしにはどんな時間的分節化も生じないし、しかし同様にまた時間的分節化なしにはどんな空間的分節化も生じない。そしてリズムの本質の指標は空間的形によっても時間的経過によっても同じように論じることができるのである。

さてリズムの空間的分節化が時間的分節化と並ぶくらい安定的に現われるときには、そこに絶え間ないリズム的交代が含まれている。ありとあらゆる自然の対称性のなかでそれが実現されているのがわかる。ある装飾の一部である分節がそれとしてはまだ対象的ではなくても、それが列をなすとリズムが生じる。それに対して対称的な形をした造形は、それだけですでにリズムを持っている。しかし対称的に分割できることに物理学のいわゆる「対称的対立」しか見ようとしないで満足するとしたなら、本当のリズム的空間現象をただの拍子の反復のような複製と取り違えてしまうことになるであろう。例えば、動物や人間の身体を前から見た像を垂直面で左右が同じになるように分けると、その鏡像的な半身像は互いに異常なほど似ているが、しかし決して交換可能なほどの同一性を持たない。機械の運動で運動のパターンが連続的に繰り返されているのとは反対に、自然の過程は常に類似のものが回帰するだけである。それと同じように個体生命の身体においても対立する半身の片方がもう片方の正確な写しであることは決してない。自然から取り出した我々の例は、拍子めいたものを全く示さず感受者の心情にリズム的な振動を引き起こす疑う余地のない能力をもつ現象的出来事を見せてくれる。人間の随意の拍子をつけられた作業が拍子とともに、われわれが拍子との対立からリズム値をもつと述べておいた二つの現象特徴を含んでいるまさにその限りでのことである。

2013年2月13日 (水)

しつこく 山への思い出

三木清の『人生論ノート』(私の若い頃は「新潮文庫の100冊」に入っていました。学校で夏休みの読書感想文の宿題になったりして、難しくて難渋した思い出があります)の中に「旅について」という掌編のエッセイがあります。教科書にも使われたりして、割合有名なエッセイで、名文ということになっていますが、名文というのは響きはいいのだけれど、大体において読みにくい。何を言いたいのか、かえって分かりにくいケースが多いです。この三木清の文章も、その典型のようなもので、いろんなところに話題が飛び、読む者は振り回されるのですが、私なりに要約すると、旅というのは、「ここ」から「あそこ」へという移動ではない、目的地があるのは旅とは言わず旅行というのであって、その移動するプロセスが旅なのだ、ということです。そこで、三木は有名なテーゼ「人生は旅と同じだ」を言います。それは、人生に目的があるように見えて、実際のところはあっちへ行ったり、こっちへ来たり、日々の目前のものにかまけて、あるいは振り回されている。それは旅の漂泊(行き当たりばったり)、観照(意外と見えてきちゃう)、感傷(悲しかったり、嬉しかったり)という要素に通じている。

これは、poemさんが取り上げたように芭蕉の句に、日本人が感じるものに通じているものではないかと思います。

「この道やゆく人なしに秋の暮れ」

だったと思いますが、一人旅で歩く道を詠んだのか、人生の道行きを指しているのか、どっちともとれる句ですよね。芭蕉ではないのですけれど牧水の

幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく

なんかもその部類ではないでしょうか。

いまでこそ、山ガールとかいってメジャーになりましたが、以前は山をやっているというと、マイナーとか、遭難しそうなとか、親不孝とか言われたり、私の数世代前では山岳遭難が多発した時などは反社会的とまで言われたこともあったそうですが、それなりの覚悟が必要で、それなりに理論武装をしていた時代もあったのでした。多分、自分はマイナーであると自覚したときに、その裏返しとして「自分は他の人とは違う」とでもいうような転倒したエリート意識のようなものがあって、そこに、冒頭で紹介した「旅」という概念が使われていた。今でも、登山のハウツー本には、多少でもそういう記述が含まれているようです。私が、この一連の書き込みのなかで「何で山に登るのか」的な問いかけを毎回、どこかに置いているのは、私もそういう考えから逃れられていないためでもあります。

さて、今回は格調高く始めてみました。かなり背伸びしてます。なので、通常にもどります。後輩に様々な山行に連れて行ってもらった1年が過ぎて、サークルの中ではアイツらは別格の山好きのような見られ方をするようになっていました。3年生になると、4年生は就職か進学で忙しくなるのでサークル内でのリーダーの役割を任されることになります。そうです。1年の時について行くのが、やっとだった私が、初心者の1年生を山へ連れて行かなければならない立場になったわけです。それだけはカンベンというのが、本音偽らざるところなのですが、だってリーダーがバテたらみっともないどころではなくて、パーティ瓦解ですから、別格の山好きと見られてしまっては逃げられません。そして、こともあろうに、珍しくも入部した女子部員を連れて行くことになってしまいました。今なら差別でしょうか、当時は女子部員はおミソが性別を見ないかどちらかで、あらたに入部した女子はおミソと(その女性は女の子していたから)見られていました。それで、とにかく、私はバテずにパーティのメンバーを無事に山行を経験させなくてはならなくなりました。そして、できればおミソの女子部員に辞めようとは思われないように山は楽しい、あるいは何かしら魅力があるということを感じ取ってもらうことも課せられることになりました。山行のあとに彼女が退会すれば、私が責任を追及される(笑)ことになるのは必定ですから。自分一人だけでも手に余るのに、複数の人間を山に連れて行って、無事に帰ってくる、しかも、その人たちに山を好きになってもらいたいという課題を課せられた形になってしまったわけです。といっても、あんまり深刻に考えるのは苦手なたちの私です。そうでなければ、お荷物になりながらも、こんなサークルに図々しく居続けることなどできはしません。余計なことは考えず、自分がバテないことと、安全に終わることだけを考えることにしました。ですから、自分が1年生の時に経験したことを反芻して、それを基本にしてどうするかを考えたわけです。

しかし、目論見通りに事態は進まず、本番の夏山への準備として行ったトレーニング山行で、リーダーでもあろう私が他のメンバーにおいて行かれてしまったのでした。バテました。その時は。パーティのメンバーに軽蔑されているように思えて、メンバーの顔をまともに見ることはできませんでした。週明けの授業で学校に行けば、パーティのメンバーに会うことになります。どのツラ下げて…というのが正直なところです。結局、時間は経ってキャンパスでメンバーに会いました。しかたなく、何事もなかったかのように接してそのまま通しました。メンバーたちがどう思ったか、分かりません。しかし、これに懲りて山で背伸びするのはやめて、このパーティはリーダーがバテるおそれがあるから、安全第一でキツいことはしない、という方針を打ち出して開き直りました。そのときの選択肢は、それ以外に考えつきませんでした。その時の1年生に、あとになって話を聞いたら、それが却ってよかったようでした。山をバリバリやる人のパーティになったのでコワそうだったのが、違う(?)ようだと思ったということでした。その時に、お恥ずかしい話ですが、下級生たちは私にとって他者であることに気付きました。当たり前のことですが、考えてみれば、それまでの私には上級生は山に連れて行ってくれるもので、遅れないようについて行かねばならないものでした。そして、下級生は連れて行かねばならないものだった。しかし、上級生とか下級生とかいっても、一人一人はそれぞれ違う登り方をするし、山に対して違った向き合い方をします。それを、私は自分が行動するためにこの人達を十把一絡げにして、抽象的な対象としてしか見ていなかったのでした。前に、想像としての山という考え、主観的な山への対し方を考えたことを書きましたが、それは私が主観的に対する姿勢であるので、当然、私以外の人間がいるわけで、その人たちはそれぞれに主観的に想像の山を持つことがありうるはずです。三木清は「旅は自由なものだ」と最初に紹介した「旅について」で書いていましたが、私が私の想像の山を通そうとすれば、同じようにAさんはAさんの想像の山を通そうとする。そうなった以上、私はAさんを尊重せざるを得ない。多分、三木はそれぞれが尊重するところに自由が生まれると言いたかったのかもしれません。このことは議論として展開させると、言葉が独り歩きしてしまいそうなので、ここでやめます。

そして、そのことに気付いたとき、初めて調和ということを考えました。違うものがあるから、その違うものが調和できるのです。例えば、音楽のハーモニーは違う音を合わせることで生まれるのです。同じを無限に重ねてもハーモニーは生まれません。それは、単に揃った音でしかありません。例えば、山で歩くペースは人によって違います。各人が自分のペースをもっていて、それを強引に特定のペースに合わせることを強要すると無理が生まれてくる。私が、上級生について行こうと無理をしたのも、そういうことがあるかもしれません。(しかし、自分とは異質のペースを体験することで、自分のペースの幅が広がる可能性もあるわけで、何よりも山では安全なところに出来るだけ早く着いた方が危険を免れる可能性が高くなるので、このことを一概に否定するつもりはありません。)音楽をプレイしていて、ピッタリ合った時と、とても気持ちがいいものです。同じように、パーティの人達のペースが調和した時は、気持ちがいいのかもしれない。その試みとして、パーティが一列に並んで歩く場合、リーダーかサブリーダーがトップに立って先導します。これは、道を探しながら、あるいは危険個所を最初に察知するということとパーティ全体のペースを作るという意味があります。それを1年生にもやってもらうことにしました。もちろん危険が少ないところでトップの後ろに熟達者がつくことはしましたが。それが上手く行ったかどうかは分かりませんでしたが、トップを経験した1年生たちには自分で考えながら行ったと好評だったように感じました。それが調和という結果を得られたかは分かりません。

そして、そこから、もうひとつひっくり返して、パーティの人々が調和するという、そのベクトルを別の方向に向けることも可能ではないか、ということに気付きました。

山のことを話しているのか、だんだん分らなくなってくるようです。ヘンな宗教っぽくもなってきているみたいです。修行の話のような。段々と屁理屈の部分が増えてきて、読みにくくなってきているかもしれません。

最初は、とにかくpoemさんの巧みな扇動の乗せられて始めてしまって、行き当たりばったりだったのですが、あと一回でまとまりそうです。

2013年2月12日 (火)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(6)

第6章 反復と更新

数学的正確さで動く振り子時計はない。しかしそれの誤差はふつうの人の気づくことのできる限界の彼方にあり、したがって現象の領域にはない。それに対して自然の水の波は、どれもその前のどの波とも目に見えて異なっている。拍子が同一のものを反復するとすれば、リズムについてはこう言わなければならない。リズムでは類似が回帰する、と。さてまた類似のものの回帰は流れ去るものとの関係ではそれの更新考えられるので、端的にこう言わなければならない。拍子は反復し、リズム更新する、と。拍子が精神に所属しリズムは生命に所属するという対立が、連続性という事態よりも更新という事態においてもっとくっきりと現われる。何かが反復されるとすれば、反復されるべきものはそれに続くもが右に倣えする手本を意味することであろう。右に倣えすることができるとしたら、模倣像を生み出すか手本と模倣像の両者を生み出すかする知性が働いている。精神をもつ性情だけが、拍子を前の模倣像にし、尺度を基本尺度の模倣像にすることを可能にする。それに対して精神を持たない自然には模倣像や反復といったものはない。どんな水の波も前の波を模倣しない。宇宙の運行は新たなものをそして繰り返し新しいものをもたらす。しかしその無量の系列の区別することのできる一つ一つの分節は互いに似ている。

我々はすでに類似体験の中に生起の感知性の基礎を認めた。そしていまや類似体験の可能根拠が次々と続く体験内容の現実的類似の中にあることを認めるのである。同一のものとは思考が産み出した思考物であるそれは人為によって、決して厳密に正確ではないがしかしほとんど正確に感知的物質の中で実現される。類似のものとは精神の行為的活動とは独立に生じる体験内容であり、我々の思考はそれをただ指示するだけで、把握や測定によってそれをわがものとすることはまったくできない。しかしどんな任意の感知形象においてもその区別可能な部分あるいは側面が互いに似るということは、おそらくそもそも区分可能な感知形象同士もまた互いに似ているということであろう。そして、一つの宇宙的リズムを推測させるものであろう。

現象学者は、まずは現象からそこに現象しているものへ、さらには直接感知される自然な推移を見出したが、躊躇することなく我々の感知的な記憶の助けを借りてリズムに関する我々の知識を拡大することにしよう。肉体のリズムに対しては近似値を見出すことを望むことはできる。しかし慣用的な言い方で機械的と呼ばれる抽象的な過程に対してするように、生命過程を計算しようとしてはならない。生命体生命においてはすべてが更新されるのであって、反復されるものは一つもない。反復は計算可能である。更新はただ見積もることができるだけである。したがって列をなす渡り鳥の羽ばたき等にリズム的な拍動を見ていると思うことは容易に理解できるのである。しかしまた、拍子に従って飛ぶことは動物には出来ないのは、我々がただの一時間でも拍子に従って呼吸することができなかいの同じである。

いまや、何によってことさらな慎重さで拍子をつける初心者の機械的演奏から完成された芸術家のリズム的な演奏が区別されるのかがわかる。後者では一つにはメロディの運動があらゆる節目に橋を架け、休止さえ生き生きとした振動で満たすことである。次にまたリズムが妨害されるまでにはならないかすかに感じ取れる範囲内で、テンポが絶え間なく動揺することである。この動揺に対しては決して推移の法則を見出すことも、もちろんずれの大きさの法則を見出すことも出来ない。そして常に、連続的な移行の中で更新されるもろもろの要素同士の相違は気づくことはできるがつねにただ感じ取れるだけの動揺範囲の内部にあるのである。このことは生命的作業を機械的作業から際立たせているものであり、そしてそれがないために結果として機械的作業には、拍子づけられた歩みをリズム的な振動で満たすことができる唯一のもの、つまり拍動する波立ちが欠けるのである。

2013年2月11日 (月)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(5)

第5章 リズムに拍子をつける可能性について

拍子体験は目覚めさせかつ覚醒を維持するが、リズム体験は緊張を緩めて夢に移行させることがあり、それどころかついには確かに睡眠に沈みこませるということであった。しかし列車に乗って車輪の立てる機械的な音の拍子を聞くともなく聞いているうちに、しばしば緊張が緩んで夢の中に落ち込んだり、ついにはまどろみの中に沈みこんだりしなかったひとがいるであろうか。そのような事実はある。しかし、車輪の拍子それ自体が緊張を緩めるのではない。そうではなくてこの例では拍子と不可分に結びついた前方へ動かされている体験が緊張を緩めるのである。列車の走行のリズム的作用に車輪の拍子は関与しているがリズム的作用は車輪の拍子だけから生じるものではない。線路の継ぎ目の上を回り続ける車輪がガタゴトと立てる音は、我々にとってその瞬間ごとに驀進していることの標識である。何ら精神的努力しないでも前進運動は車輪の立てる音の中に聞き取られる。そうであめからこそ他にみられないほど高度に機械的な拍子でもリズムの緩めるような波打ちに我々をゆだねるのである。この機械的拍子が前進運動を標識することができなくなると、この効果はすぐになくなるかかなり減退する。

リズムと拍子とが対立しているからといって、運動の連続性がリズムとして体験されるためにそこに拍子が加わらなければならないような特定の場合があることはまったくないことが分かるだろう。それゆえやはり決定的なのは運動なのである。

非随意な拍子とは精神に由来するものばかりではないと述べた。リズムに拍子をつける可能性についての話を挟んだことで、それよりもう少し明確に、その発生源の本質的相違にもかかわらずリズムと拍子とは人間の中で互いに融合しうるということが示された。というのもすでにあるリズムでさえ拍子をつけることによって場合によってはリズムの作用が強まることがあるからである。

続々・山への思い出

だんだん、自分の中で加速度がついてきました。お調子者です。昔から、丁度良い頃合いというものを知らないので、よく失敗します。それさえなければ、もっと出世できたのに…などと恨めしいことを考えてしまいました。

私も、そういう傾向がないわけではありませんが、山にガンガン登っている人は、特に男性は、大変な困難を克服したとか、山は危険なところだとか、そういう話が好きです。遭難なんてことがありますからね。また、山の景色のことなんか、非常な困難を乗り越えて、普通ではいけないところへ行って見る景色は、そういう経験をした人しか味わえないとかいいます。中には、ケーブルカー等で行って見た来た人なんかに対して、楽して行っても本当の良さは分からないと言ったりします。しかし、楽して行っても、苦労して行っても、そこにある景色は同じですから。たまに、写真なんかを否定する人がいますが、こんなものに、あの風景は映っていないとかいいます。そういう人に、具体的に何が違うのですか、と聞くと答えられないのが普通です。ただし、私は実際の風景と写真に写った風景では、情報量が格段に違うので、そこに作為が生じてしまうことは否めないと思います。例えば、写真では焦点は1点にしか合わせられず、焦点以外では少しずつボケてきます。しかし、実際の風景を目で見ていれば、瞬間ごとに焦点を当てる対象を変えているので、全てに焦点が合っているように見ています。映画でいうパンフォーカスがこれに近いです。まあ、一般的に山での風景は特別と言う人は、そういうことを言っているわけではないので、苦労とか、困難を克服したという付加価値をつけて、風景の価値が高いと言っているわけです。よく新聞などで、日本企業の電機製品や自動車は中国製や韓国製に比べて値段が高いけれど、それは品質が高いとか、様々な付加価値をつけている等と書かれます。だけど、自動車は自動車です。移動の手段という本質は変わらないので。だから、その本質だけが求められるなら安い方がいいに決まっています。しかし、お金に余裕のある人は快適さとか、故障しないとかいろいろ便利さを求める、それが付加価値です。身も蓋もない言い方をすればオマケです。余談ですが、付加価値と言っている日本の有名なメーカーはオマケで勝負しているので、「グリコのオマケ」と同じなんです。脱線から戻りますが、ケーブルカーで行っても、苦労して登っても、本質は同じです。違うのはオマケの部分なのです。要は、そのオマケをオマケとして真剣に遊ぶという無意味さが分っているかどうかです。登山でオマケを突き詰めると、途中の難しい岩場を登ることだけに精魂を傾けるまで行きます。そういう場合は山頂に行くことは目的ではなくなります。そういう山登りをする人達も少なくありません。同じことはスキーやスノーボードを楽しむ人たちだったゲレンデに何度も通う人たち、ゲレンデとは練習場の意味です。では何ために練習するかというと、この場合の練習に対する本番というはツアースキーというのが本来です。ゲレンデに通うというのは本来の意味からすれば、本番へのプロセスに過ぎない筈です。しかし、ゲレンデに通う人の、果たしてどのくらいの人がツァーに行こうとしているのか。整備されてゲレンデから出なければ、スキーを履いているからこそ、足を踏み入れることができる、普段では見ることのできない冬の景色を見ることができません。これは手段が目的化したというのか、それ自体を楽しむということに変質したということです。

また、脱線しますが、ケインズという経済学者は、株式投資のことを美人コンテストと言いました。株式投資をする人は株価の値上がりで儲けようとして株を買います。その時、どのような会社の株を買うのかというと、実力があって業績が上がっていく優良企業でしょうか。違うんです。彼らは、人々が優良企業であると思って株をこぞって買うだろうと予想できる企業の株を買うのです。美人コンテストで優勝するのは、その人が美人であるということではなくて、みんなが美人だと思うだろうということだからです。株を買う人は、だから企業そのものの価値というよりも、その企業の株の値段にみんなが期待する価値を予測して、上がりそうだという株を買います。それをリターンと言います。この場合、他人の動向を推測するから外れる可能性も大きいわけです。そこで、今手許に100万円を持っていて、投資をしようと思うと銀行の定期預金に預ければ確実に利息が付いて損はしません。しかし、1年後の利息は微々たるもの。それに比べて株を買うと予測がはずれれば損をする可能性があります。だから、成功した時は、すくなくとも安全な定期預金より儲からなければ、定期預金ではなくて株を買った苦労が報われない。そこで、株を買う人は最低限のリターンを求めるのです。それがいつしか「大きなリターンを求めるには大きなリスクを覚悟する」という理解がうまれました。これは、他のことでも通用すると思います。「あんなに苦労したのだから…」という言い方はそうだろうと思います。

そこで、山に戻ります。苦労して登ったひとは、それに見合うリターンを当然求めるのです。ケーブルカーで楽に登った人と同じリターンでは納得できないのです。そこで、何らかの付加価値を加えて、あたかもこっちが偉いとでも言うようなことになるのです。

そこでまた脱線です。理論的にはそうなるかもしれません。しかし、現実はどうでしょうか。リスクをとってもリターンを得ることができるとは限らない。(だからこそリスクなのですが)苦労をして後輩を指導しても、期待したほど成長してくれるとは限らない。一生懸命受験勉強したからといって、第一志望に合格するとは限らない。現実とは、努力とか苦労をして期待しても、必ずしも、応えてくれるものとは限らないのです。少々、個人的事情もあり、入れ込み過ぎました。そうであるのを、分っているのです。心のどこかでは分っているのだけど、認めたくない。認めると、自分の苦労が否定されたように思えてしまう。そこで、幻想にすがってしまう。こういう言い方は身も蓋もないでしょうか。

話を山に戻すと、あんな苦労して登ったのだから、そこで得られたものは、ケーブルカーで楽して登ったような人と同じものであるはずがない、と思いたいのです。その願望の「思いたい」が確信に変質し、事実に置き換わってしまう。それを似たような人との中で確認し合う。昔の人の言葉で言えば「共同幻想」です。

かなり長い前置きになってしまいました。いただいたコメントとコラボしてくださったpoemさんの文章に刺戟されて、つい書き込みたくなってしまいました。そして、前回の続きです。大学2年になり、下級生という後輩ができた私は、個人的な山行に出掛け始めたのを周囲から誤解され、山好きと見られるようになってしまい、とくに、ある下級生の後輩から目をつけられたのでした。彼は、高校時代は山岳部で本格的に鍛えられたが、体育会の体質にどうしても馴染めず、大学では山岳部に敢えてはいらず、私のいたサークルに入ってきました。しかし、如何せん、彼にとっては、このサークルの活動は物足りなかったようです。そこで、私に目を付けたようでした。山が好きそうな先輩をけしかけて、個人的な山行に引き摺り込もうと。かくして、経験や力量が上回った後輩に、巧みにチヤホヤされて、私は山行に連れて行ってもらいました。形式的には、私が後輩を連れて行くという名目で。「センパイ、こうしましょう」「ハイ」というような乗りで、実のところ、私の関心の重点は相変わらずバテないことでした。そして、その何度目かの山行で、沢登りに行くことになりました。彼としては、私に沢登りの技術を教え込もうとしたのかもしれません。最初ですから、入門編として丹沢山塊の東側、水無川水系の沢に連れて行ってもらいました。この沢登りというのが、上で長々と書いたプロセス自体を目的とした楽しみ方の典型で、山頂に行くということを考えない山の楽しみ方でした。川の上流の源流に近いところというのは、山並みから落ち込んだ渓谷となっていて、その谷底を歩くということなので、景色とか展望も望めません。ハイキングとか山歩きの一般的な楽しみがほとんどない世界なのでした。

何度か渓谷の遊歩道を歩いた人は分かると思いますが、谷底は視界を遮られ、谷が深ければ日陰となって薄暗いほどです。しかも、沢登りの谷ともなれば当時はマイナーだった登山のそのまたマイナーの沢登りと、あとは渓流釣りの人が訪れるくらいなので道もないところ、河原を流れに沿って登っていくというものです。しかも、川の上流の屈曲を繰り返すので先が全く見通せないので、初めてのときは、まるで迷路を行くかのようでした。しかし、これが逆に先が分からず、屈曲地点に着くたびに先の世界が現れるという、まるで本のページをめくるごとに世界が広がっていくような体験でした。しかも、屈曲地点で現れる世界はそのたびに変化するのです。突然、滝が現れたとか、次は流れがよどんで池のようになっているところが次に現れたり。滝を登ったり、池のようなところを腰まで水に浸かって歩いたり、息つく暇もない、スリルと緊張の連続でした。それは、いままで「何でこんなこと、やってんのか」という問いに「何なんだ、これは!」という驚愕の問いが、加わった時でもありました。この時の極め付けが、秋の紅葉シーズンに行った奥秩父の甲武信岳を源流にする笛吹川東谷でした。とりわけ「千畳の滑」という一枚岩の上を数十メートルに亘って川が流れるところで、一枚岩の上を流れるのでほとんど波が立たず滑るように水が流れので瀬音も立たず、波の白い水泡も立たないため、川面が鏡のようになって、谷間に射し込む陽光を反射してキラキラ光るようでした。しかも、川が流れているのでその光のきらめきが絶えず変化していくのです。そしてさらに周囲の木々の紅葉が川面に映り、光と織りなすさま、そして、その川面の真ん中を歩いていくと、自分が歩くに従って光景が変化していくのです。その間数分間は、桃源郷にいる気分でした。

それは、山へ登るという目的のための手段である行為そのものの存在を認識した時でもありました。

だんだん、山へ行っている時の描写が相対的に減ってきているようです。最初のスポ根ストーリーから、本人的にはビルドゥンクス・ロマンの味わいを加えてきてしまっているようです。

2013年2月10日 (日)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(4)

第4章 意識と体験

ここでは、さしあたり生命と精神の根本的な相異を想定する事がなぜ必然であるのかということの説明を挿入することにしよう。

精神の概念をどのように把握するにせよ、その定義は精神が意識の共働原因でもあることを認めさせるようなものでなければならない。意識とは何をおいても判断能力である。判断を下すことができるなら我々は生きている。しかし逆に、生きているなら判断を下すことができるとは必ずしも言えない。深い睡眠、麻酔、失神では完全に意識喪失状態で経過するとすれば、思考する覚醒状態を生命だけから理解しようとすることは誤りであろう。そうするとどうしても第二の威力が必要になる。この第二の威力が生命内に侵入したために生命の担い手が生命内容を意識できるようになったのである。しかしこの第二の威力について解明することは不可欠ではあるが、生命概念もそれと同じように解明しておかなかったなら、得るところはほとんどないことであろう。生命という名の自室が何であるかと問うことは生命過程という名の事実が何であるかと問うことと全く同じことである。そしてこれに対する答えは、さしあたり、生きた肉体の研究者が関わりを持つ対象の外にある。その答えはこうである。生命過程は体験過程要するに体験以外の何ものでもない。したがって我々の肉体の細胞はどれも疑いなく生きているので、それゆえ直接知ることは決してできないことではあるが細胞もやはり体験している。そして同様にまた全肉体の細胞集団においてもまた細胞は疑いなく生きているので、細胞は体験しつつ肉体の体験に関与する。そして逆にまた肉体の体験は肉体の中の一つ一つの細胞の体験に関与するのである。とにかくそのことから生じる結果が外部のきっかけによっては理解できない感情の形で我々の意識に告げられるのである。例えば睡眠はそのような意味で眠る人の体験であろう。おそらくは疑問の声が上がるであろう。眠りながらまったく意識を伴わないような状態にある時、どのようにしてそれが体験であることが立証されるというのであろう、と。もっとも直接的には感情の次のような側面の変移によって睡眠が体験の一形態であることがわかる。それはドイツ語で気分といわれる感情の側面である。寝入った時とまったく同じ気分で目覚める人は一人もいない。過ぎ去った睡眠は目覚めのはるか内部まで体験の方向を変化させることができる。しかし睡眠中に我々の生命と共に体験もまた流れ続けているのでなかったら、目が覚めた時我々の気分は寝つくことによって中断されたまさにそのところから再び始まらなければならなかったことであろう。

しかし、睡眠の体験内容を想起することよりもっと重要なことは、そのことに基づいて初めて確信される体験一般の無意識性を洞察することである。このことが誤解されるようなことがなぜ起こり得るのかということを理解するため、感覚主義の罪を想い起こしておかなければならない。感覚主義は、自分たちが研究しようとしていると称している印象体験と、少なくとも人間では把握という精神的行為なしには生じない知覚過程とを混同したために、感性過程の理論と認識獲得の理論とを果てしない混乱に陥れてしまった。

体験は意識されず、意識は何ものも体験できない。それゆえ覚醒の生命状態と睡眠の生命状態とが区別されるのは、覚醒体験が意識された何かであり睡眠体験が無意識的な何かであることによるのではない。そうではなくつねに無意識な体験に、専ら覚醒の生命状態に置いてだけ、体験されたものを覚証する能力が付け加わるということによるのである。したがって二つの生命状態が相違するからといって、その二つを切れ目なしに互いに結びつけて考えたり、二つに共通するものをまさに睡眠の生命的性格に求めたりしても全くさしつかえない。我々はこの場所で覚醒において精神が付け加わることは別にして、覚醒と睡眠との交代を基礎づける体験特徴を詳しく述べることができないので、なるほど覚醒は睡眠から切り離されるが、しかし同じように睡眠が切り離されることわけではない。覚醒の浪打ち、つまり肉体的感覚の波打ちの下を睡眠の流れつまり心情的観得の流れが途切れることなく流れ続ける。そして両者の時間的交代の基礎は生命のリズムの交代にあるのであり、決して睡眠の連続的な流れの中断にあるのではない。

我々が見出したところによれば、拍子づけはある時は不随意的にまたある時は意識的に遂行される作業である。緊張が絶え間なく繰り返されると、緊張している個人は絶え間なく力を消費しなければならないので、拍子を体験する人あるいはそう言いたければリズムに拍子を体験する人は、行為的活動がつねに新たに始まろうとする状態にある。覚証することができるためには覚醒していなければならないことは疑いない。しかし行動することができるためには同様に覚醒していなければならないことは疑いない。精神的行為が行われていることを体験している拍子の体験は目覚めさせ覚醒を維持する。それに対してリズムの体験は、もしそれが実際いわば意識の下部で経過するなら、それが優勢になればなるほど緊張が緩みそしてそれゆえにとりわけ睡眠状態に導くことになるだろう。生命の担い手が体験の中に「吸い込まれている」、その中に完全に「没入している」、完全に「沈潜している」、そして生命の波が静まった後に初めて「ふたたび我に返った」と言葉がわれわれに判断させるとき、言葉はそのとおりのことを意味しているのである。

2013年2月 9日 (土)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(3)

第3章 分節化された連続性としてのリズム

ギリシャ語のレイン=流れるに由来するリズムの語を文字通りに受け取るなら、それは何か流れるものであり、したがって途切れることのない連続性である。規則の現象は均等に分節化された系列というかたちをとる。そしてこのような系列には連続性が欠けている。庭の垣根の規則的に並んだ支柱は、それらの間の空間を隙間に変化させる。この垣根の格子にもリズムが現象しうることは否定できない。しかしこのことを基礎づけることができるためには、その前にリズムが現象するのは確かに隙間それ自体の中にではないことを確認しておかなければならない。

しかしここで、リズムの意味を規定するためには単に連続的であるというだけでは少なくとも不十分であると先に言及したことが否応なく浮かんでくる。壁の板が平面的連続性を示しているからといって、それをリズム的とは言わない。

水の波はまずは目に止まり、二番目に初めて耳に聞こえる。しかしそれは運動であり、そしてどんな運動も時間の中で推移している。池の波の一つない鏡のような水面を思い浮かべてみよう。その中心に石を投げ込み、広がる波紋を見ないで、例えば浮かんでいる木片が運動しているその場所に目をとめてみる。その運動はどこで二拍子と同じであると言えるであろうか、どこでそれと異なるのであろうか。強音節に弱音節が続くように、波の山に谷が続く。山と谷とは境界づける打音に相当するが、しかし打音を標示するようなものはない。無数の中間状態の交代に媒介されて上昇は下降へと滑らかに移行し逆もまたそうである。したがって上と下の転換点でも決して尖った角ができることはない。角のない円弧の現象には、見間違いようもなく分節化された運動が途切れることなく連続していることが感知的に現われている。つまりこれは静止状態が互いに反対方向に振れながら絶え間なく交代する結果生じるのである。我々の考察は振り子時計の拍子を打ちながらの歩みの現象と波の現象との本質的相違に迫ろうとするものである。このような考察を追いそしてまたそれを自分のものにできるためには、ここで問題にしているのは物質ではなくもっぱら現象であるということだけを常に忘れてはならない。

打拍を聞くことは打拍が生じたことを確認することである。それに対して波の転換点の知覚は、波の山や波の谷の知覚に続いて生じる。それは、どちらの場合もごく短いがしかしはっきりと気づかれる時間によって波の山や谷の知覚とは切り離されている。この過程の境界はそれが始まる瞬間に意識もされ、まさにそれゆえに枠となって過程を切り離す。この枠によって過程自体が我々にわかりやすく強められて現象するようになる。それに対して、この過程の推移のかたちは境界のような補助線がないのでつねに後からはじめて評価されるよりない。打拍の境界という意味が精神によって時間現象の中に持ち込まれたものであるとしたなら、われわれの把握する能力は波の現象に後からやっとついて行くものである。この事情が教えるのは、境界づける標識のないあらゆる分節化は非精神的な起源をもつことである。

どんな拍子にも始まりと終わりがあるが、しかし波には始まりも終わりもない。そして波に始まりも終わりもないとすれば、それは文字通り何か「無限のもの」である。とらわれなくそのような波の連なりに見入る人は決して波が始まりそして終わったとは言わないであろう。そうではなく波は寄せては返したというであろう。この過程を何か分節化されたものにしているのは常に同一の性質をした境界ではなくてこの過程自体において区別することができる方向の対立である。しかし無限もの把握することができない。もしそれに対して我々は無限のものという概念をもっていると主張しようものなら、こう反論しなければならないであろう。どんな概念も把握的判断と指示的判断という二つの判断様式の基盤となり得る、と。赤と青という概念の助けを借りて我々は赤いものと青いものとを区別する。しかしその際前提されている赤と青という二つの現象は把握することができない。生来盲目である人は、赤と青という名が二つの意味単位を表わしていることを非常らよく理解していても、概念がただしめしているだけのもの、赤という現象と青という現象を見出し、示し、区別することはあきらめなければならない。これらがただ体験されるよりないものであるのと同様に、連続性の現象は体験内容であって把握能力によっては到達できないものなのである。リズムと拍子との混同に現われているのは、生命と精神との太古の混同の何千ものあり方の一つに過ぎない。

2013年2月 8日 (金)

続・山への思い出

前回は、めったにいただかないコメントをいただいて、私は勝手に好評だったと解釈をしました。好評ならば、これに応えねば…と、分かり易い性格と職場では言われています。

前回の話を読んだ方は、辛くて苦しいばかりだったように思われたかもしれません。あと、コメントいただきましたが、夏山に一週間いって一度もトイレに行かなかったことがありました。ウンコもオシッコも出なかった。飲んで食べたものを全部汗とかエネルギーで使い切ったか、それで1回の山行でだいたい4~5㎏は体重が減りました。山中では、俗に食いシゴきというのがあって、無理して食べさせられたのですが、それでもです。山行ではみんなで食料を分担して背負います。食料は重い荷物です。だから食事のときには少しでも余計に供出して荷物を軽くしたいのは人情です。それでいつも食事は多めになってしまう。かといって、食事を残してしまうと残飯はゴミとして別の荷物になる。それで無理して食べるわけです。大学1年生のとき、これだけが理由ではありませんが、私は浪人生活で弛み切った体重を1年間で30㎏減らしてしまいました。その太った時に買ったジーンズを、翌年からダブダフではけなくなり、中年太りで下腹が出てきた今、ちょうど穿けるようになりました。

シモネタついでに山の隠語でトイレに行くことを「雉撃ち」といいます。昔の北アルプスの山小屋はトイレのないところもあり、屋外で用を足すことが少なくありませんでした。北アルプスの稜線は森林限界を越えて這松のような灌木しか生えていない見渡す限り遮るもののない世界で、そこで用を足すには茂みにしゃがんで隠れるしかないのです。その恰好が藪にかくれてそっと雉を狙撃するのに似ているため、そういうのです。バリエーションとして用を足す内容によって、大キジ、小キジ、空キジと言い分けることもあります。また、女性の場合は「花摘み」ということもあります。

さて、脱線が長くなりました。2年生に進級した私は、1年生が新たにサークルに入ってきて、彼ら(今の、このサークルは女性の方が多いそうですが、当時は男しかいませんでした。例外的に女性もいましたが、男として扱われて、彼女ら本人もそのように振る舞っていました)から「センパイ」などと呼ばれて、あることに気づき愕然としました。それは、2年生となり、後輩を指導したり、フォローする立場になったからには、合宿でヘバることはできない、ということでした。しかし、もともと、ヒヨワだった私がたかだか1年のサークル程度のトレーニングで屈強になれるはずもありません。多少は引き締まりましたが、筋肉が付いたというのとは程遠い身体でした。では、ヘバらないためには、下級生の前で恥をかかないためには、どうしたらいいか。ここまで読んで下さった方は、「山はすばらしい」とか「山は楽しい」とかいうことが全く書かれていないので、「この人何で、こんなことやっているか」不思議に思われると思います。ホント、今思うと、馬鹿ですね。他に楽しいことがいっぱいあったのに、特に私のいた学校はテニスサークルが多かったり、合コン天国のような学校で、そういう楽しみの誘惑は沢山あったのでした。東京の「浜トラ」のメッカのようなところで、それなりにJJに載ってもおかしくないような女子学生が多かった学校でしたが、何とつまらない、暗い生活だったのでしょう。

で、当時の私が必死になったのはイメージトレーニングでした。山へ行くのにイメージトレーニングというのも変ですが、1年間の経験で、山中でバテないためには、限られた体力をいかに効率的に使うかが鍵だということを、何となく理解していました。つまり、登山コースというのは一様ではなくて、キツい登りもあれば、自然と足が前に出るような下りもある、同じ登りでも日陰か日なたかで疲れ方が違います。そこで猪突猛進で全力疾走で体力を使えば、途中で使い切ってしまいます。そこで、体力を使わざるを得ないところは仕方がないとして、それ以外のところではできるだけ消耗しないように、歩いていて先の予定がたてば、それなりに使い方を配分できるし、キツい登りでも、どの程度続くかが分かれば、気分的にメゲることはなくなります。そのためには事前、地図を出来るだけ読み込むようにしたのでした。等高線の詰まり具合から登りの傾斜や高低差は分かります。植生記号をみて日の当たり具合を見る。また方向をみて歩く時間から陽光がどこから差すか想像できる。となりの山並みとの距離や高度差も考慮して日陰か日なたか判別できる。ケムシ記号、岩場のことです、があるかないか。点線で表わされる道の屈曲度合いで、登山路の形態、例えば階段状か行ったり来たりの電光のぼりかがわかります。まだまだ他にもありますが、そういう要素を考慮して地図をみながら、体力の使い方をシミュレートしてみるのです。

そしてまた、パーティの先頭を歩く人によって、歩くペースが決められてくるのと、休憩は一定時間歩くと取るようになっていますが、人によって休みやすいところの基準が違うので、微妙に休むペースが変わってきます。例えば、あと5分あるくと良い休憩場所があるからそこまで無理しようという人もいれば、その5分が嫌でとにかく時間で休むという人もいます。そのように人によってペース配分が変わって来るので、サークル内の人物観察も、結構シビアにやるようになりました。何せ私のメンツがかかっていましたから。このように地図での登る登山道の状況とそこを登って行く登り方の状況をシミュレートして、そこで一番効率的に体力を使うことができるためにイメージトレーニングを繰り返しました。

それを合宿でぶっつけ本番で試すのは心許ないので、個人的な山行をして、実践の場で練習もしました。そんな山行でよく行ったのが八ヶ岳という山域です。北アルプス等に比べるとスケールは小さいのですが、こじんまりとまとまった中に、数多くの要素が詰まっている山です。だから、地図でよみとったことを容易に実地で確認できたのです。行程も1泊2日であらかたは見ることができるという手軽さも魅力でした。それは、外からみれば、ほかのメンバーよりも山行に熱心のように見えてしまうわけです。その結果、サークル内で、いつしか私は山好きと見なされるようになってしまったのでした。「何で、こんなことしてまで、山に行くのでしょうね」と思うでしょう。今、こうして思い出しても、馬鹿だとしか思えません。書いていて恥ずかしくなってくるほどです。

これは、今だから言える後知恵のようなことです。このように山に行く前に、出来る限りのイメージトレーニングをすることで、現実の山の前に、想像の山が聳えていたわけです。現実の山は、私がどうであろうと、私とは別に客観的にそこにあるわけです。しかし、想像の山は地図やその他の情報を頼りに私が作り出した、私の主観による山です。客観的に私とは関係なく存在する山にたいしては向かっていくとか、とにかく山に対してこちらから積極的にアプローチしていく姿勢をとることになります。ところが、現実の山の前に想像の山があると、その想像の山は私の主観であるので、私の思い通りに想い描くことができるのです。強い言葉でいえば、そこで私が支配しているということになります。想像の山と言っても地図をべースにしていたりするので現実とかけ離れたものではないわけです。実際に山に行けば、現実と想像が重なるところになっているということです。その場合は、山は、私と無関係というのではなくて、ある程度私が山を支配しているというように姿勢になってきます。

もっと、こじつけを極めさせてもらうと、山という客観的な存在というのは、私がそこに登ろうが登るまいが、そこに存在しているわけで、私がどうであろうと関係ありません。そういう客観的な存在に対して、あまりのスケールの大きさに私は、せいぜいその一部を切り取って見るとか体験するとか全部というのは不可能な話です。これに対して、想像の山というのは、私が想像することによって初めて成立するものです。私という視点が存在の根拠になります。だから、その存在の全部とか一部というのではなくて、私に属するということになります。端的に言えば客観に対して主観です。もし、私ではなくてAさんというひとが想像すれば、それはAさんの山で、私が想像した山とは別の山ということになります。そうなった場合、山のある要素、つまり一部を切り取って、良いとか辛いというのは前者の場合ですが、後者の場合では私はその想像した渦中にいるわけで、良いものとか悪いものとか切り取るというよりもそこに浸っているということに近いと言えます。

別の点でいうと、山でヘバらないために、当時の私がやったことはテクニックを磨くということでした。その際に、意識はしていなかったでしょうが、テクニックで対処できるものという認識が底流にあったのだと思います。テクニックというのは徹底的に人工的なもの、技術です。そして、地図というテクストを介して想像の山という解釈をつくり出していく、こじつけですが、美学理論でいう創造的な鑑賞者というものに近いではないかと思います。例えば、音楽の演奏を例に取ると、ステージでミュージシャンがやっていることは現象として見れば単に空気の振動を起こしているだけです。その振動を音として聞き取るのは聞いている人です。もしそこに一匹のハエか飛んでいれば、ハエは空気の振動は感知するでしょうが、音を聞くということはできないでしょう。つまり、音は存在しないのです。音が在るようなのはそこにいる人が音を聞くから、そう言うことになっているだけです。さらに、聴く人は、その音の連続に何らかの意味づけをします。それが音楽です。つまり、音楽というのは、聴く人がそこに起こった空気の振動から創造しているというわけです。山がもともと存在しない、ということはないので、あてはまるかどうかは議論が分かれます。しかし、山というのが、山登りをする人にとっては、人工的で主観的だ、というのは、今の私が、このブログで美術展の感想などで、主観的にこう見えたということの記述に努めていることにも通じているのではないか、と物語を作っています。

「何で、山なんかに行くのだろう?」というのは、この前者の立場に立った時に、出てきやすい問いといえます。まず、こういうことを真っ先に、質問するのは、野次馬というのか、当事者よりもそれを周りで見ている人達です。実際のところ、それに熱中している時などは、そういう疑問を持つことはなくて、むしろこういうことを本人が疑問に持つのは、何か山に行くことに熱中できず距離を持った時とか、全てを成し遂げて引退などして来し方を振り返ったとき、といったいずれの場合でも、山に行くということに対して当人が距離を持った時、つまりは傍観者に近づいたときです。多分、山登りにそういう問いがよく為されるのは、いくら頻繁に山に行く人でも、山に行っている時と山と離れていくときを比べると圧倒的に山から離れている時間が多いことからではないかと思います。現在の私は、完全に山から離れてしまっています。しかし、当時の私の意識の中では、四六時中、山の中にいるようだったと思います。

そして、このように私の想像する山ということを追求していくうちに、個人的な山行を独りで行くことが、だんだん増えて行きました。

2013年2月 7日 (木)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(2)

第2章 拍子についての暫定的所見

時間的現象要素の規則的な反復という命題によって定義されているものはもちろん現実に経験可能な何かである。たたしかしそれはリズムではなく、単なる系列あるいは拍子である。もしあらかじめ拍子の最重要な属性について簡単な予備考察を行わなかったなら、始めから方向を間違える危険があるであろう。拍子は、音響芸術においてはもともと弦を規則正しく打つことあるいは爪弾くことあるいはまた時間の歩みを打楽器によって強調することに用いられるものであった。

機械仕掛けで動くハンマーで三分の一秒おきに金属製の台を同じ強さで打つようにする。聞き手が音の大きさや間隔を見積もろうとしないで素直に印象に身を委ねるときには、バラバラの音の系列ではなく二音ずつに分節したとりわけふつうには長短格の音群が聞こえる。それゆえその聞き手は隣り合った音が二つずつの音群であるように聞こえるのである。

振り子時計の音に耳を澄ませていると「タックタックタック」と言い表されているような音が聞こえるのではなく、間違いなく「チックタック」という語で表わされるような音の交代を聞く。つまりわれわれがいまチックタックとタックチックタックとが規則正しく交代しているのが聞こえると思い込むことを妨げるものは何一つないはずなのである。しかしそうはならずにチックタックを聞くので、そのことからすぐに次のことがわかる。つまり、聞こえるものを拍子で区切ったり拍子に合わせて「朗誦したり」するように促す力や威力がわれわれ自身の内部にあって、それが可能な限り単純な音群形成を志向しているということである。このことと一致してほとんどのすべての研究者たちが、拍子づけの中に何よりも意図的であったりまったく無意識であったりする作業を見てきた。この作業は印象を分節化することで把握能力を助け、そのことによってこういってよければ感知界を精神に同化する。しかし精神に同化する。しかし精神への同化の研究は根本的に誤った道に踏み込んでいた。というのもそれは、感知形象を加工することとそれを生み出すこととを混同する傾向にあったからである。精神への同化はその本質つまりそれが区分する作業であるという本質が認識されないまま、形を与える作業であるとこれまでも受け取られている。この作業によって、それなしにはいわば現象界のカオス的曖昧さであったものに初めて形(エイドス)が与えられるというのである。

さてわれわれが四つの規則的に繰り返される音の代わりに二つの音群を聞き取り、そのどれもが時計のチックタックに似ているとすると、その場合われわれはいったいどんなことを行っているのであろうか。二つの音をそれらの間にある時間の推移の境界にしたのである。いまやどの音群も一番目の音で始まり二番目の音で終わる時間的区間をつくり出している。そしてまさにそのことによってもう一つの序列の時間的区間つまり一定の長さをもった休止期間が作り出される。それは終わりつつある音群の音で始まりつつある音群の音で終わるあいだの時間である。区分する作業は分割する作業である。そして分割はすべて境界設定によって生じる。「現象における逃走」に境界線を引くこと、そこに精神の唯一の本源的な行為の本質がある。そして18世紀の後半三分の一以降有名になった「多様性の中の統一」とはそれゆえさしあたりただ概念と同じように精神の境界設定によって手に入れることのできる形象を要素とした統一を意味しているに過ぎない。しかしそれは少なくない例においてもっとそれ以上の何かを意味してもいる。拍子の場合がその例である。

聞き手が規則的な音の継起に単純に身を委ねることをしないで、音が等間隔で鳴っているのかを確かめようとすると、その人にとって拍子は消え失せてしまう。そして代わりに即物的基盤としての系列を知覚する。彼に二拍子を聞き取らせた精神の行為的活動は意識されることはない。しかし彼に一音系列が現象している知覚するようにさせた精神の行為的活動は少なくともこの場合意識的なものである。何と言っても彼はそれを把握するためには音群にまとめようとする傾向を排除しなければならないからである。それゆえにこの単純な系列とともに初めて概念と同じようにもっぱら精神の行為的活動のおかげで成立するあの「多様性における統一」が登場する。それに対して明らかに音群系列の成立にはそのほかになお別の何かが同時作用している。分割するそれゆえ規制する行為的活動はむしろ形成的活動であるとする精神の傲慢に由来する太古のナンセンスな思想のせいで、つぎのようなことになったのである。すなわちわれわれがさきに念頭に置いたあらゆる研究者たちリズムを研究していると信じていたが、実のところ拍子を研究していたのである。われわれの知る限り、彼らのうちリズムと拍子をはっきり区別していない人は一人もいない。しかしその区別とは二つの基本的種類あるいはまた段階の区別に過ぎず、それ以外の区別をした人は一人もいなかったし現在もいない。注意深い読者にとっては、いますでに我々の答えが本質的な点で疑いの余地のないものであるかもしれない。つまりリズムは生命現象に普遍的にあるものであり、自明のように、人間もまた生きている性情としてはリズムの一部である。それに対して拍子は人間の作業である。リズムは拍子がまったくなくてももっとも完全な形で現象しうるが、それに対して拍子はリズムが同時に働いていなければ現象できない。

もし拍子を規則の現象と考えるならば、拍子の完全性は一つには規則が単純になればなるほど、もう一つには現象の規則性が明瞭になればなるほど増すことであろう。もしリズムが拍子と同じものであったなら、リズムの完全性という点で、メトロノームに従ってまったく正確に演奏している初心者がメトロノームどおりに正確には決して演奏しない名手を凌駕し、詩を杓子定規に韻律に従って読む子供が決してそのようにはしない朗読家を凌駕することになってしまうであろう。そして結局はリズム的完全性に達すると人間のあらゆるリズム的作業は何であれ作動中の機会と同じものになってしまう。振り子時計のチックタックという音の交代と比較すれば、舞踏や歌は下位段階のリズム的現象であると解されることになってしまう。こんなことを認める人は一人もいないであろう。すぐさま、楽曲のメトロノームに正確に従う演奏のようなものを敢えて言えば心情を持たない死んだ物として体験し、そのような作業を「機械的」と呼ぶのが普通であることに注目しよう。そうすると次のように表現できるであろう。もっとも完全な規則現象は機械であり、機械的運動はリズムを抹殺する、と。

2013年2月 6日 (水)

山への思い出

突然ですが、カミングアウトします。このブログのアクセスが10万件を越えたということで、何か記念に書きたくなりました。実は、今を去ること20年以上前、大学に入ったのを機に山登りを始め、以後10年間続け、その後は全く山に行かなくなりました。徒然に、山の思い出などを書いてみたいと思います。このような場合は、馴れ初めとか事の始まりに言及してから始めるのがオーソドックスなあり方と思うので、その辺りのことを思い出して見ようと思います。

こういう思い出というのは、今があって、その前提に敢えて思い出させるという手続きをとるので、必ず、今を肯定した上で操作が加わるというのか、その時のことを今の自分の都合の良いように。意識的にか無意識にか、つくってしまうものなので、そういうものとして読んでください。例えば、その過去の事例の中で、どんな出来事を思い出すかの取捨選択がどこかで為されているようで、フロイトの用語でいう検閲が為されているということです。そして、今回、これで思い出の物語を、つくって形になって、それを私が記憶すると、それが思い出の物語という事で固定されて、以後は、思い出はこの物語に準拠してものに再構成されていく、そういうものでしょうか。それを大掛かりにしたのが歴史っていうものでしょうか。

というわけで、私が山登りを始めたきっかけは、1年の浪人生活を終えて大学に入った途端に、そういうサークルに勧誘されたためです。もともと、小学校の頃から遠足が嫌いな筈だった(バスに乗ると車酔いをして、長時間歩くとへばった、そして何よりも出かけるとか、非日常的な時間が好きではなかった)のに、どうしてそんなサークルに入ったのか今以って分かりません。サークルに入ってからも体力作りのトレーニングではへばる、本格的な山行への準備のためのトレーニング山行では他のメンバーについて行けない。当時、一緒に入会した1年生の中では、私がおミソのような存在で、そのうち辞めるだろうと思われていたようです。1年生で最初にやめるのは目立つので、そのうち、アイツが辞めるから、そのあとやめればいい、と当時の1年生は思っていたようで、意外なことに、その私が辞めないので、やめるにやめられず、その年度は退会者なしというサークル始まって以来の出来事となってしまったそうです。そのサークルは今も続いていて40年近い歴史のなかで、そんなことは1度しかなかったそうです。ちょっと自慢しました?

そして、大学1年の夏、7月に前期試験が終わり(私のいた学校は夏休み前に前期試験を終わらせるシステムになっていました)生まれて初めて、北アルプスに行くことになりました。行ったのは、表銀座と呼ばれる超初心者むけのコースでした。何と言っても登山道に「銀座通り」しかも「表通り」という名が冠してあるくらいですから、電車通りというのか対面6車線とでもいうのか、整備されての登りやすい道だったわけです。

初日は稜線までの約1000メートルの高度差を一気に登ります。私が、トレーニングでいつもヘバるのはサークル内のみんなが知っていましたから、テントとか鍋といった装備を背負う分担については、私は記録用のカメラという最低限で、持ち寄った食料は私が分担して背負う分から優先して供出ということになり、前日に麓で一泊した時に米とか野菜はあらかたなくなっていました。登り始める直前に同じ1年生どうしで、それぞれの背負うリックサック(当時はキスリングという布製の重くて大きな代物でしたが)を比べて見ましたが、私のリックが想像通り明らかに一番軽く、それで何とかなりそうと、変な安堵をおぼえたものでした。パーティで1列になって登り始めると、私はセカンドの位置。これは、先頭のすぐ後ろで、私が遅れ出せば先頭が直ぐに気付いて全体のペースを落とすことができるからです(こんなことは、当時の私が知る由もなく、このことを理解したのは3年生になって、私がパーティーのリーダーを務めるようになってからでした。当時、リックサックの重さを比べた他の1年生がどう思ったか等は、当時の私は考えることもできませんでした)。最初のうちは何とかついて行けました。最初の休憩、みんなで私の水筒から水を飲んで、少しでも私の荷物を軽くしようとしてくれました。そして1時間もすると苦しくなりはじめ、そのあとは、とにかく、ひたすら目前の地面をみつめ右足の次は左足と、足を前に出すことしか意識にのぼりませんでした。苦しいとか考える余裕もなくなってしました。私の知らないうちの私の装備分担であるカメラはリーダーの3年生の首にかけられていました。今、思い出すと、その時の上級生たちは「ガンバレ」というような月並みに言葉の激励もかけることなく、ただだまって、私の様子を見、前に進めるペースを維持して、多少の時間がかかっても辛抱強く前進していました。おそらく、ガンバレ、などと発破をかけられていたら、私は無理をして途中で動けなくなっていたでしょう。しかし、上級生たちは私のペースに合わせ、しかし決して止まらせずに、辛抱強く前進させたのでした。今思えば、良き先輩に恵まれたと思います。ガンバレを連呼するようなサークルだったら、私は潰れていたと思います。それでようやく稜線の小屋に辿り着いてテントを張り、到着は最後だったので空いたスペースがなく、端の不便な場所しか残っていませんでしたが。サークルに自分でもわからずに入って、何度も思いましたが、その日は痛切に「オレ、何でこんなこと、やってんだろうか?」という疑問に強く捉われました。よく、山に登るなどというと、「何で山に登るか」などとカッコいい、ちょっと哲学的に響くような問いがあって「そこに山があるから」などと答えるとサマになるのですが、この時は、そんなものではなくて、後悔以外の何ものでもありませんでした。翌日、本来ならば景色のいい稜線の展望コースを行くはずでしたが天気は、あいにくの雨。3000メートルの稜線で雨に降られるというのは、雨が下から降ってくる、という初めての体験をしました。ちょうど山の稜線にかかっていた雨雲の中を歩いていたようで、雨が上から下から、横から降ってきている。そのうちに雷の気配がして、雷も落ちて来るのではなくて近くで発生するというような感覚を初めて体験しました。このコースは一旦稜線に出てしまえば、アップダウンの比較的少ないコースだったので、普通のペースで歩けていましたが、このような天気の真っただ中にいて、初日に続き散々でした。そんなことを感じる余裕は、その最中にはなかったのでしたが。そして、北アルプスの象徴、槍ヶ岳への登りが、このコースの難所で、岩稜帯の急峻なのぼりがつづき、時には岩登りのようなことが必要な所もあるというところで、上級生は心配だったと思います。実際、それまでで、私は完全にメゲてましたから。慎重にいこう、そして絶対に気を抜くなということでスタート、私の前後に上級生がつき、前後を上級生に挟まれる形で登り始め。最初はおっかなびっくりだったのが、何とか登れてしまったのでした。途中危ないところもあったようですが、槍ヶ岳の肩と呼ばれるところ。その名の通り、人間の肩のような感じのところに立っていました。そこから穂先よばれる槍ヶ岳の頂上はすぐ先のところ。その時には、雨雲が晴れて一面遮るもののない大展望(ポスターやガイドブックにあるような)が眼下に広がっていたそうです。

それで吹っ切れたかといえばそうではなく、その後も合宿というような山行ではいつもみんなのお荷物でした。そのたびに「オレ、何でこんなこと、やってんだろうか?」と思いました。誰も、答えてくれないし、自分でも答えは分かりませんでした。実際のところは答えを考える気もありませんでした。

そして、学期末試験も終わった春休み、1年生最後の春合宿でした。いつもの通り、出発前に1年生どうしでリックサックの重さを比べてみたら、私のザックの重さが他の1年生たちのザックと変わらなくなっていました。他の1年生たちはニヤニヤ笑っていました。その時、私は、そのことに初めて気が付いたのでした。

私が、合宿という、サークル内での参加が義務付けられた山行だけでなく、個人が自主的に計画して山に行く個人山行に参加するようになったのは、そのあと2年生になってからでした。

なんか、スポ根ストーリーをつくってしまった観もあります。もう少し続きそうな雰囲気ですね。この後、続くかどうかは考えていません。思いついたら書くかもしれません。

2013年2月 5日 (火)

ルートヴィヒ・クラーゲス「リズムの本質について」(1)

第1章 現象研究の意味について

本質研究は原因研究よりももっと決定的に、取り扱う分野をできるだけ厳密に限定することが必要である。しかし概念を定義するためには、まさに定義されるべきものはこれからはじめて突き止められなければならないことであるのに、それを十分によく知っているということが多少とも前提になる。それゆえわれわれの論述は、リズムの定義へ向かう一歩ごとにちょうどその分だけリズムの本質の洞察になじんでゆくような仕方を選ぶことにしよう。

誰でもがよく知っていることと関連させて、次のように言ってみよう。リズムとは時間的現象を規則的に分節化したものである、あるいは分節のほうに注目して、リズムとは現象の時間的構成要素が規則的に反復することである、最後に出来るだけ簡潔に言うとして、リズムとはある規則が時間的に現象したものである、と。これらの概念規定は、これから少し考察しておかなければならない現象という語を除けばすべて不適切である。

リズムが現象界に属するとすれば、それは物の世界には属さない。現象に取り組むのが現象学であり、物に取り組むのが事実学あるいは原因についての科学である。物として把握されるなら、わたしの机は常に同一の何かであり、さらに私にとってはどんなときであっても同一であり、同様に任意のどんな数の他者にとっても同一である。それに対して机の現象は絶え間なく変化している。机の現象はそれを見る方向を変えるにつれて変化し、距離によっても、光のあたり具合によっても変化する。わたし自身の状態によっても変化する。

記憶の蓄積ということを少し考えて見ても同じ結果が得られる。ある物を初めて知覚した時それは新しさの性格を持つ。しかし二回目に知覚するときには、それは既知の性格をもちわたしがそれを再認したと思うことを可能にする。わたしがそれを短期間に百回知覚したとすると慣れの性格をもって、そのためにもはやそれに注意を払うことがなくなるであろう。つまりそのときには世界の現象についてのわたしの体験から何かが滑り落ちている。そのようにして現象界は永遠に続く変化と逃走の中にあるのに対し、物の世界はいわば時間を奪われて硬直しているのである。

しかしすぐにまたこのことの裏面を先回りして考えて見よう。世界の現象がわれわれにさまざまな感性を通して伝えられてくるかぎり、それは見ることができ、聞くことができ、味わうことができ、触れることができる等々の現象である。しかし、時とともに推移ししたがって絶え間なく変移しているということは、過程そのものの特徴でありそれゆえ例えば感性過程の特徴である。世界の現象の一側面を取り出して見るなら、すぐに次のことが分かる。長く成り続けるフルートの音も、もし五秒目に聞く音の内容が四秒目の内容と似ていて、四秒目の音の内容がやはりまた三秒目の内容とも似ていて、そのようにしてそれは一秒目の始まりの音の立ち上がりまで同じように似ているのでなかったなら、われわれにはまったく「現象」しないことであろう。感性を感知能力という名で呼び、その相手を感知形象という名で呼ぶことにすると、感知形象が居合わせるためには、われわれの生命過程を分解して得られるもろもろの時間的部分が、それらが連続して起こることによってではなくその他の点では変化し続ける形象的要素の類似が体験されることによって、互いに絡み合わされていなければならない。世界の変移は体験が時間的であることによって現象するとすれば、変移の感知性は類似性が体験されることによって現象するのである。

ふたたび先の定義に戻ろう。先の概念の定義に対抗して、単調なフルートの音はその基盤に大気の振動の規則的な継起があるにもかかわらずリズム的なものではまったくないではないかと主張としても反論にはならないであろう。というのはその場合、現象しているのはフルートの音であって、空気の振動ではないことが見逃されているからである。振動が音が現象するための対象的条件の一つであることはわれわれも疑いなく正当であると考える。リズム的なものの現象を直接には現象しない推移に翻訳していいのかまたどの範囲でできるのかという問題は後ほど考察されるべきであろう。先の定義の誤りは別のところにある。

2013年2月 4日 (月)

あるIR担当者の雑感(114)~アナリストレポートは市場の財産

前回、アナリストの作成するレポートについて思い付きを書きましたが、もう一回分だけ、その思い付きの妄想にお付き合いください。前回、アナリストの作成するレポートが、もっと広い範囲で活用できるのではないかということを書きましたが、今回は、その広がりを時間的な広がりとして考えてみたいと思います。端的にいうと、アナリストのレポートの資料的価値を尊重して、統合的なアーカイブあるいはデータベースのようなことができないか、ということです。他の分野で言うと、雑誌の記事を整理して保管している大宅壮一文庫のようなものがあったらいい、という思い付きです。

仮に、私が、ある会社の投資を考えようというときに、長期的な投資を考えようとすれば過去に遡って実績や評価を知ることができるのは、ありがたいことです。また、複数のアナリストが過去にレポートを書いていれば、今なら証券会社ごとに調べてレポートを探さなくてはならない。それに、ある会社には、どのくらいのレポートが書かれているのか確認しようがないのが、現状ではないかと思います。これについては、もともとレポートは証券会社が顧客に銘柄を推奨するとか、投資している銘柄の現状を報告するということが目的であるので、証券会社の営業上の制約が当然あると思います。しかし、それは前回も書きましたが、そのような営業上の効果が期待できるのは、一定の限られた期間のことで、その期間を過ぎてしまえば、経済情勢や株式市況が絶え間なく速いスピードで変化しているため、時代遅れになってしまう。つまりは、営業上の効果は短い期間しかきかない、というのが正直なところではないでしょうか。ということは、作成後1年経過したとか、次のレポートが出たという時点で、そのレポートの時期に即した有効性、つまりは銘柄を推奨するような有効性は著しく減ずると言っていいのではないかと思います。そのような場合、レポートはしまいこまれ、紙の場合は一定期間を過ぎれば破棄されるのではないか。そこで、そのような一定期間経過後のレポートを証券会社から独立したような機関、例えば証券取引所とか証券業協会とかアナリスト協会とかIR協議会というような公益的な組織が、すべての証券会社からレポートを提出させて、整理して管理保管するようなことはできないか、などと思ったりしました。

投資をしながら投資先の企業を深く理解したいと考えるような投資家(私は、こういうタイプの個人投資家は今後増えていくと思っています)、あるいは企業の側でも自社のことが書かれたレポートを網羅的に見ることができるのはありがたいと思うし、また研究者や学生、ジャーナリストなどにとっては大きな資料的価値があると思います。このような開かれた公開の場を持つことによってレポートがもっと広まるのではないかと思います。そして、何よりもまして、レポートを作成するアナリストに対して資するところが大きいのではないか、と思います。というのも、自分の作成したレポートが資料として後世に残り、人々がそれを見に来るということになれば、レポートを作る姿勢が変わって来るのではないか。後世のレポートを見る中には、同業のアナリストがいる可能性は高くなるでしょうから、そういう目を意識することになる。また、ある会社に対して数人のアナリストがレポートを書いている場合、そのようなところに一括整理保管されていれば、見る方はその複数のレポートを当然読み比べることになるでしょう。そこでは、比較されることによってレポートの評価が自然とされることになってくるでしょう。アナリストにとっては負荷がかかってくるでしょうか。でも、こういうことが可能になったとしたら、日経という一企業がやっているアナリストランキングのような、ひとつの傾向がはっきりとしている評判ではなくて、もっと広範なレポートの評価によってアナリストを評価するというようなこと、「年間ベスト・レポート」とか、そういうことも出来るのではないか、などと思ったりしました。

私の個人的な思いつきですが、レポートを読んでいると、単に銘柄の推奨だけ(これはこれで素晴らしいものです)にとどまらない、業界についての知識を教えてくれる啓蒙的なものや、経済に対する鋭い切り口だったり、企業の経営論だったり、一時的な情報として流されてしまうにはあまりにも惜しいと思われるものが沢山詰まっているからです。

そうしたら、証券会社でも資料の管理という管理業務をアウトソーシングできるわけだし、場合によってはそのアーカイブなりデータベースの運営手数料を利用者から徴求すればコスト負担を軽減できる。デメリットだけではないと思います。

2回も続けて妄想を書きました。未だ正月気分が抜けていないかもしれません。

2013年2月 3日 (日)

あるIR担当者の雑感(113)~アナリストレポートは価値ある財産

私の勤め先の会社は、ここで何度も述べましたように、新興市場に上場する地味な中小企業で、投資家の注目もなかなか集まりません。最近、幸いなことに1人のアナリストの方がレポートを書いてくれた、という会社です。そして、そのレポートを書いてもらって分ったことですが、このレポートというは非常に便利な優れものであるということです。もっとも、書いていただいたレポートが、たまたまそういう質の高い、応用の利くものであったから、すべてのレポートに当て嵌まるとは言えないかもしれません。日本では証券会社をはじめとした機関にいわゆるセルサイド・アナリストと呼ばれる人たちが、千人前後活動していると思います。その全部が企業を対象とした分析をするわけではありませんが、大半が企業を分析し、毎日のようにレポートを作成しています。年間にすれば、それは膨大な数になるでしょう。そのレポートは、私の知る限りでは証券会社の会員向けホームページにアップされたり、店頭で顧客に手渡されたり、営業から顧客に送られたり、あるいは社内の営業とのミーティングで配布されたり、というような、いわば一過性の使い捨て(言い過ぎかもしれません)のように使われているのではないかと思います。もちろん、株式市場は日々変動していますし、企業の経営状態も固定的なものではありませんから、レポートは、ある時期に即して書かれている、いわば旬のあるものだから、旬を過ぎてしまえば、投資のための利用価値は下がってしまうことは考えられます。つまり、実際のところアナリストが苦労して書いたレポートは書かれた時から短期間のうちに大量に配られ、あとはほんの一部が時折思い出したように参照されるというような使われ方をしているのではないか、と思います。

これは、取材された企業の側からも、苦労して作成したアナリストやコストをかけている証券会社の側からも、もったいないことです。最初のところでレポートというのは便利な優れもので、重宝させてもらっていると書きましたが、レポートは投資家への情報提供、あるいは銘柄の推奨ということだけに用途を限定しないで、他のことにも利用価値があるのではないか、もっと使えるのではないか、と思ったりしました。たとえば、今回、私の勤め先では株主通信に社長インタビューを巻頭特集として載せました。そのインタビューは、あるアナリスト(冒頭に述べたレポートを書いてくれたセルサイド・アナリストとは別の方です)が社長へのインタビュー記事を書いてくれた時に、その取材に同席した時のメモをもとにしたものなのです。そして、ご本人と作成してくれた会社の許可を得て、アナリストのインタビューという記事を株主通信に載せることができました。この場合、たまたまということと、このこと自体のために労力がかかっているわけでなく、いわばついでのようなことだったこともあり、相手の好意により、できたものでした。そして、この株主通信は、本来は株主向けに作ったものですが、社長の考えが分かりやすく、しかも外部の人のインタビューなので客観性もあるということから、株主に限らず取引先や顧客に配るということにも有効です。当然、社内の従業員に向けても、このような冊子という形の残る媒体を配るのに、非常にいいものとなりました。そういう利用価値を考えれば、ひとつの商売として考えてもいいのではないかなどと思ったりしました。セルサイド・アナリストも企業トップに取材したり、インタビューすることは少なからずあると思います。そこで、そのインタビューの副産物として、相手の企業に売り込むことはできるのではないか。一種の発想の転換ですが、日々書かれているレポートについても、そのように考えれば、活用できる可能性は多々あるのではないかと思います。それを最大限に活用すれば、証券会社のコンサルティング面での事業が広がる可能性だってないとは言えないのではないか、などと思ったりしました。

アナリストというのは企業を見るスペシャリストです。その能力を投資家だけでなく、企業にたいしても貢献することはできると思います。例えば、過去のある企業のレポートをテキストにしてその企業の経営陣や幹部を対象にセミナーをアナリストにしてもらう、とか。個々の企業のことを分っていない経営コンサルタントを呼んで企業が行う社内セミナー等に比べれば、遥かに実践的な内容になるのではないか、などと考えます。

私は、個人的には、経営コンサルタントという肩書の人が掃いて捨てるほどいるように見えて、何かのおりに話を聞いたり、著作を読んだり、また、実際に企業にコンサルとして入った時のレポートなどを拝見させてもらうと、何か碌なものでないという感想がでてきます。それなら、取材やミーティングで話をする機会のあるアナリストの人たちだったら、もっと実のあることができるだろうと、思ってしまいます。そうなれば、アナリストの方の実力をいかせば、今以上に価値を産みだす可能性があるのではないか、と思います。

これは、実際を良く知らない者の思い付き、妄想です。不正確な点はお許しください。

2013年2月 2日 (土)

チャールズ・ローゼン「音楽と感情」(3)

Ⅲ 対立し合う情緒─古典派

1770年以降、音楽様式には劇的な区切りが不可欠になった。

「ハイ・バロック」の波瀾のない継続性はもはや流行後れだった。ソナタのような二部形式の前半を、18世紀はじめの二部形式の舞曲形式のように、単純に属調の半終止や完全終止で終わらせることはもはや出来なかった。楽章前半のまんなかで起こる属調への転調はただではすまなくなり、きっかけとして属調としてのドミナント上で先行する半終止をもちいることもあった。リズムがしばしば崩れ、新しい主題が使われたりした。ハイドンの交響曲の多くがそうだが、新しい主題をもちいずに継続性が勝るときでも、属調は以前よりはっきりと確立され、より活発でエキセントリックなリズムの質感によって新調の領域をきわだたせるようになった。私たちが子どものころの音楽鑑賞の授業では、ソナタ形式には対照的な二つの主題があり、最初のテーマは男性的、二番目は女性的だと先ず教わった。これはたいていの場合に通用する。

ここでもっと実りの多い議論は、内蔵された対比の問題、対立する情緒がまるで大きな形式を映し出す鏡の中のミニチュア画像の様に表現される主題や動機そのものの問題である。こういう主題は頻出こそしないものの、まれというわけでもないので、一考に値する。これによって、数十年つづく音楽様式のなかで機能した情緒表現の方法に鋭く焦点をしぼっていけるからだ。ある有名な例をあげよう。モーツァルトの「交響曲第41番ハ長調ジュピター」の冒頭主題である。音楽の情緒表現は新しい技法になった。情緒は静止したものではなく、活動しながら、競い合うなかで生まれる資質になった。器楽音楽は新たな次元に入ったのである。

数小節後にあらわれるジュピターの主題の対抗提示はこの革新についてさらに明らかにしてくれる。もとの動機の前半と後半はいずれもまだ存在しているが、対立は消えている。フルートのオブリガートによって統一されたのだが、これは最初の対比と同じくらいに重要なプロセスだ。ここで私は「命題─反命題─統合」というヘーゲルの弁証法理論との類推を大まじめでもちだそうとは思わない。対立の提示とその解決は、すべてとはいわないまでも大半の劇的な形式にとって必須であり、モーツァルト時代の劇場にとってはもちろん基本中の基本だった。18世紀後半のドイツ音楽の器楽様式はオペラの劇的効果の一部を発展させて、より凝縮された効率的なものにした。

 

 

もしクラシック音楽が今あるようなかたちで生き残るなら、私たちはこれから十年が二十年のうちに、これら競い合う独断論の断片が魅力的で首尾一貫したものであり続けるようなアイデアを思いつけるかもしれない。情緒表現はこれら競い合うトレンドすべてにおいて等しく効率的なわけではないが、そのすべての内に存在する。しかし私たちはここで少しへりくだって、人々の感受性に働きかける音楽の力は、作曲というより演奏の方に多く依存していることを思い起こす必要がある。1820年に詩人のジャコモ・レオパルディはこうのべた。

音楽の奇跡、私たちの感情に働きかけるその生来の力、それが自然に呼び起こす歓び、やる気や想像力などを目覚めさせる力といったものは、音響や声が心地よい限り、正しくもその音響や声に宿り、音響や声のハーモニーの混合物が自然に耳を楽しませてくれる限り、その音響や声のハーモニーに宿るのであって、メロディに宿るのではない。つまり音楽とその効果の本質は美そのものの理論以上に、香り、味、素朴な色といったものに属する。…こういう考察にのっとって考えれば、野蛮人や獣すらもが私たちの音楽にこれほどの歓びを見出すのも驚くにはあたらない。

音楽芸術を料理や香水調合の技法になぞらえて、音楽が最も卑しく、最も知性の劣る人間の本能に訴えるとほのめかしたあと、レオパルディは説得力をもってこう付け加える。美しいメロディもひどい歌い方をすればほとんど歓びをあたえず、ひどいメロディでも楽器や非常に心地よい声で演奏されれば大きな歓びをもたらす。これが示唆するのは、作曲家が私たちを感動させ、これほど多様性に富んだ情緒を創りだす方法についてこれまでのべてきたたくさんの事例が、平均的なコンサート常連客の経験とは、私たちが信じたいと思うほど関係していないということだ。とはいえ、私たちの音楽経験が豊かで深いものになればなるほど、演奏家がただ心地よいだけのサウンドをつくるだけでなく、音楽スコアのなかで一番重要なものに光をあて、浮き彫りにして私たちを感動させてくれるにちがいないと期待をふくらませて、みずからを慰めようではないか。

 

今年、最初の読書メモということになります。音楽の感情表現について追いかけていますが、途中から個別のケース分析を次から次へという読み物に変わってしまっています。それはそれでいいのでしょぅけれど、『音楽と感情』というよりも感情表現という切り口の楽曲紹介というものになっています。そこで音楽の感情表現がどのように推移してきたのかという史観とか、そもそも音楽における感情表現とは、といった考察が展開されているわけではないので、どうしてその楽曲がとりあげて紹介されているのかがハッキリせず、音楽雑誌のよくできた連載コラム程度のものでわざわざ本にする意味を感じることはできませんでした。残念。

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